アップルパイ
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「結論としては、ですね。私とマスターは、この箱庭に残ります」
「……そんなわけだ。いつでも聞ける。急く必要はないし、何をしたところでこの男は、己が話すと決めた時まで話さんだろう。……そういうところが似ている知己がいてな、この手のタイプの思考は読みやすく、読みにくい」
深々とサタンはため息をついた。
「その男を連れてさっさと帰れ、ガーディアンズ。……ああ、番人。貴様らのラピュタにはアレがあるだろう。その男を試してみろ。そうすれば貴様も、一先ずは溜飲を下げることができるだろう」
「アレって……」
首を傾げるケイトに対し、奏は納得したように頷いた。
「ああ、確かに。……ケイト。お前が、俺や花——招いてもいないのに境界に訪れた俺たちを信用した、最たる根拠ってなんだ?」
「根拠って、そりゃ、災いや害意あるものを弾くリリノの結界が反応しなかったから……、ああ、そうか」
「その結界をメルヘンが通れたなら、こいつは害意を持っていない、つまり身内に加え入れても問題ないってことになるよな」
「そう……なるのかな。え、なるかなこれ……」
「俺たちを信用した根拠が結界なら、いくら言動が胡散臭くたって、それがメルヘンに適用されない理由はないよな」
「奏が俺を丸め込もうとしてる……」とケイトは頭を抱えた。
「胡散臭い……ですかね、私。まあ何と言われようと気にはしませんが、しかし、何故貴方は、私をそこまで怪しまないんです、奏さん?」
「全く怪しんでないってわけじゃあないんだが……何でだろうな。話に聞いた時は割と怪しんでたんだが、実際に会ってみてからは、何故かお前を信用しても大丈夫だと思える」
「……そう、ですか。まあ信用していただけるのはありがたいことです」
リリノが軽くケイトの背を叩いて、立ち上がった。
「いつも以上に結界に気を回すよ。普段の倍の倍くらい精度を高くするから、連れて帰ってみよう、この人」
そうしてケイトの側に寄ったリリノは、ふと、床に転がる二つの林檎に目を止めた。
「……アップルパイ」
「は?」
「そういえばケイト、今日のおやつにアップルパイ作るって言ってたよね」
「え、いや言ったけど。でも今からは流石に……」
何の話だ、と呆れ顔のサタンは、後ろに控えるベルゼブブに密かに指示を出した。
「……円卓に召集をかけておけ」
「ええ、はい。日取りはいつに致しますか?」
「この後直ぐで構わんだろう。時間を持て余している奴ばかりだからな、あそこは」
「では、そのように」
ベルゼブブは静かに部屋を出て行った。
「ベルゼさん、どうかなさったんですか?」
「こちらの用事だ。気にするな、娘」
「花ちゃん!」とリリノに呼ばれ、花の意識はそちらに向く。
「そんなわけなので、メルヘンをうちに迎え入れることになりました」
「まだ結界を通れると決まったわけじゃ……」
「よーし分かった、言い方を変えよう。メルヘンを多分、うちに迎え入れることになりました」
「変わってないな、それ」
奏の言葉に、一瞬リリノがむぅと眉を寄せる。だが、基本的にリリノの負の感情は長く持たない。
「まあ、良いか。えーとね、新入りさん……これは花ちゃんも含めてなんだけど、新しい仲間が二人出来るわけだ。なら、お祝いしないわけにはいかないよねぇ。お祭り大好きジャパニーズな神さまの血が騒ぐ!」
「ジャパニーズなら、せめてまともな日本語で話せ」
奏からの二度目の突っ込みは完全にスルーである。『神霊というのは得てしてフリーダムなものである』というのは、世界中の神話で証明されているのだった。
「お祝い、お祭り……ということは、ご馳走がいるよね」
「そ、そう……ですね?」
リリノの勢いに押されながら、花が繰り返し首を縦に降る。リリノはビシッと床の林檎を指し示した。
「だけど、今からご馳走を作るとなると時間がない。さて、どうするか。……そこで、アップルパイだよ!」
「それ、毒林檎ですから。調理しても食べられませんよ?」
「これは食べないよ。つまるところだね、アップルパイを買ってきて欲しいのですよ、奏くん」
「俺かよ」
「私とケイト、それからメルヘンは、ラピュタに先に戻って、メルヘンが結界を通れるかを試す。その間に、奏と花ちゃんにアップルパイを買ってきて欲しいんだ」
結界でのテストが済んだら、3人でご飯作って待ってるよ。そう言って笑ったリリノを、ケイトが見た。
「メルヘンが結界を通れる前提の話になってるけど。通れなかったら?」
言葉は返さず、笑みを深めることでリリノは答えた。それを見て、ケイトはわずかに肩をすくめた。
「……了解」
「他のみんなもそれで良い?異論があったら三つ数えるうちに申し出てねー」
ひい、ふう、みぃ。
三秒かからずに数え終え、「けってーい!」とリリノが声を張った。
「それじゃ、行こう!」
促され、それぞれが立ち上がる。
「漸く帰るか。……まあ、精々盛大に祝うが良い」
「お世話になりました、サタンさん。本当に、色々と」
花が頭を下げると、サタンは小さく笑った。
「言っただろう、これも仕事だ。まあ、再開はそう遠い先のことではないだろうさ。用向きが出来ればまた呼びつける。その時はさっさと応じろ。そして、手早く用を済ませるのに協力してもらうぞ」
感謝を込めてもう一度頭を下げると、「ほら、さっさと行け。この後も仕事があるんだ」と声がかけられた。
ケイトが扉を開けた。部屋を出る瞬間、一度だけサタンと視線を交わらせる。
「……ありがとう、サタン。また、ね」
「ああ。……こちらのことは気にするな、好きにやれば良いさ」
「ん、ありがと」
互いにだけ通じる短いやり取りの後にケイトは部屋を出た。ケイトに促され、花がその後に続く。主が部屋を出るのを見て、メルヘンは軽く、サタンに会釈をした。それを見て、サタンはふんと鼻を鳴らす。
「色々と、お世話になりました——魔王陛下?」
「やかましい。配下で無いものに『陛下』だのと呼ばれるのは好かん」
ぎらりと、サタンは対の紅玉を煌めかせる。メルヘンが指を鳴らすと、床に転がっていた大小2つの林檎は、跡形もなく消え去った。くすりと笑って、メルヘンは主の背を追う。
「世話をかけた。ありがとな、サタン」
「この場を設けてくれて助かったよ、ほんと。じゃあね、アスタ・ラ・ビスタ、サタン!」
「極東の神霊がそれで良いのか」
苦笑いを浮かべながら、サタンは最後に部屋を出るリリノと奏を見送った。扉がばたりと閉まる。すぅと目を細めたサタンは、側仕えを呼んだ。
「……さて。いるな、ベルゼ」
それに応えて、何処からともなく、ベルゼブブは己の定位置——即ち、サタンの後ろに姿を現した。
「勿論です、陛下。円卓召集の連絡は抜かりなく。直ぐにでもゲヘナを発てるように、手配は済ませてありますとも」
「ああ——円卓へ向かう。ベルゼ、供をしろ」
王の言葉を受けて、ベルゼブブはうっとりと頬を染めた。幸せそうな表情で、命に応える。
「承りましたぁ。……ふふ、普段の愛らしいお姿も素敵ですが、陛下の本来のお姿は、本当に勇ましく……お仕えできることを幸福に思いますよ」
「貴様はこの姿が本当に好きだな……。まあ、しばらくはこれで通す。いちいち頬を染めるな、慣れろ」
「申し訳ありません〜。それは少々難しいかとぉ……」
頰に手を当て、恍惚とした表情を浮かべるベルゼブブだが、大事の際には彼女ほどサタンの意を汲んで動くものはいない。平時こそサタンの側仕えとして働いているが、彼女はゲヘナで二番目に高い地位を持つ大悪魔なのだ。
「全く……貴様は変わらんな。だが、それが俺には心地良い」
くく、と喉の奥で笑った魔王の瞳が妖しく煌めく。呼応するように、ベルゼブブの瞳も、その紅を濃くした。
「行くぞ、ベルゼ。地獄の果て——深淵まで、俺に従え」
「はぁい、陛下。どこまでも——天の果てであろうと、お供させていただきますわ」
そうして、魔王の執務室に灯されていた灯りは消えた。
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