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こんな世界の真ん中で、生きていくならあなたの近く  作者: 久浪
『彼女と彼が過ごす日々』
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(3)






 ある日レイジが帰ると、テーブルについて難しい顔をしたハルカがいた。全く音なく入ってきたため、上から覗き込んだときになって、彼女は反応してレイジの方を向く。

 薄い茶色の髪がさらりと動き、緋色の瞳が彼を見上げる。


「おおびっくりしたぁ。お帰りなさいレイジさん」

「ただいま……お前何してんだ」

「チェス教えてもらいました!」


 ぱっと、実に嬉々とした笑顔が弾けた。

 テーブルの上には、盤が広げられ、透き通る材質でできた様々な形の駒が転がっていた。

 チェスをするための道具一式。

 おまけにハルカが難しい顔で見下ろしていたものは一冊の本。一見したところルール本か何かだろうが……。


 レイジは、言われなくとも察した。何を、というのは言うまでもなく。誰に教えてもらったのか、心当たりなど一つしかない。親父にだ。


「行ったのか」

「えーと電話かかってきたので」

「あの親父」


 レイジは舌打ちした。

 番号をいつ交換したのかということではない。どうせ調べることも可能だからだ。

 では、原因は何か。


 ほぼ全てと言える吸血鬼が住んでいる地下街は、治安があまり良くない。地上も場所によると大概であるが、それよりも良くない。

 レイジの父親も例外でなく、住居は地下に構えている。行った、ということは、自動的に地下街へ行ったことになる。

 そんなところを一人で歩き回ることにさせるとは。


「あ、でも迎えに来てくれました」


 親子仲がよくはないと分かっているからか、舌打ちをしたからか、ハルカはそう付け加えた。

 だがそれで良かったと言えるはずもなく、レイジは向かいの椅子を引っ張って雑に座り、ぼやく。


「だから会わせるの嫌だったんだよ。自分の退屈しのぎに使いやがって」



 *





 いくら吸血鬼になって嗅覚や聴覚とか色々良くなったとはいえ、レイジさんが帰ってくる瞬間は、未だ聞き分けることができないことがある。

 それは、レイジさんが依然として、私よりずば抜けて上回る身体能力を持っていることが原因の一つにあげられるのだろう。

 その上で、今日は知ったばかりのチェスに夢中になっていたから、余計に気がつかなくて驚いた。


 吸血鬼の活動時間は、日が暮れはじめる時から、日が上がるときくらいまでが中心だ。

 日が出ていても活動できないということはないけれど、快適なのは夜に間違いない。

 そのため、本日、陽が暮れはじめると共に仕事に行ったレイジさんを見送ったあと、私は今夜はどうしようかと考えていた。そのとき、携帯端末が鳴った。電話だった。

 画面に表れた文字は「レイジさんのお父さん」である。


 レイジさんのお父さんである吸血鬼とは、一年経って、数度、本当に数えられるくらいにしか会ったことがない。

 電話をかけてきたのは、その「お父さん」だ。

 前回会ったときにいつの間にか番号が交換されていて……電話出ると、要約すると遊びに来ないかと誘われた。

 たぶんレイジさんが自分の住居に「お父さん」を入れることは想像できない――というより絶対入れたことないと察する――から、そう誘ったのだと思う。

 かなり親子仲が悪いのだ。

 と、言っても「お父さん」の方はそうでもないみたいだというのは、分かりはじめてきていた。


 それはそうと、断る理由はなかったので返事をしたが、ほぼ同時に一人で行けるかな、と疑念が頭に過った。

 なにしろ、今まで「お父さん」の家に行ったときは、小さな頃はおじいちゃんに連れられて、ここ一年はレイジさんと一緒にだ。


 ところが、心配は杞憂に終わった。

 わざわざ迎えに来てくれたのだ。

 レイジさんのお父さんは『一人では迷うかもしれないだろう。……まあ一番は怒ると分かるからな』とか言っていた。

 そうして「お父さん」と、何度見ても大きすぎる家に行って流れでチェスをして、さらにはなんと道具一式(なんか高そうで触るのを躊躇いそうになるやつ)をもらってしまったというわけなのだけれど。



 帰って来たレイジさんは、何だか不機嫌だ。

 私は、ひとまず開いていたチェス入門の本を閉じたが、彼はぼやいたっきり今は宙に目を向けて黙りこんでいた……が、少しすると浅く息を吐いた。


「まぁ仕方ねぇか」


 言ってから、一度部屋に行くのか立ち上がった。

 完全な遮光カーテンが閉められていることもあって、きっと外は明け方に近いはずなのに、部屋には太陽の光なんて一筋足りとも入ってこない。

 天井につけられた人工的な灯りを、レイジさんの耳のピアスが跳ね返して、きらりと光った。


 私はさっきの言葉とため息が引っ掛かって、思わず立ち上がり急いでテーブルを回った。

 灯りのついていない暗い方へ消えて行こうとするレイジさんの後ろから、どん、とぶつかってみる。


「――なんだよ」

「レイジさん」

「何だって」


 ぶつかりついでに抱きつくと、レイジさんは立ち止まってくれた。怪訝そうな声が降ってくる。


「勝手に行ってごめんなさい」


 一年で数えるほどということが物語っている通り、レイジさんはあまり私を「お父さん」のところに連れて行きたくないらしい。

 それに、地下街は勝手に彷徨うろつくなと言われている。

 事後報告であったことを謝った。

 仕方ないという言葉が聞きたくなかったんだと思う。雰囲気と合わさって、なんとなく、に過ぎないけれど。

 真下から見上げると、首が痛くなりそうであるが、そのままの状態で見上げていると、


「ハル」


 背の高すぎるレイジさんが屈んだことで、目線が近くなる。深い赤い瞳と目が合う。

 私は、握っていた服から手を離す。


「別に俺は、お前にここから出るななんて言ってるんじゃねぇよ」

「うん」

「ただな、あんまりあの親父に言われた通りについて行くんじゃねぇ」

「えー」

「何かあってからじゃ遅ぇだろうが」


 「お父さん」を信用していないのか、その家がある地下街を信用していないのか、どちらもか、判断に困る言い方である。

 どちらも、ということもあり得そうだ。私としては、レイジさんのお父さんといるのは中々に楽しかったりするのだが。

 それは置いておいても、言葉が、口をついて出る。


「……でもレイジさんのお父さんが、レイジさんもできるって言ったから」

「何が」

「チェス」


 それなら覚えてみたいと思ったのだ。

 別に一ヶ月二ヶ月で習得しようなんて思っていない。これから時間はどれほどまでにもあるのだから、そういうこと(一緒にやれること)を増やしてみるのは、悪いことじゃない。

 大まかなことをそのまま言ったら、


「一緒にやりたいなぁって思って」

「……お前な」


 目の前のひとは、額に手をつけて呆れた声を出した。なぜだ。

 でもそれからしばらくして、私がじっと見続けていたら、少しだけ口元に笑みを刷いたレイジさんは言った。


「じゃあ俺が相手してやるから、しばらくはチェスとにらめっこでもしてろ」

「え、ほんとですか」

「ああ、だから親父にほいほいついて――」

「やった!」


 喜ぶと、何か言葉を遮ったと思わないでもない。

 明らかに注意の途中だったから、しまったと口を閉じてレイジさんを窺い直すと、「話聞け」と言われるかと思いきや、今度は目が細められて、大きな手が伸ばされてくる。

 横髪を掬われ、髪に指を通すようにして、軽く頭を撫でられた。

 不思議に思っていると、さっきまでと比べると、いくらか小さめの声が言うのだ。


「少しすれば、何も気にする必要なく自由に出れるようにもなるからな」


 私は、ちょっと首を傾げた。言われたことの意味が分からなかったわけではない。

 むしろ、さっきの「仕方ねぇか」の意味が分かった気がしたくらいだ。


 人間が吸血鬼になれるということは、公になっていないことだそうで、吸血鬼となることができた私が、L班に戻ることはやはりなかった。

 学校もやめた。友人たちに会うわけにもいかないので、電話だけをした。

 けれど、ちなみにリュウイチさんだけには三ヶ月前くらいに会った。「良かったな」と言われて、この人はどこまでも見透かしてるんじゃないかと思った。ここまでくると、特殊能力みたいだとも思ったのは秘密である。


 はじめの不純な動機を考えてみると、それについては文句なんてなかった。

 今度は、レイジさんが仕事に行っている間は会えなくなったが、贅沢は言うまい。

 「前」だってそういう感じだった。そこは戻ったと思えばいいのだ。


 とにかく、レイジさんにはあまり不用心にふらふらするなと言われていたりするだけで、外に出るなとは言われていない。

 でも、色んなことを考えると、私は外に出ない方がいいのだとは思う。元々の知り合いに会わない可能性はゼロではないだろうから。

 元々、私がL班に戻れないという理由は、そうしないようにということなのだ。


 「仕方ない」という言葉は、そのことを指すのではないだろうか。

 制限されている、とも視点によってはとれる日々。元々の知り合いに会うわけにはいかないから、気軽に会えるような知り合いは無いに等しい。ゆえに、行きたくなるのも仕方がない。

 レイジさんの口調からして。

 悪いな、というような。


 でも、それをレイジさんが気にしているということに、私は首をちょっと傾げた。


 確かに「制限されている」ということは嘘ではないのだろう。しかしながら、そんなことを気にする必要はないのに。レイジさんが。

 レイジさんの考えていることが全部分かるわけじゃない。本当は、どうしてそう言ったのか、他の理由もあるのかもしれない。

 けれども、感じたことは少なくとも間違ってないと思う。


 でも、だ。私は不自由を感じているわけではないのだ。

 居ようと思えば、家にずっと居ることだってできる。

 外に出ようと思えば、フードをすっぽり被ってしまえば、地下街でなければ危険度は少なく問題ない。出れはするのだ。


「レイジさんレイジさん」

「今度は何だ」

「私はですね……」


 そもそもレイジさんがいてくれるなら、寂しいとかいうことはまずないのだ。毎日会えるというだけで。

 ここにいれば、彼は帰ってくる。仕事によって数日会えないこともあるけれど、結局はここに。


「なんだよ」

「えーとですね」


 レイジさんが首を傾げた。怪訝そう。

 私はというと、呼びかけたくせに、どう言おうかと迷って、口ごもる。

 何と言ったものか。そのまま言っても、どうも駄目な気がした。「馬鹿か」って、言葉通りに考えを一蹴されそうな気がした。

 その間にも、そのひとは口ではぶっきらぼうに「なんだよ」と言いつつも、それからはじっと待っていてくれているものだから、何でか笑いそうになる。

 いや、笑いは口にだけ出た。弧を描くのは、止められなかった。


「何笑い出してんだ」

「いやぁ、ちょっと」


 考えれば考えるほど、何だろう、嬉しくさえなってきた。心配してくれてるのが分かるから。それが申し訳なくもあるけれど、まったくもって不謹慎ながら、そう思えてしまうのはそれこそ仕方ない。


 上の方にある顔を改めて見ると、彼の赤い目は暗い場所でもよく見える。

 すごく綺麗な色だと、このタイミングでふとしみじみと思う。吸血鬼の色。その中でも、彼だけの色なのだ。

 その色をじいっと見つめていると。同時に言いたいな、という言葉が、心の奥から溢れてきた。

 その気持ちに抗うことなく、手を伸ばしてみた。


 今なら容易に届く距離だ。顔に手を伸ばす。

 大きく意図するところが分かったのか、レイジさんは膝を折ってしゃがみこんでくれた。

 だから私は、ぎゅうっと正面から抱きつくことができた。

 そして、耳元で、小さく小さく内緒話みたいに、他に誰もいないのにそうやって、彼にだけ届ける。


「私は今の生活が大好きですよ。何も不自由なんて感じてないし、何だったらここに閉じ籠っててもいいくらいです。なぜならですね……」


 そう、本当は外に出ないで閉じ籠っていたっていい。それでレイジさんが帰ってくるのをずっと待ってるのもいい。けれど本当にそうしては違うだろうから、時々外に出ている。

 でもね、結局は。


「レイジさんといれたら幸せだからです」


 言葉を届ける。

 もう、全部言うことにした。やっぱり黙ってるよりはいいと思う。

 言ってから、ちょっと身体を離してみると、


「――馬鹿か、お前は」


 返ってきた言葉は結局のところ、予想してたものと変わらなくて。けれど、優しい響きが含まれていた。


「何言ってんだ」


 言葉とまるで裏腹な響きだから、表情を見ようと思ったら、さっきとは反対に引き寄せられて、柔く抱き締められる。

 あまりに心地よい空気に包まれ、自然と目を閉じそうになる前、盗み見たレイジさんが笑んでいた。つられて、私はより笑みを深くしてしまいながらその胸に顔を押しつけた。


「レイジさん、チェス覚えたら相手してくれるって約束ですよ」

「覚えられたらな」

「覚えますよ!」


 この日々が不自由なはずがない。幸せでないはずがない。

 何よりも自由を与えてくれ、幸せを与えてくれたひと。










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