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ぜんっぜん、ダメだわ!
マリーネは馬車が着き次第、部屋に逃げ込んだ。
今頃、シリウスはフシダラな妻に頭を抱えたまま、後悔しているのだろう。
いかに自分の意にそぐわない結婚をしようとも、関係修復に努めてくれたシリウスにだって我慢の限界はある。
このままシリウスと離縁して、マリーネはまた家に帰って家族のお荷物となるのだと思うと気が重くなった。
マリーネは枕を抱えたまま、ぼんやりしながらシリウスと過ごした日々を思い出す。
初めは面と向かって阿婆擦れ扱いされて嫌だった、初めて人を嫌いになりそうだった。
それでも初めて普通の女の子のように外に出て、お洒落をして、それから手を繋いで…
あの嬉しさばかりがマリーネの胸に残れるのだ。
これからもっと仲良くなって、普通に幸せになれるなんて思ってしまっていた。
そんな自分が恥ずかしい。
恥ずかしい。
こんな自分が人並みに幸せになれるなんて勘違いして…
私を必要としている方は、シリウス様のような方じゃなくて、そうだな…介護が必要だとか、胸が好きとか、余生が寂しいとか、もっとわかりやすい人達だ。
それに…もうこれ以上嫌われたくない。
そう思うとマリーネは途端に寂しくなってしまう。
トントン。
ドアが叩かれると、マリーネは涙を拭いて軽く服を整えて返事を返した。
「失礼する。」
その声と同時に扉を開けて入ってきたシリウスにマリーネは驚きつつも、この部屋を訪ねてくる人など他にいないと奥歯を噛み締める。
「先程は失礼致しました。…許されるのならば次の道筋が決まるまではここに…」
「…君は誰でもいいのか?」
マリーネの言葉にシリウスは目尻を釣り上げる。
「結婚できればそれでいいのか!」
恫喝するような大きな声に、マリーネの見開いた目はまた潤み出す。
「…私はただ選ばれるのを待っているだけです。私を好きで選ぶ人なんて…誰も…」
マリーネの視界は水が注がれたグラスを通したように揺らぐ。
ただ、自分を受け入れてくれた人を受け入れようと覚悟をしていただけだった。
自身に価値を見出せないから、どんな人でも有難いと思った。
シリウスこそ、マリーネを好きで選んだのではなく、仕方なく結婚した人間である。
そのことを指摘され、シリウスの顔から怒りの表情は消え去り、困惑した表情へと変わった。
「君を選ぶ人となんて幾らでもいるだろう?なんでそんなことを…」
マリーネはゆっくりと首を振った。
そう、五歳の時に思い知ったのだ。
自分の誕生以来、会いにも来なかった祖父母が双子の誕生日には毎年欠かさず来ていることを窓の外から見てしまった。
そこにいる両親はマリーネがいる時とは違って屈託のない笑顔で笑っていて、自分がいかに家族に不調を招いているのかわかってしまったのだ。
それでも両親は優しくて、これ以上嫌われたくなくてマリーネは黙っていたけれど、いつ愛想を尽かされるのか不安だった。
ずっと自分の足元が不安定でいつ崩れ落ちてしまうのかわからない、そんな状況でマリーネは誰の気持ちも受け入れることができくなっていた。
そして迷惑をかけないようにと外に出なくなって、自分にだけ使用人の態度が違うこともあり、「迷惑な存在である」と言うことがマリーネの中で固定されてしまったのだ。
「家族さえ…受け入れられなかったものを他人がなんて…」
「しかし、君の家族は仲が良かっただろう?」
「家族はみんな優しいのです。優しいからそうは見えないようにしてくれているのです。…でも、もし私が居なければもっと幸せだったんじゃないかって…」
マリーネが嫁いで、ようやくマリーネ家族は本当の完璧な家族になったような、そんな気がしてならなかった。
そんな家族を見て、この結婚にしがみついてしまったけれど、家族のように優しいシリウスに、自分の中身を知ってくれようと、仲良くしようとしてくれてたシリウスに、心のどこかでマリーネは罪悪感を感じていた。
二人で幸せになりたいという希望は実に独り善がりの願望で、シリウスという存在を知れば知るほど、本当は開放してあげなければいけないという思いが浮かぶ。
「どんなに頑張ってもきっとシリウス様の嫌悪感を拭い去る事は出来ませんし、恋路を邪魔した人間として憎まれるだけです。」
マリーネは浮かべた涙を零しながら、これ以上ない笑顔を浮かべて見せる。
シリウス様を私から解放する…それが一番の…そして最初で最後の贈り物だわ。
シリウスからの贈り物は沢山あったというのに、マリーネが渡せるものはそれしか無かった。
自分の身体にピッタリあっているというのに落ち着いた雰囲気ドレス…それはシリウスにとってはただ家の恥を晒さないためのものだったかもしれないが、何を着ても下品に見えて引き目に感じていたマリーネにはとても大切なものになった。
少しずつマリーネの中でシリウスは苦しめてはいけない存在になって行く、それが嬉しくて苦しい。
マリーネはシリウスの断罪の言葉を待っていた。
「…君は勘違いしている。」
シリウスは苦々しい顔で言った。




