播磨国へ攻め込むのです!!
摂津国、丹波国、淡路国、越後国、甲斐国で民衆の浅井に対する感情が良くなって来た。
1564年になり、三好を滅ぼす為に四国へ渡る決意をした。
播磨国でも【赤松 義祐】が1558年に父親である【赤松 晴政】を家臣である【小寺 政職】と謀り追放した。
晴政は娘婿である【赤松 政秀】の龍野城に逃げ込み、対立している。
その政秀が今回、晴政の追放に関わった【浦上 政宗】の息子【浦上 清宗】と政職の家臣【小寺 職隆】の娘の婚礼中に奇襲をかけて政宗、清宗親子を討ち取ってしまったので播磨国はちょうど混乱しているので播磨国にも出兵する。
但馬国の【山名祐豊】は比較的安定していたが隣の因幡国は祐豊の弟の【山名 豊定】が1560年に亡くなり、その跡を継いだ祐豊の嫡子である【山名 棟豊】も1561年に亡くなった。
その後に【山名 豊数】が継いのだが【山名 豊弘】を擁立した【武田 高信】に豊数は因幡国を追い出され因幡国は実質的に高信が支配している状態だ。
高信は毛利に従っているので出来れば毛利が東に兵を向ける前に因幡国まで手に入れるつもりだ。
丹後国の【一色 義道】は浅井に好意的なので丹後国を通過させてもらう事になっている。
四国には紀伊国、和泉国、河内国、大和国、伊勢国、伊賀国の兵で攻め込む。
大将は田屋 明政で総兵50000だ。
淡路国と志摩国の九鬼水軍と志摩水軍に兵の輸送を頑張ってもらう。
もちろん、瀬戸内海の水軍に細心の注意を払ってもらうつもりだ。
播磨国には摂津国、近江国の兵で攻め込む。
こちらは大将は俺で総兵40000だ。
但馬国には丹波国、若狭国、越前国の兵で攻め込む。
こちらは大将は磯野 員昌で総兵30000だ。
お市が妊娠していて戦が終わる頃に出産になるだろう。
さっきと終わらせて帰って来よう。
播磨国に入ると三木城の【別所 安治】が降伏して来た。
その後、兵を進めて志方城の【櫛橋 伊定】を囲むが御着城の小寺政職と姫路城の小寺 職隆と置塩城の赤松 義祐が援軍にやって来た。
戦が始まろうとした頃に三木城から安治が兵を率いてやって来て背後から浅井に突っ込んで来た!!
安治の弟【別所 吉親】が浅井は信用出来ないと主張し他の播磨勢と協力して浅井を撃退する為に偽りの降伏を申し込んだ。
そして政職、職隆、義祐、伊定たちが浅井を引きつけている時に吉親が浅井に突っ込んで蹴散らし、吉親は自分の存在価値を高めたかっただけの為に浅井に敵対した。
残念ながら、ちゃとら隊によって筒抜けだったけどね…
一番後ろには赤熊隊を配置しており突っ込んで来る吉親隊に一斉射撃をした!!
その後は白熊隊が吉親隊を一掃した。
もちろん吉親は討ち取られた。
その光景を見ていた播磨勢は浮き足立っているので一気に渡辺 統隊、島 左近隊、世良田 家康隊に突撃させた。
政職と義祐は討ち取られ、職隆は撤退した。
もはや援軍を期待出来ない伊定は降伏して志方城は開城した。
その後は三木城へ戻り籠城の構えを見せる城を囲むが先に忍び込ませておいた、ちゃとら隊の者たちによって城門を開けられて三木城はあっけなく落ちた。
安治など一門衆、重臣たちが切腹した。
御着城と置塩城は城主が討死しているので簡単に落城した。
姫路城を囲んだか降伏した伊定が娘が職隆の息子の【小寺 官兵衛】に嫁いでいるので開城するように説得したいとの申し出があったので許可した結果、姫路城は降伏して開城した。
その後は英賀城【三木 通秋】、龍野城の赤松 政秀、上月城の【赤松 政範】などを攻め、攻め落とした。
これでほぼ播磨国は平定した。




