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優等生でございます(後編)

階段から突き落とされた優ちゃんのお話、後編。

 数日後。

 先生がお見舞いに来た。

 まだ二十代の若い女性で、スーツも着られている感がある。

 手術の翌日も来たので二度目である。

 先生は優と容体や学校について話した後、突き飛ばした男子が謝りたいと言っていることを切り出した。

 彼女は身体を少し強張らせた。


(何で今更…?)


 彼女は怪訝に思ったが、少し考えてみて納得した。

 学校で入院するような事故を起こせば、男子の親は直ぐに呼び出される。

 男子や親が謝ることを拒んでも、学校や世間がそれを許さない。

 それなら何故直ぐに謝りに来なかったのか。

 恐らく、先生が止めたのだ。

 事故の直後、もしくは手術の直後に、加害者に会いたい被害者が居るだろうか?

 被害者から罵詈雑言が飛び出すか、無理に我慢してストレスを溜め込んでしまい、身体に良くないことになるのは想像に難くない。

 それは彼女は元より、男子にとっても宜しくない。

 術後の容体が安定し、後遺症も無いと判明するのを待った先生は適切な判断をしたと言えた。

 仮に後遺症が残っていたら、先生が二度目のお見舞いに来たかも怪しい。


 彼女が妄想を止めて先生に視線を戻すと、先生はまだ答えを待っていた。

 男子の面会を受けるか否か。

 彼女が嫌な想像をしてしまったことには気付いていない。


(嫌そうな顔を何とか隠せた自分を褒めてやりたい)


 彼女はあっさりと面会を許諾した。

 先生は彼女の冷静な態度に面食らったが、直ぐに立ち直って彼女に感謝すると、一度病室の外に出て、直ぐに男子とその母親を連れて戻って来た。

 その親子は必死に謝った。

 見ている彼女が申し訳なくなるほど真面目に、正直に、素直に。


「はぁ…いいよもう」


 彼女は男子のことがもうどうでも良くなった。

 彼女は合理的なのだ。

 罵声を浴びせても、すっきりする訳でも怪我が直ぐに治る訳でも無い。

 居座られても邪魔なだけなので、『謝った』『許した』で終わりにしようとした。

 男子は許されたと思って安堵の溜め息を吐いたが、隣の母親はそれだけでは満足しなかった。


「それではこちらの気が済みません! 不自由な思いをさせてるんです! この馬鹿に何でも言ってください! 何でもやらせますから!!」


(何を言ってるの、このおばさん?! こっちは面倒だからもう良いって言ってるのに、おばさんの気持ちを考えろですって!? このおばさん正気?! あんた何しに来たのよ!!)


 彼女はドン引きしたが、ギリギリ表情には出さずに済んだ。

 親子の後ろにいる先生も眉を顰めて母親にドン引きしたが、両手を合わせて彼女に頭を下げた。


(わかる! その気持ちはわかるけど! 私にどうしろって言うのよ?!)


 彼女は視線を彷徨わせ、何か言おうとしては躊躇ってを繰り返し、天を仰ぎ見た後、大きく溜め息を吐いて言った。


「今は色々あって考えが纏まらないから、何かあったらその時に…」

「はい! そうですよね! 直ぐは無理ですよね! それでは思い付いたら何時でも何でも、うちの馬鹿を使って下さいね!」

四万十(しまんと)さん。彼女は怪我人なのでそろそろ…」

「あら、私としたことが。それではお大事に~!」


 彼女の済まなそうな態度に気を良くした母親は捲し立てた後、先生の言葉で正気に戻って、息子と一緒に意気揚々と病室を出て行った。

 済まなそうではなく呆れただけだと気付いていた先生が、こちらは本当に済まなそうに頭を下げて最後に病室を退室した。


「…もう来ないで」


 この場で一番大人だった彼女は心の底から吐露した。

 彼女の願いが天に届いたのか、はたまた先生の努力が実を結んだのか。

 その親子は二度と病院に来ることは無かった。


***


「水差しの替えを持って来たざます」


 先生たちが病室を出て行って間も無く、婦長さんが優の病室に入って来た。

 普段、看護婦が見回る時間帯では無い。

 持って来た替えの水差しからは、微かなレモンの香りが漂った。

 声にできない叫びで喉が渇いていた優は、有難く水差しに手を伸ばした。


「大変だったざますね」


 カチン。


 婦長さんの何気無い労いの言葉で、優は固まった。

 無論、その言葉には何ら含むところは無く、普段の彼女なら直ぐにそれを理解できた。

 しかし、大嫌いなタイプの人間相手に我慢して、心がささくれ立っていた今の彼女には、その余裕が無く、勘に障った。


「高が婦長の癖に何が分かるっていうの?!」


 我慢して溜まっていたものがあったせいか、彼女自身が思ったよりも大きな声が出た。

 出てしまったからにはもう止まらなかった。


「婦長で満足している癖に! 女だからって満足して! 私はそうはならないんだから!!」


 抱えていた余計な本音まで出てしまった。

 しかし、婦長さんは彼女の突然の大声にも驚かず、彼女の目をじっと見て、落ち着いた声で尋ねた。


「貴女は本当にそう思っているざますか?」

「え?」


 冷静に本音を問われて彼女は呆然とした。


「私は婦長という仕事に誇りを持っているざます。それはこの病院に勤める看護婦なら誰もが持っているものざます」


 世の中、誇れば偉くなれるというものでは無い。


「確かに看護婦の仕事は軽く見られがちざます。でも掛け替えの無い、無くてはならない仕事ざます」


 勘違いだと嘲う者も多いだろう。


「ここではお医者様たちは私たちが居ないと診療も手術も満足に出来ない。彼らは私たちを必要としているざます」


 しかし、それは揺るがぬ現実。


「男の看護士より圧倒的に多く、出産でお医者様を手伝える看護婦という仕事は、男には許されない女だけの戦場」


 誇るに足る世界。


「それでも看護婦という職業を貶めるなら、差別しているのは他でもない貴女自身ざます。看護婦を嘗めるんじゃないざます!」

「―――っ!」


 だから優は何も言い返せなかった。

 婦長さんを否定することは、『女』を侮辱することに等しかったから。


「出て行って!」


 だから彼女は癇癪を起こした。

 婦長さんはそれ以上何も言わず、黙って病室を出て行った。


「…何よ、高が婦長の癖に…!」


 彼女の呟きだけが、狭い病室に響いていた…。


***


 数日後。


「ハマダ君、どうしたんだろう?」


 ハマダと言うのは少年の名前だ。

 何故か名乗ることを恥ずかしがっていたが、優が名前を褒めると喜んでいた。

 別に珍しくもないのに、と彼女は首を傾げたものである。

 その少年が、最近は全く遊びに来ない。

 あまりに来ないものだから看護婦に尋ねてみたが、どの看護婦も言葉を濁して教えてくれない。


(誰かに口止めされている?)


 彼女にはそれができる人物の心当たりは一人しか居なかった。

 院長…ではなく、婦長さんである。

 彼女の中では何故か婦長さんが絶対の権力者になっていた。

 だから婦長さんが来た時に尋ねた。


「最近ハマダ君を見ないけど、何かあったの?」


 プイッ。


(え?)


 婦長さんは露骨に彼女から目を背け、部屋の点検を始めた。


「これは独り言ざますが…」


(あっ…)


 その態とらしい態度で、彼女にも事の重大さが理解できた。

 婦長さんでも表立って言えないことなのだと。


「心臓の移植手術で海外の病院に移ったあの子は、今頃どうしているざましょ…。リハビリに何年掛かるか分からないざますから、もう日本には来れないかも知れないざますね……」

「―――っ?!」


 有り得る話だった。

 日本は臓器の提供数が極めて少ないことは、彼女も聞いたことがあった。

 彼女より前から小さな子供が入院していたのだ。

 彼女も親の立場なら、何時になるか分からない日本で待つより、我が子を海外に連れて行くだろう。

 理屈では理解できても、もう会えないショックで項垂れる彼女に、婦長さんは独り言を続けた。


「もし、あの子が日本に戻って来た時に、仲良くしてくれたお姉ちゃんに元気が無かったら、あの子はどう思うざましょ…?」

「―――っ!」


 彼女は雷に撃たれでもしたかのようにショックを受けた。

 目から鱗が落ちたとも言う。


「…あの子に笑われないように、頑張るざます」


 そう言って部屋を出ていく婦長さんの背中は、廊下から入る逆光の中でも頼もしく見えた。


「あぁ…」


 彼女はその時初めて理解した。

 前に婦長さんが言っていた言葉の意味を。

 厳しい中に秘めたその優しさを。


(女神さま…)


 …その後、彼女はリハビリを積極的に行うようになり、予定より早く退院して学業に復帰することとなる。


***


「良かったんですか?」


 控え室で、少し年配の看護婦が二人分のお茶を注ぎながら言った。


「何のことざますか? …ありがとうざます」


 お茶を受け取った婦長さんは素知らぬ顔で答える。


「だって…ねぇ。…彼ってアレでしょ?」


 看護婦も言葉に困る。

 少年のことは、守秘義務で口外することが許されていない。

 此処には婦長さんしか居ないが、万が一外に漏れでもしたら彼女は首が飛ぶと思っていた。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、婦長さんは美味しそうにお茶を啜って微笑むだけだった。


***


 後日、優はテレビを見ていて腰を抜かした。

 少年が海外のニュースに出ていたのだ。

 ニュースでは心臓移植に成功し、リハビリを終えて故郷に帰ったムハンマド少年を労っていた。

 そう、ハマダと言うのは苗字では無く、彼の名前の愛称だったのだ。

 ここまでなら単なる嬉しいニュースだが、話はそこで終わらなかった。

 少年がインタビューに対して「日本で励ましてくれた女性にプロポーズして断られた」と答えたのである。

 これには彼女も恥ずかしくて顔を真っ赤にした。

 問題はその後。

 少年は某国の石油王の跡取り息子だと言うでは無いか。

 彼女も人の子。

 結婚なんかと思ってはいても、それなりに憧れはあった。

 それが世界屈指の玉の輿を棒に振ってしまったと知り、数日立ち直れず、入院した時よりも親に心配されたと言う…。


 めでたし、めでたし?

ハートフルストーリー、ヨシ!


ムハンマド君が日和見病院に居た理由は婦長さんです。


明日も08:00頃投稿予定です。

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