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P.B.S  作者: 春秋夏冬
一章 魔王の試練
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Hexenhaus

 ---



「アトランティス西部、街の名はハーナウ。ここは菓子屋が多いんだ。美味いアップルパイを買うなら、ここだろうな」


 ゲヘナの転移門前でリリノたちと別れ、奏と花はアップルパイを買いに出た。花は箱庭に詳しく無いため、何処で買うかは奏が決める。転移門を潜り訪れたのが、ハーナウである。


 初めてアトランティスに降り立つ理由が、果たして『アップルパイを買うお使い』で良いのだろうか。なんて、奏は一瞬思いもしたが、当人はすこぶる楽しそうなので良いのだろう。花は目を輝かせて、街灯に照らされた街を眺めている。


「街の灯りって初めて見ました。綺麗ですねぇ。ほんわりあったかい感じがして、幸せになれます」


「ああ、森から出たことがないんじゃ、そういう反応にもなるか。ハーナウは西洋風の街並みだ、白い壁石に反射する橙の炎——良いもんだな」


 日はとうに暮れて、大通りの人通りは多くない。道沿いに立ち並ぶ商店の灯りを、遠く先まで堪能出来た。菓子屋が多いというだけあって、甘い匂いが街を満たしている。加えて、店構えは、子供や女性が好みそうな可愛らしい装飾。淡い色の装飾を、橙の街灯が揺らめく炎で照らしている、幻想的な光景だった。


「確かに夜景は綺麗なんだが、この時間だからな。開いてる店があるかどうか。ま、探してみようぜ」


 既に夜と言える時間帯である。灯りはあれど、目に入る店は、どれも「zu」と書かれた札を下げていた。詰まる所、大体が閉店済みらしい。


 大通りを歩きながら、奏は先程リリノに耳打ちされた言葉を思い出す。サタンの執務室から出た直後、前を行くケイトたちを追おうとした奏を引き止めて、リリノは囁いた。


『一度、花ちゃんとメルヘンを離してみたいんだ。それでもし、彼の様子が変わったら——』


 その先を彼女は口にはしなかった。


『まあ、そんなことになったり、或いはメルヘンが結界の中に入れなかった時は、式をそっちに送るから。それを受けてラピュタに戻るか戻らないかの状況判断は、奏に任せるけど』


 ケイトのように分かりやすく感情を示さなかっただけで、リリノもメルヘンの様子を慎重に伺っていたのだ。


(まあ、式が来ないってことは、多分何も問題は起きなかったんだろ)


 リリノとケイトの身が危うい状況に置かれている……なんてことはないだろう。自分が心配をする立場でいられるほど、彼らは弱くない。


「あの、奏さん?」


「ん。店、あったか?」


 花の声を合図に、奏は思考の海に浸るのをやめた。花が示したのは、大通りから逸れた脇道だった。道に入って少し先、そこに小さな立て看板が立っていた。


 そこに書かれている文字は「auf」。


「まだやってるみたいだな」


「あって良かったですねぇ、行ってみましょう」


 やけに弾んだ声でそう言った花を見て、はたと気がついた。そうだ、この少女は、昨日まで森から出たことがないと言っていた。


「お前、ひょっとしなくてもこれが初めての買い物か」


「そうなんです、ずっとしてみたくて……」


 そこまで言って、花ははっと息を呑んだ。弾んだ調子から急におろおろと狼狽え出す。ころころ様子が変わって、見ていて飽きないなと思いながら、奏は花に声をかけた。


「どうした」


「奏さん。私、お金を持っていません」


『幸福の王子』や『マッチ売りの少女』、『裸の王様』。買い物関連の描写のある童話では、どれも品物の対価にお金が支払われている。


「買い物ってお金がないとできないんですよね? あ、でも古代では物々交換も可能だったと聞きましたし、何か手持ちのものを……。ああ駄目です、鞄と本しか持ってませんっ」


「金なら俺が持ってる。ラピュタに畑があっただろ? あそこで作った野菜を一部、アトランティスの街で売ってるんだ」


 野菜は畑で採れる。魚や肉も獲れば良いが、パンや米、生活に必要なものは買わなければならない。財布代わりの小袋を出し示す。軽く揺らせば、金属の擦れる音がした。


「お金とは労働の対価として得られるものだと、メルヘンが言ってました。明日から、畑を手伝わせて下さい、奏さん。あ、勿論それ以外のお手伝いもしますよ、私も、メルヘンも」


「森でも、小屋の隣で小さな畑の世話をしていたんです。任せて下さい」と微笑まれ、「そりゃ頼もしいな、人手が増えるのは助かる」とこちらも笑みを返す。


 そんなことを話しているうちに店の前に着いた。立て看板にこそ「auf(開店)」と記されているが、店の中は薄暗い。


「閉まってる……んでしょうか」


 花はドアノブに手をかける。その瞬間、内側から、ドアが開かれた。がん、と鈍い音が路地に響く。


「〜……!」


 盛大に扉に頭をぶつけた花が、声も出せずに蹲る。不意打ちのあれは痛かっただろうなぁ、となかなかに響いた音と扉の勢いに内心引きながら、奏は花の隣に屈み込む。


「生きてるか?」


「生きてます、生きてはいます……」


 手を貸して花を立ち上がらせたところで、奏は、扉の向こう、真ん丸に見開かれた瞳と目があった。内側のドアノブに手をかけたままの状態から察するに、扉を開けた人物なのだろう。


 ぱち、と瞬いて、瞳の主は漸く事態を把握したようだった。あわあわと忙しなく手を動かす仕草で、身につけているエプロンがひらりと揺れた。


「え、わ、おねーさん大丈夫?!」


 頭ぶつけたんだよね? 冷やす? えっえっ、どうすれば良いんだろう?!


 この場の誰よりもパニックになって慌てている瞳の主を見て、花の痛みは段々に引いていった。『自分より慌てている人がいると、却って冷静になれる』と最初に言ったのは誰だったのか、全くその通りだと奏は思った。


「ごめんねおねーさん! とりあえず入って、今冷やすものを持ってくるから!」


「大丈夫ですよ、もうあんまり痛くないんです」


「……本当に?」


「はい、本当です。それより、あの……もしかして、このお店の方ですか?」


 身につけたエプロンから、店の人だろうというのは察せられた。それでも疑問形になったのは、相手の容姿が原因だった。


 肩上までの触り心地良さそうな髪と、見るだけでもっちり柔らかいのが分かる頰。丸く大きな瞳。愛らしさと可愛らしさだけで形作られた容姿。そして何より、小柄なその体。エプロンを身につけ、扉を開けたその人物は、7歳前後の子供だった。


「そうだけど……もしかして」


 ぱち、と大きな目が瞬いた。


「もしかして、おねーさんたち……お客さん?」


「もしかしなくてもお客さんだな。灯りがついてないようだったが、まだやってるか?」


「ッやってる、やってるよ! 本当はもう閉めようとして、ホールの灯りを落としたんだけど、お客さんなら大歓迎さ!」


 子供は部屋の奥へ駆け出した。薄暗いホールをぱたぱたと駆けながらエプロンを整える。カウンターを潜って、その向こうに子供が立つと同時に、店内に灯りが灯った。


 ショーケースが蝋燭の炎を受けて煌めいた。硝子越しの灯りが陳列された菓子を一層引き立てる。表面が艶めくプリン。アイシングで飾られた花や鳥型のクッキー。ショートケーキは大ぶりの苺がふんだんに乗せられ、その隣、クラシックショコラは粉砂糖が雪のように振りかけられていた。


 カウンターの奥で子供がばっと振り向き、菓子類を誇示するように大きく両手を広げた。ふふん、と笑って、子供は得意気に、嬉しそうに言った。


「いらっしゃい、おねーさん、おにーさん! ボクらのお店の、最初のお客様!」


 ---


「最初?」


「ボクら?」


 ほぼ同時に疑問の声を上げて、奏と花は顔を見合わせた。口火を切ったのは奏だった。


「この店、今日オープンしたばかりなのか」


「そうだよ? だけど、夜になってもだぁれも来てくれなくって」


「開店してることに誰も気づかなかったんじゃないのか、それ」


 店の前に、小さな立て看板がポツンとあるばかり。大通りから逸れた道に立つこの店は、ただでさえ人目につきにくい。殆どの店が閉店しているこの時間に来たから、奏たちも気がつけただけで、訪れたのが昼間ならば大通りの店に目がいっただろう。


「そんなぁ……」


「宣伝すりゃ客も来るようになるだろ。店があること自体を知らない奴も多いだろうからな」


 リピーターになるかは、味次第だがな。奏がそう言ってにやりと笑みを浮かべると、自信に満ちた笑みが返された。


「味には自信があるよ。ボクらのお菓子を一回食べたら、みーんな病みつきになっちゃうこと請け合いさ!」


「それです、その『ボクら』っていうのは?」


 きょとり、と子供は目を瞬かせた後に、ぽんと手を打った。


「このお店、ボクと妹でやってるんだ」


 そして、子供は名を告げた。


「ボクはヘンゼル。これだけ言えば分かるだろ、おにーさん、おねーさん。ボクの妹の名前は、グレーテルだ」


 それを聞いて、奏と花は再び顔を見合わせた。


「そりゃまた、タイムリーな話だな」


「タイムリー?」


「ええと、色々ありまして……。あの、本当に『ヘンゼルとグレーテル』のヘンゼルさんなんですか?」


「本物だよ。ボク以外のヘンゼルに会ったことある?」


 すぅとヘンゼルが眉をひそめた。


「無いですよ。本当にタイミングが良くて、驚いただけです」


「疑うような物言いをしてすみません」と謝罪しながら、花はヘンゼルを改めてみた。エプロンの下に質素な服を着た子供の姿は、確かに童話から得た『ヘンゼル』のイメージに近い。


 サタンやベルゼブブがイメージとは離れた姿をしていただけに、ヘンゼルを見て、初めて物語の人物が、目の前にいると思えたような気がした。


「この店、あんまり“お菓子の家”っぽくは無いんだな」


「お店をお菓子の家にしたら、お腹を空かせた子供達に食べられちゃうかもしれないでしょ」


 内装をぐるりと見渡した奏がそう言うと、ヘンゼルが肩をすくめた。自らも幼い姿だというのに、なかなか大人びた仕草をする子供だった。


 きぃ、と小さな音がした。


「……、」


「グレーテル! どうしたの?」


 カウンターの後ろにある小さな扉が開いていた。そこから半身を覗かせていたのは、ヘンゼルによく似た子供だった。彼と違うのは、丈の短いマントを羽織り、付属のフードを深くかぶることで顔を隠しているところくらいだろうか。背丈も体つきも、双子のようによく似ているその子供を、ヘンゼルはグレーテルと呼んだ。


「……、」


「ああ、そっか。お店閉じてくるって言ったのになかなか戻らないから、心配してくれたんだ」


 ごめんね、とヘンゼルはグレーテルの頭を撫でた。グレーテルも、自分と変わらぬ高さにあるヘンゼルの頭を撫で返す。


「ああ、紹介するね。この子がボクの妹、グレーテル。ちょっと……うん、人見知りでね、喋らない子なんだけど、すごく良い子なんだよ」


「グレーテル、ボクらのお店の最初のお客さんだよ」と、ヘンゼルに紹介され、奏はひらりと手を振り、花は軽く頭を下げる。


「さ、グレーテル。ボクはこっちを担当するから、奥の調理場の片付けを頼むよ」


 こくんと頷いて、グレーテルは扉を閉めた。それを確認して、ヘンゼルは奏たちに向き直る。


「さ、お客さん? 何かお探しのお菓子はあるかい。無いなら、お勧めを紹介するけど」


「アップルパイを探してるんだが……ああ、あるな」


「あるよー自信作だよー! 一口食べたら頬っぺたが落ちること、間違いなしってね」


 ショーケースの三段目、一番下の段の左端から二番目。そこにアップルパイが並べられていた。狐色に焼き上げられた表面が炎の灯りを受けて艶めいている。


「ホール? それともピース? 何人で食べるかにもよるけど、そう多く無い人で食べるんなら、ホールだったらお代わりできるかもよー? 食べたらきっと、お代わりしたくなるよー?」


「へえ? それならホールで頼もうか」


「Alles Klar! アップルパイのホール一つだね」


 包まれたアップルパイを、カウンターの奥から、ヘンゼルが差し出す。受け取る花の横で、奏が値段を聞いた。


「いくらだ?」


「銀貨一枚。本当は銀貨一枚と銅貨五枚なんだけど、初めてのお客さんだからね、割引だよ」


「その代わり、また来てね?」とヘンゼルは笑った。


「そりゃどうも。美味ければ何度だって通うさ、うちには甘党の番人さまがいるからな」


「そうなんですか?」


「そうなんです。ケイトは基本的に量は食わんが、それでも甘い物は、割と好んで食う。んでもって、リリノはなんでもよく食べる、そしてそれ以上によく呑む」


「じゃ、その甘党さんによろしく。お酒好きの人がいるんなら、今度来た時はシュヴァルツヴェルター・キルシュトルテ辺りを買っていってよ。お酒を効かせたやつを作るからさ」


Danke(ダンケ)!」と銀貨を受け取ったヘンゼルが、一瞬考え込むように視線を落とした。


「それから……、そう。林檎を使ったお菓子が好きなら、アプフェルシュトゥルーデルも作るよ! だから、だからね、また来て欲しいな」


 懇願するようにヘンゼルが言った。必死な様子を見てとって、花は奏を見た。きっとヘンゼルたちが作ったお菓子は美味しいだろう。頼まれずとも、ショーケースの中のお菓子を食べてみたいと思った。奏はヘンゼルを見てどう思っているのか、気になった。


 奏は、頼み込むような調子のヘンゼルを、何も言わずに数秒見つめていた。


「来るよ、また」


「ほんとにっ?」


「菓子は美味いんだろ? それに、ああ。ヘンゼルとグレーテルの作った菓子なんて、そう食えるもんじゃない。あれこれ話してみたいし、聞いてみたいんだ。こんなに面白い菓子屋、他に無いだろ」


ぱち、と瞬いて、ヘンゼルは赤らめた頰を膨らませた。


「何それ、何それー! お菓子が美味しいのは保証するけど! 何だよもー、僕に会いたいならそう言えばいいのに。ボクに会いに来るのはいいけど、ちゃんとお菓子も食べてってよね!」


「若干、曲解されてるような気がするんだが……。その反応の大きさは面白いよ。お前もそう思うだろ、花」


「面白い……というか、可愛いなぁって思います。可愛いですよ、ヘンゼルさん」


 むー、とヘンゼルは更に頰を膨らませる。ああいうの見ると、突っつきたくなるんだよなぁ。なんて思いながら、奏はひらひらと手を振った。


「じゃ、な。次はお前のお勧めを買いに来るよ」


「さっきの……アプフェルシュトゥルーデル、食べてみたいです。グレーテルさんにもよろしくお伝え下さいね」


「まあ、また来てくれるならいいけど。気を付けて帰ってね、おにーさん、おねーさん。Auf wiedersehen!」


 カウンターの奥で満面の笑みを浮かべるヘンゼルに見送られて、店を出る。


「帰りましょうか、奏さん。……メルヘン、大丈夫でしょうか」


 小さな声で親代わりとも言える男を案じる花に、奏は「大丈夫だろ」と告げた。


「何かあれば、リリノが式を寄越すって言ってたからな」


『花とメルヘンを離してみたい』という言葉には触れず、そこだけを花に教える。


「式が来ないってことは、何もなかったってことだ。今頃三人で食事の支度でもしてくれてるんじゃないか」


「それなら、早く帰って手伝わないと。行きましょう、奏さん」


 ぱっと明るい顔をして、花は歩き出す。その背を追おうと足を出しかけて、ふと、店を振り返る。既に店内の灯りは落とされていた。


『ヘンゼルとグレーテル』が営む菓子屋なんて、箱庭でしか訪れられないだろう。店名の記された小さな立て看板が、大通りから差し込む灯りに照らされていた。


 その店の名前は。


「『Hexenhaus(お菓子の家)』、か」


 店を見上げる。こじんまりとした白い壁の小さな家は店名と違い、お菓子で作られたものではなかった。花が迷宮に呼び出した“お菓子の家”の方が、店名通りだ。


「奏さん?」


 既に路地の出口、大通りと交わる地点に辿り着いていた花が、振り返って奏を呼ぶ。


「ああ、今行く」


 今度こそ振り返らず。奏は、花とともに、この箱庭世界での家——ラピュタ“ガーディアンズ”への家路を辿った。





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【一章 魔王の試練】

一章「魔王の試練」編、完結です。

長かった、序章+一章で10万字近くになるとは思ってなかったです。


暫くは、頂いたアドバイス等を参考に一章の手直し、そして二章の細かい設定を調整したりする予定です。二章連載開始まで間が空くかもしれませんが、繋ぎも兼ねて、一章アフターのような短編を二話投稿する予定です。奏とケイトの話、そしてサタンが召集をかけていた円卓の話。お付き合い頂けましたら幸いです。


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二章は、今回登場した新キャラクターたちにもたくさん登場してもらいます。


とある並行世界の、二人のきょうだいの物語。


二章「ヘンゼルとグレーテル」編、よろしくお願いします。

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