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エピソード12:引き裂かれる光と影


セントラルシティの夏は、熱狂に包まれていた。


「ザ・ウォッチャー」での公開討論会以降、アンフェイスへの世間の賞賛は、かつてないほどの高まりを見せていた。


街のあちこちでアンフェイスのポスターが貼られ、子供たちは彼女のマスクを被って遊んでいた。


しかし、その輝かしい「光」の裏で、百道葵の心には、より深い「影」が落ちていた。


 「すごいね、葵! またアンフェイスが雑誌の表紙になってるよ!」


学校の休み時間、佐々木美咲が目を輝かせながら週刊誌を差し出した。


表紙には、夕日を背に立つアンフェイスの勇姿が写っている。


 「……うん」


葵は、曖昧に頷いた。


自分の姿が、人々の「希望」として祭り上げられていくことに、複雑な感情を抱く。


賞賛されるたびに、彼女の心の奥底では、偽りのヒーローであることへの罪悪感と、いつか真実が露呈するのではないかという恐怖が、まるで増幅されるかのように募っていくのだ。


 「クロウ、最近、例の組織の動きは?」


夜のパトロール中、葵は通信機に問いかけた。風が、特製スーツの裾を揺らす。


 「奴らは、お前との取引に応じたようだ。当面は、水面下で静かにしている。だが、それは一時的なものだろう。奴らが何を企んでいるか、まだ探りきれていない」


クロウの声は、いつもと変わらぬ冷静さだが、その言葉にはどこか諦めのような響きも混じっていた。


葵が、彼らに「条件」を突きつけたことで、彼らの策略を一時的にかわすことはできた。


しかし、それは問題を先送りにしたに過ぎない。


 「あの『ザ・ウォッチャー』の件も、結局奴らの仕込みだったわね」


葵は自嘲気味に呟いた。


彼女を追い詰めるために仕組まれた罠。


それを逆手に取り、人々の信頼をさらに強固なものにした結果、彼女の「ヒーロー」としての仮面は、ますます強固なものになっていた。


 「ああ。だが、お前はあの状況を覆した。それは、お前の強さだ、葵」


クロウは、葵の心を慮るように言った。


しかし、その言葉は、葵の心を救うことはなかった。


 「皮肉なものね。嘘を重ねるほど、人々は私を信じる。光が強ければ強いほど、影は濃くなる……」


葵は、夜空を見上げた。


月は雲に隠れ、街のネオンだけが、まばゆく輝いている。


 「この仮面が、いつか本当の私を、私自身から引き離してしまうんじゃないかって、時々思うわ」


誰にも打ち明けられない本音。


それが、葵の孤独を一層深めていく。


その日の深夜、セントラルシティの旧市街で、大規模な爆発が発生した。


ニュース速報が、けたたましい警告音と共に流れる。


 「速報です。セントラルシティ旧市街の廃工場で、大規模な能力者集団による抗争が発生しました。周辺住民に避難勧告が出ています」


クロウの声が、緊迫感を帯びて響く。


 「葵、相手は『ナイトメア・シンジケート』だ。幻覚を操る能力者集団で、厄介なことに、彼らは相手の心に潜む恐怖を具現化させる能力を持っている。お前には不利だぞ」


葵の心臓がどきりと音を立てた。


幻覚。


それは、彼女の「偽りのヒーロー」としての最も深い傷を抉る攻撃になるだろう。


 「ゼータ、新型デバイスは?」


 「問題ない! 強化されたバイザーで、幻覚の干渉をある程度は防げるはずだ! ただし、長時間晒されると、お前の精神に負担がかかるぞ!」


ゼータの声にも、心配の色が滲んでいた。


 「分かった。私が行く」


葵は、迷わず廃工場へと向かった。


どんなに心が引き裂かれても、目の前で苦しんでいる人々を見捨てることはできない。


それが、彼女のヒーローとしての使命だった。


廃工場は、幻覚によって歪んだ空間と化していた。


壁が崩れ落ち、床が波打つ。


目の前に、過去の記憶が具現化したかのように、瓦礫の下に埋もれた人々の姿が幻として現れる。


 「……っ!」


葵は、必死に幻覚を振り払う。


しかし、心の奥底に潜む恐怖が、現実と幻の境界を曖昧にする。


 「ようこそ、アンフェイス」


闇の中から、ナイトメア・シンジケートのリーダー、『イリュージョン』が現れた。


彼の瞳は、獲物をいたぶるかのように、ねっとりと葵を見つめている。


 「貴様の心は、すでに我々の手の中だ。偽りのヒーローよ。お前が最も恐れているものを見せてやる」


イリュージョンが手を振ると、葵の目の前に、無数の「百道葵」が現れた。


彼女たちは皆、顔に絶望を浮かべ、葵を指差して嘲笑う。


 「『偽物』! お前はただの人間だ!」


 「人々を欺く、嘘つきめ!」


 「お前なんかに、誰も救えない!」


幻覚の「百道葵」たちの言葉が、葵の心を容赦なく抉る。


それは、彼女自身が最も恐れていた言葉だった。


 「黙れ……!」


葵は、必死に幻覚を振り払おうとするが、心に響く言葉は消えない。


 「クロウ、ゼータ! 幻覚の干渉が強すぎる! 助けて!」


 「葵! 奴の能力は、お前の不安を具現化させている! 精神的な抵抗がなければ、防ぎきれないぞ!」


クロウが叫んだ。


 「くそっ! これじゃ、何もできない!」


葵は、幻覚に足を取られ、体勢を崩す。


イリュージョンは、その隙を見逃さなかった。


 「さあ、見せてやれ! 貴様の真の姿を!」


イリュージョンが指を鳴らすと、葵の目の前に、さらに恐ろしい幻覚が現れた。


それは、瓦礫の中で泣き叫ぶ、幼い頃の自分の姿だった。


そして、その幼い自分の隣には、助けられなかった人々の絶望的な顔が浮かび上がる。


 「違う……! あれは……!」


葵の心は、完全に引き裂かれた。


過去の無力感と、現在の偽りの自分が、彼女の精神を深く蝕んでいく。


その時、葵の通信機から、ゼータの興奮した声が響いた。


 「葵! 今だ! 奴の幻覚には、ある一定のパターンがある! そのパターンを逆手に取れば、幻覚そのものを逆流させることができる!」


 「逆流……!?」


 「そうだ! 幻覚は、奴の精神に直接リンクしている! お前が精神的な抵抗を見せ、幻覚のパターンを乱せば、奴の精神に直接ダメージを与えられる!」


ゼータの言葉に、葵の瞳に光が宿った。


それは、危険な賭けだった。


だが、彼女に残された唯一の選択肢だった。


 「わかったわ……!」


葵は、心の中の恐怖と向き合った。


そして、幻覚の「百道葵」たちに向かって、ゆっくりと、しかし力強く語り始めた。


 「私は……偽物かもしれない。能力もない、ただの人間だ。あの時、私は誰一人救えなかった。それが、私の過去だ」


幻覚の「百道葵」たちが、嘲笑う。しかし、葵は怯まない。


 「でも……だからこそ、私はここにいる! 偽物だからこそ、私は誰よりも努力した! 偽物だからこそ、私は人々の『希望』になりたかった!」


葵の声は、幻覚の中で響き渡る。


彼女は、自身の弱さも、偽りも、全てをさらけ出した。


それが、彼女の「真実」だった。


 「私は、確かに能力者ではない。でも、私が救った命は、決して嘘じゃない! 私が流した汗も、涙も、全て本物だ!」


葵の言葉に、幻覚の「百道葵」たちが、わずかに揺らぎ始める。


彼女の「真実」が、幻覚の根源であるイリュージョンの精神を、少しずつ侵食していく。


 「そして、私はこれからも、この手で人々を守り続ける! 偽りの仮面の下で、真のヒーローになるために!」


葵が叫んだ瞬間、彼女の瞳から、強い光が放たれた。


それは、幻覚を打ち破るほどの、彼女自身の「光」だった。


 「がぁあああああ!!」


イリュージョンが、突然苦悶の叫びを上げた。彼の精神が、葵の「真実」の言葉によって直接攻撃されたのだ。


幻覚は瞬時に消え去り、廃工場は元の姿に戻った。


 「くそっ……こんな、馬鹿な……!」


イリュージョンは、精神的なダメージを受け、その場に膝をついた。


彼の顔には、恐怖と混乱が入り混じっていた。


 「確保を!」


クロウの指示で、警官隊が廃工場に突入し、イリュージョンとナイトメア・シンジケートのメンバーを次々と確保していく。


葵は、その場にへたり込んだ。


全身の疲労と、精神的な消耗が、彼女を襲う。


 「葵! 無事か!?」


クロウが心配そうに駆け寄ってきた。


 「なんとか……ね」


葵は、深く息を吐き出した。


今回の戦いは、肉体的にも精神的にも、彼女にとって最も過酷なものだった。


その時、遠くから子供たちの声が聞こえてきた。


避難を終えた子供たちが、廃工場の外から、無邪気に葵に手を振っている。


 「アンフェイスだ! アンフェイスが助けてくれた!」


 「ありがとう、アンフェイス!」


子供たちの純粋な感謝の言葉が、葵の耳に届く。


その言葉を聞いた瞬間、葵の瞳に、再び涙が滲んだ。


それは、疲労の涙でも、恐怖の涙でもない。


救われた命がそこにあるという、確かな喜びの涙だった。


 「私は……何のために戦っているんだろう……」


葵は、夜空を見上げた。


光が強ければ強いほど、影も濃くなる。


それは、彼女の宿命だった。


偽りのヒーローとして、人々からの賞賛を浴びるたびに、彼女の心は引き裂かれる。


それでも、彼女は戦い続ける。


 「この光が、いつか、本当の私を照らしてくれることを信じて……」


葵の深い青色の瞳には、矛盾に苦しみながらも、真のヒーローとしての道を模索し続ける、強い決意が宿っていた。




彼女の引き裂かれる光と影の物語は、まだ始まったばかりだ。


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