毛利 元就と会ったのです。
帝が崩御されたとの報告するが入った。
後奈良天皇は確か1557年に崩御しているから7年も寿命が延びた事になるな。
やっぱり食生活の改善が良かったのかな?
さき兄が俺の元に現れたので葬儀の費用を足利 義輝の名義で献金する事を告げる。
足利の名義の方が波風が立たないだろうとの考えだ。
京の事は足利に任せてしまおう。
細川 藤孝を呼び寄せて浅井の責任者にするから足利とさき兄と協力してね。
即位までの費用は全て浅井が出すけど全て足利の名義でお願いね!!
さき兄はお前らしいな…と言って渋々引き受けてくれた。
朝廷は援助したいけど公家たちとはあまり関わりたくないのでさき兄に頼りっきりだな…
葬儀は無事に終わったが結局、義輝とさき兄の要請で俺も葬儀に出席した。
ほぼ、観音寺城へよく来ている公家たちとしか話をしなかったな…
1年間は喪に服すのでこちらからは戦さをしないようにしよう。
今回は毛利 元就、小早川 隆景、【吉川 元春】に会う事が出来たのは嬉しい。
元春には睨まれたが元就と隆景とは笑顔で話が出来た。
元就は後1年浅井の動きが遅ければ良い戦いが出来たのに…と笑っていた。
元就の長男【毛利 隆元】は1563年に急死しており隆元の嫡男の【幸鶴丸】が当主となっているが元就が後見となり軍事と政治を執行している。
今回、幸鶴丸の元服の際に将軍である義輝より【輝】の偏諱を受けて【毛利 輝元】と名乗る事になった。
これにより毛利は足利将軍家に認められたと周りの者から考えられ、周りから見れば毛利の格が上がった事になる。
また、元就の四男が早めの元服を済ませて【毛利 元清】と名乗って浅井に人質としてやって来る事になった。
いらないと言ったが側に置いて勉強させてもらいたいと言われ受け入れる事に。
挨拶を終えた元就たちは帰って行った。
元就はもっと陰湿な雰囲気が有ると想像していたがめちゃくちゃ良い印象だったな…
つい、ぼそっと元就のおじいちゃんと呼んでしまった。
元就には聞こえてしまったらしく、思いっきり笑われてしまった。
涙を流して笑っている。
元春と隆景は訳が分からず怪訝な顔をしているので元就が元春と隆景に説明する。
それを聞いた元春と隆景も笑い出した。
元就もそれでは私の事はこれからは【元就のおじいちゃん】と呼んでくれと言い出した。
元春はじゃあ、俺たちは叔父になるのか?と大笑っている…
元春は元就のおじいちゃんなんて呼んだら激怒すると思ったけどな。
結局、元春と隆景も良い印象しか残らないな…
最初に元春には睨まれたが、負の感情では無かったな。
お前には負けん!!って感じで睨んでたな。
まあ、気を抜いたら浅井に喰らいつくだろうな…
また会うのが楽しみだ!!
本人は知らないが浅井 長政が【おじいちゃん】と呼んだ人物は【六角 定頼】【朝倉 宗滴】【塚原 卜伝】と知られており、そこに【毛利 元就】が入るという事は元就の名前がさらに広がるという事だ。
元就、元春、隆景は瞬時にそう判断した。
笑い出したのは完全に長政が素で言ってしまった事がわかったからだ。
この後、瞬く間に長政が元就のおじいちゃんと呼ぶ事が朝廷、幕府、公家、商人たちの間に広がって行く。




