三好と不本意ながら和睦です。
浅井が山城国、和泉国の平定が済んだ頃に三好から足利を通して停戦の使者が来たので停戦した。
幕府の顔もたまには立てないと浅井包囲網を作られてもたまらないからな…
山城国 二城御所で三好 長慶と会談をした。
今回の事件は三好 長逸の単独でおこしたで阿波国、讃岐国の兵を動かしたのは長逸が長慶の名前を使ったとの事。
三好 実休と十河 一存に は浅井 長政が義輝を暗殺したので兵を率いて岸和田城まで来る様にとの命令が来たそうだ。
長逸は義輝を暗殺後に俺を呼び出し暗殺して揺らいだ浅井を阿波国、讃岐国の兵で浅井領地へなだれ込む計画だったそうだ。
三好は山城国と和泉国を放棄したので山城国と和泉国は浅井の領地となった。
三好との同盟は破棄したまま和睦が成立したので浅井は兵を引いた。
山城国は足利 義輝に献上した。
義輝は特に喜びを出していなかったが幕臣たちは大喜びだった。
義輝は刀術だけでなく槍術、弓術、馬術、体術、火縄銃まで各達人たちが揃っているので学ぶのに忙しく、修練の合間に幕府のお仕事をしているらしい。
一応、洛中見廻組は持続して欲しいとの事なので承諾した。
和泉国の岸和田城の城代に明智 光秀を任命した。
これを機に木下 藤吉郎も信濃国の高遠城の城代に、信濃国の深志城の城代に大久保 忠俊を、信濃国の飯田城の城代に酒井 忠次を抜擢した。
空いた熊浜城に渡辺 任、坂本城に渡辺 統を入れて城代とした。
しっかり常備兵を増やし、武官学校と文官学校出の者を登用するなりして家臣団をしっかり形成するようにと告げておいた。
任と統は俺から離れるのを寂しそうにしていたが浅井が大きくなって来たのでしょうがないと納得してくれた。
滝川 慶次郎は?と聞かれたが慶次郎が望むなら城代とするが基本的に俺は慶次郎を側近から外すつもりは無いと言い切った!!
慶次郎には兵2000を率いて遊撃として好き勝手してもらいたい。
慶次郎は敵の嫌がる事をするのに長けている…
これからも自由に動いてもらう。
それを聞いていた慶次郎は嬉しそうに笑っていて任と統は納得していた。




