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P.B.S  作者: 春秋夏冬
二章 ヘンゼルとグレーテル
34/36

まだ、どんな願いも叶ったころ

お久しぶりです。

初投稿から丁度半年、二章『ヘンゼルとグレーテル』編、開幕と相成ります。


 


 ---







 むかしむかし、まだどんな願いも叶ったころのお話です。ある森のそばに、家が一軒建っていました。その家では、木こりの夫婦と、幼い兄妹が暮らしていました。兄の名はヘンゼル、妹の名はグレーテル。一家は貧しく、その日の食事にも困るほどでしたが、それでもヘンゼルとグレーテルは、 兄妹仲良く暮らしていたのです。







 ---




 くい、と袖を引かれた。


 小さなパンと、切れ端のような野菜が少しだけ入ったスープ。僅かな量の夕食を食べ終え、妹と共に子供部屋に戻る。蝋燭の灯りを頼りに本を読んだりして、そろそろ寝ようかと灯りを消した時のことだった。


「どうしたの、グレーテル」


 ボクによく似た、けれど一回り小さな女の子。ボクの大切な、大切な妹。グレーテルは、困ったようにボクを見上げた。グレーテルのまだまだ拙い言葉を纏めると、「父さんと母さんが、難しい顔で話している」と言うものだった。


 よく耳を澄ませると、子供部屋の扉の向こうから、確かに父さんたちの声が聞こえた。そっと、扉を開ける。幼いグレーテルが「難しい顔で話している」と言うくらいだから、父さんたちの話は、ボクらに聞かせられないようなものなのかもしれない。でも、ボクらだって家族の一員なんだ。難しい話だって頑張って理解する。何か困ったことがあるなら、ボクらにも話してほしい。そう思った。


 細く開けたドアから、暗い子供部屋に居間の灯りが差し込む。線のような灯りに目を細めながら、静かに居間の方へ聞き耳をたてる。


「もう、無理よ」


「厳しい状況なのは分かっている。だが、流石にそれは……」


「このままじゃ、わたし達みんな飢え死ぬのよ?」


 覗き込んでいるボクの下に、音を立てないようにグレーテルが潜り込んでくる。さっきまで不安そうな顔をしていたけれど、今の動きで普段のじゃれあいを思い出したのか、グレーテルの顔は明るい。グレーテルの楽しそうな顔を見るだけで、ボクも幸せな気持ちになった。


「もう、これしかないのよ」


 母さんが、重い顔でそう言い切った。母さんの勢いに押されるように、まだ躊躇いを残した顔の父さんは頷いた。


「じゃあ、明日よ」


 何のことだろう。明日、何があるって言うんだろう? ボクは、グレーテルと顔を見合わせ、揃って首を傾げた。そして全く同じタイミングで、また耳を澄ませる。妹と行動のタイミングが合うと、兄妹って感じがして、心が通い合っているようで、胸がほっこりする。ボクは、その感覚が、何よりも好きだった。


 だけど、その大好きな感覚は、母さんの言葉で、遠い何処かへ飛んでいてしまった。


「ええ……明日。明日、あの子達を森へ捨てに行きましょう」


「——ッ?!」


 悲鳴のような声が出そうになって、だけど、それを何とか飲み込むことが出来たのは、ボクと揃いの金の髪が視界に入ったからだ。同じように悲鳴を上げそうになっていたグレーテルの口を、必死に塞いだ。


「グレーテルっ……! グレーテル、静かに……!」


 ボクらが今の話を聞いていたなんて、父さんや母さんに知られるわけにはいかない。


「静かに、出来るね?」


 口はボクが塞いでいたから、グレーテルはこくこくと何度も頷いた。


「大丈夫、大丈夫だから……大丈夫、だから。グレーテル、ベッドの方へ行っておいで。ボクも後で行くから、ね?」


 根拠なんて、何にもないのに。グレーテルに何度も「大丈夫」と声をかけたのは、その言葉を、ボク自身が求めていたからなのかもしれない。


 ボクの言葉通り、グレーテルは部屋の反対側、ベッドの方にそっと戻っていく。それを確認して、ボクは、跡がつくんじゃないかってぐらい強くドアに頬を押し付けた。少しでも、父さん達の話を聞こうと思ったんだ。


「明日の朝、森へ行って、そしてあの子達をこっそり置いて帰るの。森の奥深く、戻ってこれないくらいにね」


「本当に、やるのか……?」


「仕方ないでしょう……。もう、パンがないの。ミルクもない。うちにはもう、食べるものなんて何も無いのよ。あの子達を捨てないと、わたし達が死んでしまうわ」


 そこでもう、耐えきれなかった。明日、どうやって捨てられるのかは分かった。もうこれ以上、聞く必要はないだろう。


 ——口減らしだ。毎日の食事が少しずつ減っていっているのは分かっていたけど、でも、口減らしをしなければならないほどだったなんて、気がつけなかった。


 どうして。何で。頭がぐちゃぐちゃになって、悲しいんだか怖いんだか、ボクにはよく分からない感情で胸がいっぱいになって。ボクが抱えるには大きすぎるそれが、溢れ出しそうになった、その時。


 ひっく、としゃくりあげるような声が聞こえた。ばっと振り向く。二人で一つのベッドの上、座り込んだグレーテルが、肩を震わせて泣いていた。小さな声で、ドアの向こうには届かないくらいの、小さな声で、泣いていた。


 押し殺すような泣き声を聞いて、震える小さな肩を見て、すうっと血の気が引いていくのを感じた。


 ボクは、何をしているんだ。


 ボクは、あの子の兄さんだ。父さんと母さんがボクらを捨てようとしてる今、ボク以外の誰が、あの子を、グレーテルを、守ってやれる?


 ぐっと奥歯を噛みしめる。溢れ出しそうな名前の分からない感情を、強引に抑え込む。強く握った拳で、目を擦るように拭った。


「グレーテル」


 優しい声をひたすらに意識した。


「大丈夫、大丈夫だよ、グレーテル」


 ベッドに上がって、グレーテルに寄り添う。狭いベッドは、小柄なボクら二人が座り込む、それだけでいっぱいになった。


「ねえ、本当に大丈夫だったら。だってさ、君にはボクがいるんだよ、グレーテル」


 背中を撫でながらそう言うと、グレーテルは涙に濡れた顔を上げる。窓から差し込む月光が、グレーテルの金の髪を照らしていて、妹の姿はいっそ神々しいとすら思えた。


「ボクが何とかする」


 本当に? と潤む瞳に見つめられて、それで、それだけで、ボクは、頑張らなきゃって思えたんだ。妹に頼られて、こんな状況だって言うのに、ちょっと嬉しくなるくらいだった。


「えーっと」


 そう言いながら、ベッドから飛び降りる。もちろん、音は立てないように、だ。部屋の中をぐるりと見回す。


「ん? 何してるのって……そりゃあ『何とかする』為の方法探しだよ」


 質問にボクが答えると、ぱちぱちと瞬いた後に、グレーテルはベッドを降りてボクのところへ来た。ボクの斜め後ろに立って、小さな手でボクの服の裾を掴んでいる。ボクが室内を歩き回ると、グレーテルはそれに従って、てとてと歩いていた。


 父さんと母さんは、森の中にボクらを捨てに行こうと考えてる。家の周りの森ならともかく、奥の方に行ってしまえば、きっと、いや絶対迷う。迷って迷って、家には戻れないだろう。


 それなら。


「道しるべ、道しるべを用意すればいいんだよグレーテル!」


 目印? とグレーテルはボクの言葉を繰り返した。


「そう、道しるべ。家から森の奥まで歩きながら、道に目印を落としていくんだ。いくつも、いくつもね。帰りはそれを道しるべにすればいい!」


 我ながら良いアイデアだ、そう思ってふふんと胸を張ると、グレーテルがぱちぱちと拍手で褒めてくれた。道しるべになるような目印を探さないとな。そう思って、何か良いものはないかと部屋を見回す。そう広くない子供部屋には、ベッド以外には殆どものが無い。玩具だって殆どなくて——ああいや、玩具で遊ぶよりグレーテルと野を駆ける方が楽しいから、別にそれは良いのだけれど。


 とにかく、ボクらの部屋には碌にものが無い。目印に使うってことは、それなり量が必要になる。目印、何にしようか。どこで調達しようか……。


「家の中にないなら、外かなぁ……」


 窓からなら、こっそり外に出ることも出来るだろう。グレーテルが、またボクの服の裾をくいっと引いた。


「行っちゃうの、って……大丈夫だよグレーテル。そんな遠くまで探しにいくつもりはないし……」


 目印が無かったら、明日、森から戻ってこれない。……正直ボクも、こんな夜に外に出るのは怖いけど。


 ボクを不安そうに見上げるグレーテルと目を合わせる。不思議そうに首を傾げるグレーテルを見て、顔がへにゃりと緩むのを感じた。


 ——大丈夫。グレーテルを守るためなら、頑張れる。


「行ってくるね」


 そう囁いて、窓から身を乗り出す。そしてボクは、目を瞬かせた。どうしたの、と不安げに問いかけてくるグレーテルに、なんと答えたものかと迷って、それで結局、ありのままを口にした。


「ねぇグレーテル……、すぐそばにいっぱいあったよ、目印」




 ---




 うん。結果から言おう。


 ボクらは、家に戻ってくることができた。


 朝早くに、ボクらは父さんと母さんに連れられて家を出た。森の中、木こりである父さんたちは奥の方まで詳しいみたいで、迷い無い足取りで進んでいく。でも、ボクらは全然知らない道だった。奥に進むほど大きくなっていく木は、絵本の中の巨人みたいに見えたし、時折獣の足跡が目に入る度に、狙われているんじゃ無いかってあたりを見回した。


 後でこの恐ろしい森に置き去りにされるって分かっていて、それでも僕がグレーテルの手を引いて歩けたのは、ポケットの中にじゃらじゃら入っている石があったからだ。


 昨日の夜、窓から身を乗り出したボクの目に入ったのは、辺りにたくさん落ちていた白い石だった。月の光を浴びて白く光るそれは、道しるべにはぴったり。ボクは嬉々としてそれを拾い集めた。


 道中、少しずつ少しずつ、父さんたちにはバレないようにこっそりと、ボクは石を落としていった。ちゃんと道しるべになっているか、何度も何度も振り返ってしまったのは、仕方ないと思うんだ。だってボクの頭の中は、本当にこれでグレーテルを守って家に帰れるのかってことでいっぱいだったんだもの。


 そして、森の奥。数本の木が自然に倒れて出来た、ちょっとだけ開けた場所に、ボクらは置いていかれた。「母さんたちは仕事をしてくるから、ここで待っててね」と言って去っていった両親を見送った時のボクは、きちんと笑顔を作れていただろうか。


 本当は明るいうちに石をたどって帰りたかったけれど、それでは父さんたちに見つかってしまうかもしれない。だから、夜まで待った。


「行こうか、グレーテル。ご覧、石が光って、道を教えてくれているよ」


 森の中は、高い木に光が遮られてとても暗い。でも、白い石は僅かな光を反射して輝いていて、きちんと道しるべの役割を果たしていた。


 ボクとグレーテルは、その白い光を見逃さないように、ずっと足元を見て歩いた。石を一度でも見失ったら迷ってしまうって思ったのと、もう一つ。もう一つ理由があるんだけど……恥ずかしいから、秘密。


 途中、不安になったグレーテルがぐずるように泣き出してしまったりもしたけれど、繋いだ手を離さずに、歩いて歩いて歩き続けて。夜通し歩いたボクらは、朝日が差す頃には、家にたどり着くことができた。


 古びた扉が目に入ったその時、一晩中止まらなかったボクの足は、思わず止まってしまった。怖かったんだ。ボクらにはこの家以外に行くあてなんて無いから、ここに戻ってきたけれど。それでも父さんたちはボクらを捨てようとしたんだ。戻ったとして、帰ったとして、受け入れてもらえるんだろうか。


 きぃとドアが開いて、早起きの父さんが出てきた。ボクらは何にも言えなくて、どうにも動けなくて、ただ呆然と、父さんがこちらを認めるのを見ていた。


「……ヘンゼル、に……グレーテル……?」


 何か、言わなくちゃ。それだけは思いついて、必死に口を動かした。


「……ただいま、父さん」


 父さんの目からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れて、それで、ぎゅうっとあったかいものにボクとグレーテルは包まれる。父さんに抱きしめられているって気がついた時、やっと強張っていた体と心が解けた。グレーテルの、妹の前だっていうのに、兄さんぶることも忘れて、ボクはわんわん泣いたんだ。




 ---




 くい、と袖を引かれた。


 小さなパンの欠片と、切れ端のような野菜が少しだけ入った薄いスープ。僅かな量の夕食を食べ終え、妹と共に子供部屋に戻る。蝋燭の灯りを頼りに本を読んだりして、そろそろ寝ようかと灯りを消した時のことだった。


「どうしたの、グレーテル」


 あの日から、しばらく経った。春が少しずつ近づいてきているけれど、まだまだ冷え込む、そんな頃。グレーテルは、困ったようにボクを見上げた。グレーテルのまだまだ拙い言葉を纏めると、「父さんと母さんが、難しい顔で話している」と言うものだった。


 よく耳を澄ませると、子供部屋の扉の向こうから、確かに父さんたちの声が聞こえた。そっと、扉を開ける。


 この時点でね、正直、嫌な予感はしていたんだ。でもまさか、そんな事はないだろうって、必死にその可能性を頭の中から追い払った。


 だって、戻ってきたボクらを、父さんは、涙を流しながらきつく抱きしめてくれた。母さんだって、嬉しそうな顔で出迎えてくれた。一度は捨てられそうになったけど、でも、また受け入れてもらえた。ボクらはそれが嬉しかったし、少しでも父さんたちには楽をしてもらおうと、手伝いだっていっぱいした。だから、きっと大丈夫。


 細く開いた扉の隙間に、頰を押し付ける。グレーテルはベッドに行かせた。大丈夫だと強く思っても万が一が怖くて、あの子には聞かせたくないと思って、それで……ね。


「もう、パンが無いの」


「おまえ、まさか」


 ぞくり、背筋が粟立った。


「一度やってしまったことよ」


「……」


 どくんどくんって心臓の音が煩くて仕方なくて、この音が扉の向こうに届いていないことを必死に祈った。


「ねぇ、一度、やってしまったことなのよ」


 お願い、頷かないで、父さん。あの時、ボクらが戻ってきたことを、涙を流して喜んでくれたじゃないか、ねぇ。


「ああ……そうだな」


 だけど、父さんは頷いた。ボクはもう何にも考えたくなくて、そうでないと、今すぐ扉の向こうに飛び出して行って、父さんたちを問い詰めてしまいそうで、唇を強く噛んで耐えた。


 駄目だ、ボクは取り乱しちゃ駄目なんだ。痛いくらいに唇を噛んで、ぐっとこらえて、顔を上げる。ベッドの上で薄い毛布を被って、不安げにこっちを見ているグレーテルに微笑みかける。大丈夫、ボクがなんとかする。また道しるべを用意すれば良いんだ。


「今度は、もっと奥の方に置いていきましょう」


 もっと奥。ボクらが絶対に行った所のない場所に捨てられる。この前以上にいっぱいの石を持って行こう。


「ボクが石を拾っておくから、グレーテルはもう寝ていて良いよ」


 それでも不安そうだったから、ボクはグレーテルが寝るまで、背中を摩ってやった。ちょっとしたら、すぅすぅって静かな息が聞こえてきて、寝付いたこと、怖い夢は見ていないようだってことに、ボクは胸を撫で下ろした。


 ベッドから飛び降りて、窓を開けようとする。だけど、どれだけ力を込めても窓は開かない。


「何、で……?」


 ——その時は分からなかったんだけど、翌朝、父さんたちに連れられて家を出た時に窓を見たら、外から塞がれていた。父さんたちは、ボクが石を拾い集めていたことに気がついていたのだろうか。今となっては、知る由も無いのだけれど。そうだとしたら、怖いなって思うんだ。だって、もし気がついていたとしたら、一度目に捨てられたときは、ボクらが戻ってくるのも予想していたってことにならない? あの涙は、きつく抱きしめて喜んでくれたのは……ってそんな事、もう、どうでも良いんだけどね。


 ボクは、グレーテルがいればそれで良いんだもの。


 ええと、ともかく、その時のボクは流石に大慌てだった。だって、石が、目印が、道しるべが無けりゃ、森から戻って来られない。グレーテルを起こさないように、父さんたちに気づかれないように、絶対に音を立てないように、何とか窓をこじ開けようとしたけど、無理だった。


 だけど、部屋には何にも無いんだ。だってお金に変えるために売ってしまったんだもの。ボクらの部屋に残っているのはベッドと毛布だけ。


 どうしよう。どうしよう。どうすればいい。


 部屋の中をうろうろ歩き回って、だけど物無いのは変わらなくって、一睡も出来ず、何にも見つからないままに夜が明けた。オンボロの窓の隙間から差し込んできた朝日を見た時の絶望ったら、もう、ね。


 だけど、どうやら神様はボクらを見捨ててはいなかったらしい。


「……! グレーテル、グレーテル」


 父さんたちに連れられて家を出る前、お弁当としてパンを渡された。これだ、と思ったボクは、訳を話してグレーテルにパンを譲ってもらった。そして道中、それを小さくちぎっては道に落として行った。


 眠れない夜を過ごした分、目印になるものを見つけたボクは、これで大丈夫だと心底安心しきって、呑気にもグレーテルの手を引いて歩いていたんだ。愚かなことに、ね。




 ---




「行こうか、グレーテル」


 日が沈んで、月の光が木々の隙間から森に差し込んでいる。今は春の始め。森の夜は、酷く寒かった。グレーテルが風邪をひかないように、早く家に帰らなくちゃ。そう思いながら、一番近くにパンを落とした場所へとボクは歩いた。


 森の奥の、そのまた奥。木こりの父さんたちだって、こんな奥には数えるほどしか来たことはないんじゃ無いかってくらい、奥まった場所。寒い、暗い。お腹も減った。パンは目印に使ってしまったから、朝から何にも食べてない。


「ええと、そう、この木の下に落としたんだっけ」


 途中で二股に分かれた木を目印にしておいたんだ。特徴的だったし、間違えるわけがない。だけど、その木の周りをぐるりと一周しても、パンのかけらは落ちていなかった。


 兄さん、と震えた声でグレーテルがボクを呼んだ。もしかして、目印を見つけてくれたのだろうか。そう期待して、グレーテルのところへ行くと、地面に落ちた何かを拾い上げていた。


「鳥の、羽……?」


 最初はグレーテルが何を言いたいのか分からなくて、だけど羽を拾い上げた小さな手が震えているのに気がついた途端、理解した。理解してしまった。


「まさか、全部、全部食べられたってこと……?」


 パンのかけら。ボクらにとってはほんのちょっぴりでお腹の足しにならないものでも、森に何千といる小鳥たちには、間違いなくご馳走だろう。


「そんなっ……!」


 目印が無い。道しるべを失ったボクらは、家に帰れない。家に帰れないってことは、帰れないってことは、それはつまり……。


 真っ青になって辺りを見回す。暗い青と緑、それから黒。見るだけで不安になる色で塗りつぶされた森。ボクが10人重なったって足りないほど大きく見える木は、怪物にしか見えなかった。遠くでかさりと葉が擦れる音がして、ばっと振り向く。森には恐ろしい獣だっている。襲われたら、ボクはグレーテルを守りきれるだろうか。否、否だ。無理に決まってる。だってボクはちっぽけで愚かで、そんなボクに、グレーテルを守りきることなんて——!


 ——兄さん。


 声と同時にグレーテルの冷えた両手が、ぎゅっとボクの手を掴んだ。その冷たさで、はっと我にかえる。


 駄目だ、しっかりしろ、ヘンゼル。ボクが取り乱してどうするんだ。家に帰ったって、きっとまた同じだ。きっとまた捨てられるんだ。家に帰るっていうのを目標にするのをやめよう。


 ボクは、グレーテルを守らなきゃならない。


 守れないなんて言ってられるか。グレーテルが頼れるのはボクだけなんだぞ。妹に頼られることほど嬉しいことはないって、そう思えるんだろ、ボクは。


「行こう、グレーテル」


 グレーテルの手を引いて、歩き出す。まずは、一晩明かせるところを見つけなくちゃ。大きな木の下が良い。ふかふかの落ち葉のベッドは、きっと冷え切ったグレーテルの体を温めてくれる。


 がくがくと震えそうな足を動かす。同じように震える腕は寒さのせい。繋いだ手が、触れ合う肌が、じんわりと暖かくなっていく。それだけを頼りに、目から溢れ出しそうな何かを堪えた。




 ---




 だけど、やっぱりボクは非力だった。服の裾が強く引かれて、慌てて振り返る。グレーテルが、力尽きたというように座り込んでいた。


「グレーテル……グレーテル、大丈夫……?」


 冷え込む森と、飢え。野いちごを見つけては口にしていたけれど、その程度じゃ奪われ続けていく体力は戻らない。森を彷徨ってもう三日。グレーテルは、ひどく消耗していて、立つことすら怪しくなってきていた。


「グレーテル、ちょっとだけ立ってごらん。そうしたら、ボクがおぶってやれる」


 正直を言えば、ボクももう立っているのがやっとなのだけれど、でもより幼いグレーテルの方が、辛い思いをしているんだ。


 よろよろと立ち上がったグレーテルが、倒れるようにボクの背に寄りかかる。その衝撃で、ボクは前につんのめって、二人で地面に転がってしまった。


「大丈夫、大丈夫だよ、ボクはまだ元気だから。背負ってやれるから、ね、おいで、グレーテル」


 グレーテルは首を振るけど、でも、どう見たってこの子はもう動けない。グレーテルを置いていくなんて、そんな選択肢はボクにはないから、ボクがおぶっていくしか方法はないんだ。


 森の出口はわからない。ただひたすら、食べられるものを探して森の中を彷徨う。何か栄養のあるものを口にしないと、グレーテルは……。その先を考えたくなくて、だけど、考えずにはいられなくって。


 ふらふらと歩く。覚束ない足取りだけど、グレーテルは落とさないように、気をつけて歩く。だけど、なんだかおかしいんだ。ちょっと前から、周りがよく見えない。靄がかかったように霞んで、それから、たまにきーんと高い音が聞こえるんだよ。


 でも、止まることはできない。止まったらもう二度と歩き出せないような、確信に近い予感がした。


 だから、歩く。


 歩いて、歩いて、歩いて——。


 ふわりと、甘い匂いが鼻をかすめた。それはとっても美味しそうな匂い。甘い、あまぁい、お菓子の匂い。最近はご無沙汰だったけれど、昔、何度か食べたことのある、お菓子の匂い。


 それに気を取られていたボクは、足元にせり出していた木の根っこに気がつかなかった。


「うわぁっ?!」


 ふわりと空中に体が投げ出される。まずい、グレーテルが、離れていってしまう。空中で必死に体をひねって、なんとかグレーテルを引き寄せる。


「っぐ、ぅ……」


 仰向けに地面に投げ出された。なかなかの衝撃だったけれど、ボクのお腹の上にはグレーテルがきちんといる。ボクがきちんと下敷きになったから、衝撃はほとんどいっていないだろう。それがちょっぴり誇らしかった。いや、そもそもボクが転ばなければよかったんだけどね。


「グレーテル、だい、じょう……ぶ……?」


 体を起こしながら、そう口にしかけて、けれど、その言葉はゆっくりと小さく掠れていった。


 森の中が、ぽっかり開けていた。そこに立ち込めるのは、さっきよりもずっと濃さを増した甘い匂い。すんと空気を吸い込めば、くぅとお腹が鳴った。


 壁はレープクーヘン。透明な窓はお砂糖だろうか。屋根はケーキみたいなお菓子たち。


 夢を見ているんじゃないか、疑ってしまったのも無理はないと思う。だけど、震える手で抓ったほっぺたは痛くて、これが夢じゃないことを教えてくれた。ボクらが、ボクが求めて止まなかった食べ物が、そこにはあったんだ。


「グレーテル! グレーテル、起きてごらんよ! ねぇってば!」


 起きている体力すらなくって、目を閉じていたグレーテルを必死に揺さぶって起こす。


 これで、グレーテルに、きちんとお腹にたまるものを食べさせてあげられる。


 ボクはそれが嬉しくって、それしか考えられなくって、だから、気がつかなかった。こんな森の奥深くに、お菓子で出来た家があることの不思議さと怪しさに、気がつけなかったんだ。


 ——あるいは。


 あるいは、気がついていたけれど、目を瞑って耳を閉ざして、知らないふりをしていたのかもしれない。


 ああ、何て愚かだったんだろうね、ボクは。


 ---



一章の主人公担当が花なら、二章の主人公担当は二人の兄妹、それから奏です。


---


二章を始めるならこの日、と決めていたので、一章番外のもう一つの話がまだですが、投稿しました。円卓編は後日割り込み投稿する予定です、間に合わなかった。無念。


ちなみにこの本文、約一万字です。長い。



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