迷宮
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「試練、ですか?」
「俺の身体能力は有難いことに生まれつきでな。それを聞いたサタンが面白がったんだ」
『人の身に人ならざる力を宿すとは面白い』『貴様の力......この魔王に示す機会を与えると言ったら、どうする?』
主軸の世界から箱庭に訪れた例外は、その身の内に更なる例外を宿していた。仕事ばかりの日々に飽きていたサタンが興味を抱くのも無理はない。サタンもまた、“面白いこと”を何よりも愛していた。
「で、俺は喜んでその誘いを受けた。“試練”なんて言葉を選ばれちゃあ乗らない訳にはいかないだろう。“売られた喧嘩”って訳でも無いしな。あれはお誘い。そうだろ、サタン?」
「おうとも。娘、情報が得たいのなら我が試練を乗り越えろ。さすれば、貴様の求める答えへ近づけるやも知れん」
試練。どんなものなのか分からないが、初めて手がかりを掴めるかもしれないのだ。少しの怯えを無理にでも好奇心と興味で上書きして、魔王の誘いに応じる。
「この好機、逃す訳にはいきません。試練を受けさせてください、サタンさん」
「良かろう」とサタンは悦に入るような笑みを浮かべた。流石に危険過ぎる、と止めようとしたリリノとケイトは口を開きかける、が。
「当の娘が試練を受けると了承したのだ。邪魔立ては許さんぞ、付喪神に番人よ」
紅玉が二人を捉える。一瞬息を詰め、ケイトが諦めたように溜息をついた。
「心底止めたいけど、本人がやるって言ってるんじゃなぁ。だけどサタン、奏の時みたいな無理難題はやめておけよ。......リリノも、それなら納得出来る?」
「ん。仕方ない、ね。......花ちゃん、無茶は駄目だよ?」
「はい。今出来ることを精一杯、ですもんね」
リリノと笑みを交わし合い、花はサタンに向き直る。奏はそれを見て満足そうに頷いた。
目的を果たすためなら多少の無茶は惜しまない。この少女の良い意味での無謀さは、やはり自分と似ている。畑で花と出会う前、奏はケイトに「お前と似た子が来たよ」と言われたことを思い出す。箱庭に訪れた経緯以外でも「似ている」と評されたことに最初は疑問しか無かったが、今なら納得できる。
「それで、私は何をすればいいんでしょうか。というか、奏さんの時は何をしたんです?」
「小僧の時は確か、適当な“迷宮”に放り込んだな?」
「迷宮。......え、迷宮ですか?」
「今回もそれで行くか。演目、舞台が同じでも、演者が違えば異なる物語が生まれるというもの。期待しているぞ、異邦より訪れた娘」
適当な迷宮って、どういうことだろう。理解が追いつく前に、疑問を口にする前に、花の意識は暗転した。
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ゲヘナの中心、魔王の居城。その最奥に位置する執務室から、一人の少女が忽然と消えた。
「うむ、きちんと送れたな」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。急過ぎない? もう花ちゃんを迷宮に送ったの?」
「急くに越したことは無いだろう」
「急いては事を仕損じるって諺があるんだけどね?」
「極東の風習には詳しく無いのでな」
リリノの言葉を魔王はしれっと聞き流した。「そうだこいつ周りの話聞かないんだった」とリリノは思い出すが、ここで黙っている訳にもいかない。
「ちゃんと説明しなきゃ。花ちゃん、今“迷宮”にいるんでしょう?」
ぱちん。サタンが指を鳴らすと、執務室の壁がぼんやりと揺らいだ。ざわりざわりと音のしそうな揺らめきが落ち着くと、白い服を着た少女が座り込んでいるのが壁に映し出された。
「んんっ。あー、テステス。娘、聞こえるか」
「魔王さま、俗世に染まってきてるぞ」
奏の茶々に眉をひそめつつ、サタンは声に反応して辺りを見回す少女に声をかける。
「聞こえているな。そこが“迷宮”だ。貴様の試練は、そこから抜け出すことだ。精々励め」
「サタンさん? あの、もうちょっと説明を......。というか、声だけが聞こえているんですが、皆さんは今どちらに?」
「花ちゃん、聞こえる? 私たちは変わらず執務室にいてね、サタンは君だけを迷宮に送ったんだ。こっちからは君の姿も声も確認出来てて、そっちに私たちの声が届くのは......魔王パワー?」
リリノが言いながら自分で首をかしげる。なんて説明すればいいのだろう。一言で言いあらわせる気がしない。
「ええと、そこも一種の結界というか......。サタン、説明パス!」
「......やれやれ。『俺の所有する結界の中、俺の力で構成された場所であるが故声が届く』とでも思っておけ。『かつて喰らった同一体が所有していた概念世界を、結界という形で擬似的に再現している』というのが一番簡単かつ簡潔な説明だが、それだけでは理解出来んだろう」
時折揺らぐ壁の映像の中で「確かに分からないです」と花は曖昧な笑みを浮かべた。その表情がふと変わる。どこを見て話すべきか分からないというように、きょろきょろと当たるを見回し、とりあえず何となく少し上を向いて口を開いた。
「“迷宮”を踏破することが試練なんですよね」
「ああ。番人の依頼があるからな、小僧の時より少し攻め手は緩めてやろう。貴様はただ出口を求めれば良い」
「攻め手、ですか」
「ああ。まあ、上手くやれば命に関わるようなことはないだろう。というか貴様、突然迷宮へ送られたというのに存外落ち着いているな?」
「色々あって耐性が付いたというか......」
花は少し笑みを浮かべた。笑ってそう言える辺りに花の割と前向きな思考が伺える。
「一つ、聞いても良いですか?」
「何だ」
「私の前と後ろ、どちらにも道はあります。どちらに進めば良いんでしょうか」
「どちらでも。道とは繋がっているものだ。貴様が選び取った方を行けば良い」
「更に言うならば、この迷宮には方角や方向という概念は存在しない」と続いた言葉を口にした時、魔王の紅玉は細められていただろうと花は予想する。
「他に聞きたいことはあるか?」問われ、花は首を横に振った。何かを考え込んでいるのか、少し俯いたその表情から読み取れるものは映像越しでは多くない。
「ならば進め。求めれば、与えられるものもあるだろう。余程聞きたいことがあれば答えてやる。壁に当たるまでまずは励むが良い、娘」
魔王の言葉を受け、花はゆっくりと立ち上がった。
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「求めれば、与えられるものもある」
薄暗い迷宮。花は一人、魔王の言葉を繰り返した。『新約聖書 マタイ伝』に記された一節にどこか似ている。イエスの言葉だっただろうか。「求めよ、さらば与えられん」祈りを捧げれば、神は正しい信仰を与えて下さるといった意味の言葉だが、どうにも引っかかる。悪魔であるサタンがイエスの言葉を口にするというのは違和感があった。
求めるもの。今、求めるもの。
「灯り......?」
手元にあるのは、本の入った鞄だけ。サタンが花を送り込んだ地点は仄かに明るいが、その先は闇で塗りつぶされている。迷宮を形作っているのは、いくつもの石だ。石同士が絶妙なバランスで組まれたそこは肌寒く、薄暗く。丸太小屋の書庫を、花に思い出させた。ここが明るいのは、近辺に密集して生えている光苔のようなもののおかげだろうか。書庫にあった分厚い植物図鑑の1ページ、光苔の項を思い出す。
(この薄明かりを放つものが光苔の類なら、苔がなくても真っ暗闇というわけでは無いはず......。とは言え、どの程度の距離かも分からない迷宮を歩むなら灯りは必須ですね)
光苔はレンズ状細胞が光を反射することで発光する。ならば完全な闇というわけでもないのだろうが、苔が生えているのは精々5メートルほど先まで。今だって、横にある石壁が辛うじて見える程度の明るさなのだ。
サタンの口にした“攻め手”とやらも気にかかる。灯りがなくては何も始まらないように思えた。
ここはサタンの所有する迷宮。ケイトの言葉を思い出す。『力のある術者は、結界の内部を自由に操れるからね』ゲヘナの結界について語っていた彼のいう『力のある術者』にはもちろんサタンも含まれているだろう。
それならば、あの言葉は魔王からの助言では無いだろうか。『求めれば、与えられるものもあるだろう』必要なものを求めれば、与えられるかもしれない。
「え、と。灯りが欲しいです、サタンさん」
手を組んで祈るのはちょっと違うような気がして、とりあえず目の前の光苔に頭を下げてみる。この苔もサタンの魔力で構成されているものなら、そこまでおかしなことでは無いような気がする、多分。
果たして、手燭が虚空より現れた。ゆらゆらと揺れる炎が辺りを照らす。持ち手に触れると、浮いていたそれに重力が宿った。
炎をかざし、道の先を見据える。どちらを向いても、真っ直ぐに続く道は闇の中へ途切れている。どちらが前というわけでも無いのだ。ならば、今向いている方を自分の進む方向と定めて、花は始めの一歩を踏み出した。
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「求めれば与えられる。......気がついて、灯りを得たか。小僧の時とはえらく違うなァ」
「奏は『求めれば〜』って言われた瞬間、灯りを寄越せって言ったもんね。花ちゃんの慎重さを少しで良いから分けてもらいなよ」
「俺は案外慎重だぞ」やら「態度で示せよ」やら、執務室に軽口が飛び交う。花が問いを投げかけない限り、こちらの声はもう届かない。映像の中の花は、ゆっくりと、だが確実に歩みを続けている。花が灯りを得たことで、一先ずリリノとケイトも安堵したようだった。
「灯りが無きゃ、あの迷宮は厳しいよねぇ」
「灯りがあっても中々のものだったぞ。魔王様曰く攻め手は緩めるらしいから、俺の時より多少マシになってるだろうがな。あれ本当に手加減無しだったぞ」
「奏の時も、こんな風に俺とリリノは執務室から見守ってたけどさ。お前ずっと楽しそうに見えたよ。焦ったりしてるようにはとても見えなかった」
「そりゃ楽しかったから当然だな。どうやって状況を打開するか、考えるのも焦るのも楽しみのうちってわけだ」
ところでサタン、と奏が話題を変えた。体を預けていた椅子から身を起こし、魔王の瞳を見つめる。
「結局、あの迷宮は何なんだ」
俺の時には聞けなかったからな。そう言った奏の瞳を見て、サタンは嘆息した。
「貴様なりに考察は済ませてあるんだろう。目を見れば分かる。二年前の答え合わせだ。先ずは考察を聞かせてみせろ」
「御意に、魔王様」
相変わらずの軽口だが、その瞳は確かに未知への興味と二年越しの“答え合わせ”を前に高揚していた。
「“悪魔サタン”が名を残す『旧約聖書』や『新約聖書』。これらはキリスト教の聖典だ」
サタンは特に反応を示さず、奏の考察を聞き続ける。リリノとケイトもまた、奏の考察を聞きながら花を見守る。
「12世紀から14世紀にかけて、そのキリスト教のゴシック建築式教会の床に迷宮が描かれるようになった。有名どころだと、シャルル大聖堂やランスのノートルダム大聖堂辺りだな。迷宮が描かれるようになった理由は諸説あり、俺のいた時代......2000年代でも明らかになっていない」
「ここからが俺独自の考察だが」奏の瞳は一層鋭さを増し、魔王の笑みもまた深まった。
「迷宮が描かれた理由。俺は、教会を襲おうと訪れた悪魔を迷わせ捕らえるためでは無いか、と仮説を立てた」
「......成る程。面白い、続けろ」
「お前が喰らったという同一体は、この迷宮を逆手に取った。わざと迷宮に配下の悪魔を送り込み、少しずつ教会内部を侵食する。そうして迷宮に悪魔が満ちた時、教会を外部からも内部からも襲い滅ぼす」
教会は罠であるはずの迷宮によって滅ぼされる。一つ教会を滅したら、悪魔は次へと向かう。じわりじわりと紙に垂らしたインクが広がるように、ゆっくりといくつもの教会が悪魔の手に堕ちていく。
「そうなりゃ主軸の世界とは完全に外れた道を世界は歩むことになる。俺の知る歴史に、キリスト教会の滅びは存在しないからな。自らの世界を並行世界と変え名を残した悪魔は、やがて箱庭に招かれる。“迷宮”という概念に強く縛られてな」
箱庭に存在するものは、みな奏の知る“本物”からずれ、異なっている。リリノが分かりやすい例だ。奏の知る古事記に、古事記そのものの付喪神など存在しない。
「仮称“迷宮のサタン”とでもしておくか。その悪魔を争いの中で喰らったのがお前だ、“魔王サタン”。お前は“迷宮のサタン”の力を得た。お前の言う“攻め手”......俺が試練を受けた時に迷宮で戦った悪魔、あれは“迷宮のサタン”がかつて教会に送り込んだ配下の悪魔の残滓じゃないのか」
そこまで語り終え、奏は一息つくように茶を煽った。「確かに飲めなくもない」と呟き、カップを受け皿に戻す。再び魔王を見据え、奏は至極楽しそうな笑みを浮かべた。
「以上、俺の考察だ。想像で補った箇所が大分多いがな。答え合わせを頼むぜ、魔王様?」




