前編
1
「ツトレノガトン!」
──という言葉を残して、彼は私の前から消えた。
ツトレノガトン──まったく、意味不明。
しかしながら、この意味不明な奇っ怪な言葉のために、私は捨てられたのだ。
「許せん!
絶対に見つけ出し、圧倒的極まりない制裁を加えてやる!」
私は胸に誓い、家来のドレン・パレドゥルンに訊いてみる。
「ねぇ、ねぇ、ドレンちゃん。
ツトレノガトンて何?」
「はぁ?
姫さま、頭おかしくなりましたぁ?
知りませんよ、そんな言葉。
世の中に、存在すらしてないでしょうよ」
「わからないから訊いてるのに!
ドレンちゃんの意地悪っ!」
ドレンは黒髪ロングの麗人で、ハーフ・フレームの眼鏡がとっても理知的な感じで似合っている。
王国一の、私の理解者──理解し過ぎて、いつもとんでもなく無礼な物言いをするのだけど。
「パトロマルス・サーティーフォーで調べてみては如何です?
いつもゲームするか、マンガやアニメ見るときにしか使ってないんだから……。
彼もそのほうが本望だと思いますよ?」
「ホント、ドレンちゃんは手厳しいわ!」
仕方ない。取り敢えず、自分で調べてみるとするか……。
❈❈❈❈❈
首から下げているペンダント──それが、クリス・パトロマルス3世が、34歳のときに開発に成功したウルトラ・コンピュータ「パトロマルス・サーティーフォー」だった。
私は、そっとそれに、右手の人差し指を載せる。
パパパパァァァッ!
ちょうど眼の高さの位置に現れるスクリーン。
罅割れた、起動ボイスが甘く言う。
「お呼びでしょうか、姫さま?」
「いつもながら、惚れ惚れするようなバリトン・ボイスね」
「ありがとうございます。
ご要件は──アニメ『ソレイユの空』第11話のBパートからでよろしかったでしょうか?」
「違うわ」
「これは失礼致しました……。
では──『ポリッシャー・ファミリー』の第12話でしょうか?」
「うう〜ん、それも違うぅ」
「これはこれは!
何というご無礼おば……。
不肖パトロマルス・サーティーフォー、この命に懸け、姫さまのご所望の──」
「あのぅ、パトさん。
ちょっといいかしら?」
「はっ!
姫さま、何なりと!」
「調べて欲しいものがあるんだけど……」
「おおっ!
姫さまが、まさか小生のメイン・ファンクションを活用なさる日が来ようとは……。
大きく、成長なされましたな」
「もう。
パトさんは大袈裟ね」
「いやいや、感動で胸が熱くなってまいりました」
「熱くなり過ぎて、オーバーヒートしちゃ嫌よ?」
「ご心配は無用です。
ささっ!
お調べしたい、キーワードを仰い下さい」
「じゃあ──。
『ツトレノガトン』!」
「おおっ!
元気が良く、大変けっこうです
ええ──ツ、ト、レ、ノ、ガ、ト、ン……」
パトロマルスは検索を始める。
彼の中には恐ろしく多くの情報が蓄えられており、またたとえその中に求めるものが存在しなくても、オンライン・ネットワークを通じて、必ず知りたい情報を手に入れる。
「ピーッ!
検索不能!
キーワードが違います!」
「えっ!?
何それ!?」
聞いたこともない、甲高い音声。
「姫さま……。
大変心苦しいのですが──検索することが、不可能でした」
「検索不可能!」
まさかまさかの事態。
あのパトロマルス・サーティーフォーに検索出来ない言葉があろうとは!
「でもパトさん。
検索出来ないと、可愛らしい声を出すのね」
「これは姫さま!
大変失礼おば──」
「いいから、いいから!
謝ること、ないわ。
それより──」
「姫さま。
不肖パトロマルス・サーティーフォー、同じ失敗は3度と致しません」
「どういうこと?」
「ツトレノガトンという言葉、確かに検索出来ませんでした。
しかし、それを知っていると思われる人物は、検索することが出来たのです」
「まぁ!
そんなことって……」
「もしかすると、これは呪文の一種なのではないか──と、不確かながら、過去の検索ワード実績から、推量致しました」
「さすがね、パトさん。
転んでもただでは起きない!」
「いやはや……。
お褒め戴き、光栄の至りでございます」
「そ、れ、でっ!
誰が知ってるかも知れないの?」
「王国第27護衛師団、トランジェニス・ゴルトバーク団長なら、お力添えして戴けるかと存じます」
「ああ、トーランくんね。
ありがとう、パトさん。
シャットダウンしていいわよ」
「御意に……。
不肖パトロマルス・サーティーフォー、いつでも姫さまのお側に──」
バイバイ・ボイスも最高のバリトン!
スクリーンは跡形もなく収束し、何ごとも無かったかのように、ペンダントは胸に光る。
「さて、トーランくんに、来てもらわなくっちゃ」
2
「姫さま。
トランジェニス・ゴルトバーク、馳せ参じました」
重厚な鎧に身を包んだ男は、神妙に片膝をついた。
「ご苦労さま。
トーランくん」
「姫さま。
我が第27護衛師団に、何か問題をお認めでしょうか?
ならばそれを統べる者の責として、如何なる処罰もお受け致します」
「まぁ、トーランくん!
何であなたを処罰しなくてはならないの?」
「違うのですか。
姫さま?」
「王国を敵国の魔の手から守り抜くあなたの手腕、褒められ讃えられこそすれ、何故処罰の対象になどなるものですか」
「では──。
別のご用命でございましょうか?」
「そうそう!
ご用命よ、トーランくん!
あなた、『ツトレノガトン』って、ご存知?」
「ツトレノ──ガト、ン……で、ございますか……」
片膝をついたまま、トランジェニスは考え込む。
むぅ、あれでは膝が痛いだろう。
「トーランくん。
ちょっとお立ちなさいな」
「は、はぁ……」
すっくと立ち上がるトランジェニス。
「ええっと、そこの椅子に腰掛けて話しましょうよ。
ずっと片膝立ちなんて膝が可哀想だわ」
私はトランジェニスを賓客応接用のテーブルまで連れてゆき、両肘を載せられる、ゴージャスな椅子に座らせた。
「これは──。
なんとも、こそばゆいですな」
「う〜ん……。
その鎧、邪魔じゃない?
脱いじゃいなさいよ」
「いえいえ、滅相もない!
無礼が過ぎます」
「そうでもないんだけど……。
まぁ、あなたがそう言うのなら、無理強いはしないわ。
でもね──お茶とケーキは、つき合ってもらうわ」
私はドレン・パレドゥルンに用命した。
あっ!──と、思う間も無く、ドレンが給仕に現れた。
「ありがとう、ドレンちゃん。
随分早いのね?」
「姫さまのことですから、お茶とお菓子をご所望なさらぬ訳がございません。
いつでも給仕出来るよう、用意をして、待っておりました」
「さすがドレンちゃんね!
私の一番の理解者だわ!」
「姫さまのことなら何から何まで、存じ上げております。
恋わずらいなさってる、殿方のことも──」
「もう、ドレンちゃんったらっ!」
「失礼致しました。
私は下がります──」
と、ドレンはそそくさと部屋をあとにしたが、その去り際、私のほうをチラッと流し眼。
如何にも──という感じに、微笑んでみせた。
ああ!
ドレン・パレドゥルン!
あなた、勘違いをなさってるわ!
でも不思議。
私のことは隅から隅まで知っているドレンが、何でこんな簡単なことを、間違ったのだろう?
「──ま、いいか」
私はぼそっと呟いて、トランジェニスの向いに、腰掛ける。
「で、トーランくん。
さっき言ったことだけど──」
ドレンが給仕してくれたお茶を飲みながら、トランジェニスに顔を向ける。
「ツトレノ、ガトン──でございますか?」
「そう、それ!
よく憶えていたわね」
「はい。
昔、どこかで耳にした覚えがあるのです」
「まぁ!」
「あれは──強大な魔力を誇るエクセラ・テトの神官との戦いにおいて、神官が唱えた呪文のような気が致します」
「エクセラ・テト!
私の知らぬ間に、とても恐ろしいところと戦っていたのね」
エクセラ・テトは恐るべき侵略国家で、科学と魔法が融合したこの世界において、未だに魔法に依存する割合の高い「魔帝国」だった。
「姫さまに、あらぬ心配をさせぬよう、陛下のお心遣いでしょう。
その神官、残念ながら討ち取ることが出来ませんでした。
もしかしたら、あの呪文によって、強力な結界が張られたせいでかも知れません」
「と、いうことは……?」
「ツトレノガトン──とは、敵国エクセラ・テトの生み出した、強力な結界呪文──ということに、なりましょう」
「まぁ……。
では彼──ルキアス・ザハルディは、何故そんな呪文を知っていたのでしょう?」
「第3護衛師団のザハルディ団長が?」
「ええ。
その言葉を口にしながら、王宮から消えたの」
そのときのトランジェニスの表情を、どう表現すれば良かったのか、未だに結論は出ていない。
ただ驚愕に満ちていたことだけは、間違いなかった。
「姫さま。
これからわたくしめが申し上げる言葉、しかとお聞き入れ下さい」
「何?
ちょっと怖いわよ、トーランくん」
「王国第3護衛師団団長ルキアス・ザハルディは、敵国エクセラ・テトへ、寝返ったのです」
「ええっ!?
そ、そんな……!」
手にしていたティーカップが、カタカタと震えだした。
3
「姫さま。
ザハルディ団長は、いつから居なくなったのですか?」
「もう、4日になるかしら……」
「4日ですと!
姫さま。
ことはかなり重大なものであると、存じ上げます。
早く手を打たなければ、取り返しのつかないことになるでしょう」
「でも、まさか──ルッキーが……」
「姫さまの心中、お察し致します。
わたくしも、あのザハルディ団長が反旗を翻すなどとは、想像だに出来ません。
ですが──事実をまの辺りにすれば、それがたとえ信じたくないものであっても、肯んずるしかありません」
トランジェニスの真剣な眼差しに、一瞬「こくん」と、頷き掛けた。
でも──。
「トーランくん。
あなたの言ってることも良くわかるわ。
でもね、私はルッキーがそんな不遜な男だとは、とても思えないの」
バカでアホでおたんこなすで、戦闘の指揮を執る師団の団長にあるまじきお人好しで、私を放ったらかして「ツトレノガトン」とほざいてどこかに消えてしまう男だけど、とても優しく誠実で、どんな困難にも諦めず立ち向かっていく勇気と気概を持った、素晴らしい青年だった。
「──仕方ありませんな。
姫さまのお心を、無碍にする訳にも参りますまい。
確かに、まだそうと決まった訳でもありませんからな。
では──こうしては戴けないでしょうか?」
「こう──って……?」
「この件は、わたくしめに一任して戴きたいと存じます。
本来なら参謀長に報告し、方策を講じるのが当然の流れとなります。
ですがその場合、ザハルディ団長は、完全に『おたずね者』の扱いとなってしまいます」
「それは絶対に嫌っ!」
語気の強さに、トランジェニスは苦笑する。
「──失礼致しました……。
つづきでございますが、わたくしめに一任して戴ければ、隠密にザハルディ団長の行方を捜索出来ると考えるのです。
我が、第27護衛師団を使って……」
「第27護衛師団──」
それは、王国きっての精鋭部隊で、特に諜報活動において、他の師団の追随を許さない。
「わかったわ、トーランくん──いや、ゴルトバーク団長。
王国護衛師団、参謀総長ローゼスカ・ティアムの名において、あなたに、ザハルディ団長の捜索を命じます」
「御意に──」
命を受けると、トランジェニスは部屋から出ていった。
テーブルの上には、手の付けられていないお茶とケーキが、寂しく残っていた。
「やれやれだわ」
片付けのため、ドレンを呼んだ私は、彼女に向かって溜息をつく。
「あれ?
姫さま、お楽しみではなかったんですか?
せっかく最高級のお茶をお出ししたのに……」
「……さっきもちょっと感じたんだけど──ドレンちゃん、勘違いしてない?」
「は?
勘違い……。
何のことです?」
「いやいや、知ってるくせに〜!
皆まで言わせる気なのぉ?
ドレンちゃんの意地悪っ!」
私が本気で「プンスカ」したものだから、ドレンも少し考え込む。
そうそう!
普段は私に対して無礼な振る舞いが多いドレンだけど、私が本当に困っているときは、いつも真摯に答えを探してくれるのだ。
そんなドレンが、私は大好きだった。
「──では、あの噂は……虚偽情報だったのかしら?」
「えっ、何!?
私に対して、変な噂が流れてるの!?」
ドレンは顔をこちらに向けると、眼鏡のフレームを、すっと直す。
「いえ、一週間ほど前からでしょうか。
姫さまが、ゴルトバーク団長にご執心であるとの噂が、城内に流れまして……」
「はぁ!?
何を言ってるの、ドレンちゃん!」
これには私も、びっくり仰天した。
「ですよねぇ……。
だって姫さまの胸中の方はザハル──」
「ストップ、ドレンちゃん!
全部言わなくていいからっ!
わかってるならそれで良しっ!」
私の剣幕に、くすっと笑うドレン。
「やはり、姫さまは楽しい方ですね。
参謀総長なんて仰々しい肩書が、これほど不似合いな方も珍しいわ」
「いいじゃない。
かっこいいんだから」
「そうですかねぇ。
とっても可愛らしいから、敵が油断してくれるかも」
「ホント、ドレンちゃんは口が減らないわね!
私の能力だって知ってるくせに!」
「もちろんです。
たとえ敵が油断しなくても、姫さまが戦闘で負ける筈、ございませんから」
「いや〜、そんなに褒められると、照れるなぁ……」
思わず頭を掻いてしまう。
「姫さまの支援魔法の力は絶大ですから。
それにザハルディ団長の剣術が加われば、如何なる敵も、その存在を保つことは不可能でしょう」
「そうなのよね〜。
私とルッキーが組めば最強──」
はたと気付く。
これはもしかして──。
「どうしました?
姫さま?」
「わかったわ、敵の策略が」
「──と、言いますと?」
「要するに、分断させたいのよ。
私とルッキーを」
「ははぁ……。
分断させて力を削ぎ、それぞれと相対すれば勝てるということですか?」
「甘いわ。
そんなことしたって個々の力だけで──ルッキーだけで、1個師団壊滅させられるんだから」
「では、あまり意味が無い策略と言えますねぇ」
「でもその推測が確かなら、敵はルッキーと私が組めないこのときを、逃さない筈よ」
「個々の戦力が強大でも、チャンスあり、と──」
「であるのなら、ルッキーのことはともかく、護衛師団に警戒を怠らぬよう、通達しておかなきゃならないわね。
ドレンちゃん──」
「御意に──で、あります。
参謀総長」
「もうっ!
ドレンちゃんは畏まらなくていいのっ!」
「はいはい。
じゃあ、指示出しておきますねぇ」
「それで良し!」
ドレンは出ていく。
すぐに通達書を作成し、各師団の団長宛に送られるだろう。
それにしても──。
「ルッキーのヤツ。
ホント、どこ行ったのかしら……」
私は溜息をついた。
4
その夜、私は再びパトロマルス・サーティーフォーを起動する。
「これはこれは姫さま。
ご機嫌麗しゅうございます」
「こんばんは。
パトさん、早速だけど──例の『ツトレノガトン』、エクセラ・テトで生み出された、結界呪文だったみたいよ」
「エクセラ・テトの──で、ございますか?」
「そうよ。
トーランくんが言ってたもの」
パトロマルスは沈黙する。
あれ?
どうしたのだろう?
NGワード踏んで、壊れちゃったのかしら?
「──姫さま。
大変失礼致しました」
「んもうっ!
壊れたかと思っちゃったわよっ!」
「いえ──。
エクセラ・テトについて、すべての情報を検索し直していたのです」
「それで?」
「やはり、『ツトレノガトン』という言葉は、見つけられませんでした」
「でも、おかしくはないんでしょう?
だって、トーランくんなら知ってるかもって、パトさんが教えてくれたじゃない」
「確かに、不肖パトロマルス・サーティーフォー、そのように申し上げました」
「じゃあ、いいじゃない」
「エクセラ・テトと、ゴルトバーク団長を結びつける接点が、見つかりません」
「──わからない。
どういうことなの、パトさん?」
「小生が過去に取得したエクセラ・テトの情報の中には、『ツトレノガトン』も、その呪文使いの神官と戦ったゴルトバーク団長の記録も、ございません」
「トーランくんか報告していない──て、ことかしら?
あれ、おかしいな?
彼は『あらぬ心配をさせぬよう、陛下のお心遣い』──と、言っていたわ。
ならば、お父さまには報告している筈よ」
「国王陛下がご存知であるのなら、このパトロマルス・サーティーフォーにも、インプットされている筈でございます」
「むむむっ!
嫌な予感がするわ!
お父さまを叩き起こしてくる!」
「姫さま!
お待ち下さい!」
「何よ、パトさん?」
「どうも、これは罠のような気が致します」
「罠って……。
私を嵌めようというの?」
「左様でございます。
如何にも、見え透いているではござりませんか?
すぐに判明してしまう虚偽を、あのゴルトバーク団長が何故申したのか?」
「むぅ……。
トーランくん自身が、何で私に疑われるようなことを言ったのか……。
で、何でそれが私への罠に繋がるのか──。
まったく、わからないわ」
本当にわからない。
お手上げだ。
「不肖パトロマルス・サーティーフォーに、しばしの猶予を戴きとうございます」
「えっ!?
パトさん、徹夜で調べるつもり?」
「左様でございます。
ことの次第が判明しないのに、おちおち寝てられは致しませんからな」
「ありがとう、パトさん」
「いやいや……。
これしきのこと、造作もございません」
私はペンダントを外すと、壁のホルダーに嵌め込んだ。
こうすることで、パトロマルスは外部からの接続を絶ち、内部高速演算状態になるのだ。
「朝眼が覚めたら、この謎が解けていますように──」
そう願いを捧げると、私は眼を閉じた。
❈❈❈❈❈
朝が来た。
眼を覚ますと、私は壁を見た。
「ええ〜っ!?
そんなぁ……!」
何ということだろう。
パトロマルス・サーティーフォーは、その姿を消していた。
もう、あの甘い起動ボイスを聞く機会は、永遠に失われてしまったのだろうか?
私は、愕然とした思いで、壁を見つづけた。