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久々のお出かけの帰りは楽しかったからこその名残惜しさを感じながら、マリーネとシリウスは屋敷へと戻ってきた。
ドアを開ければ、マリーネを歓迎しない屋敷が待っている。
シリウスの手を握るマリーネの手に力が入る。
しかし、マリーネが馬車から降りて待っていたのは、使用人ではなく、マリーネの妹、アイルだった。
「お姉様!」
大好きな妹に会った喜びを感じ前にマリーネは戸惑ってしまう。
マリーネを呼ぶアイルの声と表情が怒りに満ちていたからだ。
「…アイル?…どうして…?」
アイルはマリーネの問いに答えることなく、つかつかとマリーネに歩み寄ってマリーネの手首を掴んだ。
「帰りましょ!こんなところにお姉様は置いておけないわ。」
ようやく開いたアイルの口からはその言葉だけが発され、手は力強くマリーネの腕を引っ張っる。
マリーネよりも背の低いアイルだが、痩せたのが祟ったのかマリーネはいとも簡単にバランスを崩してその場にしゃがみ込んでしまった。
先のお茶会で噂がまわっていることは何となくマリーネも分かっていた。
そしていつか家族の耳に入ることも。
ついにその日が来たのだ。
「…アイル…私は帰らないわ。」
マリーネの答えは決まっていた。
「何で!お姉様!こいつはお姉様に…」
「もう、いいの。」
「でも!」
「…いいの。私はシリウス様を信じてる。」
「そんな…」
「…それに…あの家に私の居場所はないの…ないのよ…」
「そんなこと…」
言葉の続かないアイルにマリーネは微笑みかける。
マリーネもアイルが本当にマリーネの居場所が無いから黙り込んだのでは無いと知っている。
けれど、黙り込むアイルの姿にマリーネが実家に居られない理由すべてだ。
前の様に罪悪感と困惑の混じった笑顔を浴びることはもうマリーネにはできない。
実家の自分の部屋だったあの部屋にはマリーネが見ないふりをしてきた悲しみが残っている。
追い込まれるようにお菓子を食べて寂しさや虚しさを感じる前に自分を満たした日々を、もう見て見ぬ振りはできない。
誰かに優しく微笑んで欲しいし、普通に求められて家族の一員になりたい、そんな願いをマリーネは知ってしまった。
「…私の居場所はここなの。」
マリーネの言葉がアイルに届いたのかはわからない、けれどアイルの手がマリーネの腕から離される。
今にも泣き出しそうなアイルの顔にマリーネも心が詰まる。
気づけば父も母もマリーネの部屋にあまり来なくなって、ふと外を覗けば父と母はアイルとガイルの父と母になっていた。
それでも可愛くてしょうがなかった妹と弟。
今まで拒絶したことは一度もなかった。
「…ごめんなさいっ。」
アイルは誰に向けたのか分からない謝罪をして自分の馬車に乗り、去って行く。
マリーネは初めて家族を拒絶して罪悪感でぐちゃぐちゃになった心を隠して、立ち上がってシリウスに深く頭を下げた。
「妹が失礼しました。」
「いや、いい。言われるだけのことをしたからな…」
「いえ、元を正せば私がシリウス様に言わせてしまったのです。それでは一度部屋に戻りますね。」
マリーネは泣きそうになる顔をすぐにシリウスから逸らして、足早に去ろうとするが、シリウスはそのマリーネの手を握って引き止める。
「…一緒に行く。」
子どものように手を繋ぎ、シリウスとマリーネは無言で廊下を歩いて行く。
着いた部屋は悲しいこともあったが、嬉しいこともあった、今の居場所だった。
実家のあの部屋にだって嬉しいことがあったはずなのに上手く思い出せない。
それが今になってすごく悲しい。
だからとアイルを傷つけしまった。
空腹と虚しさが重なって、また悲しさに飲み込まれそうになるが、それから引き剥がすかのようにマリーネの手を握るシリウスの手に力が増す。
「…君の家族に謝罪をする機会を与えてくれないか?」
「…大丈夫です。」
「君の家族だって心配するだろう?」
「大丈夫です。」
「…知られるのが嫌なのか?」
マリーネは下を向いた顔をゆっくりと動かして頷く。
「…わかった。わかったから…抱きしめていいか?」
シリウスは聞いておきながらマリーネの有無を確認することなく抱きしめる。
「居場所だと言ってくれてありがとう。側に居てくれてありがとう。」
マリーネの耳にシリウスの優しい声が降り注ぐ。
シリウスの体温が一人になりたかったマリーネを溶かして混じり合っていく、その心地よさにいつのまにかマリーネも身をまかせた。
「…あともう一度妹と話し合った方がいい。君もそう思うだろう?」
シリウスの言葉が染み込むようにマリーネの心に入っていく。
このままアイルと気まずいままでいたくはない、マリーネもそれは思う。
思うけど、どうしたらいいのか分からならない。
分からないけど、ただ謝りたい。
マリーネは不安そうにシリウスを見上げた。
「大丈夫、その機会は私が作ろう。それくらいはさせて欲しい。」
マリーネは甘えるようにまたシリウスの胸に顔を埋め、頷く。
「…うっ…」
そのいろんな意味のくすぐったさにシリウスは呻き声をあげる。
シリウスの我慢にマリーネは気づくことなく、苦い思い出を飲み込むように甘い今に堪能する。
本当は悲しいことは沢山あって、ずっとこうされたかったのだと、胸の隙間を埋め尽くす幸せに、マリーネは酔いしれていた。




