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自己洗脳と精神分裂的活動演技  作者: ヴォルタア・黒とら/ガニミズム・わいばーん
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ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』より言及されていた【猿の寓話】猿達が仙人の洗脳を解けないとしたら何故か

 彼は言った、「人は戦争や死や恐怖という大きな変化を望む。変化の無い平和な世界は退屈である。つまり、退屈こそが裏ボスである」と。私はこれにある意味で核心を捉えており同意する? とも考える。そしてその言葉に対する私なりの意思表示として


 ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』より言及されていた【猿の寓話】猿達が仙人の洗脳を解けないとしたら何故か


 である。

 ジーン・シャープ著「独裁体制から民主主義へ」この本は独裁体制からいかに民主主義に移行するか、そのロードマップを示さんとする本である。その中に、『猿の寓話』という話が出てくる。それは、

『ある山に仙人と猿達がいる。仙人は猿達に命令し食べ物を集めさせている。それに従う猿達。しかしある一匹の猿が「俺達が仙人の食べ物を集めなければ仙人は飢えて死ぬ。仙人の生殺与奪は俺達が握っている。なんで俺達猿は仙人にヘコヘコしているのか?」それを聞いた猿達は食べ物を集めるのをやめ山を降りる。仙人は飢えて死ぬ』

 という話である。つまりは独裁権力者の権力とはすべての国民が無視して山を降りてしまえば機能しなくなる、独裁者の生殺与奪は実は国民が握っている、という気づき。しかし、理屈はわかるといえど、こう上手くはいかない。その上手くいかない


 国民同士の猜疑や相互監視、諦観を洗脳的


 とは言えないか?

 ここで私は「戦争や死や恐怖という大きな変化を望み、平和な世界を退屈だ」から思考を出発させるのではない。仙人の洗脳を解けない猿を分析してゆく過程で、「大きな変化を望み、平和を退屈がる」を通過し、ではどうしたら洗脳が解けるか、を考えてゆきたい。


 では、問題に取り掛かるのだが、まず題目である「〜仙人の洗脳が解けない」とした背景は、今我々の置かれている状態がまさにそれではないかと考えるからである。

 しかしここで言うのもなんだが、では今我々の置かれている状態を「〜洗脳が猿解けない」と言った所でなんであるのか? アイロニーのつもりか? それでは私は納得できない、この思考とは名ばかりの妄想さて現実に対してどれだけの呪いたれるか、とてもとても凶々しく鋭敏でなければならない。寺山修司の市街劇のように。アドルフ・ヴェルフリの聖アドルフ巨大建造物のように。


 つまりそれは打ち倒すべき敵など存在しないということだ。変化を望む退屈という裏ボスも、猿を洗脳する仙人も、いない。いると言ってしまえば勧善懲悪モノとして楽しいではあろうが、それは平和ではない。我々は自己の内部の自己の存在を成り立たせるメカニズムそのものに対し真摯に向き合わねばならない。それはつまり私が何か行動を起こして変化させなければならない対象、つまりはここでいう大きな変化を望むへの嫌悪退屈や洗脳仙人が私の肉体の外側に第三者的存在としているのではなく、問題は私そして私の内部と私の空間という面積の問題である、という点だ。ここで私が敵、第三者、体外化された対象でなく自己の内部のメカニズムと自己の空間だと言うのは。それはどうやらこの世界というものが仮に殺人を考えるならば、一個人としての殺人が法に触れ処罰されるのに対し、国家による殺人、巨大な集団による殺人はある一つの政治、と言い張ってしまえば上手く処罰できず生存権を得てしまうということだ。ここでは、殺人という悪敵、第三者、体外対象は、個人とて国家とて巨大集団とて変わらない。つまりは個人か。国家か。巨大集団か。によって意味が変わる、面積の問題ではないか。であるからこそ、自己の内部とメカニズムを分析しそして自己が生み出し得る空間を改変してゆくことを猿が仙人を倒すことでも退屈という裏ボスを倒すことでもないということはハッキリと述べておきたい。

 では何故私がここまで自己内部のメカニズムと自己の空間面積と強言しなければならない? それは結局この社会が自己と他者、能動と受動、勝利か敗北か、という理屈で動くからだ。それはまさに自己の内部のメカニズムと自己の空間面積の問題ではない。敵がおり、第三者的で、体外化された対象である。

 長くなった。長くなった。ここで私の言いたいことの8割は伝えてしまった。ではここから急ぎ足だが分析をしてみよう。


「戦争や死や恐怖のような大きな変化を望む人」

 ⇒この人を悪敵でも、第三者でも体外化された対象でもなく、

 自己の内部のメカニズム、自己の空間面積と捉える。

 猿を洗脳する仙人も自己内部のメカニズムと自己の空間面積と捉える。


 ではそこから見える景色は何か? つまりそこから見えてくるのが現実という領域、空間を演劇というフィクションによってその優位性を奪わんとする市街劇である。公共空間において自己が何者であるかという曝露をする活動である。それは音楽でも良いかもしれない、グルーヴでも良いかもしれない、祭りでも良いかもしれない、ささやかな日常風景でも良いかもしれない。


 《大きな変化や退屈という自己内部のメカニズムと自己の空間面積。を、

 奪いとることのできるエネルギー、奇跡》


 であるならば。


 つまりは私の創作の全ては、

《奇跡の空間》

 を構成させることを目指す。《奇跡の空間》は悪敵を、第三者を、体外化された対象を倒すのではない。それらをその輝かしいエネルギーで包み込み自己内部のメカニズムと自己の空間面積を塗り替えるのである。


 私が強く伝えたいのは。


 問題は悪敵ではない。第三者ではない。体外化された対象ではない。


 自己の内部のメカニズムと自己の空間面積。


 なのである。

 これが、【自己洗脳と精神分裂的活動演技】における重要な指針の一つとなる。

次回、

ハンセン病優生保護隔離は

を、考える。

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