13.2歳になるまで
明日でパピーの夏休みも終わる。
長いような短いような、不思議な夏休みだった。この1か月以上で、体力もずいぶんと向上した。何より、言葉を噛む回数が減ったことが嬉しい。誕生日前までは外に出ることもなく、部屋の中をぐるぐると回って運動していた。それが今では、こんなにも自由に過ごせるようになった。
庭は広すぎるくらい広い。何でもできる場所だ。しかし、家の外に出たのは一度だけ、パピーのお友達を迎えに行ったときだけだ。でもあれは外出とは言えない。まるで室内と同じような感覚だった。
この家のことも、まだまだ謎が多い。でも、少しずつ分かってきたこともある。ダンとレジーという護衛のヒューマノイドが300人も地下にいるらしい。カレンもローガンも、ダンもレジーもみんなヒューマノイド。しかし、見た目はまるで人間と変わらない。家族はみんな違いが判るのだろうか?ヒューマノイドと知っているから分かるけれど見た目だけでは、とても私には判断できない。
寝起きする部屋や、食事をするダイニング、パパんやママんの部屋、パピーの部屋、そして自分の部屋。図書室や書斎、階段下のロビーまでは分かる。しかし、それ以外の場所はまったく分からない。どうやら立ち入り禁止の部屋もあるようだ。
そういえば、熱が出たとき、ぼんやりとした記憶の中に庭の東屋に行った気がする。でも、熱のせいでその記憶は曖昧だ。不思議だらけのこの家。でも、時間はたっぷりあるし、いつか調べてみようと思う。
夕食のとき、パパんが言った。
「明日からパピーの夏休みも終わるし、ローズも体力作りを頑張ってるから、続けてほしい。でも、昼間、一人にするわけにはいかないから、ダンとレジーと一緒に行動するように。何かあったら、彼らに頼るんだ。運動していると怪我することもあるかもしれないしな。もし何かあれば、パパんやママんに連絡が行くようにしておくけど、明日からは朝食のときに予定を教えてくれると助かる。ローズはまだ1歳なんだから、無理はしないように。新しいことをするときは必ず教えてほしい。心配だからね」
「じゃあ、パパん、早速だけど教えてくれる?ダンとレジーの区別はつくけど、他のダンやレジーってどうやって区別してるの?よく分かるよね?」とローズが尋ねると、パパんは丁寧に答えてくれた。
「ダンとレジーは護衛でもあるんだ。何かあったときには戦ってくれるし、助けてもくれる。でも、他のダンとレジーが同じことをするとは限らない。それぞれプログラムされている内容が違うんだ。ローズにつけるダンとレジーはこの前、一緒に行動したヒューマノイドと同じだ。情報は共有しているけど、ローズと接しているわけじゃないから、細かいところが違う。ローズのことは知っているけど、性格までは把握していない。直接話をして、彼らも学んでいくんだ。話しているうちに冗談も言うし、ローズが不快だと思うことはしないようになる。でも、接したことのないダンやレジーは決まったことしかやらないし、冗談も言えない。護衛といっても、個々に役割が違う。この前のダンとレジーはローズを守るようにプログラムされているけど、他のダンやレジーは家の周りを守ったり、ママんやパトリを守ったり、いろいろだ。だから、この間接した二人はローズ専用なんだ。何でも話していいけど、情報は他のダンとレジーにも共有されるから、自分だけの秘密はあまり話さないほうがいい。パパんとママんだけが見られる保管した記憶もあるんだ。だから、知られたくないことはヒューマノイドには話しちゃいけないよ」
パパんはウインクした。
「そうなんだ……じゃあ、パパんとママんに私の好きな人の情報が筒抜けになっちゃうから、ダンとレジーには絶対に言っちゃいけないってことだね?」
「……えっ?もうローズに好きな人がいるの?まさか・・・グレン君じゃないだろうね?」パパんは大きな声で叫んだ。
「パパん……たとえばの話でしょ!!ローズはまだ1歳なんだから、そんな人いるわけないじゃない。なに言ってるの?」とママんが笑顔で答えた。
「ああ、びっくりしたぁ~」パパんはホッとした顔をした。
横にいたパピーも同じような顔をしている。なんでだぁ?・・・
外の世界も知らない幼児が好きな人なんて作れるはずがない。でも、もし好きな人ができたら絶対に内緒にしようと心に決めた。
特にパピーはこの前、一生独身でいろ、みたいなことを言ってたし・・・家族と一緒にいるのは安心だけど、私は結婚して、子供を産んで、孫もできて、そんなありきたりで穏やかな幸せを手に入れたいのだ。好きな人がバレたら、きっと阻止される気がする・・・
明日からやるべきことをリストアップして、順番にこなしていくつもりだ。まずは、体力作りと並行して、この世界のことを学ばなければならない。歴史、環境、人々、現状、そして学園のこと・・・
学ぶべきことは山ほどある。2歳になるまでには約10か月ほどあるから、その間に世界の仕組みを理解し、学園に向けての勉強を始めなければならない。自分の理想とする世界を手に入れるために・・・
♢♢♢
「今日から、放課後に一緒に訓練しないか?」学園に行くと朝一番にグレンがそう言ってきた。
無視だ、無視。俺は返事をしなかった。
「親父が今日から一週間、臨時講師になるんだ。武術や体術、全部教えてくれる。普段は自宅に戻っても、親父は忙しくてあまり家にいないから、ほとんど教えてもらえないんだ。でも、この一週間は違う。こんなに時間を取って教えてもらえるなんて滅多にないことだ。だから、授業中に教わったことを一緒に復習しようじゃないか。これから二人でローズさんを守っていかなきゃならないんだから、損はないはずだ」
確かに強くなりたい。何よりもローズを守るために。でも、お前じゃなくて俺が守るんだ。俺はお前より強くなる。そう心に決めて、口を開いた。
「わかった。俺はお前を認めたわけじゃないが、強くなるのは賛成だ」とだけ言うと、グレンは嬉しそうな笑顔を見せた。
この先、ずっとこの関係が続いていくとは、このときの二人にはまだ予想もできていなかったが・・・
それからというもの毎日のように放課後、二人は訓練に励むのだった。
♢♢♢
ローズは図書館で五大一族の役割についての本を探してもらった。まずは、己の家を知るためにドット家について調べることにした。
ドット家は主に医療関係に特化しているようだ。人間の病気もさまざまなものがあり、最も重要なことかもしれない。
前世での第二次世界大戦時代には医療も発展しておらず、結核は不治の病とされていたが、戦後には医療が急速に進歩し、私が亡くなった時点ではがんも不治の病ではなくなってきていた。しかし、ローズとして生まれた今、がんなどは存在しない。いかに人間の寿命を延ばし、病気をなくすかがドット家の中心的課題だったといってもいい。AI戦争後、ドット家はこの分野で存在感を示しており、ナノマシンによる画期的な病の治療が確立され、あらゆる病原菌の治療が可能となっている。人間の寿命は格段に延び、平均死亡年齢は150歳前後とされている。女性の出産年齢も60代まで可能とされているが、60代で出産する場合は、どうしても子供を欲しい人で初産が対象となっている。
昔では60代なんて考えられなかったことだが、今は可能になっているそうだ。
しかし、リスクがあるため、どうしても欲しい人に限られている。
また、ドット家はヴェロシティ・エクスプレスの真空技術でも知られている。真空技術を駆使した乗り物の開発に成功し、世界中の交通手段として利用されている。この500年間で、元々医療分野での真空技術を乗り物にまで進化させた。私のご先祖たちはすごいよ。
アスラン家は警備や護衛に特化しており、ヒューマノイドの開発やダンとレジーの格闘技術はアスラン家の管轄だ。バルト家は磁器を使った建物や乗り物の設計を担当しており、浮かぶ乗り物や建物、リフトバスなどもここが管轄だ。また、バルジャン家は食品関連全般の栽培や飼育も手がけている。そして最後に、レグラン家はファッション、娯楽、芸術を統括している。大まかに言うと、こんな感じだ。
各一族の技術はどれも門外不出で、お互いに協力し合って成り立っている。他にも細かい技術があるが、本で学べるのはこの程度だ。最近の新聞によれば、クレナイ家は昔のオーストラリアに在住しており、ここでは女性と男性の比率が5:5で、女性が少ないわけではないようだ。クレナイ家にはヴェロシティ・エクスプレスは開通していない島国だが、島国だからこそ女性が生き延びたのかもしれない。全体の人数は他の五大一族に比べると少ないが、女性には困っていない国もあると知った。
そして、カルバン家は虫に特化したAI技術が有名で、蚊や小さなものはダニサイズのマシンを作れるという。アスラン家やバルジャン家と連携し、警備の監視や花の受粉なども請け負っている。例えば、いちごの受粉はミツバチによって行われることが多いが、ミツバチのロボットを利用している。美味しいはちみつは大事だ。
カルバン家とクレナイ家は最近、五大一族の下に仲間入りした。カルバン家はAI技術に、クレナイ家は女性の多さによってこの地位を得たのだろう。クレナイ家には人類が絶滅しないように貢献してほしいと思う。
また、五大一族に加盟していない一族も存在する。その中には、女性を誘拐して金銭に換えたり、自分たちの子供を無理やり産ませたりする一族もあるという。アスラン家はそのような事態を防ぐため、監視や護衛、警備技術を駆使して世界中を守っており、警察のように捜査して撲滅に貢献している。
だからかグレンのお父さんは体が大きく鍛えている。筋肉質な体格はその影響だろう。
グレンも体が大きいのは、確実にその血を受け継いでいるからだ。グレンにはこの方面で頑張ってもらい、私のことは忘れてくれたらいいなと思う。
この間、私が熱を出したときはドット家の技術のおかげなんだ。すぐに熱が下がって元気になった。
でも、世の中にはすぐには、治療してもらえない人々もたくさんいるかもしれない。そう考えると私にもやるべき何かが勉強している間に見えてくるかもしれない・・・
♢♢♢
私はついに2歳になり、身長が5㎝伸びた。先日、健康診断のためにパパんと一緒に庭の中央にある東屋まで行き、初めて地下5階まで降りた。この広大な庭の下に地下5階まであるなんて、この家がどれだけ広いか改めて実感した。地下5階は、シャルル・ドット家しか入れないエリアであり、最新の医療技術がそろっている。以前、熱が出たときにママんと一緒に来たらしいけれど、あまり覚えていない…。
そのとき、ナノマシンを服用して、熱の原因となる病原菌を撃退したらしい。一度服用すると約1年間効果が続き、体内に病原菌が入ると血管を通じて病気を撃退してくれるので、熱が出ることはないそうだ。
ただし、ナノマシンの寿命が1年程度なので、再び服用する必要がある。不要になったナノマシンは、新たに服用したマシンによって、汗や尿、排便を通して排出されるそうだが、体から本当に排出されたかどうかは、よくわからない・・・
今日はそのナノマシンを服用しに来たというわけだ。この技術はもちろん門外不出で、各一族が厳重な管理のもと保管している。統一国家に加盟していない一族は、アスラン家を通し、問題のない一族のみがこれを手に入れることができ、犯罪を犯した一族は対象外とされている。
地下に到着し、テーブルの上に置かれたぶどうのグミを見て、1年前にこれを食べたことを思い出した。
甘くておいしかったあのグミが、実はナノマシンだったのだ。そこで私はパパんに、『ここで作っているの?』と尋ねた。パパんは『ここではない』と答え、シャルル・ドット家の継承者だけが知る秘密だという。つまり、それを知っているのはパパんだけだということだ。世代交代の際にはどうするのか、見当もつかないけれど、今の私が考えても仕方ないことだろう。そんな考えは、とりあえず置いておくことにした。
今日は、私の2回目の誕生日だ。今年はお披露目会のような大きな催し物はなく、庭で家族だけのガーデンパーティをすることになっている。実は、この誕生日会でどうしても家族に話したいことがあるんだ!
家族みんながテーブルに着くと、カレンが大きな数字の「2」の形をしたケーキを運んできた。
ケーキには2本の蝋燭と大きな苺が2個乗っている。
「お誕生日、おめでとうローズ!さあ、蝋燭を吹き消して、お願いごとを言うんだ」とパパんが促してくれたので、私は踏み台を用意してもらい、その上から一気に「フーッ」と蝋燭を吹き消した。そして、お願いごとを言ったんだ。
「ダンとレジーに護身術を習わせてほしい!」
すると、みんなが「へっ?」という顔をして一瞬固まった。どうしたの、みんな?と首をかしげていると、最初に反応を取り戻したのはパパんだった。
「ダンとレジーがいるから、ローズが鍛える必要はないんじゃないかな?」
「パピーも放課後にグレンと鍛えているって聞いたし、私もやりたいって思ったのに、パパんはやらせてくれないの?」と少し悲しげに演技してみせた。そして、さらに小さな声で「誕生日のお願いごと言いなさいって言ったのに……」と、消え入りそうな声で囁いた。
それを聞いたママんが「どうしてローズは護身術を習いたいの?」と優しく問いかけてくれた。
「だって、お外は危ないんでしょう?私も強くなりたい!!」と私は真剣に言い放った。
パパんは少し驚いたような顔をして、「女の子は強くなくてもいいんだよ!」と叱るように言った。だけど、私は引き下がらない。
「一人の時に何かあったら、守れるのは自分しかいないじゃん。ダンとレジーがいない時、どうするの?大人しく誘拐されるの?パパん!!」と腰に手を当て、強気に出てみた。パパんの顔に戸惑いが浮かぶ。
その時、ママんが静かに口を開いた。
「いいじゃないの。やりたいならやればいいわ。私は、あれもこれもダメって言われてきたから、ローズの言いたいこともわかるわ。女の子だって強くなったっていいじゃない?」ママんの言葉に、私は思わず微笑んだ。ママん、ありがとう!
パパんはしばらく考え込んでから、しぶしぶ頷いた。
「護身術程度にしなさい。怪我しないように注意するんだ」と、少し不安そうに言った。
私はその答えに大喜びで、「うん。気をつける。パパん大好き!」と言いながら、パパんにぎゅっと抱きついた。すると、パパんの顔がみるみる緩んで、デレデレに。チョロいよ、パパん…。最後に『大好き』の一言で、いつもパパんは反対できなくなるんだ。
自分でもちょっとあざといと思うけど、幼児の特権をフルパワーで使わせてもらうよ。私が強くなれば、誘拐される確率は下がるし、この素晴らしい家族を守ることもできるかもしれない。
実は、護身術の必要性は前から感じていたんだ。
前世でそれを知っていれば、役に立ったかもしれないから・・・
だから、次の日からはいつもの運動に加えて、合気道や空手の型をダンとレジーに教えてもらうことになったんだ。