攻め込むのは伊勢国です!!
1555年の夏俺は10歳になる。
【富国強兵】をスローガンにこの1年間と半年、頑張って来た。小姓達も立派に成長したよ!!
まあ、あれだけ…鍛えられ…こき使われたら…
1554年にはやはり甲相駿三国同盟が結ばれ、美濃では斎藤 道三が斎藤 義龍に家督を譲った。
織田 信長も無事に清洲城を手に入れている。
足利 義藤は朽木には逃げ込んで来なかった。
伊勢国の鈴鹿郡の【関 盛信】が浅井に付いた。
北伊勢も調略が順調なので35000の兵で伊勢に攻め込み北伊勢を平定する予定だ。
【梅戸 高実】がやって来た。高実は定頼じいちゃんの弟で六角から養子に入った人物だ。
六角を滅ぼした俺の事を恨んでいるかと思ったがそんな事は無かった。
俺の家臣になる為にやって来た。
定頼じいちゃんが高実への書状に俺の事ばかり書いていたそうだ。たまに会った時も、バカ息子が夜叉と敵対したらまず負けるだろうと言っていた。
そしてもし、夜叉と事を構える事になったら敵対するなよ…家が滅ぶぞ!!と脅されたそうだ。
高実は直接口には出さないが定頼じいちゃんの本当の死因を知っている。だから浅井と六角の戦には六角に味方しなかった。
高実は同じ員弁郡の【小串 常政】【多湖 正吉】が浅井に付いた事を告げた。
また半蔵とも協力して員弁郡、朝明郡、三重郡にも調略の手を伸ばしてある。
員弁郡の上木、朝明郡の浜田、田能村、梅津、三重郡の千草、赤堀が浅井側に傾いている。
伊勢での調略が順調なのはやはり伊賀国が簡単に浅井に付いた事が大きな原因だろう。
北畠は伊賀国に大きな影響を持っていたからだ。
それが一戦もせずに浅井の家臣になったのだから北畠家中には大きな衝撃が走った。
もちろん伊勢国の勢力全般がざわついた。
伊勢国には兵を分けて進軍する。
1つは俺が大将となり兵10000で員弁郡へ八風街道を通って梅戸 高実と合流する。
そして員弁郡、朝明郡、三重郡と平定して、出来れば桑名をも平定したい。
もう1つは田屋 明政を大将に25000で鈴鹿郡の亀山城の関 盛信と合流して安濃の【長野 藤定】にあたってもらう。
高実に戻って戦の準備をするように命令した。
今日はゆっくりして、明日帰ってね。
今日の夕食は何だろうな?
高実、気に入ってくれるかな?




