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P.B.S  作者: 春秋夏冬
一章 魔王の試練
19/36

再演、あるいは 2

 ---


 --少しばかり、時は遡る。


 執務室では、奏とサタンの答え合わせ。一方迷宮の花はと言うと。


 走っていた。それはもう、必死に走っていた。片手には手燭、もう一歩の手には糸を握りしめて、迷宮内をひた走る。後ろからは“攻め手”......悪魔が追って来ているのだから、休むことも出来ない。幸いというかなんというか、悪魔の速度は自分とそう変わりなく、今のまま走り続けていれば、追いつかれることはなさそうだ。だが、そろそろ限界が近い。自分の走るスピードが明らかに落ちてきているのが分かる。


 これは、かなり不味いのではなかろうか。


(さっき思いついた考察......この迷宮がサタンさんの取り込んだ同一体(サタン)の力であるという考察。あの“攻め手”の悪魔は......多分、取り込まれたという同一体?)


 “同一体を喰らった”と語った魔王の姿が頭を過ぎった。「喰らったものがいる場所なら、この迷宮は胃腸......みたいな......?」と一瞬思ってしまったが、それだと自分も食べられた事になってしまうので、それ以上考えるのは止めておくことにする。


 妙に引っかかった“キリスト教”というワード、そこから思い出したのは、床に迷宮が描かれたというキリスト教会。ゲヘナのサタンは、同一体(サタン)殺しのサタンと呼ばれ、殺した同一体の力を得ていること。それを合わせての考察だった。他に思いつかない以上、この考察が合っていると仮定して、物事を考えているのだが。否、考えようとしているのだが、何せ走ることに精一杯で考えを巡らす余裕が無い。


(不味い、ですよねぇ......)


 そう、不味いのだ。何が不味いって、迷宮についての考察こそ済んだものの、迷宮から抜け出る方法については何も思い浮かんでいないのが不味い。このまま走り続けるわけにもいかないし。どうするか。そう考えながら、足を止めないままに振り返った。悪魔との距離を確認しようと思ったのだ。


(......あ、れ?)


 一瞬、視界の端に黒い影が映ったような気がした。驚いて瞬けば、もうそこには、何もいなかった。


 何故。振り向く直前までは、確かに後ろから明らかな敵意と殺意を感じていたというのに。混乱しながら視線を前に戻して、そして、今度こそ息を呑んだ。


 目の前に、それはいた。


「っ......!」


 振り向いた頭を前に戻す反動で、体の軸がぶれて、体勢が崩れる。本来なら運が悪いと嘆く出来事だったのだろうが、今回に限っては違う。


 初撃を避けられたのは、どう考えても運が良かったのだろう。空を切る音を立てて、心臓のすぐそばを黒い影が通り過ぎていった。黒い影のような悪魔の、恐らく腕にあたるのであろう部分。眼前を通り抜けたそれは、するすると本体の方へと戻っていく。体勢を崩していなければ、アレが自分の身体を貫いていたのだと思うと、血の気が失せた。


 いつまでもそこで立ち止まってるわけにはいかない。二度も幸運が起きるとは限らないのだから。踵を返し、今まで進んできた道を駆け戻る。


(一瞬だけ目に映った黒い影......。さっきの考察をもとに考えるなら、あの悪魔は、複数の“サタン”の集合体。複数に分かれることができるのかも知れない)


 後ろを振り向いて花の視界がぶれる、その一瞬だけ集合をを解き、通路の間をすり抜けて、通路の先に回り込んだのでは、と推測する。


(それは......余計に、不味いのでは......)


 だってそうだろう。彼らはやろうと思えば、挟み撃ちだって出来るのだから。


 どうする。どうすればいい。


(迷宮から抜け出すことは一先ず置いておいて、あの悪魔を祓う、それか、せめて動きを封じることを考えるべきでしょうか)


 そろそろ走り続けるのも限界に近い。それが最善だろうと、手段を考える。けれど、息を切らしながら走る、その最中とあっては思いつくものは無いし、考えも纏まらない。後ろに確かな気配を感じて、止まるそうになる足を必死に動かす。


 乱れた呼吸が迷宮内に響く。ぱた、ばた、そんな音も迷宮に響いている。花の足音、そして、ずっと肩から下げたままの鞄が体にあたる音だ。足に絡みつくそれを抱えたほうが走りやすいだろう、ぼんやりとそう思った。


 ばた、と鞄が揺れ、体に当たる。中身が弾み、鞄を揺さぶったいるのだ。硬くて、角があって、四角い。中身は、一冊の本だ。


(そう、だ。この本っ......!)


 天啓が下るとは、この感覚のことを指すのだろう。そう、思った。ぱっと、思いついたのだ。正確に、思い出したというのが正しいだろう。


 境界にて。ケイトにこの本を差し出そうとした時、この本は、眩い光を放った。そしてその時ケイトはこう言ったのだ。


『一瞬だけ、痺れるような痛みがした』


 この本は、花以外が触れようとすると光を放ち、そしてその光は痛みを与える。今、自分が持つ攻撃・自衛の手段になるのはこの本だけだ。


(振り向けば、きっとまた攻撃が来る。その時に、この本でそれを受け止めれば、きっと)


 そうと決めれば、あとはいつ実行するかが問題だ。走って、走って、緩やかに曲がる道の先に、少しばかり開けた場所が見えた。あそこだ。そう決めて、そこまで走り抜ける。糸を手燭と同じ手に持ち替え、空いた手で鞄から本を取り出す。あと少し、もう目の前だ。


(今っ......!)


 通路が開けた、その中央で立ち止まり、振り向く。先ほどと同じように、振り返ったそこには何もいなかった。振り向いたのは頭だけ。先程狙われた心臓の前には、本が確かにあって。きっと、成功する。そう思って、そう信じて、頭を前に戻そうとした。


 ぐっ、と。足を何かに引っ張られた。


「う、わっ」


 引っ張られた? 一体、何に。考える間も無く、体がぐらりと揺れた。


「あ......っ」


 体勢を崩すのと同時に、本を持っていた手が緩んだ。足元に気をとられたからだろうか。そのまま本は、少し離れたところからこちらへと腕を伸ばす悪魔の方へと飛び込んでいく。せめて、悪魔に当たってくれれば。願い虚しく、本は悪魔の足元に落ちる。その光景は、ひどくゆっくりに感じられた。


 情けない声を上げて、盛大に転ぶ。頭上を、また悪魔の腕が通り過ぎるのが見えた。


 悪魔は、本は。どうなったのだろうと、慌てて上半身を起こす。悪魔は足元の本を気にした様子はなかった。そして本の方も、光を放つこともなく、ただ静かに床の上に存在していた。


 半身を起こしたことで、なぜ転んだのかを理解した。その原因が、目に飛び込んできた。


 足に絡まる白い糸。アリアドネの糸を模したそれが足に絡みついていた。糸を手燭と同じ手に持ち替えたあの時、足に絡まってしまったのか。そして、振り向こうと足を止めた時に、地面に垂れていた糸を踏んでしまって、絡まっていた糸が締まって、引っ張られて、転んだのだろうか。


 糸を解かないことには、立ち上がることも出来ない。けれど、目の前の悪魔がそんな時間を与えてくれることは無いだろう。


 どうしよう、どうすればいい。考えようとするが、頭が回らない。だって手元には何もない、手燭と糸と、空っぽの鞄があるだけだ。状況を打開するための何かを、サタンに要求する? 何を要求すれば良いのか。それを考える時間があるとは思えなかった。


 悪魔が、ゆらりと形を変えた。あの“腕”が、また来るのだと分かった。


 逃げられない。糸が絡まった足では立ち上がることも出来ない。


 けれど、諦めて悪魔に襲われることはもっと出来ない。まだ、死ぬわけにはいかない。


 どうすればいい。


 今日、それを考えるのは、何度目か。どうしようもなくて、けれど、どうにかするしか無いとも思って、悪魔を見据える。上半身を動かすだけで、あの腕を避けることは出来るだろうか。


 --来る、と直感した。空を切る音が聞こえる寸前に、身体を横に倒す。何が起きるか分からないのだから、目は閉じなかった。だから、見えてしまった。音に先んじて身体を動かしたのが悪手だったのだろうか、伸びてきた“腕”は寸分違わず、花の心臓を捕らえる軌道を進んでいた。けれど音が聞こえてから行動を起こしては間に合わなかったのも事実。


(最善は尽くした、つもりだったんですが......)


 他に、どんな手があったのだろう。本が手から離れていった時と同じように、こちらに伸びてくる悪魔の手も、酷くゆっくりに感じられた。他にどんな手があったのか。それを考えるのもまた、“if”だろうか。


 伸びてくる“腕”を見ながら、再会したかった“彼”のことを思い出す。再会を諦めたくは無い、まだ、諦めてはいない。死が目の前に迫っていても、諦めることだけは出来ない。だってまだ、ちゃんと伝えられていないのだ。彼が渡してくれた本についての感想を、『ヘンゼルとグレーテル』を読んだ感想を、まだ、伝えていない。


「......メルヘンっ......」


 会いたい。


 けれど、今は会いに行けないから。


 どうか来て欲しい。


 我が儘だなぁ。そう思いながらも、『来て』と願って、彼の名を口にした。



 ---



 “腕”が迫っていた。


 自分の中では酷くゆっくりに思えた、“腕”が届くまでの時間が、終わろうとしているのを見た。刹那のうちに凶腕は心臓へ飛び込んでくるだろう。


 刹那、だ。


 “腕”が届くまでの刹那に、それは起きた。


 出口も入口もない、一本道の迷宮。その通路全てを照らすほどの光が、溢れた。花は、その眩しさに耐えきれず、目を閉ざす。最期まで諦めたくなくて、抗いたくて、せめて目だけは開けていようと思ったのに、それすらも叶わないのか。


 そんな思考が頭に浮かんだのと同時に、強烈な風に吹き飛ばされた。吹き飛ばされたと言っても、ここは迷宮の中だ。迷宮の中では開けた場所だが、すぐに壁に背が当たった。


 けほ、と咳き込む。何が起きたのだろう。悪魔の“腕”に貫かれるかと思えば、今度は唐突な閃光と爆風に襲われた。分かるのは、今、生きているということだけ。


 爆風は収まったものの、まだ迷宮内の空気は揺らいでいる。その揺らぎが、ふわりと甘い香りを花へ届けた。


(あまい、におい...?)


 恐る恐る、目を開ける。


「......え」


 目の前にあるものが、理解出来なかった。


 ふわりふわりと、甘い香りを周囲に放つ。眼前にあるそれは、つい昨日読んだ童話に出てきた()だった。


「これ、は、“お菓子の家”......?」


『ヘンゼルとグレーテル』に登場するお菓子の家。窓は飴。壁や屋根は、チョコレートやクッキー。壁を飾っているのは、クリームやフルーツだろうか。甘い、甘い家が、そしてその中へ入るための扉が、花を歓迎するように、目の前にあった。「何故こんなところに」やら「いつの間に」やら疑問は尽きないが、もう一つ、目に飛び込んできたものがあった。


 扉の下に、僅かに覗く黒い影。まさか、と思うが、その正体は一つしか思い浮かばない。先程までそれに命を奪われかけていたのだから、見間違えるわけがない。“腕”が、そして家の大きさから見て、恐らく悪魔の本体もだろう、“お菓子の家”の下敷きになって、潰れていた。


(なに、が、起きて......)


 混乱の真っ只中、状況を把握出来ないのは仕方ないだろう。だって、さっきまで死にかけていたのだ。だって、だって。さっきまでは。


 かた、と小さな音が聞こえて、花は辺りを見回した。今度は何が起きるというのか。


 音を立てたのは、目の前の扉だった。ゆっくりとその扉が開くのを見て、目を見開いた。


「......探しましたよ。やっと、召喚して(よんで)くださいましたね」


 扉を開けたその人は、一冊の本を手にしていた。


「マスター」


 耳に流れ込んできた声は、一日ぶりだというのに、酷く懐かしく思えた。


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