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新聞記者でございます(前編)

今日も前後編です。

 白い建物。

 白い部屋。

 更に小さな白い個室。

 中年男はそこで人知れず趣味に浸っていた。


「ほっ」


 ぽわんっ。


 口から煙の塊が飛び出た。

 煙草である。

 口から出た時は只の白い塊だったが、直ぐに膨らんでいき、天井に触れる頃には大きな輪っかになっていた。

 達者である。

 少し練習をしたくらいでは漫画のように大きくはならない。


「ほっ、ほっ、ほっ」


 ぽわんっ、ぽわんっ、ぽわんっ。


 今度は連続して煙の輪が出た。


「………」


 中年男の視線は煙を追っていたが、その表情は虚ろだ。

 別に楽しくて輪っかを作っている訳では無い。

 煙を出すついでに何となくやっているだけだった。


「こらーっ!」


 暫くすると、窓の外から叱責の声が聞こえて来た。


「誰ですか?! トイレで煙草を吸ってるのは! 病院内は禁煙ですよ!!」


 甲高い若い女性の声。

 確認するまでも無く看護婦である。

 一般的にトイレでの喫煙は禁止されている。

 狭い空間に可燃物があることを考えれば当たり前だ。

 外国でも先進国では屋内での禁煙、公共施設での禁煙が法律で取り締まりされていることが多い。

 先進国とは思えないほど煙草に甘い日本も、遠からずそうなると言われていた。


「ふぅーーーっ」


 中年男は口を尖らせて、最後に思いっきり火炎放射器のように煙を噴き出した。

 水道で煙草の始末をすると、煙を払うように服を叩く。

 そんなことをしても染み付いた臭いは消えないのだが、気分の問題だった。


「やれやれ…」


 後始末を終えると、彼はそそくさとトイレから退散した。


***


 ――日和見病院。

 某県某市の片隅にある、ごく普通の総合病院。

 そこには、ごく普通の建物があって、ごく普通のお医者さんが居て、ごく普通の診療が行われていました。

 ただ一つ普通と違っていたのは…婦長さんは――だったのです!


***


敷牧(しきまき)さん!」


 中年男…敷牧は、屋外で時間を潰してから病室に戻ったが、待ち構えていた看護婦さんに捕まった。

 常習犯なのだから当然である。

 病衣に染み付いた煙草の煙は、外気に晒したくらいでは消えていなかった。

 彼はいつも通り適当に流そうと思ったが、今日は相手が悪かった。


「病院の規則ざます。医療関係者だけの話では無く、それは患者さんや納品業者さんであっても同じざます」

「ちっ」


 敷牧は舌打ちをした。


(選りにも選ってこのババアかよ…)


 別に婦長さんが彼より年上という訳では無い。

 誰が見ても婦長さんは中年である彼より若いと思うだろう。

 彼より頭一つ背が高く、中年太りな彼と違って全身を見事な筋肉が包み、白髪交じりの彼とは対照的にナースキャップに覆われた髪は烏の濡れ羽も斯くやと言わんばかりの瑞々しさ。

 心の中で悪態を吐いたのも、丁寧な言葉遣いが嫌味に聞こえるのも、彼の劣等感から来る僻みが原因だった。


「他の患者さんもガンにする気ざますか!」

「大袈裟だなあ~。御上はガンは煙草のせいじゃないって言ってるだろ?」


 偉い人が言ったから俺は悪く無い。

 典型的な責任転嫁である。


「それは間違いざます。政府の公表も煙草の注意書きも、副流煙によって肺ガンや脳卒中などになる可能性があることを認めているざます」

「そんなら何で禁止しないんだよ。肺ガンになるから止めろって」


 勿論、彼は政府が止めても煙草を止める気は毛頭無かった。


「それこそ、敷牧さんの方が詳しいはずざますが?」

「………」


 彼もブンヤ…新聞記者の端くれだ。

 当然、心当たりがあった。

 彼らの業界には多くの公然の秘密があるが、政府と煙草業者の関係もその一つだ。

 100%では無いから違う。

 0%では無いから、成功例があるから可能。

 精神論や私情優先の人間に多い思考だ。

 彼自身は詳しく無いが、副流煙以外でも肺ガンになるから、如何にも煙草の影響が少ないように誤認させる表記なのだと思い当たった。

 自分に甘くない人間は居ないし、耳障りの良い言葉を信じるのが人間。

 それが業界に長く居る彼の経験則だった。


「知らん! 知らん! 知らん!」


 しかし、理屈や経験で理解していることと、感情で認められるかは別問題である。


「仲間が病院で吸ったって話聞いたことあるんだ。少しくらい良いだろ?」

「駄目ざます。余所は余所、うちはうちざます。次は病院から出て行って貰うざます」


 婦長さんが彼に目を合わせて警告した。

 譲歩は有り得ない。

 病院の情報網は世間が思っているより優秀だ。

 治療中に喫煙で追い出された人間の末路など考えるまでも無かった。


「…ちっ、わかりましたよー…」


 敷牧は渋々残りの煙草を婦長さんに手渡した。

 持っていたら吸ってしまうと自分でも分かっているのだ。

 後で吸いたくて我慢できなくなることも。

 それでも一端煙草を手放すことが、彼にできる最大限の誠意だった。


***


「あの患者さん、これで大人しくなるかしら?」


 婦長さんの話を聞いた看護婦の一人が呟いた。

 彼女が担当している患者の中に気管支炎の少女が居るので気になるのだ。

 病室は離れているが、二人が接触しないよう、彼女は色々と気を配っていた。


「さあ?」

「ふふっ。さあって何よ」


 一緒に昼食を取っている若い看護婦は口を尖らせて答えた。


「だってねぇ。最近の患者さんってマナーが悪いんだもん」

「そうそう。何時でも何処でもピッチピッチ。あたしの方がピッチピチですよーだ」

「ははははっ」


 簡易携帯電話PHS、通称ピッチの普及は病院にも影響が出ていた。

 固定電話より安く持ち運べる便利さから、親にとやかく言われたくない若者を中心に爆発的なヒットをした。

 しかも音楽を聴けたり、それまでは高額なパソコンの専売特許だったインターネットにも繋げられる。

 もう直ぐカメラも付くという噂だ。

 若者が周りを気にせず夢中になるのも致し方無かった。


「この間も病院会議で話題になったらしいわよ。医療機器への影響がどうのって」


 携帯電話が無線電話である以上、少なからぬ電波を発信している。

 医療機器への危険性を完全にゼロにすることは出来ない。

 とは言え、完全に禁止すれば物申す珍客が溢れるのは目に見えている。

 だから病院としては一定のルールを設けて許可していた。

 入口の病院案内などに説明書きをし、入院時の説明もしている。

 けれど、それでも守らない患者や見舞客は少なくない。


「病院だって理解してない人、増えたよね」

「ピッチ以前に常識が足りてないのよ」


 携帯電話が今後もっと普及していくことは止められない。

 彼女たちが心配するのも当然と言えた。


「逆にポケベルは減ったわよね」


 ポケベルは文字しか送れない。

 会話もネットも音楽もあるPHSが普及すれば、廃れるのは必然であった。

 盛者必衰の理である。

後編は09:00頃投稿予定です。

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