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エピソード2:鋼鉄の皮膚、ガラスの心臓


セントラルシティの夜景は、あの日の悪夢を忘れさせるかのように、今日も輝きを放っていた。


市庁舎の修復作業は急速に進み、市民の熱狂的なアンフェイスへの支持は、以前にも増して高まっているように見えた。


 「アンフェイス様、今日もセントラルシティをお守りくださり、ありがとうございます!」


 「どうか、お体に気を付けてくださいね!」


テレビのニュース番組で流れる、市民からの感謝のメッセージ。


それを見るたびに、百道葵の心は締め付けられる。


リビングのソファに深く沈み込み、疲れた体を癒そうとするが、その胸中は穏やかではない。


 「こんな私に、そこまで期待されてもね……」


冷めたコーヒーを一口。


苦みが口いっぱいに広がる。


この味は、彼女の心の奥底に沈む罪悪感とよく似ていた。


 「クロウ、昨日の奴らの件、何か分かった?」


葵は耳元の通信機に問いかけた。


返答はすぐに来る。


 「ああ、残念ながら。痕跡は完璧に消されてた。ただ、奴らがただの能力者集団じゃないのは確かだ。並の組織じゃ、あそこまで周到には動けない」


クロウの声はいつものように冷静だが、わずかな緊張感がにじんでいた。


 「私の秘密を、奴らがどこまで知ってるのか……それが問題ね」


 「そうだな。だが、お前が動揺した様子を見せなかったのは正解だった。奴らは間違いなく、お前を試してた」


葵はゆっくりと目を閉じる。


昨日、あの謎の集団から向けられた冷たい視線と、耳元で響いた嘲るような声が、脳裏に焼き付いている。



 『お前の秘密は、既に我々の手の中にある。偽りのヒーローよ……いずれ、真実を晒す時が来るだろう』



 「……分かってる。でも、もう二度とあんな思いはしたくない。何もできない自分を、あの時ほど憎んだことはない」


唇を噛みしめる。


幼い頃に体験した、ある出来事。


人々が絶望に沈む中、誰も助けに来なかったあの日。


あの時の無力感が、葵をこの「偽りのヒーロー」の道へと駆り立てた。


能力がなくとも、この手で人々を守れることを証明したかった。


そして、誰かを救うことで、あの日の自分を、そして救えなかった誰かを、救いたかった。


 「今日のトレーニングはキツめにいく。それから、新しい装備の調整も頼む」


 「了解。だが、無理はするな。お前の体は鋼鉄じゃない、ガラスだ」


クロウの言葉に、葵は自嘲気味に笑った。


その通りだ。


彼女の体は、鍛え上げられた筋肉で覆われているが、その心はまるでガラスのように脆い。


少しの衝撃で砕けてしまいそうなほど、常に不安と孤独を抱えている。


その日の夜、葵は地下にある自身のトレーニングルームにいた。


広大な空間には最新鋭のトレーニングマシンがずらりと並び、壁一面には様々な格闘技の指導書や戦術分析の資料が貼られている。


 「はぁ……はぁ……」


サンドバッグを打ち込む音が、部屋に響き渡る。


汗が顎を伝い、床に小さな水たまりを作る。


ストレート、フック、アッパー。


流れるようなコンビネーションは、まるで舞を踊っているかのようだ。


彼女の動きには無駄がなく、一打一打に力が込められている。


 「まだだ……まだ足りない……!」


能力を持たない自分は、努力でしか差を埋められない。


人々からの期待に応え続けるためには、人並み外れた努力を続けるしかない。


その時、通信機が鳴った。


 「葵、緊急事態だ。港湾地区の倉庫街で、大規模な能力者同士の抗争が発生した。状況が悪い。多数の民間人が巻き込まれる可能性がある」


クロウの焦った声が聞こえる。


葵はすぐにサンドバッグから離れ、呼吸を整えた。


 「場所は?」


 「第7倉庫街だ。すでに警察が向かっているが、奴らの能力は警察官では手に負えない」


 「分かった。すぐに向かう」


葵はトレーニングウェアを脱ぎ捨て、特製のヒーロースーツを素早く身につける。


防弾性、軽量性、そして動きやすさを極限まで追求したそのスーツは、彼女の「能力」を最大限に引き出すための、唯一無二の相棒だった。


 「今回の敵は、どういうタイプ?」


スーツのバイザーが起動し、眼前には現場の状況がリアルタイムで表示される。


 「一人は重力操作、もう一人はプラズマ生成だ。厄介な組み合わせだぞ。特に重力操作の能力者は、周辺のコンテナを操って攻撃してきている」


葵は無言で頷いた。


すでに頭の中では、現場の地形、敵の能力、そして民間人の避難経路を瞬時にシミュレートしていた。


港湾地区の倉庫街は、すでに地獄絵図と化していた。


重力操作の能力者が操る巨大なコンテナが、まるで意思を持ったかのように宙を舞い、プラズマ生成の能力者が放つ蒼白い光が、鋼鉄の壁を溶かしていく。


警官隊は距離を取り、応戦するも、その攻撃は能力者にはほとんど通用しない。


 「くそっ、このままじゃ一般人が危ない!」


現場の指揮官が叫ぶ。


その時、一つの影が、漆黒の夜空を切り裂いて現場に舞い降りた。


 「アンフェイスだ!」


 「助かった!」


人々の歓声が上がる。


葵は着地と同時に、地面の僅かな起伏を利用して加速した。


 「クロウ、重力操作の能力者から潰す。プラズマは、私が近づく間は牽制を頼む」


 「了解!」


重力操作の能力者が、葵に向かって巨大なコンテナを落下させる。


葵は冷静にその軌道を読み、コンテナの下を滑り込むように通過した。


 「なにっ!?」


能力者が驚愕の声を上げる。


葵はその隙を見逃さない。


スーツのブーツに仕込まれたブースト機能が起動し、一気に加速する。


地面を蹴り、瓦礫を足場にして跳躍。


まるでバネのようにしなやかな体で、コンテナの壁を駆け上がった。


 「そこだ!」


葵は空中高く舞い上がり、重力操作の能力者の頭上へと落下する。


能力者は慌てて防御態勢に入るが、葵の動きはそれを上回る。


スーツのグローブに内蔵されたスタンガンが、能力者の首筋に深くめり込んだ。


 「ぐあっ……!」


強烈な電流が能力者の体を駆け巡り、その場で意識を失う。


宙に浮いていたコンテナが、重力に従って地面に激しく落下した。


 「一人、ダウン!」


クロウが叫ぶ。


しかし、残るプラズマ生成の能力者が、葵の動きを捉えていた。


 「よくも仲間を! 死ね!」


能力者の手から、高密度のプラズマの塊が放たれる。


その光は、触れるものすべてを焼き尽くすかのような威力を秘めていた。


 「ちっ!」


葵は咄嗟に体を捻り、間一髪で直撃を避ける。


しかし、プラズマの余波がスーツの肩を掠め、焦げ付くような匂いが鼻を突く。


 「これは、厄介……!」


プラズマの攻撃は広範囲に及ぶため、正面からの突破は難しい。


葵は、周囲のコンテナを盾にするように身を隠し、能力者との距離を詰めていく。


 「隠れても無駄だ! 全て焼き尽くしてやる!」


能力者が叫び、プラズマの光が周囲を照らす。


葵は冷静に、能力者の攻撃のリズムを読み取っていた。


彼の攻撃は強力だが、その分、隙も大きい。


 「その隙、もらう!」


能力者が次の攻撃のためにプラズマを集中させる一瞬、葵はコンテナの陰から飛び出した。


彼女は、地面に転がる鉄骨を足で蹴り上げ、それをまるで飛び板のように利用して宙高く舞い上がった。


 「なっ!?」


能力者は驚愕の表情を浮かべる。


しかし、葵の狙いは能力者そのものではない。


彼女の視線は、能力者の背後にあった、不安定に積み上げられた巨大なコンテナ群に向けられていた。


 「これで、おしまい!」


葵はスーツの腕部に内蔵された小型の音波発生装置を起動させた。


指向性の高い高周波音波が、積み上げられたコンテナ群にピンポイントで照射される。


 「ギシッ……ミシッ……」


コンテナが軋み、バランスを崩していく。


音波によって共振が起こり、構造的な脆さが一気に露呈したのだ。


 「馬鹿な!?」


能力者が振り返った時には、すでに手遅れだった。


数トンもある巨大なコンテナが、雪崩のように崩れ落ち、プラズマ生成の能力者を下敷きにした。


 「ガハッ……!」


能力者は、コンテナの重みに耐えきれず、意識を失った。


プラズマの光が消え、港湾地区に静寂が訪れる。


 「ターゲット、両名ダウン。民間人の被害はゼロです」


葵は通信機に報告した。


全身を襲う疲労感と、左腕の鈍い痛みが、彼女がただの人間であることを思い知らせる。


しかし、遠くから聞こえる救急車のサイレンと、安堵の声を上げる人々の姿が、彼女の心をわずかに満たした。


 「お疲れ様、葵。完璧な作戦だった」


クロウの声には、ねぎらいの響きがあった。


葵は、夜空に輝く星を見上げた。


偽りのヒーローである自分に、人々は今日も感謝の言葉を捧げる。


その重みに、心が軋む。


 「完璧、ね……」


スーツのバイザーがオフになり、彼女の深い青色の瞳が露わになる。


その瞳の奥には、達成感とは異なる、どこか寂しげな光が宿っていた。


 「いつまで、こんな嘘を続けられるんだろう……」


ヒーローとしての完璧な日常。


しかし、その裏側で、百道葵は孤独な戦いを続けていた。


ガラスのように脆い心に、いつかヒビが入ってしまうのではないかという不安を抱えながら。




そして、その不安を煽るかのように、彼女の秘密を知る影が、静かに蠢き始めていることに、まだ彼女は気づいていなかった。


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