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種子(後)

 国の根幹を揺るがすほどの醜聞は瞬く間に広まった。

 陰陽の均衡を保ち、ただ在るだけで気を整える役を担った神子が純潔を失えば、その循環を断って国を傾けるのだと言われている。

 唯一神を厳格に崇拝するこの国において、神職の最高位たる神子が禁忌を犯す事は大罪であった。

 裁判の席でヴォタリウスは神子を穢したと公言し、カイウは一切の口を噤んで弁明すらしなかった。

 下された処分は両者共に処刑―――斬首であった。

「お前が悪いのですよ、ヴォタリウス。わたくしを安く見るから」

 女の声は罪人の腐臭と嘆きに溶け込む。

 明かりとりの天窓がある以外は冷たい石と鉄柵に囲まれた薄暗い牢の中、男は場違いな(なり)をして座っていた。

 鉄格子越しに(まなじり)を合わせ、楽しそうにアンセリアは笑う。

 彼女のその様に、ヴォタリウスは粘りつくような笑みを浮かべた。

「愛しいあなたの為ならば、私は死をもいといません」

 芝居じみたその台詞は、牢の中でさえ滑稽だった。真に愛し合う者同士なら、観客の涙を誘ったかも知れないが。

「今更媚びても遅くてよ。命が惜しいのなら、跪いて頭を下げてごらん。そうすれば、何とかしてやらぬ事もない」

 勝ち誇ったように己を見下ろしたアンセリアの姿に、彼は堪らないといった様子で噴き出した。そのまま、声をあげて笑う。

「何がおかしいのです!」

 笑われた事が、女の矜持に傷をつける。

 苛々と吐き出したその声は、薄暗い空間に僅かに反響している。

「最初のお約束通り、私は演じているだけです……滑稽に。幕が下りるまで、劇は台本通りに進むのですよ。即興などもちろん論外だ」

「では、望み通り死ぬが良い。墓標には役者と刻んであげるわ」

 興が冷めたと言わんばかりに、彼女は最後の台詞を捨て置いてそこを去った。

 男はその後ろ姿に、愉快気な眼差しを向ける。

「貴女の墓標には何と刻まれるのでしょうね、アンセリア様」

 声が、暗がりの中で怪しげに共鳴していた。



 死刑執行の日の朝、イルナは小さな鞄を手に、短くはない年月を過ごした塔を見上げた。彼女の心情を現したかのような曇天にそびえるその頂―――そこにカイウは監禁されている。

 彼女が目の前で連行されてから、二度と傍に行く事は叶わなかった。

 せめてもとエーレットに最後の世話を申し出たが、その侍女頭ですら目通りさえ許されなかったという。

 そもそも自分にも嫌疑が掛けられていたのだという事を、その時初めて聞かされた。

 カイウ自身が最後に望んだ事、それがヴォタリウスとイルナの放免であったのだと。

 そもそもの原因を作った男ですら無罪を訴えるあたりが彼女らしいと思うが、それでも危険を感じていながら彼を阻めなかった己が口惜しい。悔やんでも今更だとは思うが。

 望むならそのまま働いても構わないと言われたが、結局それを選ぶ事は出来なかった。カイウとの思い出の詰まったこの場所で、彼女以外の神子の世話をする事など考えられなかった。

 どの道、そのまま働いたとて肩身の狭い思いをする事になるだろう。皆、手の平を返したようにカイウを悪し様に言うようになってしまったから。

 城の中でさえがそうだから、城下に至ってはその熱は凄まじかった。結局、王都に渦巻いた民衆の不満を鎮静できず、枢機院は処刑の公開を取り決めた。

 断頭台に上るカイウを見るのも、またその刻元を間近に感じる事も苦痛だった。だから、ここを出る事に決めたのだ。

 こんな形で故郷へ戻る日が来るとは、夢にも思っていなかったのに。

 今生の別離に(ぬる)いものがせりあがる。

 イルナは滲んだ塔に向かって頭を下げた。堪え切れず、涙は溢れた。



 

 刑場には人々の憎悪と罵声が満ちている。

 カイウは死刑台に繋がる階段を踏みしめながら、民衆を見つめた。断頭台の設置された広場を隙間なく埋め尽くした、人、人、人。

 よくもここまで恨まれたものだ。

 けれど、それも致し方のない事だ。十年余りに渡って人々を欺き続けた結果がこれならば、甘んじて受け入れるべきだろう。

 空虚な心の片隅で、それでも人々の安寧を願っていた。豊かでありますように、幸せでありますように、逞しくありますように、天が荒れぬように、地が潤うように。

 それでも今日をも凌げぬ貧しき者がいて、己を必死に拝むその一人にすら手を差し伸べてやる事が出来ない。

 誰も救ってやれぬなら、何のための神子なのだ。天声すら聴けず、ただ祈るだけの自分に価値などありはしない。

 お(あつら)え向きの曇天を見上げて、カイウは満ち足りた微笑を浮かべた。

 これで、やっとこの重荷から解放される。今度こそ本物の神子が起てば、この国はもっと良くなるだろう―――そう、心の中で思う。

 階段を登り切ると、そこには執行役の騎士が二人立っていた。甲冑に阻まれて、その面は窺い知ることが出来ない。

 首を落とす役割の者は、手に斧を持っている。

 死が怖くないと言えば嘘になる。切られる痛みを思えば身体は震えた。けれど、これが唯一自分で選びとったものだ。

 ただ一つの幸いは、ヴォタリウスが隣に居ない事だ。

 誰かの手引きがあったのだろう。彼は牢から逃げ出して、その後の足取りは(よう)として知れないらしかった。

 それで良かったと彼女は心から思う。卑怯な己に利用され、罪もない彼が命を落とすのは忍びなかったから。

 断頭台の上で後ろ手に木型が嵌められる。両膝をつき、そこに首を垂れると、執行助手の騎士が目隠しを括りつけた。

 それをきっかけに、群衆の声が湧き上がった。広場を震わせる程の、狂喜めいた喚声。

 その熱狂に、カイウは懺悔を繰り返した。何度も何度も、心の中で詫びる。


―――ごめんなさい。私は偽の神子でした。ごめんなさい。

 

 騎士は互いに頷きあい、執行の準備を始める。

 片方はその身体を抑えつけ、もう一方は手にしたそれを振り上げる。

 その瞬間、群衆は水を打ったように静まり返った。

 そこに、乙女の懺悔が小さく洩れる。

「怒れりを許したもう」

 娘のその声に、甲冑の中の眼が大きく見開かれる。

 斧を振り上げた姿そのままに、騎士は固まったように動かない。

 また、微かな声が彼の耳に届く。

「涕するを許したもう」

 その声に、力なく斧を下ろす。

 ざわざわと民衆の声が満ちる。

「おい、どうした! 早くやれ」

「俺にはできません! この方の首を落とす事など出来ない!」

 叫んだ騎士のその声に、カイウは口を噤んで目隠しの中の瞳を開けた。

 交わした言葉はほんの少し。それでも覚えている。我が子の為に頭を下げて祈りを願ったあの声を。

 気まぐれに己が祈った事で義理が出来てしまったのなら、それは申し訳ない事だ。偽者(じぶん)の言葉に、何の力もないのだから。

「あなたが義理を感じる事はありません。さぁ、一思いに早く」

「無理だ!」

 カイウを抑えつけた手が離れる。

 そして、助手役の騎士は立ち尽くす男から斧を引っ手繰った。

「やめてくれ!」

 叫んだその声と、再び振り上げられた斧の動きは同じ時を有する。

 いざ振り下ろさんとしたその時。

 重く垂れ込めた雲に閃光が(はし)った。それは掲げられた凶器に一直線に繋がる。

 騎士の身体を貫いて、処刑台を駆け抜けて花開く(いかずち)は、残りの二人にも容赦なく襲いかかる。

 刹那の間を置いて、雷鳴は轟き、天は(くら)く染まる。

 身に受けた一瞬の衝撃に、黒く塗りつぶされたカイウの意識は弾け飛んだ。




 女は玉座に座って、訪れを待ちわびていた。

 その傍らにあるもう一つの席。豪奢な装飾が施されたその四肢も、早く彼を(いだ)きたい事だろう。

 遠くから聴こえてくる足音が、窓から差し込む斜陽に拡散している。

 扉を開いて真直ぐに進んでくる男を見つめて、愛おしげな笑みを浮かべた。

「待ちくたびれましたわ、あなた」

 その声に、彼は返事をしなかった。

 無表情で歩くその手には、ひと振りの剣。刀身には、赤黒く変色しかけたものがこびりついている。

 座した女の目の前までやってきて、ようやく静かに口を開く。

「神官長と結託して罪を捏造したのは誠か?」

 彼のその問いに、女は楽しそうに笑う。

「ええ、本当の事ですわ。もう発覚してしまいましたのね、つまらない」

何故(なにゆえ)にあのように惨い事をした。余を差し置いて枢機院を手中に収めたそなたの手腕は認めてやるが、それを笑って許してやるほど余は優しくはないぞ」

「カイウを殺せばあなたが怒ると思いましたの。わたくしに心をお示しにならないなら、いっそ怒らせてしまえば良いと思って」

 ふふふ、と彼女は少女のように笑った。

 その姿を、男は冷たく見下ろす。

「愚かな事だ。国の起こりより神子の神性を利用してこの地を治めてきた事が分らぬか。

 我らはただの飾りにしか過ぎぬと何故分らぬ」

「ええ、わたくしは愚かですわ。あなたのように冷たい人を愛してしまったのだから。

 老い果てるまで焦がれるなら、いっそ、その手にかかって逝きとうございますわ……陛下」

 うっとりと夢見るように、己を覗き込んだ女を見つめる。

「そなたもまた、孤独であったか」

 男はそう漏らして、手の中のものを振り上げた。




 乗合馬車は街道をひた走る。

 公開処刑を見逃してはならぬと思う者が多いのか、いつもなら乗客の多いそれに自分と老婆だけが座っている。

 車窓を見るでもなく覗き込むが、景色など一向に頭に入ってこない。

 そろそろ、刑の執行が始まる頃だろうか。

 思い返す記憶の中のカイウは、いつも寂しそうに笑っていた。彼女の孤独を、少しでも癒してやれれば良いと思っていた。

 それなのに、最後の最後で独りにしてしまった。

 城に留まっていた所で、一介の侍女にしか過ぎぬ自分に何が出来るわけでもない。それでも、カイウを亡くす苦しみから逃げた自分が許せなかった。

 哀しみと後悔が、競い合うように交互に押し寄せる。

 また泣いてしまいそうな自分をなだめるために、遠く流れて行く空を見つめる。

 そこに一瞬光が降りた。一拍の後、地も震えよと天が()く。

 その光景に、涙腺が弾ける。

 イルナは振り返って、御者台に繋がる小窓を懸命に打った。

「お願い、ここで止めて下さい!」

 




 顔を打つ温かい雨に、眼を瞬く。

 見開いた瞳に映る空は薄墨を流したように暗く、降り注ぐ滴が景色を滲ませる。

 カイウはゆっくりと起き上がって、辺りを見渡した。

 その光景に、思わず両手で口元を覆う。叫びたいのに、声が出てこない。

「何だ、そのまま死ぬのかと思っていたのに。人間のしぶとさにはいつも感心させられる」

 累々と横たわる死屍の上に腰かけるその男は、共に処刑台に上がるはずだった者。

 小脇に竪琴を挟んで、カイウを馬鹿にしたように見下ろしている。

「あなた、どうしてここに」

 歯の根も噛み合わず、声が震えてしまいそうになる自分を叱咤して、どうにかそれだけを告げる。

「カーテンコールに出て行くのは、出演者としては当然の事だろう? と言っても、監督も兼任なのだけどね」

 男はそう言って、薄く笑った。

「何を言っているのですか? それに、これは一体どういう事なのか教えていただけませんか」

「やれやれ、本当に面倒な娘だ。まあいい、最後のシーンはこうだ。

 ……その時、人々は神の怒りに触れた。白刃に降りた神の鉄槌に、穢れなき乙女の命は救われる。愚民共は神の怒りに慄き、神子の命を奪わんとした事への許しを請うた。どうすれば贖罪が叶うのだろう? もちろんそれは、この処刑を決めた者を代わりに差し出す事だ。

 殺せ! 殺せ! 殺せ! 哀れ愚かな人間どもは、戦い、傷つき、倒れたのだった」

「それでは、これは……」

「鎮圧に乗り出した騎士団と群衆のなれの果て」

「なんという事を!」

 カイウは震える声でそう叫んで、雨の滴る面を両手で覆った。

 背を震わせて、彼女は号泣する。

「人間というのは本当に愚かだね。神が救いの手を差し伸べてくれるなんて、本気で信じてしまうのだから。神は、お前達が思っているように慈悲深くはないのだよ。祈りの声が聴こえないふりをするのはお得意だから、あの方は」

 揶揄するようにきゃっきゃと声をあげて笑う男を、力なく見上げる。涙は、雨に混じって流れていく。

 では、今まで懸命に祈って生きてきた自分は何なのだ。

「信仰なんて、結局は人間の傲慢だ。在ると思えば救われるのかも知れないが、所詮は苦しさから逃れたいから縋りついているだけだ。祈って誰かが救えるなら、初めから奇跡など存在しないさ」

「それでも、祈りたいのです。人は、弱いから」

「私は、だろう?」

 反発を覚える鋭い一言が、カイウの内側を抉る。

 それでも、認めざるをえない。その言葉に間違いはないのだから。

「ええ。私は弱いから、祈りたい。神に救いを求めてしまうのです」

「そういう事さ、お前の神子たる理由とは。人間はお前の中に神を見る。形のないものを信じるのは不安だから。そうやって、存在すら不安定なものに縋りついてでも生きていたいのさ。お前と同じだよ。だってお前は、ただの人間だろう?」

 彼の言葉に、はっと眼を見開く。

「私の台本通り動かなかったお前には興醒めだが、久しぶりに面白かったので命だけは奪わずにいてやろう。絶望を抱えて生きるのも、また滑稽でお前にはぴったりだ」

「すべては、あなたが仕組んだ事だったの……。あなたは、一体何者なの?」

「私は私だ。お前がお前であるように」

 さして興味もない様子でそう述べて、彼は無造作に死体を踏みつけて立った。

 別れが近付いているのだと何となく感じる。

 こんなにも無情な仕打ちを涼しい顔をしてやって退けた彼に憎しみを覚えてもおかしくはない筈なのに、それでもそんな気持ちは微塵も湧いて来ない。

「ヴォタリウスというのは、本当の名ではないのでしょう? あなたの本当の名は何?」

「まぁ、出演料代わりに教えてやっても良いか」

 手にした弦をつまびく。雨の中、それは一瞬耽美な音色を放った。

 そして、その事にようやく気がつく。彼が、一しずくも雨に濡れていない事を。

 何故、という疑問は、目の前で起こる光景に失われてゆく。

 甘い声を放ったその竪琴は、炉の中で燃える鉄のように溶け、やがてもう一人の彼へと姿を変えた。

「ベリアル、それが私の名だ」

 揺らめいて、同時に言葉を紡ぐ。

 それは一人なのか、それとも二人なのかわからない程に溶け合って耳に届く。

 そして、白い翼を広げて飛び立って行く。

 呆然とそれを見上げて、小さく呟いた。

「ベリアル……」

 いつの間にか、雨は上がっていた。

 切れた雲間から差し込む光に、彼女は神の姿を見る。

 許されはしないだろう。このまま人知れずひっそりと死ぬ事もできる。

 それでも、カイウは立ち上がった。

 もしも己が人々の想いの器なら、偽物でも構わない。ずっとずっと、祈り続ければ良い。

 鎮魂の詩を詠いながら穢れし乙女は屍の上で儚く舞う。

 命尽きるまで祈り続けるだろう。

 この、空の器に穢れを満たして。





  ―完―


モチーフ花:カラー(花弁・白)

花言葉:乙女の清らかさ(白色花弁限定)

別名:オランダ海芋


海兵などのセーラーカラー(襟)の由来は、このカラーから来ているのだそうです。


出典先:FFJ花言葉様 http://www.ffj.jp/


最後までご覧いただきありがとうございました。


乙女とはという疑問に、調べてみると


1.年の若い女。また、未婚の女性。むすめ。しょうじょ。処女。


2.五節の舞姫。


とありました(Yahoo!辞典より出典)。乙女とは?清らかさとは?という所から、このような作品になりました。まだまだ未熟な部分も多いかと思います。もしよろしければご感想・ご意見などお気軽にお寄せ下さい。


この物語を読んでくださった皆様、そして花小説企画を主催してくださった文樹妃様に心からの感謝を捧げます。ありがとうございました。




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