再会
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「......来て、くれたんですね」
掠れた声が、花の口をついて出た。「会いたかった」と零し、彼の名を呼べば、そっと瞳が細められた。
「メルヘン」
「ええ、来ましたとも。......あなたが『来い』と意思を込めて私の名を呼びさえすれば、何時何処にだって、私は行けますよ」
呆れたような声音で、けれど口元に笑みをたたえて、メルヘンは言葉を続けた。
「全く......マスター、あなたという人は......。私に『来て欲しい』と願うのでは無く、探そうとするとは思いませんでしたよ。まあ、ある意味たくましく成長したのは、喜ばしいことですが」
その言葉に、花ははっと目を見開いた。そうだ、彼は『呼ばれたからここにいる』と言った。そして、花に対して『探しましたよ』とも。花が元いたあの森、あの世界の行方を彼は知っているのだろうか。
「あの、メルヘン......?」
それだけで、彼は、花の言いたい事を察したように頷いた。
「ええ、まあ、私に聞きたいことがあるのは分かります。マスターだけで無く......私たちを見ている彼らも、きっとそうでしょう?」
くす、と笑うメルヘンが何を言っているのか、一瞬分からなかった。間を置いて理解し、そうして花は息を呑む。何故、サタンや奏たちが見ている事を知っているのだろう。『誰が見ているのか』までを察しているのかは分からないが、少なくとも『誰か』がこの場所を見ている事を、彼は知っている。
「ふ、はは。面白い。随分と生意気な口を聞くなァ、貴様」
威圧感のある低い声が、迷宮に響く。己の執務室からここを眺めているのだろう、迷宮の主からの干渉だった。
「サタンさん?」
「全く、本当に貴様含め、ガーディアンズの連中は厄介ごとに好かれるようだな」
花の呼びかけにそう答えて、深い溜め息を零した割に、サタンの声音には愉快そうな笑みが混じっていた。それでも、その声で、言葉で、彼がこちらに与える圧の重さは変わらない。
ああ、と息を漏らしたメルヘンが口を開いた。
「あなた、“サタン”なんですか。なら、この迷宮の正体も絞れるというものですねぇ」
「そこが“迷宮”であることも把握済みか。はは、貴様の正体についての俺の推測は、どうやら当たっていたようだなァ」
「勘がよろしいようで。......ええ、きっと当たっているんでしょうね、魔王サタン?」
二人の会話の意味を理解出来たのは、執務室にも迷宮にも、当人以外はいなかっただろう。サタンの後ろで笑みを浮かべているベルゼブブは、その枠に含まれないだろうが。
「......貴様、色々と訳知りのようだな」
「ええ、ええ。まあ、聞かれれば話しますよ、お話出来る範囲では、ね? ですが、それにこの場所は相応しくない。そうでしょう?」
「はっ、言うではないか。ならば、そうだな。一先ずは、娘と貴様が迷宮から抜け出る様を眺めるとしよう。こちらへ戻ってきた暁には......なァ?」
挑発の応酬のような会話を終えると、サタンは口を閉ざしたようで、迷宮は再び静まり返った。静けさを払うように、薄く笑みを浮かべたメルヘンが口を開いた。
「さあ、マスター? 今やるべきことは、もちろん一つです」
この迷宮から出ようと、メルヘンがそう言っているのは分かる。けれど、どうやって。ちらりと、視線を悪魔へ向ける。お菓子の家の下敷きになった悪魔の唯一見える指はぴくりとも動かない。絶命、と言えば良いのか、あれに命が存在するのかは分からないが、それに近い状態なのだろう。可愛らしいお菓子の家に潰された哀れな姿からは、脅威は感じられなかった。
いや、待て、そうだ。そもそも、このお菓子の家は何なのだ。メルヘンは呼んだが、家を呼んだ覚えは無い。この家に命を救われたと言っても過言では無いだけに、気になった。
「メルヘ、ンんんっ?!」
口を開きながら立ち上がろうとして、花は再び、盛大にすっ転んだ。転んだというか、座った状態からべしゃりと倒れた。足に絡まった『アリアドネの糸』擬きを忘れていたのだ。今度こそ呆れ顔でメルヘンが溜め息をついた。
「......少し待ってて下さい。動かないで下さいよ、絶対に」
言い残して扉の内側に引っ込み、再びメルヘンが顔を出した時には、本の代わりに、小型のナイフが握られていた。すぅと花の傍らに跪き、絡んだ糸を切り解いていく、その姿を見て、花はそっとメルヘンの頬に手を添わせた。
「......? 何です、マスター?」
「いえ、何というか......本物だなぁって、思いまして」
「当たり前でしょう。......あなたがあなたである以上、私は私であり続けます。私は、そういうものですから」
ああ、喋り過ぎましたかね。発した言葉を誤魔化すように、くすくすとメルヘンは笑う。
「さて、と。解けましたよ、マスター。立てます?」
差し出された手を取り、花は立ち上がる。メルヘンの後ろにあるお菓子の家を、彼越しに見つめると、また、くすりと笑われた。
「気になるなら、入ってみれば良いんですよ。これはあなたのものなんですから」
「私の?」
「ええ。私を呼んだ時、同時にヘンゼルとグレーテルを思い出したでしょう? あの小屋で、最後に読んだ影響で、記憶に残っていたんでしょうかね。だから、私はあなたの意思に応じて、この家を伴って呼ばれたんです」
メルヘンに促され、扉をくぐる。名の通り、内側の壁も全てお菓子で出来ていた。甘い匂いに満たされた部屋の中央には、一台の机。そしてその上には、あの本が置いてあった。開いた状態で置かれたそれを、そっと持ち上げる。かけられていたはずの錠は、また、消えていた。
「マスター、私はあなたに呼ばれてここにいます。そして、この家を呼んだのも、あなたなんです」
背後から聞こえた声に振り返る。メルヘンは一度、花が手に取った本に視線を落とした。
「“本”の所有者はあなたです、マスター。その本の力は、あなたの力。あなたの力が、その本の力」
薄らと笑みを浮かべて彼はそう言った。花が言葉の意味を理解しきれないうちに、彼はまた口を開いた。次は何を言われるのかと、思わず身構えてしまいそうになる。けれど、彼は、花のそんな心中を見透かしたようだった。
「今は、ここまでにしておきましょうか。マスターの理解が追いつかないのも、仕方ない話だと思います。詳しい話は戻ってから、とも言いましたしね」
「戻る、と言われても......」
そういえば迷宮についての考察も半端なままだった。悪魔は倒せたようだが、それでも迷宮の脱出方法は分かっていない。
「簡単な事、その本を使えばいいんです」
丁度いい、と彼は言った。
「マスターに“本”の力の一端を知っていただく、いい機会です」
言いながら近寄ってきたメルヘンは、すぅと開かれたページを指差した。その指を追って、花もページに視線を下ろす。
「全ての物語には終わりがあります。マスター、あなた、本を読み終えたらどうします?」
「どうって、ええと、本を閉じます。面白かったなあとか、読み終わった物語のことを考えながら」
同じですよ。そう言ったメルヘンの顔を見上げると、にこりと笑みを浮かべて、彼はもう一度言葉を繰り返した。
「同じなんですよ。この迷宮が生まれた所以は、とある並行世界の“サタン”にある。ここそのものが、彼の物語なんです。それを終わらせるには、ただ、本を閉じれば良い」
淀みなくすらすらと、メルヘンの口から言葉が流れ出る。どう聞くべきか、切り出し方に迷っていた疑問を、彼の言葉を聞きながら考えた末に、花は単刀直入に尋ねることにした。
「何だか随分、私の置かれている状況と、この迷宮について詳しいみたいですが......どうして知っているんです?」
「ああ」と、彼は小さく息を漏らした。
「マスターの身に起きたことは、私も感じ取れるんですよ。......ああ、首をかしげたくなるのも仕方ないと思いますが、この件についての説明も執務室に戻ってからで構いませんか? 多分、長くなります」
今は、とりあえず私を信じて動いていただけませんか。そう言われては、それ以上問いを重ねることは出来なかった。
メルヘンの行動には不思議な点がいくつもある。けれど、十六年共に過ごしてメルヘンを見てきた花には、どうしても、彼の行動に悪意があるとは思えなかった。だから、今は、彼の言葉を信じて動く。
こく、と頷けば、それを目にしたメルヘンは安堵したように目を細めた。
「では、マスター。先ずは、あなたの考察を聞かせていただけますか? 勿論、この迷宮についての、ですよ」
促されるままに花は口を開く。曖昧なままに固まっていなかった迷宮についての考察だが、先ほどまでよりは自信を持って話せた。メルヘンが口にした『並行世界のサタン』という言葉に背を押されたのだ。
“迷宮のサタン”とでも呼ぼうか、彼が自らの世界を並行世界へ変えた経緯。そして箱庭での争いで“魔王サタン”に敗れ、力を取り込まれたことで、この迷宮が存在するのでは、という考察を話し終えると、メルヘンは数度手を打ち鳴らした。それが拍手だと気が付いたのは、メルヘンが「お見事です、マスター」というのを聞いてからだった。
「ええ、本当にお見事です、マイマスター。正解、といえば喜んでくださいますか?」
「正解を知っているんですか?」
「知っていますとも。だって、それはこの“本”に記されているのですから」
『この本』と言いながら、開かれたままの本をメルヘンは示した。ばっと本に視線を落とすが、勿論本は白紙のままだ。ページをめくってみても、文字など一つも見当たらない。
「“文字”という形ではなく、“記録”として。その“本”にはあらゆる事象が記されます」
「それは、どういう......」
その意味を問う前に、メルヘンは唄うように、軽やかに、言葉を続けた。
「さあ、マスター? 先ほど私はこう言いました。『物語を終わらせるには、ただ、本を閉じれば良い』と。今、あなたは『迷宮のサタンの物語』の顛末を、本の最後のページを読み終えました。“迷宮のサタン”は、あなたの呼んだこのお菓子の家によって倒された。それが彼の物語の結末となりました。ならば、することは一つだけ」
本を読み終えたら、どうするか。
問いに答えた、その通りの行動をすれば良いのだと、目の前の男は言った。
どくりどくりと、脈打つ心臓の音が聞こえるような気がした。手には知らずのうちに力が篭る。震えそうな手を、心を抑え込んで、花は、そっと手を動かした。
本を閉じる。
何が起こるのか、無意識のうちに体を強張らせながら、自分の手の動きを見つめた。ぱたりと音がするのと同時に、本を見つめ続けて開きっぱなしだった目が、瞬きを要求した。
眩い光も、先の見えない闇も、何も訪れなかった。ただ瞬いた、それだけのうちに、事は済んでいた。
瞬く前に見えていたのは、迷宮の薄暗い壁と、再会を何より願っていた大切な人。
瞬いた後に見えたのは、そう長く離れていたわけではないのに、懐かしさを覚える魔王の執務室。
目の前にはソファに座った“ガーディアンズ”、そしてその奥の机にはサタンとベルゼブブ。壁を背に、花は魔王の執務室へと戻って来ていた。
そこで、何かが動いた。
とす。風を切る音の後に聞こえたのは、軽い音。それは、花の耳の少し上で鳴った。音のした方に視線をやると、すぐ隣に立っていた男の首筋のわずか横の壁に、細長い金属が突き刺さっていた。
「おやまあ、境界の番人様は随分と気性が荒いようでいらっしゃる」
すらりと伸ばした二本の指で、メルヘンは己の首筋ぎりぎりに刺さった長い針のようなそれを、壁から引き抜いた。僅かでも針の軌道がずれていれば命を落としていただろうに、変わらず薄く笑みを浮かべている様は、状況にそぐわず、違和感すら覚えてしまう。
「......今のは、わざと外したんだ」
言外に当てることも出来たのだと告げたのは、花にとっては恩人とも言える人だった。ソファから身を起こした彼の指には、メルヘンが抜き取ったものと同じ針がいくつも挟まれている。
「お前が“メルヘン”なんだろう? どうやら、色々と事情を知っているみたいだし、境界から観測出来なかった世界のこと含め、知っている事は全部、」
メルヘンを睨むように見据える、彼は一体誰なのだろう。そう思ってしまいたくなるほどに、花の知っているケイトとはかけ離れた様子だった。敵意を通り越した、殺意に近い感情が執務室を満たす。
「そう、全部......話してもらおうか」
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