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会話のない晩餐を終え、マリーネは部屋へと戻る。
雰囲気は気まずいが、罵倒されないという点ではよかったとマリーネは思う。
けれど…昼間のあの言葉は何だったのだろうか?
真っ直ぐに受け取れば謝罪なのだけれど、マリーネはそれを上手く受け入れることができなかった。
嫌々結婚したマリーネに何故そのような言葉を掛けたのだろうか?
良心の呵責、ね。
マリーネはベッドに腰掛け、ため息を吐いた。
思えば、マリーネは家族の良心の呵責の中で生きてきた。
そして、次は夫の良心の呵責の中で生きるのだろうか。
彼が謝ったとしても、心の無い政略結婚は続いていく。
今日の晩餐の様に何もなく過ごせたらいいけれど…
この結婚に無理矢理縋り付いたマリーネが一概に被害者ぶる訳では無いが、できればお互いに穏やかな結婚生活を送れることを願っていた。
愛人なんて財政が傾かない程度ならいくらでも囲えばいいし、子どもも愛人の子を養子にすればいい。
そうすれば、みんな幸せなのでは?
シリウスは好きな人と一緒にいることができて叔母も立てられる、マリーネは一生安泰で家族も大喜び、と。
一つ難点があるなら、シリウスが好きな人を奥様に選べない所だろうか。
マリーネの胸がちくりと痛む。
トントン
「はい。」
ドアをノックする音が聞こえて、我に返ったマリーネが返事をする。
「私だ。」
その声にマリーネは体を強張らせた。
「…どうぞ。」
目の前に現れた夫であるシリウスがどう動くのか分からず、マリーネは観察するようにただ見つめていた。
「明日休みを取った。少し遠出しよう。」
「…はい、分かりました。」
シリウスの言葉になんだそんなことかとマリーネは安心したが、過去に酷いことをすると宣言したことを思い出してピリッと姿勢をただした。
もしかしたら、何か算段しているのかもしれない。
顔が引き攣るマリーネを目にシリウスはバツが悪そうに苦笑した。
「それではまた明日。」
「おやすみなさいませ。」
そのまま帰っていくシリウスの背中にマリーネは慌てて声をかける。
パタリとドアが閉められ、一人残された部屋の中でマリーネは安堵した。
昨日の続きをされなくてよかったわ。
覚悟はしていても、昨日のあの恐怖と痛みはできれば体感したくないものだった。
☆
マリーネは今まで存在を忘れていた短剣を手に取って見つめていた。
年頃の子女のに持たされるそれは、護身用という名の嫁入り道具である。
肉団子のような風貌の時は何も考えなかったが、今もしかしたらとも思う。
どうせお荷物が死ぬのなら、両家にとっても良いことじゃない。
でも、ただ穢されただけで家に帰されたら?
一応、持って行くかとドレスの中に短剣を隠した。
玄関前には待ち構えていたかのように、シリウスが立っている。
「さぁ、中へ。」
そう言いわれて差し出されたシリウスの手をマリーネは「大丈夫です。」と断り、一人で馬車に乗る。
そういったエスコートは人に見せる時だけでいい。
そんなマリーネの気遣いだったが、周りには気まずい雰囲気だけが残る。
馬車の中に向かい合わせに座り、マリーネは顔を合わせないようにその視線を窓の外に向かわせた。
「今日はどなたかにお会いするのですか?」
昨日たずねることができなかった詳細を確認する。
一応はそれなりに準備をしてきたが、夫人として誰かとお会いするならば心算も必要だ。
「いや…」
「そうですか。」
それならばいいかと、マリーネも話を終わらせた。
マリーネはシリウスのことを嫌いな訳ではないが、どちらかというと関わりたくない。
シリウスが怖いというのもあるが、マリーネ自身が波風が立つのが好きではないようだ。
今まで両親や兄弟の顔色を伺いながら暮らしてきた名残なのだろう。
シリウスもマリーネのことを嫌っているようだし、不要に関わらないことがお互いにとって良いことだとマリーネは思った。
長い沈黙の中で馬車の車輪の音だけが響く。
目的の地に早く着いて欲しいと思いながら、マリーネは時間が過ぎるのを待った。