3回目 ホタル・河原キャンプ①
灰色の雲が散らかった空模様。
山道を抜けると、田舎街の褐色の屋根が連なっている。割れたくす玉から無数にこぼれ落ちる色紙のように、雲の切れ間から射しこむ光がキラキラと輝き、褐色の屋根を照らしていた。
最近、ラーメンの好みが変わってきたな。
キャンプ地へ向かう道中、食べログで高評価を得ている有名ラーメン店に立ち寄った僕と穂乃果。透き通る醤油ラーメンのスープをレンゲで掬いながら、昔は濁って重たい濃厚味噌ラーメンの方が好きだったよな、なんて事を呟いた。
「そりゃ、30過ぎればそうなるよ」
穂乃果が言う。
彼女もまたその意見には同意らしい。昔はカレーヌードルが至高だと思っていたけど、今はシーフードが究極だ、との事。
「ポテトチップも、ピザポテトより薄塩だな」と僕。
「いや、そもそもポテトチップ自体がそんなに食べられなくなってきたかも」と穂乃果。
「そういや最近のポテチって袋小さくなったよな」
「食べ切りサイズって言われて、20代の頃は『いやいや少ないだろ』って思ってたけど、今ならわかる。てゆうか、女子的にあのぐらいの量で抑えとかないとダメなんだろうね」
「お前とポテチ食べると、いつも半分以上食い尽くされるイメージ」
「そんな事ないし。てゆうかこんな美味しいラーメン食べながらポテチの話するって、なんだか失礼でしょ」
「だな。味わおう」
この地域のご当地ラーメンには豚バラチャーシューが惜しげもなく乗っているが、あっさり目のスープと合わさると、意外と飽きが来ない絶妙なバランスだ。麺は太麺で小麦の香りが強く、食べ応えもある。
空腹が満たされ、お互い大満足で店を出る。
食事の間に、空は若干ご機嫌を取り戻したかに見えた。灰色の雲が占める面積は、先程より縮小しているようだった。
だけど、山の天気は気分屋だ。
今回のキャンプ、どんな天候に見舞われるか予想がつかない。
助手席の穂乃果は、いつもと変わらぬ様子だ。
しかし時折、何かを考え込むように、不自然な沈黙が訪れる時がある。そんな時穂乃果がどんな表情をしているのか、運転席の僕からは分からない。
車をキャンプ場管理棟横の駐車スペースに停める。
このキャンプ場は大きな川の河川敷に作られていて、川から枝分かれした小川が、キャンプ場のすぐ側を横切っている。おそらくこの小川が、今回のキャンプの目玉である『ホタル』の生息域になっているのだろう。
視界は広く、遠くに連なる山並みが一望できる。この前行ったような林間キャンプ場は視界全体が緑に覆われ、それはそれで優しい色に抱かれているような安らぎを覚えるのだが、こういう開けたキャンプ場も、不思議な開放感がある。キャンプという日常からの解脱感とも相まって、自分の内面が解き放たれるような気分だった。
ここなら、どんなに硬く閉ざされた心の蕾も、きっと開花してくれるだろう。
この前から感じていた違和感。
穂乃果はきっと、仕事で大きなミスをして、心に重石を抱え疲弊している。
その重石を括りるける縄をゆっくりと解き、彼女の負担を和らげてあげる事が、今回のキャンプの真の目的だった。
新緑に満ちた山々のパノラマ。
川のせせらぎの音。
澄んだ美味しい空気。
そして、夜を舞うホタルの光。
これらがきっと、いや確実に、穂乃果の心の傷を癒してくれるに違いない。
指定されたサイト横に車を横付けし、設営を始める。2回目の設営は、1回目と比べて順調に進んだ。今回の動画サイトでの設営予習は完璧だったし、お互いの息もぴったりだったと思う。
雨が降り始めた場合も考慮して、タープは余分に買ってきたペグを使い、クロス打ちでペグダウンした。タープに当たった雨は、ロープを伝ってペグの刺さった地面に染み込んでいく。必然的にペグの刺さっていた地面はぬかるみ、ペグが抜け易くなるのだ。その対策としてペグをクロス打ちし強度を高めると共に、ロープの自在金具部分からロープを枝分かれさせ、雨水の流れるルートを確保しておいた。こうする事で雨水は確保したルートのロープを伝って、別の地面に流れ込むようになる。ペグ位置のぬかるみ防止対策だ。
まぁ、どれも川上くんに教わった方法なのだが。
設営が終わると、いつものコーヒータイム。
のんびりコーヒーを飲みながら、今晩の夕食の事を話し合う。
今日はピザを焼くことに決めていた。
その為に様々な食材と、焼くだけ簡単のピザ生地を大量に購入しといた。色々組み合わせを楽しみながら、思い思いにピザを焼いていく予定。
「なんか、キャンプっておままごとみたいで楽しいんだよね」と穂乃果はいう「大人の、おままごと」
「なるほど」と僕は頷く。
「そういや、慎三郎とも、昔ままごとしてたよね」
「だっけ?」
「うん、私がママで、慎三郎が子供」
「なんだよそれ。普通俺がパパで、ぬいぐるみを子供に見立てたりするもんじゃん」
「慎三郎がパパね‥‥、なんかそんな感じじゃないよね」
「はぁ?」反論しようとして、この話題の難しさにさに気付き、口ごもる。ここで自分がいかにパパに適しているかを力説したら、それはもはやプロポーズに等しいのではないか?
言葉が見つからずまごついている僕の気持ちを知ってかしらずか、穂乃果は無言のまま僕を見て、溜め息を吐いた。
小川で遊子供の笑い声。
風でよそぐ、ススキの音。
この穂乃果の溜め息が何を意味しているのか、この時の僕は何も知らない。




