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願望は夢の中

作者: 砂臥 環


私は俯瞰でそれ(・・)を眺めていた。


ハンスの腕に纏わり付くドレスを着た女性。

美しいと感じるけれどその顔はよくわからない。

彼はそれに困ったような微笑みを浮かべているだけで、振り解くことはしないでいる。


『ハンス……』


はらはらと涙を流す、()


『ルディ……どうして泣くの?』


ハンスの声も目も、とても冷たい。

『どうして』だなんて、そんなのわかっているじゃない。

私はあなたの婚約者じゃなかったの?


『いきましょ、ハンス』


女性がハンスの腕を引く──


『嫌ッ! いかないでハンス!!』


()と俯瞰の私の声が重なって目が覚める。


「──」


目の前にはテーブルに突っ伏したハンスがいた。


これは、夢だけどただの夢ではない。

私は悲しみのあまり自室へと走り、ベッドに潜り込んだ。



★★★



街路樹の葉が色付きその彩りが視界の上から下へと変わると、もう冬はすぐそこ。

指先がヒンヤリするのを感じながら、ルディはミロスラヴァに頼まれた薬草の入ったカゴを抱え、街を歩く。

時折ガラスに映る自分の姿に少しだけはにかんで。


いつもは三つ編みを一つに纏めているルディだが、今日はハーフアップ。

バレッタのリボンは落ち着いた紺。その中央にはシルバーグレーの太いライン、そこに黄色の縁取り。

昨夜、ハンスに貰ったもの。


(可愛い)


派手な柄物や刺繍は気後れしてしまうルディの服は、シンプルでシックな物ばかり。

カジュアルだけど上品なバレッタは浮くことなく、それらに華やかさを加えてくれた。





ハンスはルディの幼馴染みで婚約者。

運動も勉強もできて明るくハンサムなハンスは、勿論皆の人気者。

ハンスはいつも内向的なルディの傍にいてくれたけれど恋人のような関係ではなかったから、周囲によく言われるように『彼が自分(ルディ)を優先させるのは面倒見がいいから』と思っていた。


だからルディは2年前、難しいと言われるの武官試験に受かった彼が『地元を離れる前に』と両親に自分との婚約を願い出た時は、本当にびっくりした。


意地悪な同級生達はやっかみまじりに『王都に行ってもきっと彼はモテる』と暗に捨てられたり蔑ろにされたりすることを仄めかしてきたけれど、ハンスはそんなことしなかった。

貴重な休みを使い、必ず月に一度は会いにきてくれたし、記念日は勿論それ以外でも手紙や小さなプレゼントを贈ってくれた。しかも1年後には王都に呼び寄せてくれたのだ。


ただし『呼び寄せた』とは言っても、同棲や結婚のためではない。

自分の曽祖母の家で住み込みのメイドとして働いて欲しいのだとか。

ルディはハンスが自分を頼ってくれたのも、ハンスと会える頻度が増えるのも嬉しくて快く引き受けた。


ハンスの曽祖母であるミラスロヴァは73歳。

この国では70でも長寿と言われるくらい。だからルディはてっきり介護のお願いかと思っていたのだが、肩透かしを喰う程にミラスロヴァは矍鑠(かくしゃく)としており、実年齢より10歳ぐらいは若く見える。


ただハンスが『君にしか頼めない』と言うだけあってとても気難しいらしい。

元々陶磁工を生業としている両親の下に生まれ育ったルディ。周囲の大人は偏屈な職人ばかりだったので彼女にとってはあまり気にならなかったが、たまに来る客や街の人の評判を聞くとどうやらそのようだった。


「ひいお祖母様は魔女って言われててね」

「坊や、言葉は正確に使うもんだ。 言われてるも何も、魔女だったんだよ、昔は」


『魔女』が嘘か誠かはわからねど、ミラスロヴァが天才薬師だったのは事実。

引退した今も時折薬は作る。たまにやってくる客人はそれを頼みにやってくる人が大半だそう。まあ作るのは、『魔女の秘薬』なんてこともなく普通のモノだが。


「当たり前だよ、普通のモノしか入れてないんだから」


ひ孫の言葉にミラスロヴァは鼻白んでそう返していた。





「あれ? ええと、ルディさん? だよね!」

「え……」


突然声を掛けられて戸惑う。相手はルディよりも更にシンプル……というか飾り気のない格好をした女性。でもスラリと背が高く、とても綺麗な人。


「ほら、いつか騎士団の詰所の前で」

「あっ!」


『あの時はご馳走様』と朗らかにお礼を言う彼女に、ルディはモゴモゴと辛うじて何か返事をしたものの、顔が赤くなるのを感じて俯く。


──少し前にミロスラヴァの言いつけで、ハンスの勤めている騎士団の詰所にパイの差し入れをした。


その際タイミング悪くハンスが女性に告白されているところを見てしまったルディが、居た堪れなくなって逃げ出した先でぶつかりそうになったのが彼女だ。

ルディはそのまま早口で『ハンス・ボガードの身内の者』『差し入れ』とだけ伝え、彼女にパイの入ったカゴを押し付けて走り去ったのである。


「あ、あの時は大変失礼しました……!」

「ぜ〜んぜん! 美味しかったよ、ありがとう」

「あの、なんで私の名前を?」

「そりゃハンスから聞いてるからね」


女性はヘルガというハンスの同僚で、とても快活。

『いっぱい食べちゃったからご馳走するよ〜』と言って、割と強引にカフェに連れて行かれた。


「遠慮しないで好きなの頼んでね〜」

「じゃ、じゃあ紅茶を……」

「甘いの嫌い?」

「いえ……」


ただでさえ気持ちを伝えるのが苦手なルディ。

食べてみたいものはないでもないが、頼んだら頼んだで図々しいと思われないだろうかと心配になる。でも遠慮していると思われたらそれはそれで失礼かもしれない、と思うと頼んだ方がいいのだろうか……と身動きが取れなくなってしまうのだ。


「あ〜ごめん、殆ど初対面の人に遠慮するなという方が無理だよね? じゃあ嫌いじゃなければこれがオススメだよ! どう?」

「あっありがとうございます! じゃあそれで」


(却って気を使わせてしまったみたい……)


ヘルガはとても明るく、特に気にした感じもなく他愛無い話をしてくれた。ルディは終始緊張を悟られないように愛想笑いを続けるばかり。


「ごめんね〜、なんか私が話してばっかりで」

「いえ、楽しかったです! ご馳走様でした」

「本当? ならよかった、私も楽しかった!」


『うるさいってよく怒られる』とはにかむヘルガは、見た目のクールな感じと違って可愛らしい。彼女はずっと楽しそうにして話してくれて、ルディも緊張はしたが楽しかった。

ルディの言葉に『また機会があったらお茶でもしようね〜』と手を振って去っていく。

社交辞令であっても嬉しい。


その反面、帰路につくルディの足取りは重い。

楽しんでくれたからよかったようなもので、気の利いた返しもできなくて情けなかった。


だから(・・・)ハンスはお友達を紹介してくれないのかな……)





子供の頃は今よりも更に内向的だったルディは、よく虐められたり仲間外れにされたりしたけれど、ハンスだけはいつも傍にいてくれた。

家族との仲はいいが両親は忙しく、社交的な姉と愛想のいい弟に挟まれたルディは比べられて残念がられることも多かった。子供ながらに面倒をかけないようにはしていたから怒られることは少なかったけれど、心配はよくかけていたようで、その中でよく『ルディも皆と仲良くしなさい』とやんわり窘められたものだ。


「いいんだよ、皆と仲良くしなくったって。 ルディの良さをわかってくれる人とだけいれば」


優しくそう微笑んで、頭を撫でてくれたハンス。

大袈裟でなく、彼の存在に何度救われたかわからない。


だがここ最近、散々やっかみまじりに言われた言葉が、胸を刺すようになっていた。


地元でもハンスが素敵なことはわかっていたつもりだったけれど、周囲は知っている人ばかり。幼馴染みや親族といった(ちか)しい者同士の結婚は珍しくない。そんな空気の中でハンスが自分(ルディ)を選んでくれたのは、割と自然なことのように思っていた。



ハンスはルディにとっても兄のような存在で、その延長であっても彼が婚約を申し込んでくれたのはとても嬉しかった。だがハンスが王都に行ってしまい、たまにしか会えなくなってからはその気持ちが少し変わってしまっていた。

会う度身長は伸び、整った顔をそのままにどんどん大人びてくる彼に、男性としての意識は増していったのだ。

一緒に暮らすためでなかったのはちょっとだけ残念だったけれど、王都に呼ばれた時も会える回数が増えることが嬉しくて仕方なかった。


ルディはいつの間にか、ハンスに恋をしていた。


ハンスは地元でも王都でも変わらず優しいけれど、それは『恋人』というより『兄妹』のような距離感。平民で、もういい年齢なのにとてもプラトニックだ。

もしハンスが田舎の感覚の延長で、妹のような自分を放って置けずに婚約をしてしまったのだとしたら……と思うと、今はどうしていいかわからない。



──詰所を訪れた日。

ハンスが告白をされているのを見て、ルディは咄嗟に物陰に隠れてしまった。

ショックだったけれど、『婚約者がいるから』と断ってくれていた彼は全く悪くない。

そのことよりも、泣いてしまった女の子を宥めながら出口まで誘導する彼を眺めていたルディの耳に届いた言葉──


『ハンスってさぁ、本当に婚約者なんていんの? 聞いても全然教えてくれないし』

『あいつ堅いからな。 断るのにてい(・・)のいい理由ってだけなんじゃねえの』


これが、ショックだった。

実に的を射ている気がして。



(今は多分仕事の方が大切で、私が婚約者でいる意味もあるのだろうけれど……)


きっとハンスは優しいから、誰か他に結婚したいような人が現れたとしても言い出せないんじゃないだろうか。だから本人に何を聞いても意味がないし、こんなこと誰かに相談もできなかった。



──ハンスに告白をしていた女の子は垢抜けていて、とても綺麗な子だった。

まるでタイプは違うけれど、同僚のヘルガも素敵だ。


王都では働く女性も多く、皆自立していて自信があるように見えてしまう。

なにができるわけでもない田舎者の自分が急に恥ずかしく思えて、ルディはバレッタを外して隠すようにポケットに入れた。





「すみません、遅くなりました」

「おや、珍しいこと」


ミラスロヴァは『やることをちゃんとやりさえすればいい』という人だ。

迷惑や心配をかけない範囲ならば寄り道をしようと構わないのだが、あまり積極的に色々見て回って楽しむ方ではないルディは大体すぐに帰ってくる。

そのことを『珍しい』とは言ったけれど、それ以上は特になにを言うでも聞くでもなく、ミラスロヴァは全く違う話をし出した。


「ああルディ、今夜はちょっと問題のある客が来る。 もしかしたらしばらく泊まるかもしれないけれど、その客には近付くんじゃないよ」

「え? あ、はいわかりました……ですが、問題とはどのような?」

「魔女さ、現役のね。 アンタは揶揄われそうだから」


やってきた魔女は、派手で色香に溢れたグラマラスな女性で、ウルスラと名乗った。

ミラスロヴァの言う『魔女』の意味するところが直接的な意味だか比喩なのかは不明だが、歳が離れて見えるミラスロヴァにも対等な態度で接している。


「やだ〜♡ この子ミラの孫ぉ? カッワイイ~♡」


そしてルディにはこの調子。

豊満な胸に埋められたルディは『確かに揶揄われそうな雰囲気はある』と思いながら固まってしまった。


「よそ様からお預かりしている大事なお嬢さんだ、手ェ出すんじゃないよ!」


(よそ様……)


ミラスロヴァが気遣って言ってくれたのはわかっている。なのに些細な単語を引っ張り出して、わざわざつまらないことに結び付けて悲しくなってしまう自分がいる。

あれ以来、ルディはちょっと情緒不安定だ。

昔から内向的で色々考えてしまいがちだったけれど、ハンスのおかげで自己肯定感が低くならずに済んでいた彼女は、諦めによる割り切りが早い。仕方のないことでいちいち深く悩むよりも、その方が効率的だから。それは魔法のようなハンスの素敵な言葉を、極めて合理的に解釈し噛み砕いた呪文のようなもの。

でも、その呪文も効かなくなっていた。


その夜は仕事終わりにハンスもやってきて、賑やかな夕餉になった。

ハンスが来るとウルスラはルディと同様に抱きつこうとしたものの、彼が上手く身を躱したのでルディは内心ホッとした。


「あのひとは誰にでもああなんだよ」

「そうなの……」


昨夜もそうだが、ハンスは仕事が忙しくない限りやってくるものの、必ず帰るしお酒もあまり飲まない。


彼の曽祖母のこの邸宅は、家というよりは施設に近い。その半分が薬の保管室と研究室。家としては然程大きくはないけれど、数人泊まれるだけの部屋数はある。


ミラスロヴァがいる中で何かを期待しているわけではないけれど、あまりにも恋人らしさのない関係にルディは焦れていた。彼はモテるし周囲には素敵な人ばかりなのだ。


でも妹のような自分を心配して今があるのならば、その均衡を崩すのも不安があった。このまま形ばかりの婚約者で、おままごとのように結婚しても構わない。迂闊な真似をして嫌われたら終わりだ。


「最近元気がないね?」

「そんなことないよ。 ……そうだ今日、ハンスの同僚の方とお茶をしたの」

「えっ……? 誰?」


一瞬だが明らかに動揺したハンス。


「ヘルガさんって女性。 素敵な人だね」

「ああ、ヘルガか……なんか変なこと言われなかった? あいつお喋りだから」

「変なことって?」

「ほら……俺の失敗とか?」


ヘルガは色々話してくれたけれど、話題は特にハンスのことには限っておらず本当に他愛のないお喋りだった。

地元ではハンスとの仲の良さをルディに聞かせるためにわざわざ話し掛けてくる女の子も多かったので、だからこそルディは余計に緊張し、そうじゃなかったからこそ楽しめたのだ。


ハンスの態度がなんだか怪しく感じられてしまい、それを口にしていいのかわからないままルディは首を横に振った。


「そう……」

「お仕事やお仲間と上手くいってないの?」

「いや、そんなことないよ。 でも俺の知り合いって言ってくる人にも気をつけて」


(ハンスが紹介してくれないからじゃない)


その言葉を飲み込んで頷くと、ハンスはルディの頭を子供のように撫でる。いつもと違ったのはその後。耳横の髪を掬って、指を通したこと。


「今日は髪、下ろしてるんだね。 よく似合ってる」

「貰ったバレッタ、つけてみたくて。 外しちゃったけど」

「残念、きっと似合ってたのに」


そんな些細なハンスの行動で、ルディの無理矢理落ち着けた心は簡単に掻き乱される。


『このままでいい』と思う一方で燻る『女性として見られたい』という気持ち。

だけど『女性として見られていなかったら、これからどうすればいいのか』という保身。

そしてその仮定での『身を引きたくはない』という心と『好きな人の幸せを願うのが愛なのでは』という罪悪感のようなモノの中で、ルディはいつものように愛想笑いをしてやり過ごすしかできなかった。





ミラスロヴァの言う通り、ウルスラはこの家に滞在することにしたらしい。


73とはいえミラスロヴァは足腰も元気だ。日中ちょっと出掛けるくらいのことはある。その際に、ウルスラがお茶を淹れて『一緒に飲みましょう』と誘ってきた。

警戒していたルディも流石に存在に慣れた頃とはいえ、お茶の中身が不安。


「いやねぇ、なにも入ってないわよぉ。 それよりなにかお悩みのようね? それが聞きたくて誘っただけ♡」


なんでもウルスラは恋の話が大好きなんだとか。

曰く、魔女は滅多に恋などしない他人にあまり興味関心がないタイプと、その真逆と両極端だそう。ミラスロヴァは前者で、ウルスラは後者らしい。


「でも恋愛がきっかけで人間にまでなるのはミラみたいな子の方が多いのよ。 不思議ね~」


そう笑うウルスラが淹れてくれたお茶は、金木犀の香りがするだけの本当にただのハーブティー。家のキッチンにあるものを使ったのだから、それも当然だが。


誰にも相談できずにいたルディは、『絶対に誰にも言わない』というウルスラの言葉を信じて、胸の内を吐露した。


「まぁ、なんて素敵に青いのかしら。 罪悪感が堪らないわ、アナタに悪いところなんてないのに」

「でもいつもウジウジしてるだけで……私は私が好きじゃないです」

「あら、別にいいのよ。 ハンスがアナタを好きなら」

「でも……それもわからないもの。 だけどハッキリ聞くのは怖いんです。 それにハンスは優しいから、本音を言ってくれるかわからないもの」


『でも』ばっかりな自分が嫌いだけれど、なにかを言ってハンスから嫌われるのはもっと怖い。色々想像はしてみたけれど、この先どうしたらいいのかもわからなくて不安ばかりが募る。


──結局ハンスの気持ちはわからないから。


「じゃあ彼の本心がわかればいいんじゃない?」


こともなげにそう言って、ウルスラは妖艶に笑った。





ルディはウルスラに魔法薬を貰い、その魔法薬にのみ有効な魔術を教えて貰っていた。


それは『願望が夢になる薬』。

そして有効な魔術とは『相手の夢を覗き見る方法』。


本来は魔力が必要だが、それは予めウルスラがカップに付与してくれている。

その夜、やってきたハンスをお茶に誘ったルディは、お茶を注いだ彼のカップに魔法薬を入れ教わった通りの手順でスプーンを動かして混ぜた。同様に自分のカップに魔法薬を入れると逆順でスプーンを動かす。これで魔術は完成だ。


薬は睡眠薬でもあるのか、二人はすぐに眠った。


そして話は冒頭に戻る。





(やっぱりハンスは私のことなんて好きじゃなかったんだ……)


知りたかった筈なのに、知ってよかったとは思わなかった。

内心期待をしていたことが恥ずかしくて居た堪れなくて、悲しくて涙が止まらない。


ミラスロヴァが帰ってきたらしく下の階が少し騒がしいけれど、なにも聞きたくなくて布団(キルトケット)の中でルディは耳を塞いでいた。

それより自分のこれからを考えなければならなかった。そのために、ウルスラの力を借りたのはルディ自身なのだから。


「……ウルスラ、アンタなにをしたんだい?」

「やだぁ、ミラったら怖い顔」


ダイニングで眠りこけているひ孫を見て、ミラスロヴァの眉間に年齢のものとは違う深い皺が寄る。テーブルに残ったカップを手に取って残りのお茶の匂いを嗅ぐと、ウルスラがなにをしでかしたかの予想は簡単についた。最早説明を求める必要はない。


ミラスロヴァは一つ溜息を吐くと、だらしなく緩んだ顔で幸せそうに寝ているひ孫の椅子の脚を容赦なく蹴った。よもや73とは思えぬ健脚である。

驚いた拍子に椅子から転げて尻餅をつくハンス。なにが起きたかわからず呆然としている彼から目を逸らし、ミラスロヴァは淡々と告げる。


「ハンス、アンタあの娘に夢を見られたよ」

「え? …………ええっ?!」


意味のわからない言葉がそのままの意味であると理解したハンスは真っ青になって立ち上がり、ルディの部屋に行こうとする。そんなひ孫を哀れに思いつつも少し憤りを見せながら、ミラスロヴァはハンスのシャツの首元の後ろを掴んで止める。


「今日は帰んな」

「でっ、ですがお祖母様!」

「腰のソレを見て、アンタがあの娘の部屋に行くのを私が許すと思うのかい?」

「!? ……!!」


元凶であるウルスラは、ミラスロヴァの言葉に大爆笑していた。それを睨み付けるも、ハンスはすごすご帰るよりなかったのである。





一晩泣いて、ルディはようやく幾分冷静さを取り戻していた。


(『願望』って言う割に、なんだか酷い内容だったわ……)


女性はいいところのお嬢様で美人なようではあったけれど、その姿は朧気。あれが『願望』だと言うのなら、誰か特定の相手と結ばれたいのではなく、きっとハンスは自分と別れたかったのだろう……と思う。


それはさておき、別れ方が大分酷い。


(ハッキリものを言わない私に、ハンスも本当は苛立っていたのかもしれない)


色々考えたものの、考えは纏まらない。代わりに『ハンスが好き』という強い自覚だけが残ってしまった。

ハンスは『ルディはそのままでいい』と常々言ってくれていたけれど、それに甘えていただけで、ハンスが嫌だというなら頑張って変わる気はある。ハンスを手放したくない。


将来への不安からの保身じゃないか、とか。

伝えることで優しいハンスは自分に縛られてしまうのではないか、とか。


甘えだけでなく、色々余計なことを考えてしまって伝えることができずにいたけれど、逆にもう好かれていないのなら、そんなことは関係ない。胸を痛めながらも、ルディはここにきてようやく少し『彼の気持ちを知ることができてよかった』と思えるようになっていた。


(先のことはとりあえず置いといて、ハンスと話をしなきゃ……)


そして、想いを伝えよう。

そう決意した。





その日の夕方、ハンスは急いで来たらしく制服に身を包んだまま息を切らしながらやってきて、外へ食事に誘われた。ウルスラの邪魔が入ることを懸念したミラスロヴァは快く送り出したが、ハンスには『外泊は許さん』とこっそり耳打ちしている。


「……少し、散歩しない?」

「……うん」


互いに気まずく、このままじゃ食事も話もできそうにないと思ったハンスはそう提案した。


「「昨日はごめん」」


タイミングよく、しばらくの沈黙の後二人で同時に謝ってしまい、顔を見合わせて少しだけ笑い合う。幾分緊張は解け、ようやく話せる感じになった。


「いえ、私が悪いの」

「どうせウルスラさんに唆されたんだろう? それよりも俺の方だよ……あんな夢、ルディも呆れただろ? それとも引いた?」

「ハンス……こんな時でも私を気遣ってくれるのね。 言わせなくしてたのは私の方なのに」

「──え? ……それじゃあ、」

「ハンスが優しいのわかってて、甘えてたのは私の方だわ」

「そっか……気付いてたんだ……やっぱり嫌だった?」

「そりゃあ……でもあんな風にされるくらいなら、相談して欲しかっ……」


涙がポロリと落ちて、慌てて拭う。

ハンスも慌ててハンカチを出した。


「あっごめんなさい、夢なのに」

「いいんだ! 当然だよ。 本当にごめん、ちゃんと我慢するから……」

「我慢なんてしないで! そのために話し合ってるんじゃない」

「そ、そうなの!?」

「……違うの?」


ハンスは頬を赤くして明らかに動揺し、尋ね返した途端に緊張からか嚥下して固まった。我慢する気でいたのだと思うとまた涙が溢れてしまい、ルディは俯いた。


「いや、ルディこそ無理しないで。 君が俺を優しい兄貴みたいに思ってくれてたのは知ってる……虫がいいと思うかもしれないけど、嫌わないでくれればそれで……」

「色々考えたけど嫌うなんて無理だわ……私、」


なんだか少し話が噛み合わない気がするけれど、どうやらハンスは自分のことを嫌っていないようなのは辛うじてわかった……気がする。


(余計なことを考えていたら、また言えなくなっちゃう……!)


なので、ルディは勇気を振り絞った。


「私、ハンスが好き……! 確かに昔は兄みたいに思っていたけれど、今はそんなこと思ってないの」

「!」

「だから……頑張るから、嫌わないで……っ」


優しさに付け込むような真似はなるべくしたくないと思っていたのに、出てきたのは縋るような言葉で。しかもやっぱり涙が出てきてしまい、ルディは情けなかった。

その反面、卑怯なことをしてもハンスと離れたくないと強く思う。


気が付くとルディの目の前は真っ暗で、それがハンスの胸だということに気が付くのに少々時間を要した。


「ハンス……?」

「なんで……嫌うわけないじゃないか!」

「えっ? だって……あれがアナタの『願望』だって……だから、」

「あれは俺の『願望』だったのか……じゃあ、あんな………………」

「…………ハンス?」

「…………」


ハンスは『夢』としか聞いていない。

あの夢が『願望』だと今知って、納得はしたけれど。


何故かハンスは黙ってしまい、そっとルディから身体を離した。


「ええと……ルディはどこまで見たの? そういえば俺が起こされた時にはいなかったけど、途中で起きた?」





ハンス曰く、あの夢は『別れる願望』ではなく『縋られる願望』だったらしい。


「ずっとカッコつけて余裕のあるフリをしてたけど、本当は好かれてるのかずっと不安だった。 兄のようにしか思われてないんじゃないかって。 だから……」


首から耳まで真っ赤にしたハンスに、いつもの兄のような余裕はなくてなんだか可愛らしい。


「私も自分だけがハンスのことが好きなのかと……」

「好きじゃない子を婚約者になんかしないよ」

「だって、地元ではそういう感じで婚約とか結婚する人も多かったから」

「ああ……」

「それに、ハンスは職場のお友達とか紹介してくれないし」

「それはルディが可愛いから……ヘルガは確かに女だけど、男ばっかりだし」

「ハンスが綺麗な人から告白されているの、見ちゃったの」

「勿論断ったよ、ルディ以外興味ない……王都に連れてきたのだって、本当は俺が会いたいからで」


なんとハンスはカッコつけていただけだった。全く驚きの事実でもないが、ルディにしてみれば驚きの事実である。


「ごめんね、我慢させちゃって」

「えっ?! いやっそれは……」


涙はすっかり引いていたがまだ潤んだ瞳でルディにそう謝罪され、ハンスは大いに動揺し、そしてちょっと期待した。


しかし──


「これからはちゃんと『好き』って伝えるから……」


と小さな声で恥じらいながら言われてしまっては、もうどうしようもない。

『それも嬉しいけど!』と叫びたいのを堪えた。

無垢とは案外罪である。


本当は『縋られ、愛を乞われた』後にまだ夢の続きはあり、それこそが『願望』であることを決して口にしてはいけない。


ハンスはルディと夕食を共にしたあと、ミラスロヴァに言われた通り遅くなる前にはきちんと送り届けて、自分は寮へと帰った。


ウルスラには毅然とした態度で怒ったものの、夢のちょっとアレな部分はバレずに済み、このことによって『恋人繋ぎ』と、なんとかかんとかキスまで漕ぎ着けたハンスはなんだかんだで大満足。


アッサリそれを看破されていたので、あとは曾祖母に任せた。




ちなみに──



「……ヘルガ。 余計なこと言ったら殺すからね?」

「うわっ怖!」


ヘルガを含め、仲のいい数人はルディのことを知っている。ハンスを飲ませた際、散々惚気ていたからだ。


ハンスがルディの前であまり酒を飲まないのは、酔うと饒舌になり要らんことを言うタイプだからである。

それと、うっかりタガが外れるのが怖いから。


ルディと早く一緒に住みたいからこそ安い寮に住んでおり、曾祖母の家に住まないのは自制のため。

一緒に暮らそうものなら、手を出さない自信はない。


ルディの友人が少ないのは彼女の性格もあるが、ハンスがベッタリだったからなのは容易に推測ができ、なんなら牽制していたのではないかと思われる節もある。

少なくとも、地元から呼び寄せたのは大いにそれが関係しているだろう。


確かにハンスはモテるし外面がいい。

しかし仲の良い友人達の間では『やべぇ執着野郎』扱いであった。


ヘルガは好奇心から声を掛けたが、もしルディが束縛されて心が病んでそうだったら助けることも視野にいれていた。


「いや~言わない言わない。 『人生字を識るは憂患の始め』ってね」


知らぬが仏ってことである。

当人らが幸せそうなら、別にいいのだ。





夢の本当の内容も、また知らぬが仏。


最終的にわからせられるにしても、それはまた違う意味であれ。


よいお年を!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 以前拝読してたのに感想書いてなかったのでまた来ました(粘着リピーター) 内向的なヒロインの扱いと、二人がすれ違うに至る流れの描写がお上手で何度読んでも「おぉっ」となります。 魔女の魔法…
[良い点] 良き! 告白シーン最高っ! 相思相愛ばんざーい! そしてハンスくん、仲間にやべー奴扱いされてるの面白かったです(笑) 砂臥環様の作品は本当女の子男の子限らず内面がよく書かれていますね!こ…
[一言] わからせキターーー!!!!(大歓喜)
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