(3)
「……あ」
私の目は覚めていた。
何度も何度も瞬く。何か、後味の悪い感覚が残っている気がするのは気のせいだろうか。
私は仰向けに横たわっていた。
外ではない。屋根、天井があり、室内のようだった。
見上げた天井は、何かよく分からない模様が描かれているようだけれど、細かくてよく見えない。わずかな灯りに照らされているのみなのだということもあるだろう。
灯りの源は、蝋燭。
見たところ電気もあるだろうに、わざわざ太め長めの蝋燭が何本か。
目だけを動かして確認すると、ほとんどが私の近くにある。
壁の方に、蝋燭立てだろうと思われるものに立ててあったり、置物の上に無造作に置かれていたりしている。
しかし、感覚的に広い部屋なのに、中央で真っ二つに分けたとしたら、こちら側にしか蝋燭は立っていない。灯りの届く範囲も、ぼんやりとその辺りで区切られている。
――ここは、どこなんだろう
拘束されているわけではない。
ゆっくり身を起こして、辺りを見渡す。
下には絨毯が敷かれていて、土足可能らしく私は靴着用のまま。窓を覆っているカーテンは見た目重厚。
身体に目立った痛みはない。
首を一撫でするが、脳裏に過った傷もない。
だけれども、手のひらを見ると傷はないはずなのに乾きかけた何かがこびりついている。
蝋燭の光だけで確認すると、黒っぽく見える。が、私の予想したものであるのなら、もっと明るいところで見ると赤色だったりするのだろう。怪我をしていないのに。
覚えている。
何があったか。
血を、吐いたのだ。
特殊能力を使い逃れようとしたら。
耐えきれなかった、というように。
「そんなに確認しても噛み傷はないから安心しろ」
誰かがいるとは気づいていなくて、びくりとすると同時に、顔をそちらに向けて身構える。
飛んできたのは、低い男性の声だった。笑いを含んだもの。
コツコツと、足音がこちらに近づいてくる。もう片方の暗闇の満ちるエリアには、絨毯は敷かれておらず、フローリングじゃなくて石のようだ。そんな足音だった。
一気に緊張した私は、息を潜めて近づいてくる何者かをじっと待つ。
広いと言っても室内なので、蝋燭の灯りが照らすエリアに、すぐにその靴は入ってきた。
黒い靴。その主はそこで一度止まり、方向を変える。
「ここらにあった気がするんだがなあ」
ぶつぶつと言いながら何かを探しているのか、小さな範囲を行き来している。
やがて、探し物が見つかったらしく、鈍くなった足音が再び近づきはじめ、下の方にあった蝋燭の光が一つ、上に浮かぶ。
蝋燭が一本取られていった。
取られていった蝋燭を立てたものをもつ手が、濃いオレンジの光に照らされている。さらに、それを持ったひとの顔も。
「やあおはよう、サコンの孫」
「……どなた、ですか」
おじいちゃんの名前が出てきて、驚くどころではない。おじいちゃんの知り合いか。
だけどこのひと、私の予感が正しかったなら、たぶん吸血鬼だよね。
「まあ、おはようと言っても全く朝ではないがな」
やけに長身のひとは、蝋燭を持ったまましゃがみこむ。おかげで私の首は楽になる。
何だが、おしゃれっぽいスーツを着ているひとは、こちらの質問に答えてくれる気配はない。でも、私は答えを知っている気がする。
吸血鬼。その単語を、頭の中で反芻する。
そうしながらも、目の前のひとの顔がさっきよりはぐっと近くなり、蝋燭の光を携えてくれているおかげで全貌が見えつつあるわけで、注視する。
口元には笑みが浮かべられているその顔。
吸血鬼。
この顔、どこかで……。
「……あ、れ?」
レイジさん?
このひと、レイジさんに似ている。
反対か、レイジさんがこの人に似ているのか。外見から判断するとこっちのひとの方が、ちょっと年がいってる感じ。
兄弟? いやいや待って。私この人とどこかで会っているのかな。
まじまじと見つめてしまっている顔は、思い当たって見てみると、レイジさんがもうちょっと年を重ねるとこんな風になるのかな、という感じだった。
耳にピアスは……ゴツいのを発見。
これは親類決定だ。
「私、どこかであなたと会っていますか」
沈黙を利用して、とりあえず確認してみる。
「サコンに連れられて来たときに会ったくらいかな」
「お、おじいちゃんのお知り合いですか?」
おじいちゃんの知り合いなのが確定してきた。
私は、レイジさんの家に行ってレイジさんと会ったんだ。そこでご家族に会っていてもおかしくはない。
でもどうだ。該当する記憶を掘り出してみるも、ちょっと記憶にない。レイジさんといた記憶しかないや。
「そんなもんだな。まあ、それ以上だったかもしれないが」
そこで、私は気がつく。
この顔が、外で月の微弱な光に照らされていた顔かもしれないということ。あのときはっきりとは見えなかったが、そんな気がしてきた。
というか、私は仕事の途中でいきなり拉致されたことを思い出す。
このひと、犯人? 助けてくれたという考えが浮かばないのはどうしてか、自分でも分からない。
「どうして私をここに?」
おじいちゃんの知り合いがなぜこんな真似をするのか。それに、恐らくレイジさんの親類が。
おじいちゃんの名前が出て、さらにはレイジさんの面影があるせいで、緩みかかっていた警戒心をわずかながらに張り直す。
「なぜ、か」
呟きと一緒にそのひとは動き出した。
立ち上がり、蝋燭の小さな火も当然一緒に持ち上がる。
「最近の若造は質問が多いなあ」
若者とかいうのに限らないと思う。こんな状況だったら、誰でも質問が多くなるだろう。
なるほど長身もレイジさんと似通う部分あり……という調査を続けている場合ではない。
立ち上がったひとは、私から一歩二歩離れる。その際、宙に浮いたように見えなくもない灯りが、背を向けられたことによって隠れてしまい、数秒間消えた。
「ここに呼んだ理由はいくつかある」
また灯りが現れる。まだこちら半分のエリアにいるそのひとの姿は確認できる。
私は、立つべきかどうかに悩む。が、今度は質問に答えてもらえそうなので、座ったままにしておくことにする。
「まず、改めて会ってみたくてな」
どうして。
宙に浮いている灯りが、部屋の奥の方へ行く。
「それから――ああ、そんなに理由はなかったな。これが最後か、お前が持っている特殊能力が今一度見たかった」
その声音が変わったと私は感じた。
ぞくり。背中から震えが走る。
蝋燭の灯りが揺れ、ギリギリ照らす中、その目が鮮やかに光り、口元がそれまでとは異なる笑みを浮かべた。
瞬間、さっきまでレイジさんに似ていると思っていたはずのひとは、雰囲気は全くレイジさんとは違っていた。
しかし、ふっと霧散する。
「が、もうそれは予期せぬタイミングで見せてもらってしまった。そしてどうもお前――お嬢ちゃんにはよくないことをもたらすようだ。興味はあるが、今でもギリギリなのに、これ以上やると怒られそうだからそれは忘れてもらってもいい」
「怒られる?」
「とりあえずこっちに来なさい」
疑問の声は完全にスルーされた。
私は、途中流れが予想できなさすぎてつい確認しておいたドアをちらと見てしまう。その距離目測五メートル弱。
「来なさい」って。
行くべきなの?
明らかに、一瞬あのひとかなり危険な雰囲気出してくれたんだけど。お茶目?
「何も食おうなどと思ってはいないから安心しろ」
発言が怖いんですけど。
「あの、その前に確認いいですか」
「確認? 何の」
「ここに私を連れてきたのは、つまり会うため、でいいですか」
「そうだ」
即答された。
「おじいちゃんの知り合い」は、別に急かすでもなく何かするでもなく、私を待っているようだ。
それにしても、おじいちゃんの孫に会おうとしたのかもしれないけど、会うためにさらうって……ひとまず選択肢が他に見当たらなくて、私は立ち上がった。
立ち上がることにも支障はない。
そろそろと周りの蝋燭を避けて、蝋燭エリアから出る。
向かうは、蝋燭の灯りがぽつんとひとつあるのみの空間。
手招きをされた。
覚悟を決める。……ことになってるのは、そもそも急に拉致されるとかいう真似をされたからで、状況がわけが分からなくなってくる。
結局、あのひと信用していいの?
「酒は飲めるか」
「え、と未成年です」
「ああ人間はそういうのがあるのか、ならこっちを」
「ありがとうございます?」
レイジさん似の吸血鬼に勧められた向かいのソファに座る。
かなり座り心地がいい。高そう、とか灯り乏しい中でしげしげ見ていたら、前のテーブルに置かれたティーカップが置かれた。
よくよく見ないと分からないけど、湯気がたってる。
暗いことがここに来て気になってきた。目が慣れるのを待つしかないのか、と、目を凝らしてティーカップの持ち手を探して慎重に手を伸ばす。
「見えないか。それもそうか」
笑われた。
今さらながら、声もレイジさんに似ている。どっちがどっちに似ているかはもう置いておく。だって、私が知ったのはレイジさんの方が先だ。記憶の限りでは。これは重要だ。
私がティーカップをちょっと浮かせて中途半端にしている前で、ゴブレットを傾けていた吸血鬼は立って、どこかに行った。
戻ってきたときには、その手にどうやって持ってるのかってくらいに火が灯された蝋燭を何本も持っていて、どこに置くのかと思ったらテーブルの上に置きはじめた。
私はぎょっとする。
テーブルって、蝋が垂れるんじゃないのか。ソファから予想するに高そうなテーブルなんだけど、扱いが雑すぎないか。
それより平然と持っているけど、もう蝋は垂れているんじゃないのか。熱くないの?
その行動一つ一つに頭に浮かんだことがあったけれど、口には出さなかった。
質問が多いとか言われたことを思い出したのだ。
それにどんなことよりも、聞きたいことがあった。
段違いに明るくなって、幻想的になりもした席になり、向かい側に吸血鬼が腰かけたことを確認して、口を開く。
「あのー、もしかしてもしかしなくてもレイジさんの親類の方ですよね」
今さらだけど挨拶するべきなのかな。
お世話になってます、とか。上っ面じゃなくて本当に。
照らされた姿は、髪型、服装とか細かいところは別にして、やっぱりレイジさんに似ている。
「レイジか」
名前を呼ぶ声音を聞いて、知っていると確信した。いや、かなり似ている時点でそうだろうけど、改めてだ。
「お前はレイジのことをどう思っている?」
「……え?」
どこに置いていたのか、少なくとも私には見えないところから取り出された酒瓶から、ゴブレットに液体を注ぐ音がした。
私は、ぽかんとした。
「俺の記憶では、お嬢ちゃんはレイジと暮らしていた時期があったな」
「あ、はい」
「しかしあいつがお嬢ちゃんを組織に渡した」
渡した、という言い方は好きになれなかった。
「そして今、同じ場所にいる」
吸血鬼は肘かけに肘をつき、ゴブレットを傾けこちらを見ている。
一番存在感を放つ、一対の赤が浮かび上がる。
「お嬢ちゃんにとってレイジは何だ?」
「なに……?」
何って何だ。
問いがあまりよく理解できかった。でも、それっきり声が途切れて、質問に対する答えを待たれていると察する。
「レイジさんは……レイジさんですかね」
それしか言いようがない。
レイジさんは私にとってレイジさんである。
突然の質問ということに戸惑いはすれど、たいして迷う必要はなかった。
あれ? というか今気づいたけど、立場が逆転していないかな。私が質問してたはず……その答えは返って来たっけ。
首を捻って記憶を辿るも、その記憶はなかった。また聞き流されたの?
スルースキルが高――笑い声がまた響いた。
「それはそうだ!」
ぱっと前に目を戻すと、実に愉快そうに笑っていらっしゃる。
そういえば、レイジさんが思いっきり笑ってるところとか元々レアだったけど、それこそ随分見ていない。
目の前のひととは、性格は違いそうだということを発見した。
「そうか。お嬢ちゃんに聞いたのが間違いだったか」
「えっ」
間違いって。
笑みを携えたままの吸血鬼は肘をついて、
「聞くべきは、お嬢ちゃんではないか」
と、呟いた。
あまりにじっと見られているものだから、私の動きも止まるというものだ。
観察されているみたいな視線……。
「まあ……素質は有りそうか」
その言葉を境に視線が外れ、どこかに向けられる。
「良い頃合いで時間切れだ」