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マリーネは耳に揺れるピアスに触れる。
心細くて本当はシリウスに触れたいのだが、そんな意気地が無い為に、すこしでもシリウスに近しいものに触れていたかったのだ。
緊張しているマリーネに気がついたのか、シリウスがマリーネの手を取る。
そして、また大丈夫だと言い聞かせるように微笑むのだ。
マリーネは決心したように息を吐いた。
「行こう。」
シリウスに促され、マリーネは歩く。
アイルが待つ部屋へと。
いざ対面したアイルはいつもの明るい表情は無く、気まずい顔をしていた。
マリーネも何から話したらいいのか分からず沈黙する。
「来ていただき、ありがとうございます。」
そんな中シリウスが口を開く。
「いえ、お姉様に会いに来たので。」
アイルはピシャリと言い放ち、シリウスへの嫌悪感は隠さない。
シリウスもそれでも表情を崩さず、話を進める。
「今回のことは君の姉上では無く、私の面目を潰す為だったのです。王女殿下とは確執があり…」
「知ってるわ。こっ酷く振ったのでしょう?」
シリウスの話す前にアイルが話し出す。
今時の女の子であるアイルは事情通でもあり、恋愛ごとに関する噂はすぐに耳に入った。
そして今回のマリーネの噂もアイルにいち早く伝わってしまったのだろう。
何も知らないマリーネはシリウスと王女の間のことに複雑な思いを巡らせた。
「…こっ酷くではありませんが、王女殿下のプライドを傷つけたのは確かです。それ故に妻を傷つけてしまったことは事実です。」
「王女が、ではなく、貴方が、でしょう?間違えないで。貴方はずっとお姉様を傷つけてきた、わかっているのよ!」
「…違うの…私も傷つけてきたの…」
沈黙を破り、マリーネは庇うようにシリウスの前に立った。
「…家族なのに私だけ一人違うようで悲しかった…悲しくて逃げたの、シリウス様を犠牲にして。」
「ちがうなんてそんなことないです!お姉様だって同じ大切な家族よ!」
「そう、家族はみんな優しくて…優しい気遣いが苦しかった…ずっと…みんなが羨ましかったの。」
「お姉様は…」
「心配してくれてありがとう、あと、ごめんなさい、アイル…シリウス様は優しいの。私が見た目のような人間ではないと分かってくれたし、笑顔を向けてくれる…嬉しいの、他人と…シリウス様と分かり合えたことが、人生の中で初めてのような気がして…」
「私たち家族とは、分かり合えなかった、と?」
「ちがうわ。分かり合えていたのだけれども…近すぎる日々に少しずつ苦しくなったのだと思う。特に私は家族しか知らなかったから…他の人に自分のことを理解してもらえるなんて、とても奇跡的なこと、だから大切にしたいの。」
アイルもわかっていた。
何となく姉のマリーネと他の家族に見えない壁があることを。
アイル自身もマリーネにどう関わっていいのか分からなかったのだ。
前々から両親のマリーネに対する余所余所しさを見てきたこともあったし、一人だけ黒い肌、一人だけ肥えた体のマリーネに憐れみもあった。
そしてマリーネが外に出ないことで少し安心していた自分にアイルは罪悪感を持っていた。
しかし、それだけではなく、確かに家族の愛情はあったし、現にこう一緒に洋服を選んだり夜会で友達に紹介する嬉しくてたまらなかった。
過去の全てが無かったことにして、普通に仲の良い姉妹でいられたのなら、と考えていたアイルは自分の浅はかさを笑うように小さく息を吐く。
触らずに上辺だけ仲良しのアイルと心から分かり合えたシリウス、どちらが信頼べきなのかは明白である。
でも、だけど、とアイルは自分の拳に力が入る。
「…お姉様が不幸になるのは嫌だわ…」
アイルが風邪を引いた時、暗いのが苦手で眠れない時、夜中にこっそりと抜け出して手を握ってくれていたのはマリーネだった。
お気に入りのドレスにシミを付けてしまった時、部屋の中で懸命にシミ抜きをしてくれたのも、友達と喧嘩して愚痴を聞いてくれたのも、意地悪されて泣いた時慰めてくれたのは全部マリーネだった。
ずっと幸せになって欲しいと心から思っていた。
自分だって踏みにじっていたくせに、他の人が姉であるマリーネを踏みにじるのは嫌なんて、都合のいいのは分かっている。
分かっているけれど、幸せになって欲しい。
「…彼女が…君の姉上が不幸にならないように何としても努力する。今回は私といることで不幸にしてしまったけれど、それ以上に幸せにしたいと思っている。」
まだ、少し頼りなさげに聞こえるシリウスの言葉だが、マリーネを幸せにしたいと思う人間が家族以外にできたことにアイルは安堵と少しの敗北感を感じた。
アイルや他の人間にはにはできない、マリーネの幸せがあることをアイルも知っている。
マリーネとシリウスが示し合わせたように顔を合わせた時、マリーネは確かに幸せそうだった。
家族から一歩引いた状態だったマリーネが堂々と二人寄り添い合うような姿に、アイルは手のひらの力を緩める。
「…お姉様を不幸にしたら許さないから…」
アイルはポツリと呟き、いつものようにマリーネの胸に飛び込んだ。
「必ず幸せになって…お姉様。」
「ありがとう、アイル。」
アイルを抱きしめ返すマリーネの指はとても細いけれど、幼い頃と同じようにとても温かった。




