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種子(前)

「そう……。やっと籠の外へ出るのね、あの子」

 アンセリアは物憂げな表情で窓の外を眺める。

 茶会が終わった後のサロンは閑散として、中身のなくなった砂糖菓子の包みのように、甘い頽廃(たいはい)の匂いを残すばかりだ。

「それでお前は、何が欲しいの? まさか本気でわたくしが欲しいなどとは思っていまい」

 窓際に立ったまま、振り返らずにたずねる。

 その問いに、男はクスリと鼻先で笑う。

「何故そう決めつけるのです? 本当に貴女を求めているかも知れないのに」

「嘘をおっしゃい。……どちらにせよ、お前にわたくしの心はやれないけれど」

 彼女は振り返って、ヴォタリスを見下した様に笑った。その笑みは、毒を含んだように(なま)めかしい。

「心など欲しくはありませんよ。そんな安っぽいものをいただいても興醒めするだけです」

 嘲笑うように侮蔑のこもった眼差しを向ける男に、アンセリアの片頬がかすかに動く。

 つかつかと歩み寄り、手にした扇を彼の顎にかける。そして、そのまま面をあげさせる。

「わたくしの心は安いとぬかすか。では、何が目的なのです」

 彼女の行為に身じろぎもせず、形の良い唇が色めいて動く。

「強いて言うなら……不変と変化、両方が同居したものとだけ申しあげましょう」

「それが、カイウだとでも言いたいか!」

 彼女はそう叫んで、扇でヴォタリウスの頬を打った。 

 バシ、と小気味良い音を残して、荒々しくサロンを出て行く。

 赤い筋を曳いた頬を楽しげに歪め、男は独り言つ。

「貴女以上に、私は退屈を持て余しているのですよ」

 落とした青灰色の瞳に映る茶器の底には、王妃の傲慢がこびりついていた。

 



 カイウの体調が回復したのを機に、イルナは彼女について城下を目指して城を出た。

 万一の場合に備えて、騎士団からも手練の男が一名護衛についている。

 物々しい出で立ちはかえって危険だと、彼の装備は長剣のみである。尤も、市井の者にカイウが姿を見せた事など今までなかったから、誰かに命を狙われる事はないだろうが。

 不逞の輩に狙われる隙を与えなければそれで良いのだ。

 初めて身につけた式服以外の装いに、カイウは嬉しさを隠しきれない様子だ。それがたとえ侍女の制服であっとしても。己のように黒革の靴がはけたならもう少し様になっていただろうと内心思ったりもするが。

 満足気に頬を緩める様子に、本物の侍女は苦笑を禁じ得ない。

「そんなにうれしいですか? あたしなんか毎日着てるから、かえって良さが分らないですけど」

 城下へと続く山道を簡素なキャリッジ(はこばしゃ)に揺られながら進む。轍を噛む車輪が、時折ギシ、ミシ、と不平を洩らす。

「だって、初めてなのですもの。いつもと違う服も、城を出るのも」

「そうですよね」

 そう返し、イルナは穏やかに笑んで前に座るカイウを見つめた。

 同じ年頃の娘なら、日常当たり前に存在しているもの。ほんの少し着飾る事。休日に街へ出かけること。そして、自分の道を自分で選ぶこと。そんな些細なものさえ持ち得ない己の主。望まずに得た立場と引き換えに、彼女が失ったものを思う。

 あの日刺さった胸の棘は、深く沈む一方だ。

「イルナ、疲れているの?」

 心配そうに覗き込んでくるカイウの声で我に返る。

 どうやら物思いにふけるあまり自失していたようだ。

「少し考え事をしていただけですよ。あたしの丈夫さは母の折り紙つきです」

 そう言って、何でもない事を強調しようと快活な笑顔を浮かべる。

 そんなイルナに、カイウは「良かった」と呟いて視線を反らした。紺青の瞳は、緩やかに流れて行く景色を映している。

 車窓を覗き込んだ彼女の横顔が、一瞬曇ったように見えた。

 気になってそれとなく確認するが、その顔にはやはり楽しそうな笑み。

―――気のせいよね。

 彼女はそう納得して、主と同じように窓の外へと目を向けた。

 今日だけは娘らしい一日を過ごしてもらえますようにと、心の中で願った。



 街外れに繋がった山道の入口で、一行は馬車を降りる。騎士は御者台に同乗していた。

 時間になったらまたここに迎えに来ると言って、御者は馬の尻に鞭を入れた。

 遠ざかって行く二頭の足音と車輪の軋みの二重奏を背に、カイウは初めて目にする城下を眺める。

 さすがに人の少ないこの場所は閑散として寂しい印象を受ける。

「さぁ、参りましょうカイウ様」

「イルナ、人前では様って言わない約束よ」

 そうでした、と慌てて苦笑いを浮かべるイルナの様子に思わず噴き出す。

 表向きには同じ侍女同士で敬語はおかしいので、今日だけは対等に話そうと約束してあったのだ。騎士にも出発前にそう伝えたのだが、こちらは寡黙でほとんど喋らないから心配はないだろう。

 物珍しいからとあまりに落ち着かないのもいかがなものかと思うので、カイウはそわそわと視線を彷徨わせてしまいそうになるのを(こら)えて足を進める。

 しばらくイルナと雑談を交わしながら市街地へ向かって歩いていると、人が多くなりはじめた道の片隅で、奇妙な光景に出くわした。

 何事かわからず、長い間眼を釘付けにする。それが徐々に大きくなるにつれ、初めて何であるのかを理解した。

 人だ。しかも、襤褸を纏った。

 埃にまみれた木の皿を、地べたに座り込んだその膝の前に置いて、道行く人に手を合わせている。

「イルナ、あの方は一体……」

「あ……えと、その。物乞い、です」

 憚るように小さく返されたその言葉を、モノゴイ、と確かめるように吐息交じりの微かな声で繰り返す。

 再び、そこに眼をやる。見上げて来るその者と目が合う。

 目脂(めやに)まみれのまぶた、垢の浮いた皮膚、泥で固まった髪、黄ばんだ歯列、真っ黒な布の寄せ集め。不潔としか言いようのないその様。

 必死に訴えかけるように己を拝む姿に、胸が詰まる。

―――何故、何故、何故

 色を失って惰性で歩むカイウの腕を、強く引く手があって驚く。

 とっさにそちらを見れば、そこにイルナの険しい顔がある。

 強い引力に流されるままに、そこからどんどん離れて行く。もつれそうになる足をどうにか動かしていると、小さく囁く声が聞こえた。

「御心を砕いてはなりません。この世には、あのような者も大勢いるのです。一一(いちいち)に慈悲を与えていてはきりがないのです」

―――何故、なぜ、ナゼ

 物乞いの姿が遠くに見える場所まで来て、やっとイルナはカイウの腕を離した。

「富める者も貧しき者も居ます。その中には努力して富んだ者、自ら堕ちて貧した者もいるでしょう。また、そうでない者も。慈悲を以てしても、救えないものもあるのです」

 言い含めるように放たれたその言葉に、カイウは眼を見開いて立ち尽くした。

 

―――私は一体、なに? 


 両頬に、声にならない悲鳴がすべり落ちて行った。



 その後の事ははっきりとは思いだせない。

「ここでは衆目がある。こちらへ」と寡黙な騎士の声が遠くの方で響いていた。 

 止め処なく溢れる涙に視界は虚ろで、前へ進むために掴んで引かれた手首が痛んだ。

 ふらふらと歩き続けて、何処かの民家に入り込んだ。

 そして今、その家の長椅子に腰かけている。

「心配のあまり言葉が過ぎたこのイルナをお許し下さい。慈悲を示されるのはカイウ様ならば当然の事でございましたのに。

 はじめての事に戸惑われるのは当然です。お優しいカイウ様には少々刺激が強かったのですね。何も心配なさらなくても良いのですよ」

 イルナは言葉を尽くして己を慰めてくれるが、心の中は一向に晴れない。

 あやすように背をさすってくれる彼女の手はいつものように温かいが、涙が一筋流れるたびに、その温かさが失われてゆくような気がした。

 泣いて、泣いて、ただ泣いて。ようやく涙が止まった頃、見知らぬ女性が茶を持って現れた。

「いかがです、あの……猊下は」

 開いた目元が熱を帯びて重い。止まったはずの涙がまた滲み出るような感覚を覚えて緩慢な瞬きをくりかえす。

 歩いてくるその女性を見上げて、無理やりに笑った。上手く笑えた自信はなかった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。すぐにお暇します」

 分別なく見ず知らずの人の家で子供のように泣いた自分が恥ずかしい。

 情けない気持ちで吐きだしたその声は、カイウ自身でも耳にした事がない程の鼻声だった。

「迷惑だなんてそんな……。お迎えするには粗末で汚い所ですけど、ゆっくりしていらして下さい」

 そう述べた女性にかしこまって隣で礼を言うイルナに、彼女は了解していると言った風に頷いた。

 包み込むような笑みを浮かべ、そっと茶を置いて出て行く後ろ姿を見送る。

「イルナ、あの方は誰?」

「今日同行していた騎士殿の奥様です」

「そう……」

「少しは落ち着かれましたか?」

「ええ。あなたにも迷惑を掛けてしまったわ。ごめんなさい、イルナ」

 しょげた様子で詫びるカイウに、イルナは今日幾度目かの苦笑を洩らす。

「あたしはカイウ様お仕えしているんですから、気をつかわないで下さい。そうでないと、かえってあたしの方が気をつかいます」

 長椅子に両手をついて、俯いて頷く。座った状態で踵の浮いたカイウのその姿は、イルナの目に実年齢よりも幼く映った。

 華奢な肩が一層下がって、頼りなげに沈んでいる。

 まだ故郷で暮らしていた時のように、髪を軽く抑えるようにして頭を撫でてやる。その時隣に居たのは、カイウと同い年の妹だったけれど。

 それはとても失礼なことかもしれない。実際、エーレットがそれを見たらただではすまないのだろうな、とも思う。

 それでも今日だけは、対等でいようと約束していたから。言葉だけではなく、娘らしい一日を過ごさせてやりたいと願っていた。

 だから神も、この無礼を許してくれるだろう。


 程なくして、隣の部屋で異変が起きた。

 火がついたように泣く赤子の声が聞こえてくる。

 初めて耳にするその音に、カイウは大きく眼を見開いた。

「イルナ、あれは?」

「ああ、騎士殿のお子ですね。先ほどはまだ眠っていましたから」

 その声に惹かれて、カイウは長椅子を降りた。

「見ても構わないかしら……」

「カイウ様なら喜んでいただけますよ。一緒に行きましょう」

「ええ」

 ふたりで部屋を出ようとすると、ぴたりと赤子の声はやむ。

 何事かと顔を見合わせれば、イルナは訳知り顔で笑っていた。

 扉のない部屋の出入口をくぐると、椅子に座った女性が赤子に乳を含ませている最中だった。

 その傍で、父たる騎士が目を細めてそれを見守っている。

 足を踏み入れた瞬間に、彼の視線がこちらを捉えた。

「カイウ様に、お子を見せていただけますか?」

 声をかけたイルナに、彼はただ頷いた。

 母親もまた、柔らかく笑む。

「さ、カイウ様」と背を押されておずおずと歩み寄った。

 んく、んく、と乳を食む赤子の小さな手が、白い乳房の上にある。あまりにも愛らしいその様に、カイウの顔にようやく笑みが戻る。

 (いとけな)いその姿を見ていると、幸多からんと無意識に願う。祈ることぐらいしかできないけれど。

「もし宜しければ、お子の健やかな成長を祈りましょう」

 寡黙な夫婦は互いに一瞬顔を見合せて、嬉しそうに破顔する。

 お願いします、と騎士は感極まった様に叫んで腰を折った。


 

 帰り道、キャリッジの中でおもむろにカイウは口を開いた。

「イルナの御母上はどんな方?」

「え? あたしの母ですか? うーん、豪快な人かも知れないですね。小さな事にあまりこだわらない、いかにも亭主を尻に敷いてますって感じの……って言っても解らないですよね」

 イルナの遠慮のない物言いに、カイウはただ笑うのみだ。

「そういうカイウ様の御母上様はどんなお方ですか?」

 いつも侍女同士で気安く話すように、うっかりカイウにも同じ調子で返してしまったイルナは焦る。その手の話は避けてしかるべきなのに、迂闊にもそれを失念していた自分が情けない。

 イルナは己の馬鹿さ加減に、手を額に当てて顔をしかめた。

 四十年に一度、神子はその年に生まれた赤子の中から選定される。神殿で受けた託宣に当てはまった子供は、親元から離されて教育される。その時から、その子供はもはや普通の人ではなくなる。

 生きているのか死んでいるのか、その程度の事柄は知らされるが、会えないのだから人となりなど分かるはずもないのだ。

 困り果てた様子のイルナに、カイウは寂しい微笑みを浮かべて口を開いた。

「もう、亡くなったようです。……私が知っている唯一の事は、私の名を付けたのは母だという事だけ。私にも、あんな時があったのでしょうね」

 彼女はそう言って、また、笑った。

 イルナには、その顔は泣き顔だとしか思えなかった。

 城へ続く山道とはいえ、距離はそう長くない。

 適当な会話を交わしていれば、さして苦痛を感じぬ程度で城門の前だ。ここに降りれば、また明日からはいつもと変わらぬ毎日が待っている。

 カイウはあっという間に過ぎ去った非日常に名残を惜しむ様に天を仰いで扉をくぐった。

 塔の方へ続く石畳を歩きだすと、前から神官長が兵を伴って歩いてくる。

 何事かといぶかしむ様に彼を見つめて、足を止める。

「カイウ様、お話がございます」

 有無を言わさぬ調子で述べた神官長は、(たる)んだ両頬を一瞬ぐっと引く。

「何事です? このような場所で」

「城内に妙な噂が流れております。王妃付きの楽師と恋中になっておられると。その者相手に、カイウ様御自(おんみずか)ら穢れる事を望まれた、と」

 神官長の言葉に、イルナは驚いて目を見張った。

 いかがです、と問われた当の本人はと言えば、驚いた様子もなく薄く笑んだだけだった。

「本当の事です」

 落ち着き払って答えたカイウの言葉に、イルナの喉から声にならない悲鳴が漏れた。

「神子として最大の禁忌という事は理解しておられますね? 残念ですが、あなたは断罪されねばならない。御身(おんみ)、拘束致します」

 カイウは反論せずに頷く。

 主のその様に、納得できないイルナは声を張った。

「これは何かの間違いです! お願いですからカイウ様、これは間違いだとおっしゃって下さいまし!」

 紺青の髪が静かに揺れる。振り返ったカイウは、あの泣いているような笑顔をイルナに向けた。

「ごめんなさい、イルナ。私はやはり、ただの人でしかなかったの」

 その台詞を残して、彼女はイルナに背を向けた。

 大人しく兵に引かれて行く主の後ろ姿を、呆然と見つめる。

「どうしてなの」

 イルナはそう呟いて、カイウにとって日常という名の絶望が染み込んだ石畳に崩れ落ちた。


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