4.結
ー家に後戻りはできず、捧げるだけの命のはずだった。
それでもこうして優しさに抱かれて、生きられて良かったと泣きそうな程に感じる。家に帰れるとしてもそれが、どうでも良くなる程に。
屏風に囲まれた浴室に湯気が満ちている。部屋の床や柱には漆が塗られ黒光りしており、金箔が貼られた屏風には天女や動植物が細密かつ色鮮やかに描かれ、大変豪華な内装であった。
湯気は部屋の中央の床に埋め込まれたひょうたん型の湯釜から立っており、湯には梅やギョリュウバイ、桃の花などが浮いている。
湯釜の縁にはカガミが座り、キヨを膝に座らせ彼女の髪を梳いていた。
キヨは頬を紅潮させながら目を逸らし、自分の細い腕で裸の細い体を抱きしめている。痩せてはいるが年相応の丸みのある肉付きをしている。
カガミがキヨの背後より首に口元を押し当て滑らせ始める。冷んやりとした感覚に、キヨは小さく叫び身を硬直させた。
キヨは呼吸を荒くしながら香木や花の香りに酔い、喉の奥から喘ぎ声を漏らした。その隙を突き、カガミが小さく開いたキヨの口を自分の口で塞いだ。
「っ……!」
キヨは火照る苦しさと喉を通り抜ける触覚に身動ぎ、カガミの片腕にしがみ付く。舌と舌が離れた時、キヨの視線の先にカガミの赤紫色の瞳が見えた。
「……許せ。長虫(蛇)の眷属故、知ろうと思うと”舌”が先に出てしまうのでな。」
口の端から糸を垂らしながらいつもの起伏のない調子で言う。しかし、息を深く吸って吐くその口元は少し笑っていた。
「……っぅぅ。」
キヨは喘ごうとする声を押さえつけながら返事にならない返事を返す。そしてカガミの膝の上で力無く仰向けになりその上に黒く長い髪を広げた。
無防備になった胸元に身を屈ませたカガミの銀の髪が垂れる。
「っっ!……はっあああっ!」
首から下、鎖骨や脇、乳頭をカガミの赤紫の舌がゆっくり濡らしていく。キヨは堪えきれず声を上げ、ただ身動いでカガミにもつれるしかなかった。
浴室に置かれた無数の蝋燭の激しい炎の光が二人の肌を照りつけ、蝋が幾筋も流れて蜜のような輝きを放つ。
やがてキヨは高揚感に耐えられなくなり、身を反らせながら湯釜の湯の中に倒れこんだ。仰向けに沈んでいくキヨに覆いかぶさるようにカガミもまた深い湯に沈んでいく。カガミはキヨの肩を包み込むように手を伸ばし、キヨは迎えるようにカガミを深く抱きしめた。
互いの髪が絡み透明な水草のように揺らめく中、カガミが白い蛇の姿に変わる。
キヨは舞う絹の帯のように絡みつくカガミを胸に抱き入れ、再び口付けを交わした。
ー私の体にカガミ様の長い胴が滑り行くのを感じてどれだけ長い時間が過ぎたのかは分からない。
心地よくて温かい湯の中をゆらゆらと漂う感覚に変わった後、色んな記憶が頭の中に浮かんだ。
鎮守の森の奥で見た白い蛇と紫と紅の綺麗な夕空、小さい時に見た夕食の湯気の奥に見える父や母や姉の笑った顔ー、母が弟を産んだ日ー、日照りが酷かった年に餓死者の死体を初めて見た日ー、姉が森の奥で知らない男に胸を触らせてお金をもらっているのを見てしまった日ー、初潮があった日ー、夜遅くに村長が家を訪ねて両親が悲しい顔で自分を呼び出した日ー。
今では何も感じられないはずの過ぎ去った出来事だった。
その後眠ってしまい妙な夢を見た。
子供の頃の自分が家の中で泣きじゃくりながら何かを探す夢だった。どこも暗くて埃だらけで不安な気持ちになった。
結局最後は探し物は見つからず、代わりに囲炉裏の鍋から湯気と共に蛇のカガミ様が現れて終わった。
「……十分だありがとう。そろそろ起きる時だ。」