ゲヘナ
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手紙を見せられたケイトの第一声は「やっぱり来たか」だった。
「やっぱり......? ケイトさん、手紙が来ることを予想していたんですか?」
「ん、まあね。奏が箱庭に来た翌日にも、同じものが届いたし」
「貸してごらん」と言われるままに手紙を彼に渡す。「やっぱり来たか」なんてさらりというが、花はこの手紙を見つけた時、それなりに驚いたし慌てたのだ。
部屋に誰か入ってきたのかと、いや、元々このラピュタに住んでいたケイトたちが入ってきたのなら文句は無いが、彼らなら手紙を出す必要は無いだろう、直接会って話せばいいのだから。兎も角、このラピュタの住人以外が入ってきたのかと思ってしまった。起きた直後の驚きが、花の脳裏をよぎる。
箱庭で迎える初めての朝。瞼の裏に感じた眩しさで目が醒めると、机の上に白い手紙が置いてあった。花ははっきりしない意識の中、その手紙を見つめる。
(そういえば、昨日はカーテンを閉めずに寝てしまったような...? ああ、だから私とこの手紙は朝日を浴びて...手紙?)
手紙は陽を浴びて、一層白さを増す。ひっくり返して裏を見ると、蝋で封がされていた。複雑な紋様が刻まれた封蝋を見て、ようやく意識がはっきりとする。眠りにつく前には、確かにこの手紙は無かった。身支度を整え、手紙を片手に慌ててダイニングへ向かう。
ダイニングにいたのはケイトだけだった。「おはよう、よく眠れた?」と問われ、まずは朝の挨拶を優先する。
「おはようございます。おかげさまで、よく眠れました」
それは何より、と目を細める彼に手紙を見せたところで返ってきた言葉が「やっぱり来たか」だったのである。
「俺がなんだって?」
と、隣接するキッチンから奏も姿を見せた。どうやら朝食を作っていたらしい。彼が手にする盆には、湯気の立つスープが並んでいた。
「おはようございます、奏さん。昨日から私の分までご飯をお任せしてしまってすみません。何かお手伝い出来ることは......?」
「ああ、おはよう。食事の支度なら気にするな。料理は俺の趣味みたいなものだ」
「それより、なんか話して無かったか?」と奏に促され、ケイトが手にした手紙をひらりと振る。
「お前が箱庭に来た翌朝にも届いただろ。魔王様からの招待状」
「......俺は常々、お前の時たま妙に気障ったくなるその口調を直してやらねば、と思っているんだが」
「......これは俺の“先生”の所為だからさ、俺も不本意なの。心底ね」
「魔王」と引っかかる言葉が花の耳に届いたが、何はともあれ、封を開けてみなければ事は始まらない。二人に見守られながら花はそっと封蝋を剥がし、中の便箋に目を走らせる。
『親愛なる“ガーディアンズ”の同胞たちへ告ぐ。箱庭の太陽が頂点に達するまでに、一同揃って“ゲヘナ”まで来られたし』
文末にはわざと崩したのだろう、洒落た書体で送り主の名が記されていた。
「最後のこれは、ヘブライ語......でしょうか。サインみたいですが、ええっと......“サタン”?」
「読めるの?」とケイトが意外そうな声をあげる。森の中の丸太小屋にあった本は、非常に多くの言語で書かれていた。基本的には原典そのまま、新品のように綺麗なものをメルヘンは花に与えていた。読み書きに関してならば、余程難解なものでない限り、花はあらゆる言語に精通している。
「花ちゃん、本当に奏と似てるなぁ。奏もね、大抵の言語は話せるんだ」
「元の世界で、一時期古本屋に居候していてな。そこの爺さんの趣味で、世界中の言語で書かれた本と、それを読み解くための辞書は揃っていた。んで、その後に爺さんと世界一周ヒッチハイクの旅に出たから、喋る方もまあそこそこ」
「いや、俺の話は今は関係ないな」話を戻し、奏が腕を組む。
「やっぱりサタンからか。俺の時と文面も全く同じ。流石魔王様、相変わらず情報が入るのがお早いことで」
「サタンって、あの悪魔の...?」
「地獄を統べる、悪魔たちの長。それがこの箱庭において“サタン”と呼ばれている。“ゲヘナ”はサタンの治めるラピュタの名だよ。箱庭で“魔王”なんて呼ばれるのは“ゲヘナ”のサタンだけ」
神が存在する箱庭なら、その敵対者である悪魔が存在していても不思議ではない。しかし、何故その悪魔の長から、花に手紙が届いたのか。
「私、そのサタンさんとはお会いしたこともないんですが......。私の部屋の机に置いてあったという事は、サタンさんは私のことを知っているんでしょうか」
「俺がここに来た時にも、サタンは直接会う前に俺のことを知っていた。あいつが治めているのは一つのラピュタだけじゃないってことだ」
奏の妙にぼかした物言いに、花は首を傾げた。「会えば本人が話すさ」と奏が、「魔王様に呼ばれているんだし、今日やる事は決まりだね」とケイトが言うものだから、その疑問は後に回す。
「さ、早く食事を済ませてしまおう。『太陽が頂点に昇るまで』って時間の指定もされているしね」
「ケイト、お前はリリノを呼んでこい。そろそろ、朝の鍛錬後の湯浴みを終える頃だろう」
今後リリノを探すことがあれば、ダイニングか庭か風呂を探すといいよ。花への助言を残し、ケイトが部屋を出ていく。
「花、お前は配膳を手伝ってくれ」
「分かりました」
奏の後を追いキッチンへ向かいながら、花は、ふ、と頭に浮かんだifを考える。
奏さんが私に配膳の手伝いを頼んだのは。
もしかしたら、昨夜のリリノさんのように館内に慣れていない私を気遣ってくれたのかもしれない。
もしかしたら。
もしかしたら、食事の支度を任せきりにしたことを謝罪した私への、彼なりのフォローなのかもしれない。
食事の支度に、配膳とはいえ関わらせてくれた彼の真意を考えてみる。『そうだったら、きっと素敵だ』と思えるifを考えることが、花にとって何よりの楽しみなのだ。
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「ここが、ゲヘナのラピュタ......」
太陽が頂点へ昇り切る前。ガーディアンズはサタンからの文に従い、揃って“ゲヘナ”を訪れていた。
ゲヘナのラピュタはガーディアンズの遥か上にある。どうやって行くのだろう、と花は疑問に思っていたのだが。例の本の入った鞄を手に、奏たちに促されるままにガーディアンズの門をくぐる。一瞬、体が引っ張られるような妙な感覚がした。それが落ち着いた頃には、目の前に大きな黒門が聳え立っていた。
理解が追いつかずにいる花に、リリノが説明をする。ラピュタ間、ラピュタ・アトランティス間、アトランティス内での移動は、主に“転移門”が使用される。それぞれのラピュタの門、アトランティス各地に点在する門を繋ぎ、擬似的な空間転移を可能としているのだ。ガーディアンズの門も、転移門なのだという。
魔王の統べるラピュタへ通じる黒門がゆっくりと開く。一歩、中に踏み入れば、外とは全く違う景色が広がっていた。
「外は晴れていたのに、門の中は暗いんですね」
厚い雲が空を覆い、ラピュタ内部はひどく薄暗かった。奏たち曰く、ラピュタに張られた結界の影響で、このようになっているのだという。
「力のある術者は、結界の内部を自由に操れるからね。外部と天候を変えたり、どこに誰がいるかを感じ取ったりとか」
「うちのラピュタの結界は、害あるもののみを防ぐからな。外の日光や雨風はそのまま通すようにリリノが張ってくれたんだ」
「やろうと思えばここと同じように、雲を出したり、後はそうだな、雪を降らしたりもできるよ?」
結界の中は明度という意味では暗いが、活気にあふれた立派な街だった。石造りの建物が並ぶ街を歩くのは、殆どが尖った耳や裂けた口を持つ悪魔たち。けれど、よくよく見てみれば、獣の耳や手足を持つものも、少なくとも見た目はごく普通の人間たちもその賑やかさの中に存在していた。
街並みの中心には、大通りがあった。その道の奥に、一際高く聳える城が見える。童話の挿絵で見たような立派な塔のある王の住まう城。初めて見る本物の城から、花は目が離せない。
「あ、迎えが来た」というリリノの声で我に返る。振り向くと、城に通じる大通りからやってきた一台の馬車が、奏たちの前に止まるところだった。
馬と御者は黒い影。リリノの使役する“式”とはまた違った存在なのだろうと、その手のものに知識のない花でも何となく分かった。影らが動くたびに、心がざわめく。これが本能というものだろうか。影と自分は、根本的に住む世界が違うのだろうと思った。
御者は席から降りると、馬車の扉を恭しく開けた。かつ、と石畳が鳴る。
「皆様、いらっしゃいませ〜」
ふわふわとした甘い声。蠱惑的な肢体に加え、一つ一つの仕草がひどく艶めかしい女が、馬車から降り立った。
まず視界に入ったのだろう奏たちに笑みと軽い会釈をし、女は紅い瞳を煌めかせながら周囲を見回す。その瞳に捕らえられた途端、全身が怖気立つのを感じた。それでようやく花は、女が馬車から降り立った時から、自分が息を止めていたことに気がついた。
圧倒的な強者との対峙。奏たちも強くはあるが、彼らと目の前の女の違いは明白だ。『少しでも隙を見せれば、喰われてしまう』『彼女は決して己を対等に見ることはない』そう本能が警鐘を鳴らしている。
かつてない危機感、恐怖感に立ち竦む花に、女は甘い、甘い声で名乗りを上げた。
「そちらのお嬢様には、初めましてのご挨拶を。私、魔王陛下側仕えのベルゼブブと申します。お気軽にベルゼとお呼びください。よろしくお願いしますねぇ♪」
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