中編
5
「何!?
パトロマルス・サーティーフォーが消えただと!?」
「はい、お父さま。
寝ている間に、何者かによって、持ち去られたようなの」
豪放磊落でなる我が父も、さすがに娘の寝ている隙を狙った犯行に、顔を顰めた。
「すぐに王宮警備隊に指示を出さねばいかん。
それに──第27護衛師団にも……」
「ツトレノガトン!」
「……姫?
熱でも、出たか?」
「ううん、お父さま。
違うの」
私は「ツトレノガトン」という言葉から発生した一連の事象を、父に説明した。
「姫、それは偶然というものではないか?
ザハルディが失踪した原因は、未だわかっておらぬからな」
「でも──私は聞いたもの。
あの朝、ベッドの上で、夢うつつの状態だったけど──確かにツトレノ……」
「待ちなさい。
ローズ姫」
「どうしたの?
お父さま」
「『ベッドの上』とは──どういうことかな?」
「そのまんまの、意味ですけど」
絶句──まさしく、父はそんな感じで固まってしまった。
「あの──ローズ姫。
そなたはこの王国において、第1王位継承権を持つ人物だ。
それは、理解しておろうな?」
「わかってるわ」
「あっさり、言いおるのぅ……。
では、その身分にある者の、立ち居振る舞いも、理解しておろうな?」
「さぁ、それは……。
どうだったかしら?」
私は惚けてみせたけど、父が見逃す筈もなかった。
「姫──いや、ローゼスカ。
ここからは国王でなく、父親として言うぞ。
頼むからベッドに男を連れ込むような真似はしないでくれ。
しかもザハルディとは──。
な、ローゼスカ。
お父さんを困らせないでくれ。
天国のお母さんも泣いてるぞ」
父は一気にまくし立てたようだったが、私はもちろん、耳をミュート設定にしていた。
「終わりました?
お父さま」
「まだだ!
いいか、ローゼスカ。
あれほどザハルディはやめておけと言っただろうに。
確かに、あの男の剣術の腕は超一流だ。
それは認める。
何度も王国の窮地を救ってくれたことには、本当に感謝しておる」
「じゃあ、いいじゃない」
「駄目だ!
ヤツの女癖の悪さは天下一品だ!
ちょっとでも眼を惹く女が居たら、すぐにそっちにヨヨヨと靡く意志の弱さだ。
いままでヤツに泣かされた女が何人居るのか知ってるのか?」
「もう、うるさいわねぇ。
ルッキーはもう私しか愛してないって、はっきり言ってくれたのよ!」
「そのような男が何故護衛の任務を放って消えるのだ?
そんな無責任な男に惚れるとは──我が娘ながら、なんと嘆かわしいことか!
第一アヤツは貧民の出だぞ?
我々王族とは身分が違うのだ!
類稀なる剣術に惚れたズツルスキに見初められたからこそ護衛師団に入団出来、しかも団長だったズツルスキが不幸にも戦いの傷が元で退役したのをいいことにその後釜に──」
「う、る、さ、いっ!」
我が父ながらここまでおめおめしく泣き言を並べ連ねるとは、なんと嘆かわしい!
母が生きていたら、いったいなんと言うだろう?
「身分がどうしたってのよっ!
そんなこと言ったら、ドレンちゃんだってトーランくんだって貧民窟の出身じゃない!
あの人たちが何か問題でも起こしましたか?
ドレンちゃんやトーランくんは、私や王国のために日夜骨身を削って立派に働いてくれています!
ルッキーだってそう!
多少女癖が悪いのは──私も認めますけど……。
でも団員思いの優しい人なのよ。
お父さまはその点の理解が、残念ながら足りておりません!」
おお、我ながら惚れぼれする!
このくらいきっちり言わないと、頭の固い古いタイプの人にはわかってもらえない。
「わからん。
ローゼスカ、ホントにわからん。
何故父の言うことを聞いてくれんのだ?」
「わかってくれないのか〜!」
もう、堂々巡りだ。
めんどくさいにもほどがある。
「お父さま、提案致します。
この件は一旦棚上げにしましょ。
いま優先して考えて戴きたいのは、パトロマルスがどこに消えたのか、誰が盗っていったのか──ではないかしら?」
「うむ……。
確かに、姫の言う通りだ。
パトロマルスが消えた原因を、特定せねばならぬ」
父が落ち着きを取り戻したことに、ホッとする。
「部屋の鍵は、当然掛けてたわ。
鍵は、私とルッキー──ザハルディ団長も持っています」
「ではザハルディ団長が犯人ではないのか?
姫が寝ている間に忍び込み、パトロマルスを盗って部屋を出る。
鍵を掛けて立ち去れば、犯罪は成立する」
「いいえ、そんな単純な話ではないわ。
ザハルディ団長が王宮に来れば、その動向はすべて記録されるのだから。
調べればすぐにわかるけど、おそらく、記録されていないんじゃないかしら」
「何故、そう断言出来るのだ?」
「だって……。
私が寝ているのに、そのままにしておく筈が──」
「姫っ!
何を言い出すのだ!?」
いけない!
話が蒸し返されるっ!
「エヘンっ!
いまのは、聞かなかったことにしてね!
お父さまも、そのほうがいいでしょ?」
「む、無論である」
やれやれ。
なんとかとりなすことが出来た。
「話を戻すと──。
他に鍵を持っているのは、王宮警備隊かなぁ。
マスターキーを使う手があるけど……」
「まさか、姫の居室に忍び込もうなどと考える隊員は、おらんだろう」
「どうかしら?
まぁ、居ないとは思うけど……」
「取りあえず、ザハルディ団長の来城記録と、姫の部屋の入出記録を調べてもらおう」
「そうね。
まずは、それから始めるのがいいわね」
❈❈❈❈❈
で、その2点に対して記録を調べたのだけど、失踪の日以降、ルキアスが王宮に来たことは無かったし、私の部屋の入出記録にも不審な点は無かった。
パトロマルス・サーティーフォーは、誰がどのようにして、持ち去ったのだろう?
まったく、理解不能だった。
6
「不思議ですね。
パトロマルスは、どこに消えたのでしょう?」
ドレン・パレドゥルンとお茶をともにしながら、私は謎を解こうと躍起になっていた。
「盗っていっても、私しか扱えないのに、意味が無いわ」
「それは──どうでしょうか?
たとえ起動・使用が出来なくても、パトロマルスには膨大なデータが集積しています。
また、作戦の運用にも重宝します。
まぁ──姫さまは、あまり活用なさってはなかったようですが……」
「失礼ねっ!
ちゃんと戦記物のアニメを観て、作戦運用の役に立ててるのに!」
「はぁ、左様でございますか……。
しかし──パトロマルスを失ったのは、大きな痛手ですね。
ここで敵国、エクセラ・テトにでも攻め入れられたら、苦戦は必至です」
「そうなのよねぇ。
ルッキーも居なくなっちゃったし……。
ところで──」
私は声を潜める。
「何ですか?」
「トーランくんのこと、どう思う?」
「ゴルトバーク団長ですか?
普段と、変わりないと思いますけど?」
「そうかなぁ……。
なんか、ちょっと気になることが、眼につくのよねぇ」
「どのようなことですか?」
私はドレンに、「ツトレノガトン」とトランジェニスに関する、一連のことを話した。
「なるほど。
少し、変な感じはしますね」
「でしょう?
あと、私がトーランくんに心を奪われているだなんて噂もどこから出てきたのか──気になる点が多いのよねぇ」
「何分、第27護衛師団には、団の職務上きな臭い話が色々とありますから、既に何らかの作戦を実行している可能性があります」
「トーランくんには私から直接指令を与えたけど、その前から、別の作戦で動いてる──て、こと?」
「はい。
ディス・インフォメーションは諜報活動の常套手段ですから、姫さまに対する噂も、その一環なのかも知れません」
「で、それで何で私がトーランくんに惚れてるってことになるのよ?」
「さぁ、そこまでは……。
気になるなら、ゴルトバーク団長に訊いてみたら如何です?
『こんな噂が流れているけど、あなたはどう思う?』って。
案外、あっさり『ぼくも愛してるよ』とか、言ってくれるかも知れませんよ?」
「何それっ!?
そんなこと訊ける訳ないでしょっ!
ホント、ドレンちゃんって意地悪ねっ!」
❈❈❈❈❈
「お呼びでございますか。
姫さま?」
トランジェニスはきのうと変わりなく、厳しい装いで現れた。
「ご苦労さま、トーランくん。
あなたへの特命──きのうのきょうで何がわかったかもないでしょうけど、一応、報告してもらえるかしら?」
「これは大変失礼致しました。
ご報告が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます」
膝立ちのまま、低く頭を垂れるのだから、額が床につきそうで堪らない。
「ああ、いいのいいの。
そんなに謝らなくて!
それより、こっちに座って話してくれる?」
「はぁ、では失礼をして……」
トランジェニスを椅子に座らせるのもひと苦労ね!
ホント、生真面目なんだから……。
「ではトーランくん。
わかったことだけでいいから──まぁ、何も無ければそれはそれでいいけど……」
「姫さま。
はっきりと申し上げます。
きのう、『ツトレノガトン』とはエクセラ・テトの結界呪文ではないかと当て推量致しましたが──どうやら、間違いなさそうです」
「えっ!?
ホントなの、トーランくん!」
「確定的に、明らかです」
自信を持って断言するトランジェニス。
「これは──正直、びっくりだわぁ……。
まさか、きのうのきょうで──」
「姫さま。
その点について、お詫び申し上げたく、存じます。
実は──我が第27護衛師団は、王の命により、エクセラ・テトの結界呪文について、極秘で調査していたのです」
「ええ〜っ!?
マジで?」
「はい。
おそらく、姫さまはきのうわたくしが申し上げたことを、パトロマルスで確認なさろうとしたのではないですか?」
「いや〜、その通り!」
「しかし、結果として、わたくしとエクセラ・テト、及び『ツトレノガトン』それぞれの繋がりが無く、不審に思われたのではないでしょうか?」
「すごいわ、トーランくん!
まるで見ていたみたい!」
「──姫さま、見ていたのです」
「はい?」
「これはまた失礼致しました。
説明が、かなり不足しておりました。
いささか長くなりますが、順を追って説明したいと存じます。
さすれば──彼も姿を現すことでしょう」
トランジェニスは語り出す。
私が知らなかったこと──いや、私に知らされなかった、ある物語のことを。
それは、「ツトレノガトン」と、我が母の物語だった。
7
「トランジェニス・ゴルトバーク、余の密命を成就出来るのはそなただけだ。
頼まれてくれるだろうか?」
「陛下。
わたくし、ゴルトバークは、陛下の命ずるままに、生きております」
「相変わらずの堅苦しさだな。
まぁ、それがそなたの持ち味なのだろう。
20年前、貧民窟で出会ったときから、まったく変わらん」
「陛下に取り上げて戴き、別の世界が開けました。
いくら感謝をしても、し過ぎになることはございません」
「わかったわかった。
そなたには余も感謝しておる。
さて、そなたに授ける密命だが──これは亡き予の妻、ペルトメシアについての秘密を、探ってもらいたい」
「ペルトメシア女王陛下の秘密──ですか……?」
「そうだ。
ここだけの話だが、ペルトメシアはエクセラ・テトの出身なのだ」
「なんと!?
女王陛下が、あの仇敵エクセラ・テトの出身であるとは──このように申し上げるのは不遜でございますが……お亡くなりになったことは、幸いであると、言わざるを得ません」
「その通りだ。
もし生きていて、エクセラ・テトの出であると知られたら、たとえ女王であっても、断頭台行きは免れん。
余がどんな手を講じても、ペルトメシアには悲惨な死が待っていただろう」
「して、陛下。
具体的に、何をすれば良いのですか?」
「エクセラ・テトに入り、サルトバインドという神官に会って欲しい。
その神官こそ、ペルトメシアの父親なのだ」
「会って、どうするのです?
まさか、その神官と戦えとでも──」
「成り行き上、そうなってしまうことも考えられる。
しかし、出来るだけ戦いは避けてもらいたい。
何せ、余の義父でもあるのだからな。
そなたには、何故ペルトメシアを殺さねばならなかったか──その理由を、サルトバインドから聞き出して欲しいのだ」
「なんとなんと……。
これほどの大任、果たして、わたくしめに務まるでしょうか」
「務めてもらうしかないのだ。
はっきり言おう。
そなたこそ、余が認めた、たった一人の後継者であると」
「な、なんというおそれ多いことを!
陛下、いまのお言葉、耳にしなかったことにして戴きとうございます」
「いや、聞いて欲しい。
余の娘、ローゼスカがザハルディに執心なのは、知っておるか?」
「ローゼスカ姫が、ザハルディ団長に……」
「あのバカ娘、生粋の女たらしの虜になりおって……。
のちのちひどい眼に遭うことが、わかっとらんのだ」
「ザハルディ団長は、確かに女性にだらしのないところがごさいます。
ですが、ローゼスカ姫に対しては、本気なのではないでしょうか?」
「そう、思うのか?
そなた、本気で、そう思っているのか?」
「いや、その……」
「隠さんでも良い。
そなたはザハルディがある目的のため、姫に近付いておると考えているのだろう?」
「陛下の洞察力には、感服致します」
「余の思うに、ヤツはパトロマルス・サーティーフォーを狙っている」
「パトロマルス・サーティーフォーを、でございますか?」
「あれはただのウルトラ・コンピュータではない。
天才、クリス・パトロマルス3世が、その身命を投じてつくり上げた、魔法と科学を融合させた〈超結晶体〉なのだ」
「つまり──。
パトロマルスには、魔力が込められていると……?」
「その通りだ。
それも、恐るべきほどの量だ」
「──もしや、姫さまの魔法にも、パトロマルスの力が影響しているのでは……?」
「感服という言葉、そっくりそのまま、そなたに返そう。
ローゼスカ自身、相当の使い手であることは間違いない。
たが、その魔法の力を一層引き出し、高めているのは、パトロマルスに込められた、魔力によってなのだ」
「なるほど──。
姫さまとパトロマルスは一心同体。
もし、パトロマルスが姫さまの元から離れようものなら……」
「ローゼスカの魔法の威力も、半減以下になるだろう。
何故ザハルディが姫に近付くか、これで理解出来たのではないか?」
「陛下──。
わたくしは、信じたくないのです。
ザハルディ団長が──いや、ルキアスが……エクセラ・テトの手に落ちたことを」
「そなたの心中、察するに、あまりあるな」
「わたくしと彼は、同じ貧民窟の出身でございます。
当時は居住していた地区が離れていたため、面識はありませんでしたが、彼がズツルスキさまに見初められたのと、わたくしが陛下に取り上げて戴いたのがほぼ同時期ということもあって、気のおけない、仲となったのです」
「互いに切磋琢磨し合って精進する姿は、余もよく憶えておるぞ」
「しかし、ルキアスのほうに才があるのは、明らかでした。
わたくしも鍛錬を積み重ねましたが、どうしても剣術で彼に勝つことは、出来ませんでした」
「だがそなたには、別の才能が備わっているではないか」
「いえ、陛下──。
とても才能と呼べるほどのものではありませんし、ルキアスのような華やかさもございません」
「何を謙遜することがあろうか、ゴルトバーク!
王国を影から支えるそなたの力があってこそ、民の生活が守られておるのだぞ。
けっして、卑下するものではない!」
「ありがたきお言葉──。
不肖ゴルトバーク、心して頂戴致します」
「して、ゴルトバーク。
いつから気付いておったのだ、ザハルディの謀反に?」
「はっきりと──これといったきっかけは、いまでもわからないのです。
ただ、幼少期から少年期への──互いに腕を磨き合ったときの眼の輝きは、青年と呼ばれる頃には失われ、師団の団長に推挙されたときには──既に濁りが生じてしまっていたことは、事実です」
「そなたの言う、ザハルディの眼に、濁りを生ぜしめたものとは、なんなのだ?」
「名誉、支配、それに色といった、種々様々な欲でございましょうか。
人間、誰しも欲を持ってございます。
しかし、それらがすべて満たされる訳ではありません。
結果として、皆ほどほどの欲を求め得ることで、満足しているのです。
ところが──」
「ザハルディの欲は、底が知れぬほど大きく、強大なもの──ということなのか」
「そう、断じて、間違いはございません。
そして、それを満たせるだけの力を、彼は手に入れております。
王国護衛師団の団長であれば、名誉欲も支配欲もある程度は満たせるでしょうし、色欲に至っては──」
「入れ喰い状態という訳か。
まったく、あのバカ娘ときたら──自分が大勢の中の一人であることに、少しも気付いておらぬのだから……。
だが、しかし──ゴルトバークよ、あんな娘でも、余にとってはかけがえの無い、一人娘なのだ」
「承知致しております」
「ゴルトバークよ。
そなたが見守ってやってくれぬだろうか?
亡き妻、ペルトメシアについての任務すら緒に就いておらぬのに、その娘の世話まで頼もうというのだから、愚かで浅ましい王だと、嗤いたくなっただろう」
「いえ、陛下。
たとえ王となる方でも、一人の人間、一人の夫、そして──一人の父親であることが、わたくしにさえ、理解出来ました。
不肖トランジェニス・ゴルトバーク──謹んで、拝命致します」