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 初物の芋が収穫されれば、それを皮切りに季節は春を迎える。

 王宮の中庭では春の収穫を祝う宴が催されていた。

 国外からも楽師や旅芸人を呼び寄せ、王族の他に貴族を始めとする上流階級を招いて行われる盛大なものである。

 作物の実りなくして人は生きられない。

 大地の神に豊穣を感謝し、祭りを行う今日という日を、この国では国民の休日と定めている。各地の村では、城に招かれなかった人々も賑やかな休日を楽しんでいるだろう。

 多くの貴賓が見守る中、カイウは宴が始まってすぐ壇上で神への感謝の祝詞と舞を捧げ、今ようやく席に戻ってきたばかりだった。

 毎年の事とはいえ、大勢の前で祭儀を披露するのは緊張する。

 大役を終えて一息つけば、どっと疲れが噴き出した。椅子に座ったままぼんやりとしていると、気を利かせたイルナが茶を持ってくる。

「お疲れ様でした」

 そういって彼女は手にした茶器を差し出した。

 柔和な笑みを浮かべる侍女に、カイウもまたつられて笑う。

 遠い農村から働きに来ているイルナは気立ての良い娘だ。温厚だが物怖じしない性格で、侍女の誰もがカイウを壊れ物のように扱うなか、唯一彼女だけが生身の人間として接してくれる。

 だからこそ、彼女を部屋付きの侍女にと自ら望んだ。

 カイウはこのイルナに、心からの信頼を寄せていた。

「ありがとう」

 農村出身者に多い、そばかすの散った顔を見上げながら茶を受取った。

 器越しに伝わる温かさが、手に心地好い。

 中には、濃い紅色をした液体が注がれている。カイウの好きな、野苺の紅茶だ。

 五つほど年上の優しい侍女の心遣いを嬉しく思い、それと同時に少し気の毒になった。

 イルナは本当によく気が利く。

 今日のように客の多い日には、城の者総出でのもてなしになる。いくら部屋付きの侍女とはいっても、彼女にも割り当ての仕事があるのだ。

 折角のそれを口に運んで、少しだけ飲む。

「他に仕事があるでしょう? 私の事は良いから、あなたの仕事を片付けてしまって」

「どうぞお気づかいなく。あたしはここでこっそり休憩してるんですから」

 イルナはそう言って、悪戯をした子供のように笑った。

 確かに、そういう意味ではここは絶好の場所かもしれない。ここは、長時間の強い日差しが体に応えるカイウの為に中庭の一角に設けられた天幕の中なのだから。

 だが、勤勉実直を絵にかいたようなイルナが、他の者の目を盗んで仕事を怠ける事など考えられない。気を使ってそんな事を言っているのだ。

 優しい侍女を早く解放してやろうと思い、意識してほんの少し表情を固くする。

「では、エーレットのお小言をもらわないうちに仕事へ戻ってちょうだい」

 侍女頭のエーレットは仕事に厳しい人物である。

 知命(ごじゅう)を過ぎた白髪の目立つ小柄な女性を思い浮かべて更に先を続ける。

「イルナには他にも仕事がございます。カイウさまのお相手はこのわたくしが」

 日頃にこりともしない侍女頭の口調と顔つきを真似て、いかにも彼女が述べそうな台詞を厳しい表情で紡ぐ。

 もちろん、カイウ相手にそのような事を言うはずもないのだが。

 そんな彼女の様子に、イルナはたまらず噴き出した。

 ひとしきり楽しそうに笑ったあと、了解したように頷く。

「ではあたしは戻ります。何かございましたらお呼び下さいね」

「ありがとう。エーレットが探しに来たら、長い間姿を見ていないと言っておくわ」

 カイウなりの冗談は通じたようだ。

 一礼して出て行くイルナの肩が、小刻みに揺れていた。

 その後ろ姿を見送って、もう一口茶をすする。口の中に広がる甘酸っぱい香りが、ひとときの幸福感を与えてくれた。

 そういえば、野苺の花もまた春に咲くのだったか。

 思いがけず感じた季節の移ろいに、寂しげな微笑を浮かべる。

「神の声など聴こえないのに」

 彼女はそう、独り言ちた。

 何気なく捉えた天幕の隙間から差し込む光は、やはり、穢れなき白だった。




 白い衣を身に纏った娘が、鈴を手にして儚げに舞う。

 その手が宙を流れれば、シャン、シャン、と愛らしい音を鳴らして、それについた白帯が筋を曳く。

 折れそうなほどに華奢な身体。抜けるように白い肌。そして、夜明け前の空と同じ色をした瞳とつややかな紺青の髪。

 客の誰もが言葉を無くすほどに、その光景は美しい。

 最後に大きく振って鈴を鳴らし、そのまま壇上に伏して額ずいた。

 一瞬の沈黙の後、その場がどっと湧きあがる。ため息交じりの賛辞が、そこかしこから聞こえてくる。

 女は、立ち上がり礼をして壇上からはけて行く娘の姿を冷めた瞳で見つめた。

 豪奢な扇を口元にあてがい、ちら、と隣に座る夫へと視線を移す。

 微笑を浮かべ、衆人と共に軽く手を叩いて喝采を送る姿に苛立ちが募る。

 視線を元に戻せば、そこにはすでに娘の姿はない。半ば諦めにも似た溜息をそっと吐き出し、動き始めた衆目に備えて偽の笑顔を張りつかせた。

 席を立ち、傍らの夫に声をかける。

「陛下、そろそろ参りましょう」

「ああ……そうだな」

 短くそう漏らして、振り返りもせずに人混みの中へと足を踏み出した夫―――王、ゴヴィアヌス。

 また、胸の中に毒を含む。

 代わる代わる取り交わされる挨拶に世辞。

「今日もお美しいですな、アンセリア様」

「ありがとう。今日はゆっくりと楽しんでいらして」

 王と己を取り囲んだ諸侯、貴族階級の者達の言葉を聞くでもなく耳にして、適当に言葉を返す。

 誰が何を言ったかなど、数人前の者とてもう思い出せない。

 暖かな春の日差しの下で、女の心だけが急速に冷めつつあった。



 神子―――カイウの退いた後の壇上では、旅の楽師達の演奏が次々と奏でられ、広大な庭園の中程では芸人が大道芸を披露していた。

 客の子弟達は大道芸を楽しそうに観覧し、大人達は知己を頼って有力者との繋がりを作ろうと歩き回るのに余念がない。

 王妃アンセリアは挨拶回りが一段落したのを機に、王と離れて数名の貴族の妻を連れて園内を歩いていた。

 機能性よりも華美さを重視した重いドレスに、女性の好きな他愛無いおしゃべり。彼女たちの歩みは非常にゆっくりだ。

 甘めの酒を片手に、王都の仕立屋の話に花を咲かせる。今年の流行はひざ下を絞った形だの、色は濃い目が良いだのと言っていた時だった。

 何気なく視線を流した木陰に、一人の男が佇んでいる。

 妃はその男の容姿に思わず眼を見張った。

 ごく薄い金色の髪に、青灰色の瞳。そして何よりも匂いたつようなその相貌。体格が男性のそれでなければ、女性かと見紛うほどだ。

 だが、身形がいけない。くすんだ色の上着に、色の落ちたズボン。首に巻いたチーフは生地が粗末で、履いているブーツも傷んでいる。もっと小奇麗にすれば折角の美貌も活きるだろうに、これでは持ち腐れも良い所だ。

 そう思ってすぐに、足元の荷物を視界に拾って合点がいった。そこに置かれた箱―――竪琴だ。旅の楽師であるならば、懐具合はそんなものだろう。

 その男に興味が湧いて、取り巻きとの話もそこそこに口を開く。

「そこの楽師殿、手持無沙汰ならばここで奏でていただけないかしら」

 アンセリアの言葉に、夫人達が一斉に男を振り返る。

「まぁ、それはよろしゅうございますわ」

「良いご提案ですこと」

 音楽は場も盛り上がる事であるし、それ以上に美形の奏者とあっては女たちが異を唱えるはずもない。

 皆異口同音に賛成の意を述べる。

 掛けられた言葉に気がついた男は、驚いたような色を浮かべた。足もとの箱の持ち手を引いて、木陰から出てくる。

 そして彼は女たちの―――特にアンセリアの前で片膝をついた。

「王妃様直々のご所望、これほどの名誉はございません。わたくしなどの音で宜しければ、ぜひ」

「では、楽しいものをお願いするわ」

「かしこまりました」

 男はそう返して、俯いたまま薄ら笑いを浮かべる。

 満足げにほほ笑んだ女たちの誰もが、彼のその行為に気付かなかった。

 すぐに楽師は竪琴を取り出して、陽気な旋律を奏で始める。

 撥弦楽器奏者にしてはいささか綺麗すぎる長い指が巧みに弦を弾けば、単奏にも拘わらず賑やかな音を紡ぎだした。

 夫人達の誰もが聞き覚えのないものなのか、皆興味深げに彼の演奏に聴き入る。

 小さく「はじめての曲ですわ」などと呟いている。

 彼女達の耳に覚えがないのは当然の事で、男が弾いているのは農村で好まれる民謡だった。

 本来はこのような場所で演奏するものではない。何故なら、安酒片手に男女入り混じってやかましく踊り騒ぐための音楽だからだ。

 さすがにその作法を知らぬとあって荒々しいステップを踏み出す者はいないが、髪飾りや帽子の載った重そうな頭が楽しげに揺れている。

 その音色をききつけた他の奏者も次々に加わって、いつの間にか愉快な和音が深みを増していく。

 いつしか人の輪は広がり、ついには恥をかいてでも名を売りたい成金達が踊りだした。

 そんな人々の様子を眺めて、アンセリアはまた扇で口元を覆い隠す。それは、本心を隠す時の彼女の癖だった。

「本当に、くだらないわ」

 金髪の楽師を虚ろに眺めて漏らした一言は、貴族の嘲笑と成金の間抜けなステップ、そしてうるさいだけの大衆音楽にかき消された。

 扇を閉じ、その手で数歩離れて立っていた侍女を呼び寄せる。空のグラスを手渡してその耳に何事かを囁く。侍女は頷いて一礼し、人垣から離れて姿を消した。

 やがて示し合せたように楽師たちは目配せと同時に曲を終え、それぞれの愛器を片手に観客に一礼をする。

 扇を脇に挟んで、打ちたくもない手を打って彼らの労をねぎらってやる。それを引き金に、周囲から歓声と拍手が鳴り響いた。

 余韻に浸るものなど居ない。幾許もせずざわざわと騒がしくなり始めたのをきっかけに、王妃は共に来た夫人達に声を掛ける。

「わたくし、少し酔ってしまったようですわ。皆さまはこのまま続きをお楽しみになって」

 すぐに返って来るであろう気遣いの言葉を抑え込むように、アンセリアは間髪入れずに声を張った。

「楽師の皆さま、続きをお願い致しますわね」

 その額の宝冠に逆らう者など然う然ういない。

 それぞれかしこまった様に空いた方の手を己の胸の前に当て、「かしこまりまして」と膝を折った。

 それに頷いて、踵を返す。

「皆様、失礼いたしますわ」と素っ気なく言い放って立ち去る彼女を、取り残された女達が所在無げに見送っていた。

 重いドレスの裾を引きずって青草を数歩踏みしめると、すぐにまたうるさい音楽が流れ始める。

 酔いなどとうに冷めた頭の中からそれを追い払う様に、脇目も振らず進み続ける。

 だが、己の意に反してなかなか距離は稼げない。

「本当に、忌々しいこと」

 人知れぬその呟きに、手にした扇にも力がこもる。

 背後から声が掛ったのはその時だった。

「王妃様、もし宜しければご一緒しても構いませんか?」

 耳慣れぬ男の声に振り向けば、そこには先ほどの美貌の楽師が立っていた。

「お前、もう抜けて来たのですか」

 美しい曲線を描く眉を寄せ、咎めるように吐き出したアンセリアに男は苦笑を浮かべる。

「残念ながらあのあとすぐに弦が切れてしまいました」

「そう。……まあ、良いわ」

 ほんのひと時の暇つぶしにはなるかも知れないと、男がついてくるのを許す事にした。

 野心を持って取り入ろうとする輩は多いものだ。少しでもそんな素振りを見せれば、二度と顔を見せるなと言ってやれば良い。

 すらりとした体躯の男と並んで歩く。

 先ほど見知ったばかりなのだから、弾む話題などそうありはしないだろう。まして庶民風情と益のある会話ができるとは思えない。

 それでも見目良いだけの楽師と時間を共有するのは、退屈だからだ。取り巻きとの会話よりもましだと思えるほど。

 むっつりと黙りこんで声すら掛けようとしない己に媚びもせず、黙って歩を進める男を少しだけ盗み見る。

 本当に妙な男だ。

 そうして歩き続けると、次第に小池が見えてくる。庭園の外れ、神殿に程近い場所である。

 そこに浮かぶ東屋が、アンセリアが目指していた場所だ。

 よほどの事がない限り、宴の場を離れてまでここにくる者はまずいない。嘘と欺瞞に満ちた会話はもう食傷気味だった。だからひと時の休憩を求めて、そこに茶の用意をするように伝えておいた。

 東屋につながる桟橋を渡りきると、そこには先ほどの侍女が待っている。茶の用意はすでに整えてられていた。

「どうぞ、お掛けになって」

 ようやく己に掛けられた言葉に、男は静かに笑んで頷いた。そのまま、王妃の向かい側に腰を下ろす。

 そしてすぐに、侍女はそれぞれの前に茶の淹れられたティーカップを置いた。

「しばらく外してちょうだい。後はわたくしがやるから」

「かしこまりました」

 侍女はテーブルの中央にティーコジーを被せたポットを置き、一礼して去って行く。

 また、沈黙が二人の間を支配する。

 何となく男の顔を見るのが憚られて彷徨わせた瞳が、水面にたつ細波を捉えた。それと同時に、肌に心地好い緩やかな風が過ぎ去ってゆく。

 庭園に植えられた背の高い木々の緑が映り込んだその様を見つめたまま、唐突に口を開く。

「お前、名は何というのです」

 視線を戻して見やった男は苦笑を浮かべている。

「キャシアス」

「珍しい名だこと」

 彼女の言葉に、男は左右に首を振る。

「エドマンド、イアーゴー……ああ、エアロンなどと呼ばれた時もありました。

 さて、どれが本当の名なのでしょうね。卑しい身ゆえ、拾われた場所ごとに名をいただきました。私は私で、それ以上でもそれ以下でもありません。だから、私にとって名など無意味なものにすぎないのですよ」

「お前は妙な男ね」

「褒め言葉として受け取っておきますよ」

 沢山の名を持つ男はそう言って笑った。そして、流麗なしぐさで茶をすする。

 身につけた物さえ上質であったなら、彼が貴族だと言われたら信じてしまうだろう。それくらい、男の言葉使いは丁寧で流暢だ。そして、その所作はそつなく品がいい。

 アンセリアには、彼が卑しい身などとは到底思えなかった。彼の言が嘘なのか、それとも没落貴族のなれの果てか。

 否、ひょっとすれば、身分の高い女が後ろ盾についていたのかもしれない。芸術家にはよくある話だ。

 どちらにせよ、この男の毛色は少し変わっている。

「では、わたくしからもお前に名をあげましょう。名無しでは話しづらい」

「ありがたい。私も困っていた所です」

 そう述べて、男はおどけたような表情をして軽く両手を広げた。

「どうせならうんと変わった名が良いわ。そうね……ヴォタリウスにしましょう」

 くすり、と女は笑った。

「それはいい。友人の為に汚れ役を引き受ける男の名とは傑作だ」

 ヴォタリウス―――古くから演じられてきた芝居の中で、友のために損な役回りをする男の名である。

 竪琴奏者ならば誰もが知っているはずのその悲劇は、弾き語りでは定番中の定番だ。

「ならば私も貴女様の為に演じましょう。馬鹿馬鹿しいほど滑稽に」

「滑稽に……ね」

 取り入ろうとしているとも、そうでないとも受け取れる物言い。これでは判断しきれない。 どうするべきかと迷い、結局アンセリアは考える事をやめた。

―――暇つぶしくらいにはなりそうね。

 息苦しい程の退屈が紛れるなら何でも良い。それが、彼女の出した結論だった。


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