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P.B.S  作者: 春秋夏冬
二章 ヘンゼルとグレーテル
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赤林檎とイレブンシス

 


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 眼前に迫る鋭利な鉄板を辛うじて避けられたのは、今まで培ってきた戦闘経験とそれに連なる勘と反射が三割。残り七割は、完全に幸運だった。


 体を捻った姿勢のまま、無理矢理後方へ飛び退る。着地した時の衝撃が常と異なることに、(かなで)は歯噛みした。手にした太刀の重さが、普段通りの立ち回りを許さない。いや、刀を使って戦う以上、素手での立ち回りと異なるのは当然なのだが、体のバランスだとかそう言ったものの差異は、そう簡単に慣れるものでもなかった。


 滑らかな仕草で畳まれる扇が、閉じきるその瞬間だけ微かな金属音を立てる。白魚のような指が扇を自在に操る様は、扇が鉄製で無ければ、持ち主の格好も相まって歌い舞う白拍子にも見えただろう。閉じた扇を口元に当て、水干を纏った鉄扇の君は、艶やかに微笑んだ。


「今のは、危なかったね? 奏」


「全くその通りだな、リリノ」


 にぃと口元を吊り上げた笑みを交わし、全く同時に、奏とリリノは地を蹴った。間20m。いや、もう少しあるだろうか、それが一瞬にしてゼロに近づく。抜いた刀で奏が斬りこむが、リリノは閉じた鉄扇でそれを受け止めた。キィィと金属の擦れる耳障りな音が、どうにも煩わしく、そして気を昂らせる。両者の力は拮抗し、膠着状態が続く。互いが互いの次の一手を探っていた。




 ——箱庭の空にふわりと浮く数多の(ラピュタ)の、その一つ。“ガーディアンズ”のラピュタには、夏が近づいてきていた。


 箱庭最下部にある超弩級ラピュタ“アトランティス”は、東西南北それぞれで、季節の巡り方が異なる。東のある地域では四季が巡り、南寄りのある地域では乾季と雨季が交互に訪れる。箱の底にメルカトル図法の地図を広げたような気候分布、そう例えるのが一番適切だろうか。


 しかし、アトランティス以外のラピュタは、必ずしもその気候分布通りとは限らない。ガーディアンズのように結界が張られていれば、内部の気候は術者の気の向くままであるし、ラピュタに住むものの物語の舞台に相応しい気候の場合もある。


 ガーディアンズのラピュタに結界を施した術者であるリリノは、日本に縁深い。彼女は四季の移ろいを好み、結界内部の気候を自身によく馴染んだそれに合わせている。およそ365日を周期として、4つの季節が巡るようになっているのだ。


 春が過ぎ、初夏の風が木々を揺らす。茂る葉の鮮やかな緑が晴天に映える。少女一人と、一騒ぎの後に彼女の魔力によって存在しているという男一人。彼らを新しく同胞として迎えて、およそひと月が経った日のこと。


 外に出なければ勿体ない、そう感じさせる日差しを浴びれば、好戦的な性格の奏とリリノがすることなど一つしかない。朝食を早々に済ませ、広々とした庭に出る。そして、照りつける日差しの中、手合わせが始まった。




 膠着を解き先に動いたのは、リリノだった。太刀を鉄扇で滑らせ受け流し、刀身が下がって正面が空いた奏に、体を捻って勢いのついた蹴りを入れる。その蹴りを奏は左手の鞘で受け止め、そのまま鞘ごと強引にリリノを蹴り飛ばした。庭を突っ切り、吸い込まれるように洋館の壁目掛けて、リリノの身体は吹き飛ぶ。勝敗は決したかのように見えた。


 ——だが。


「貰ったァ!」


「ッ?!」


 涼やかさと勇ましさが同時に存在する声が、庭に響いた。その声が耳に届くのと同時に、奏は強烈な光に目を細めた。白く染まった視界は頼りにならない。微かに風切音を聞いたような気がして、勘を頼りに咄嗟に右手の刀で首を庇おうとする。


 しかし、僅かに遅かった。ブーメランのように、光るものが奏の首元に迫る。刀で弾こうにも、間に合う距離では無かった。飛来物が奏の喉元を切り裂こうと迫る。その直前で、くいとそれは引き戻された。


 飛来物——開かれた鉄扇の要に結わえられた紐を引き戻し、リリノは先ほどと同じように、微かな金属音を立て、扇を閉じる。奏に思い切り蹴り飛ばされた身体は、壁に一度足をつけて衝撃を殺し、ふわりと着地した。


「勝ちは貰った、ということで良いかな?」


 鉄扇で奏の刀を受け流した直後、放った蹴りが避けられることまで読んで、リリノは鉄扇の投擲用意をしていた。開かれた扇はブーメランのようによく飛んだ。手入れされ磨かれた鉄扇は日光を反射する。先程の目がくらむ光はおそらくこれだ。薄く鋭く整えられた短冊の辺は刃物の如し、皮膚を切り裂く程度容易いだろう。


 奏が避けられない瞬間を狙って扇を投げ、首を裂く寸前で、紐を引いて手元に戻した。先ほどのリリノの動きを推測半分で思い出しながら、刀を鞘に収めた奏は、軽く両手を挙げた。


「ん、降参だ。五戦して四敗……我ながら情けないな」


「でも、楽しかったでしょう? 使用武器ロシアンルーレット」


「最ッ高に楽しかった」


 使用武器ロシアンルーレットとは何か。本日の手合わせに際してリリノが考案した、ちょっとしたお楽しみ要素である。基本的に素手で戦う奏が武器を持ち、リリノがあまり使わない暗器を使っているのもこれに纏わる。


 リリノが所有する、多くの刀や槍、暗器。それらの名前が書かれたくじを引き、それぞれ当たったものを用いて一戦交える、といったものだった。


「いやぁ、一戦目で早速、私がフライパン、奏が湯桶を引き当てた時は、どうしようかと思ったよ」


「あれはもう、笑うしかなかったよな」


「手合わせ始める前に、しばらく揃って笑い転げたもんねぇ」


 ただし、くじには『はずれ』が大量に含まれていた。「あれだ、はずれじゃなくってさ、乱定剣とかそういうやつってことだよ」とくじを作ったリリノは言うが、先ほどの五戦目で、互いにようやく武器らしい武器を引き当てたほどに、はずれの数は多かった。


 一戦目から連続した迷試合を改めて思い出して、堪えきれなかったリリノが弾けるように笑い出した。


「ふ、ふふ、っははは、あーもう、本当に酷かった。楽しかったのは確かだけれども!」


「それ以上笑ってくれるな。こっちも地面に転がって笑いたいのを堪えてるんだ、 つられそうになる」


「転がれば良いのに? 私は咎めないぜ。というか私もしたい、気持ち良さそう」


「まあ……笑っていられないところもあったからな」


 合わせていた目線をふと逸らし、奏が誰に聞かせるでもなく独り言つ。それを聞きとめたリリノが、「おおっと」と言いたげに、微かに片眉をあげた。


「なんだなんだ、悩み事か。ストレス? フラストレーション? すこしのことにも先達はあらまほしき事なり。ここは年の功ということで一つ、私が相談に乗ってあげようじゃないか」


「リリノ先生の、英語片仮名の後に思いっきり古文やら慣用句やらぶっ込んでくる言い回し、結構好きだぜ」


「おや、それはそれは恐悦至極」


 それで? とリリノが首を傾げた。


「んー、刀の扱いは慣れんな、と」


 借り受けていた太刀をリリノに返しながら、奏は苦く笑った。ずっしりと重い刀が手を離れた時、漏れた溜息は無意識だった。


「奏の刀の扱いが下手だとは言わないけど。“人”の技量としてみれば、十二分に花丸だ。だけどまあ——ね?」


 あくまで人の中では、という話なのだ。人という括りで見ても、剣聖として名を残す者たちと剣で打ち合えば、到底及ばないだろうし、神魔の相手など以ての外。いざ火の粉が降りかかってきたとして、神話や幻想が息衝くこの箱庭で敵対する輩が只人であることなど、凡そあり得はしないだろう。


「まあ、ばっさり言ってしまえば技量不足だね?」


 元の世界では剣を握ったことなど殆ど無かった奏が、箱庭に来てからの二年間、ケイトとの鍛錬の合間、リリノには武器の扱いについての指導を請うていた。彼女が得意とする日本刀——その中でも太刀を主に、槍やら薙刀やらの長柄武器、短刀、暗器各種の類まで、様々に触れてきた。


「奏にとって最大の武器は、自分の身体そのものだよね。体術に関しては、私からは言うことなしさ。荒削りで我流もいいとこだけど、確かに強いもの。そりゃ箱庭の中での実力云々の話題で上なんか見たらキリがないけど、それでも上位存在と渡り合えるだけの力はあると思う」


 そこまで言って、リリノは「ん?」と眉をひそめた。


「えーとね、話がだいぶ回りくどくなっているような気がしないでもないんだけど。つまり何が言いたいかって、奏はさ、武器よりも拳で押し通る! ってタイプでしょう」


 そんな君が、最近、今まで以上に()()の稽古に熱心なのはなんでかなって、そう思ってたわけですよ。


 ()()と言いながら、リリノは太刀を視線で示し、肩に担いだ。その仕草を目で追いながら、「別段大した理由があるわけじゃないぞ」と前置きして、奏は口を開いた。


「ケイトがいなくて、あいつとの手合わせに使ってた時間が余ってるってだけだよ」


 少女——花とその育て親、メルヘン。彼らを迎えてからのひと月ほど、ケイトは数日にわたってラピュタを離れることが度々あった。「ちょっと出てくるね」の一言で、短くて一日、長ければ二週間近く戻らないこと自体は、花たちが来る前から度々あったことなので奏やリリノも慣れている。ただ、ひと月のうちに何度も、というのは、今までそうなかったように思う。


 不在の間、彼が何をしているのかは奏もリリノも知らない。一度それとなく尋ねてみたことはあるが、「調べ物とか、色々ね?」と妙に濁った答えが返ってきたきりだった。


「ふむ、ふむ、成る程ねぇ?」


 成る程、と言われるほどの内容が、先ほどの自分の言葉にあっただろうか。と、奏が首を傾げる。何か考え込むように、リリノは天を仰いだ。……仰いだ先で輝く太陽に「うわ眩しいな」と呟いて、直ぐに視線を下ろしたが。そして、再び奏と目を合わせたリリノは、ぽんと手を打った。


「奏、この後の予定は?」


「この後? アトランティスに野菜届けに行って、帰ってきたら昼餉作って……、そのくらいか」


「昼餉なら作っとくよ。そっかー、それじゃあ、昼餉の後に私の部屋に来てよ。奏に渡したいものがあるんだ」


 渡したいもの。何のことだと首を傾げながら、奏は了承の意を込めて頷いた。


「了解。昼餉も任せた。ケイトはまだ戻ってこないだろうから、四人分頼む」


「応っ。——さて! 私はこれからお風呂に行くわけですが、奏、どうする?」


「井戸で済ませる、俺はいい」


 太陽が昇りきるまでにはまだまだ時間があるとはいえ、降りそそぐ日光は十二分に強烈だった。晴天の中で激しく動き回ったものだから、肌に汗が滲んでいた。


 手にしていた太刀——今更ではあるが、号は『睦月』というらしい、リリノ曰く——と、鉄扇を何処へともなく仕舞い、手をひらひらと振りながらリリノは本館へ戻っていく。


 その後ろ姿を見送って、奏は庭を囲む森の方へ向き直った。



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