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片道切符

作者: 聖なる写真


 ガタン、 ゴトン。

 どこまでも続く水面に影を映しながら、 一両の電車が走る。 電車の名は知らない。今どのあたりを走っているのかも。

 しかし、 一つ分かることがある。

 

『皆様、 本日はご乗車頂き誠に有難うございます。 この電車は現世発天国駅方面行きです』

「なんなのよ! 私はまだ死んでいい人間じゃないのよ!」

 

 自分以外にも人がいる。 目の前に座っている中年の女は見るからに苛立っている。 その隣にいる中年の男は何かの抜け殻かと間違えそうなほど生気がない。

 

「もう、 働かなくていいのか……」

 

 ぼそりと呟いた男の姿を見て、 思わず目をそらした。

 目をそらした先にいるのはどこにでもいる老夫婦だ。 まるで行楽に行くかのように穏やかな雰囲気だ。

 さらにその先には女子高生が座っていた。 不思議そうに自分の体を見つめて触っている。

 車内にいるのはこの六人が全員……というわけでもなかった。

 ちらりと老夫婦達とは反対の方向へと視線を移す。 そこに存在したのは“人の形をした影”だ。 黒い(もや)と言ってもいいのかもしれない。

 他の面々とは違い、 “影”は座らずに立っていた。 成人男性と変わらない体格をした“影”は動かずにそこにあった。

 

『次は地獄駅、 地獄駅です。 切符を一枚以上お持ちの方はご降車できます』

 

 外の景色に初めて陸地が現れる。 おそらく、 駅が近いのだろう。

 

『まもなく地獄駅、 地獄駅。 強い揺れにご注意ください』

 

 アナウンスと共に電車が強く揺れる。 鉄と鉄が擦れる高音が響く。

 揺れが治まってから少しして、 電車唯一のドアが開いた。

 

『お足元にご注意ください、 出口は右側です』

 

 窓の外で咲き乱れる彼岸花。 ホームからは一本の道が闇の中へと続いていた。 地獄への道なのだろう。

 

『切符を一枚しかお持ちでないお客様には当駅でご降車いただいています。 ご理解とご協力をお願いします』

 

 アナウンスが言うには切符を一枚しかもっていないなら地獄に行くしかないという。

 自分はいつの間にかポケットに入っていた切符を取り出す。 何も書かれていない切符が三枚あった。

 それを確認すると、 切符をもう一度ポケットの中に戻した。

 

「なんで、 動かないのよ!」

 

 目の前に座っていた中年の女性が怒鳴り散らす。 さらにギャーギャー喚いているが、 何を叫んでいるのか分からなかった。

 そして、 彼女の言うように電車は動かなかった。おそらく、 切符を一枚しか持っていない人間がいるからなのだろう。

 

「とっとと降りろや」

 

 “影”が低い声で呟いた。 そう認識する間もなく、 “影”が中年女性の目の前に現れる。

 

「切符を一枚しか持っていないのはお前だけだ。 早く降りろ」

 

 そう低い声で呟くと、 女性の顔面を掴む。 アイアン・クローと呼ばれるプロレス技である。 正式にはブレーン・クローだったか。

 

「なんでよ! 私以上に清く正しく生きている人間なんていないでしょう!?」

「訳の分からない理論で周囲に迷惑かけまくって、 怪我人や病人を出しまくったお前以上に清く正しく生きている人間なんかいくらでもいる」

 

 女性の抗議の声をそう返すと、 “影”は女性をドアの向こう側へと投げ飛ばし、 元の位置に戻っていく。

 

『ドアが閉まります、 ご注意ください』

 

 投げられた女性が尻もちをついている間に開いていたドアが閉まり、 再び電車が動き出した。

 

 

 

 

 

 ガタン、 ゴトン。

 彼岸花が咲き乱れる地から電車が離れていく。 窓には再び水面だけが映し出されている。

 

「さっきはすごかったわね」

 

 隣に座っていた老夫婦の片割れである老婆に話しかけられた。

 そうですね。 と曖昧な笑みを浮かべて答えると、 老婆は老爺と共に自己紹介を始めた。 彼女に応えるかのように老老爺が片手を挙げる。

 自分も自己紹介すると、 老婆は「あらあら」と声を上げる。

 

「まだ若いのに大変ねえ」

「もう死んでしまったのに年齢は関係ないでしょう」

 

 苦笑しながら答えると「そうねえ」と同じように苦笑する老婆。

 話を聞く限り、 老婆と老爺はやはり夫婦だった。 生前の老爺は実業家で、 親から引き継いだ小さな会社を大きくしたという。 名前を聞けばどこかで聞いたことのある名前だった。 しかし、 どのような会社であったか思い出せないので、 それほど有名な会社ではなかったのだろう。

 楽しそうに話す老婆の手には三枚の切符が握られている。 彼女は鞄を含む荷物は何一つ持ってはいなかったが、 ポケットがある服装なので、 そこに入れればいいのに、 と下らないことを考えてしまう。

 老婆は自分の話も聞きたがっていたが、 そう誇れるような話などない。 学生時代の話も就職した後の話も大した話などない。 語れるのはせいぜい自分の死にざまぐらいか。

 といっても、 それも大したことではない。 胸に強い痛みが走ったかと思うと、 意識が遠くなってきたのだ。 周りに人がいなかったことも相まって、 そのまま死んでしまったのだろう。

 言い方は悪いがよくある話だ。

 

『次は畜生転生駅、 畜生転生駅です。 切符を二枚以上お持ちの方はご降車できます』

 

 何を話すべきか悩んでいると、 そんなアナウンスが聞こえてきた。 どうやら次の駅が近いらしい。 名前を聞くかぎり、 畜生―――人間以外の動物に転生するのだろう。

 

『畜生転生駅、 畜生転生駅。 お足元にご注意ください』

 

 電車が止まり、 ドアが開く。 すると、 死んだ目をした中年男性が立ち上がる。

 

「次は貝になりたい……」

 

 死にそうな声で、 いや、 すでに死んでいるのだが、 呟きながら中年男性が降りていった。

 そして、 今まで何も話していなかった老爺が立ち上がり、 電車を降りようとする。

 

「あなた?」

 

 ここで降りるとは思わなかったのだろう。 老婆の疑問の声に老爺が手に持った“二枚”の切符を見せることで答える。

 

「色々とやってきたからな……」

 

 そういう老爺の声は寂しげでもあり、 誇らしげでもあった。 この結果をただ受け入れているともいえる。

 夫婦である老婆は「あらあら」と先程と変わらない口調で立ち上がる。

 驚いた表情を見せた老爺に「夫婦ですもの」とあっさり告げた老婆は自分に切符を一枚押し付けると、 老爺と腕を組んで電車を降りていった。

 その後ろ姿はなぜか若々しく見えた。

 

 

 

 

 

 ガタン、 ゴトン。

 老夫婦が降りるとすぐにドアは閉まり、 電車が走り出す。

 

「いい夫婦でしたね」

 

 女子高生が呟く。 その声に反応して彼女の方を見れば、 小悪魔のような笑みを浮かべながら、 彼女は語り掛ける。

 

「あたしもああいう結婚がしたいな〜もう死んでいるんですけどね!」

 

 質の悪いジョークである。 自分が笑わずに見つめていると、 彼女は勝手に自分の身の上を語り始めた。

 

「いや〜、 人生これからって時に交通事故であっさり。 悔しいな〜、 今日はあたしの大好きな唐揚げで」

 

 お母さんの誕生日だったんですよ。

 そう呟く彼女の目からは大粒の涙が零れ落ちていた。 自分が彼女になんと声を掛けたらいいか迷っていたが、 彼女はそんな自分を気にせずにポツポツと話し始める。

 実は朝に喧嘩をしてしまったこと。 誕生日プレゼントを用意していたこと。 母親に謝るべく、 急ぎ足だったこと。

 

「焦っちゃ駄目ですね。 そんなことを知るためだけにこんな高い授業料を払う羽目になるなんて……」

『まもなく人間転生駅、 人間転生駅。 強い揺れにご注意ください』

 

 泣きながら話す彼女の声をアナウンスが無慈悲に遮る。

 しかし、 そのアナウンスを聞いた彼女は涙を袖で拭うと立ち上がる。

 

「もう一度、 生まれ変わったら、 まずはお母さんに謝ります! それで、 今度は早死にしない人生を送ります!あの夫婦に負けない家庭を築きます!」

『人間転生駅、 人間転生駅。 お足元にご注意ください』

 

 女子高生が降車する。 ドアが閉まる前に彼女はこちらへと振り返り、 叫んだ。

 

「良い来世を!」

 

 自分の返事を聞かずにドアは無常に閉まる。 彼女が奥の道へと歩いていく背中を見送りながら、 自分は呟いた。

 

 良い来世を。

 

 

 

 

 

 ガタン、 ゴトン。

 いつの間にか外の景色は夜のように暗くなっており、 車内には蛍のような光が飛んでいた。

 先程までの三駅とは比べ物にならないほどの距離を電車は走っていた。

 

『次は天国駅、 天国駅です。 切符を四枚お持ちの方はご降車できます』

 

 ふいにそんなアナウンスが流れてくる。

 半分眠りかけていた自分の意識が急速に覚醒する。 その反動で少し混乱しながら、 周囲を見渡す。

 

「久々だな、 ここまで来れたやつは」

 

 “影”が唐突に話しかけてきた。

 

「長いことこの電車を担当してきた。 それでも天国、 いや、 解脱にたどり着けた奴はそういない」

「……一枚はあの老婆のものなんだが」

「別に構いやしないさ。 それがお前の積んできた徳というものだ」

 

 “影”が言うには自分があの老婆から切符を貰うのは自身の行いによる因果らしい。 自身にこの切符を貰う価値があるとは思えないのだが。

 

「……あんたはいわゆる“死神”ってやつなのか?」

「……渡し守と呼ぶやつもいる」

 

 ふと浮かんできた自分の疑問に律儀に答える“影”。

 

『まもなく天国駅、 天国駅。 強い揺れにご注意ください』

 

 旅の終わりが近づいてきている。

 

「簡単に言うと、 お前には最後の選択肢がある。 この先へ進み、 消滅するか、 それとも回れ右して道を引き返すか」

「ここで降りるよ」

 

 自分でも驚くほど簡単に答えが出せた。

 表情は見えないが、 おそらく驚いたであろう“影”を尻目に自分は乗っていた乗客達のことを思い浮かべていた。

 

 中年女性。 キーキーと自分の都合のいいことばかり喚いていた。

 あれは人間の一つの末路というべきか。 おそらく生前も自分にとって都合のいいものしか見てこなかったのだろう。

 

 中年男性。 生気のなかった男。

 会社か家庭か、 それとも社会か。 使い潰され、 疲弊しきった彼は、 それらと関わることのない来世を望んだ。

 

 老夫婦。 共に畜生へ落ちることを選んだ二人。

 あの二人なら、 きっと来世でも巡り合うだろう。 なぜかそんな気がしてならない。

 

 女子高生。 来世に希望を持つ少女。

 彼女の悔いは晴らせただろうか。 願わくば来世での彼女に幸あれ。

 

『天国駅、 天国駅。 終点です。 天国発現世駅方面電車へとお乗り換えが可能です』

 

 ドアが開く。 ホームへと降りる。 そこには闇が広がっていた。

 

「達者でな」

 

 “影”は最後にそう告げた。

 

『ドアが閉まります。 ご注意ください』

 

 唯一の光源であった電車のドアが閉まり、 来た道を引き返していく。

 完全な闇だ。 自分の姿でさえ、 見えない。

 

「―――いい人生だった」

 

 ふと、 言葉がこぼれる。

 ……はたしてそうだったと言えるのだろうか。

 

 全ての生命は自己の意思によって行動する。 それは人間でさえ例外ではない。

 あの電車で出会った人々もそうだった。 己が意思によって動き、 結末を迎えた。

 はたして、 自分の人生にそのようなものがあったのだろうか。

 

「いや、 どうでもいいか」

 

 意識が溶けていく、 何かを考える気力も失われていく。

 でももういい。 もういいんだ。

 

 そして、 自分は闇へと溶けて、 世界へと還っていった。


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