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P.B.S  作者: 春秋夏冬
一章 魔王の試練
24/36

メルヘン 3

 

 ---


「待って」


 そう言ったのはケイトだった。


()()()()()? そんな事が可能であって良いはずが無い。お前の言った通り、“迷宮のサタン”の物語は、一度終わってるんだ。ならそれは、完全な契約(ギアス)として、箱庭と境界に記録されてる」


契約(ギアス)?」


 唐突に場に出て来た耳慣れない言葉に、花は首を傾げた。横目で様子を伺うが、メルヘンは特に不思議に思っている様子はない。彼はこの言葉について知っているようだった。けれど、箱庭に来る前も後も、自分は耳にした覚えは無い。彼はいつ、どこでそれについての情報を得たのだろう。


契約(ギアス)ってのは、ざっくり言えば、『正しいとされる主軸の世界の同一体(自分)と、平行世界……主軸の世界と異なる歴史を所有する自分との違い』だ。主軸の世界との乖離=契約(ギアス)って感じか」


「箱庭に存在する以上、主軸の世界とは大小違えど異なる点がある。これを、箱庭に存在するものは契約(ギアス)と呼ぶ。主軸の世界にとっての異端が集う箱庭に存在するための、世界との契約。己をどの並行世界の同一体でもなく、()であると定義するための絶対条件。これを失うと、箱庭に存在出来なくなる。箱庭以外に行くあての無い俺たちにとって、それは全存在の消滅に他ならない」


 奏の説明に、サタンが付け加えた。ベルゼブブは、嘆くような声音で過去を振り返る。


「三千年前の“大戦”の折には、いかに早く相手の契約(ギアス)を見抜くかで、勝敗が決していたと言っても良いほどでしたからねぇ……。我らにとって、主軸の世界との乖離性は存在そのものであり、最大の弱点ですから」


「そう……なんですか?」


「あー、そっか。花ちゃんは、奏がどうやって迷宮から出たのか知らないんだもんね」


 かくかくしかじか。要点のみを纏めて、リリノが奏の迷宮攻略を説明した。


「そんなわけで、知らずのうちに、だけど、奏は“迷宮のサタン”の弱点、つまり契約(ギアス)である迷宮を崩壊させていたのでした」


「迷宮から出た時、お前が小声で言ってたの。アレ、もしかしなくても契約(ギアス)についてだったのか、サタン」


「まあな。俺としては、あれ以上、同一体の晒した醜態に関する話をしたくなかったんだ。察せ」


「……そういう訳だから、箱庭にいるものはみんな、箱庭と契約(ギアス)を結んでいる。だって、結ばないと箱庭には入れない。俺は番人として、その契約を何度も何度も観てきた」


 だから、奏と花ちゃんは例外(イレギュラー)なんだ。境界を経由して箱庭に来た二人は、契約(ギアス)を結んでいない。


 呟くように言ったケイトは、メルヘンを睨み据える。


「世界との契約を書き換える方法があるなら、是非教えて貰いたいものだね。二度と出来ないように、対策を施すからさ」


「聞いてなかったんですか? 私はきちんと言ったでしょう、『“本”に記された物語を書き換えた』んですよ」


 返された言葉に、ケイトはぐ、と息を呑む。棘を含んだ言葉の応酬は、更に続くように思われた。抗するようにケイトが口を開く、それを遮ったのは奏だった。


「落ち着け、ケイト。煽られてるのは分かってんだろ。それに乗るのは無益だってことも、分かってるはずだ。落ち着けないなら、()()、言うぞ。......そうするように頼んで来たのは、お前だからな」


 “()()”と曖昧な言葉を奏が口にした途端、ケイトは息を詰めた。黙り込んだケイトを見て、サタンが億劫そうに溜息をつく。


「今はそこまでにしておけ、小僧」


「ケイトが落ち着いたんなら、言う気はないさ。言わなくて済むなら、それに越したことはないからな」


 何の話か分からない、と言った顔の花を見て、リリノは彼女に悟られないように苦い顔をした。出来れば、知らない方が良いだろう。出来れば、知られない方が良いだろう。花にとっても、ケイトにとっても。知っても、知られても。誰も徳などしないのだ。


「お前も煽るような物言いは止めろ、メルヘン。番人の役目と、それに関わる事柄については敏感なんだよ、ケイト(こいつ)は」


(怯えてるようにすら見えるレベルで、な)


 奏は、心中(しんちゅう)でそう零す。それを表に出すことはしないが、恐らくはリリノも、似たようなことを考えているだろう、そう思った。


「あー……とにかく。契約(ギアス)云々の話も聞きたいんだが、その前に、だ。メルヘン、俺の質問に答えろよ」


「質問、とは?」


「あの“本”が何なのか——お前がさっき話したのは、『本が何で構成されているか』だろ。それもまあ聞きたかったんだが、俺が一番聞きたいのは『本が何なのか』だ」


「ああ、」


「その事ですか」と呟いて、メルヘンは幽かな吐息を漏らした。誤魔化すつもりも、はぐらかすつもりも無かった。ただ、こうして聞かれなければ、先程答えた以上のことを言うつもりも無かった。


 聞かれてしまったのなら、答えよう。


「——魔道書……“ヴィヴリオ・マギアス”。今はただ、『魔道書』とお呼び下さい」


「……サタン、さっきお前、『魔道書(グリモア)の類では無いようだが』とか言ってなかったか?」


「撤回するつもりは無いぞ、アレは魔道書などでは無い」


「サタンの言葉は正しい。近しい存在の名を借りているだけですよ、真なる名は別にあります」


 今は言う気はない。言外にそう告げられて、奏はすぅと目を細めた。一度そうと決めたなら、どれほど追及しようが、どんな手段を用いようが、眼前の男は口を割らないだろう。


「魔道書には、魔術を行うための手引書という意味もあります。広義に解釈すれば、魔術とは神秘を操る(すべ)。マスターがこの本を通して神秘を操るならば、“魔道書”は、仮の名称として、これ以上ない程に相応しいでしょう」


 落ち着いた声音で流れる口上を聞きながら、奏はある言葉に引っ掛かりを覚えた。メルヘンの言葉を思い出す。契約(ギアス)を書き換える術を、彼は“アポ・メーカネース・テオス”と呼んだ。そして、本の仮称は“ヴィヴリオ・マギアス”。どちらもギリシャ語だった。


 “アポ・メーカネース・テオス”はラテン語の“デウス・エクス・マキナ”。“ヴィヴリオ・マギアス”はフランス語の“グリモア”。ギリシャ語より、それぞれラテン語、フランス語の方が一般的に使われているだろうに、何故わざわざギリシャ語で揃えたのだろう。


「メルヘン、お前……いや、お前と(マスター)は、ギリシャに縁があったりするのか?」


「ギリシャ……ですか?」


 花の頭には、丸太小屋にあったギリシャ由来の書物がパッと浮かんだ。逆に言えば、それしか浮かばなかった。膨大な地域、言語に縁のある本が集められたあの小屋では、特にギリシャ由来の書物は珍しいものでは無い。詰まる所、花には特段心当たりはなかった。


「ギリシャが、どうかしたんですか?」


 メルヘンもまた、首を傾げていた。特に表情に変化は見られない。花は喜怒哀楽を思ったまま表に出すが、この男は真逆だと、奏は思った。本当に心当たりが無いのか、はぐらかしているのか、掴みきれない。『内心を表に出さず、常に胡散臭い笑顔を浮かべている』というのが、奏の中での、メルヘンの評である。


「……いや、何でも無い」


 彼が内心を繕っているのであれば、これ以上の追求は無駄だろう。一先ずは置いて、気に留めておけば良い。


契約(ギアス)の書き換えは、その魔道書の力の一部って言ってたけど、それは?」


 リリノは、隣に座ったケイトを気にかけながら口を開いた。彼は、感情を堪えるように、きつく拳を握りしめていた。どう声を掛けたものか、そう思案しながら、メルヘンの返答を待つ。


「見たでしょう、あの“お菓子の家”を。この魔道書の本質は、“記録”です。あらゆる並行世界、そしてそこから箱庭へ至った者たちの物語を記録するのが、本質であり役割と言える」


 そして記録は、再現されるためにある。


「あの“お菓子の家”は、マスターが咄嗟に思い出した『ヘンゼルとグレーテル』から呼び出されました。今は亡き、とある並行世界の物語の記録を再現する——そうですね、実演しましょうか」


 マスター、とメルヘンは主に呼びかける。


「マスターの好きな物語を教えて下さい。童話でも、神話でも、何でも構いません」


「好きな……」


 そう呟いたっきり、花は黙り込んだ。好きな物語を一つ上げようとすると、迷う。駄目だ、書庫の中の本を一つずつ思い出していては、日が暮れる。どれも好きなのだから、決められない。


 最近呼んだ、或いは読もうとした本はどうだろう。『ヘンゼルとグレーテル』は、除外するべきだとして。……ぱっと浮かんだのは、『白雪姫』だった。『創世記』よりも前に思いついた、林檎の出てくる物語。ああ、そういえば、森の小屋に残してきたアップルパイはどうなっているのだろう。


「……あの、マスター? そこまで悩まないで下さい。『好きな本を一つ』だなんて、マスターなら絶対に悩まれることは、考えなくても分かることでしたのに……私のミスですねぇ、これ」


「ああ、いえ。大丈夫です、決まりました。アップルパイ……じゃなくて、白雪姫なんて、どうでしょう」


 アップルパイ? とメルヘンは首を傾げる。アップルパイの下りを昨日耳にしていた奏たちは、花の思考の流れを察して苦笑した。


「ええ、と。白雪姫ですか、では、そうですね……」


 ぱちん、とメルヘンは指を鳴らした。僅かに遅れて、ことんと軽い音が続く。


「おお、」


 感嘆か、驚嘆か、どちらともつかない声を上げて、奏は机の上に現れた()()を見た。


「林檎……毒入りですか、これ?」


「毒入りですとも。食べないで下さいね、マスター」


 軽快な音とほぼ同時 。机に現れたのは、大ぶりの林檎だった。見かけこそ普通の林檎だが、『白雪姫』という作品に応じて出されたのであれば、その特異性に察しはつく。即ち、食べたら、死ぬ。


「この本に記録された、とある並行世界の『白雪姫』の物語。その作中に登場する林檎を呼び出したわけです。もちろん、他の物語でも同じことが出来ますよ」


 そこで、メルヘンは少し息をついた。再び口を開く前に、主を見る。その眼差しは、どこまでもあたたかく、優しいものだった。


「……マスター。これが、この本の最たる機能です。そして、貴女も同じことが出来る。あの迷宮で、“お菓子の家”を呼び出したように」


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