九頭龍教占領地の奪還後編その1
主人公の一人、四条麗花の戦闘が主になります。少し残酷な描写がありです。
朝日が昇るにつれて、戦況は急速に秋津軍の有利へと傾いていった。第二中隊が東門に突入した頃から一気に形勢は龍泉郷軍の不利になり、龍泉郷軍も全ての予備部隊を投入。中央広場周辺で最後の激戦が行われていた。
そんな折りの、北門近くの通り。通り沿いにある龍泉郷本陣に近付く一人の少女の姿があった。
黒いセーラー襟を持つブレザーに、同色のプリーツスカート。左胸には盾の中に『工』の文字をあしらった鉄道警備隊の紋章。腕には『鉄機』と書かれた腕章を嵌め、スカートから伸びる太股は、彼女の白い肌に合わせる様に純白のサイハイソックスで覆われている。
鉄道警備局機動隊の制服。黒を基調としたその意匠とは対照的に、肩に掛からない程度で短く切り揃えた銀髪が、彼女が歩く度にさらさらと風に揺れる。
昇る朝日を背中に浴びる彼女の右手には、抜身の刀が握られている。反りが浅い打刀で刃の長さは64センチ程と、一般の打刀より5~6センチ程度短い。刃紋は鮮やかな波を描きながら、柄元から刃先まで刻まれていた。だが、その刀身は血液に濡れ、刃先からぽたぽたと落ちて地面に点の様な染みを作っていく。
「……」
彼女はそれを少し煩わしそうに眺めると、スカートのポケットから黒い布を取り出す。ハンカチ状に折り畳まれた布で刀身を挟み込み、柄から切っ先に描けて丁寧に一回で拭き取る。
掲げて見ると、陽光を反射して刀は美しい輝きを放っていた。少女は、満足げに頷くと再び歩き始める。
だが、その歩みは直ぐに止められる事になる。彼女の視界に、二人の少女が飛び込んで来たからだ。
「止まれ! お前、何者だ! どっから入ってきた!」
「ここを水尾様の御座所と知っての事かしら? ったく、今はそれ所じゃないと言うのに!」
白い合わせの着物に紫の袴を穿いた二人の少女が、現れた少女の前に立ちはだかる。刀を持つ少女から見て通り沿いの左側、塞ぐ二人の少女からみて右側背後の直ぐに白い陣幕で覆われた箇所があった。陣幕には入口があり、左右には消された篝火が置かれている。どうやら紫白の少女達はそこからやって来た様だ。
視線を通りの向こうに目をやれば、150メートル程離れた所に中央広場が見える。中では未だに戦闘が続いており、北へ続くこの通りにも胸壁が築かれ、紅白の衣装の少女達が防戦している様だ。
刀を持つ少女は何も考えていなさそうな表情で彼女らと中央広場を交互に見ると、たっぷり時間を使って漸く口を開いた。
「鉄道警備局機動隊所属、四条麗花。ここは貴女達の本陣で間違いない?」
「なんだと! 北門の警備兵はどうした!?」
「あの子達なら、全員眠って貰ってる。でも、もう一生起きないと思うけど」
事もなげに、少女――麗花は答える。北門から警備兵が一人もやって来ないのを見ると、全て彼女に殺られたのだろう。麗花の意図を察した少女の一人が、彼女へと手にしていた小銃を向ける。
「このッ!!」
「まぁ、待ちなさいよ」
麗花に向いた銃口を手で制したのは、脇に立つもう一人の紫の袴を穿いた少女だった。青い髪を腰まで伸ばした彼女は、一歩前に出ると長い髪を弄りながら薄く笑った。
「へぇ、男なんてどうせ養豚場の豚みたいな価値しか無いと思ってたけど、女の兵士もいるのね。でも、やっぱり愚かだわ」
「兵士じゃない」
「どっちでも良いわよ、そんなの。それで、一人で何しに来たの?」
「迂回して単独で手薄な本陣を落とす。それが私の受けた指令」
「あははは! 一人で? 私達を? 本当に?」
聞いた瞬間、長髪の少女はおかしそうに笑いだした。一人で警備兵を全滅させたのは確かに驚く事だが、それより実力は確実に上の紫袴の護衛隊が守る本陣をも一人で陥とす等、彼女からしたら冗談にしか聞こえなかった。
だが、麗花の顔色は変わらない。色素の薄い銀髪と同様に色素の薄い瞳を細めて、彼女を正面からみる。刀は左手に持たれたまま、肩に担がれていた。
「ふうん……冗談を言っている目じゃないわね。良いでしょう。水尾様への進言は、アナタの首と共にさせて貰うわ」
長髪の少女はそう言って腰に提げた太刀に手を掛ける。本来なら不利な戦況の下、水尾へ本隊か増援と合流するまで一時撤退を提案するつもりだった。しかし、目の前のこの少女を一人倒す位の時間はあるだろう。それからでもまだ遅くはない。そう、彼女は思っていた。
耳元から、その少女の声が聞こえるまでは。
「残念だけどこの首は渡せない」
「えっ――――!?」
「あと、遅すぎる」
瞬きする間に麗花の姿が消え、長髪の少女と麗花の額が当たりそうな距離まで接近する。長髪の少女は、彼女の身体が淡く、僅かに光っている様に見えた。直後に身を襲う凄まじい衝撃と、身体の芯から崩壊していく様な激痛。
「がっはッ!?」
たまらず吐き出された体液には、鮮血が混じっていた。下を見れば、彼女の鳩尾に深々と麗花の拳がめり込んでいる。その細腕から放たれたには信じられない程の深く重い一撃は、目に見えない衝撃波となって衣越しに彼女の体内を破壊する。
あまりの威力に、彼女の衣自体も耐えられずに破ける。合わせが乱れ露になった豊かに育った膨らみは、彼女が拳を押し込むとぷるんッと情を誘う様に揺れ動く。
「ぐふッ、うぇえッ……!?」
だが、その肉が詰まった脂肪は誰にも省みられる事は無く、響いたのは長髪の少女の断末魔の悲鳴のみだった。内臓を幾つも傷つけられた彼女は、太刀を抜くこともなく瞳を一杯に開かせる。麗花の拳が抜かれると、膝を突いて内股にさせたまま彼女は仰向けに倒れた。痙攣が始まると同時に露出した膨らみの頂きにある突起ははっきりと勃起し、痙攣に合わせてピクピクと反応する。下半身に履いていた桃色の下着にも、急速に染みが拡がっていった。
「お、お前!」
仲間の無様なやられを見たもう一人の少女は、銃口を麗花へと向ける。如何に再装填が長い前装式の銃でも、一発で決めてしまえば問題は無い。そして、敵は目と鼻の距離。どんなに下手くそでも外す事はないだろう。
そして、この距離で銃弾を避けれる人間など見た事が無い。
「死ねッ!」
少女はこちらへ顔を向ける麗花へと照準を合わせ、勝ち誇った表情で引き金を引く。狙いは頭。その白い眉間に黒い穴が開くのがありありと想像出来る。
響く銃声。ライフリングの施された銃身から、真っ直ぐに弾丸が射出される。
だが、結果は彼女に非情な現実を突きつけた。
「黒色火薬を使う銃は、銃口初速は大体400メートル前後。早くても450メートル強。だけど、貴女の使う様な口径が大きい旧式銃は、大きさの分初速も300メートルまで落ちる」
淡々と説明する麗花。その額に銃弾は命中する事はなく、頭を逸らした彼女の脇を突き抜け、何もない空中を虚しく飛んで行った。
「だから、見てれば避ける事は簡単」
「そ、そんな……」
自らの使っている主力小銃を旧式と一蹴され、少女は愕然とする。そんな彼女の脇を、麗花は滑る様に通り過ぎる。
「え?」
振り向く少女。麗花のもつ刀は肩から既に降ろされており、先端に僅かに血が付いていた。
「え?」
もう一度、少女は疑問符を口にする。その首筋に一本の赤い線が走り、訳が解らず立ち尽くす彼女を尻目に線は大きくなっていく。
「あ……」
それ以上、彼女が言葉を紡ぐ事はなかった。何故なら、首筋から噴き出した鮮血が彼女の言葉を奪っていたからだ。身体維持に重要な血管をもスッパリ斬られた彼女は、視界を赤に染めながらばたりと長髪の少女に近くに倒れる。噴き出した血が収まる頃には、少女の顔は何が起こったか分からないという表情のまま固まっていた。
「残りは中……」
麗花は倒れ伏す二人の少女の脇を無言で通り過ぎると、白い陣幕に覆われた邸を見上げる。消された篝火の間を通って幕の下を潜ると、柱と瓦の屋根で造られた小さな門があった。その先に、邸の庭が見えている。
庭には幾つかの篝火が設置されていたが、そのどれもが今は役目を終えて消されている。門からは木で造られた塀が庭を囲む様に伸びており、緑の垣根が外側を覆っている。そのさらに外周に、陣幕が掛けられている様だ。
その中で、慌ただしく動く人影が何人か見える。銃声を聞いて迎撃体勢を整えつつある、紫袴の少女達の姿であった。
「お、お前!!」
一人の少女が驚くや否や、手にしていた小銃を門の下にいた麗花へ向ける。だが、照準を合わせた時には麗花の姿は彼女の視界から消えていた。
「えっ!?」
構えた銃口の先に目標を見失い、照門を覗いていた彼女の瞳が見開かれる。直後、少女の左脇腹に激痛が走る。
「がはッ……!?」
彼女の左脇を通り過ぎる様に刀を一閃させた麗花の姿が、そこにはあった。刀の軌跡に血の線を残しながら麗花が少女へ視線を向けると、少女は脇腹から激しく鮮血を噴出させながら言葉を失っていた。
倒れ行く少女を尻目に、麗花は次の目標に顔を向ける。邸の縁側の傍にいた二人の少女が既に麗花へと突っ込んできていた。
「このぉッ!」
抜き放った太刀を上段に振り上げながら、一人の少女が鋭い袈裟斬りを麗花の右肩へと放つ。肩まで伸ばした茶髪を靡かせながらの斬撃はしかし、麗花の身体に届かせる事は出来なかった。身体を僅かに横へとずらしただけで、麗花は茶髪少女の斬撃を紙一重で避けてみせる。
「なにッ!?」
彼女が驚くと同時に大きな隙が出来る。それを、麗花は見逃しはしない。
「ハッ!」
茶髪少女の右脇に回りこむと同時に刀を左手に持ち替え、空いた右の拳を振るう。速度が乗り淡い気を纏った裏拳が、茶髪少女の首に叩き込まれた。
「へぎゅッ!?」
ゴキリ、と嫌な音を響かせながら殴られた茶髪少女の首が折れ曲がる。太刀を振り下ろした姿勢のまま変な方向に曲げられた首によって、彼女の頭も丁度90度近く右へと曲がり、口からは少量の鮮血と共に変な悲鳴が漏れ出した。
麗花が拳を戻すと、首を曲げた状態のまま彼女は両膝を地面に突き、どしゃりとその場に倒れ込む。彼女の断末魔は静かな痙攣と共に行われていたが、それを麗花が見届けることはない。まだ、敵は残っているからだ。
「たぁあッ!」
もう一人の少女が塀沿いを走ってきて、麗花へ向けて速度の乗った突きを繰り出す。緑色のサイドテールが激しく揺れ動き、突きの速さは明らかに修練を積んだ一撃だった。けれども、麗花の腹部をねらったそれは虚しく空を切る。
麗花が軸足を中心にして身体を素早く半回転させる。たったそれだけの動きで、麗花は少女の渾身の突きを避けてみせる。前のめりに傾いた彼女の太刀を持つ手首を、麗花は左手に持った柄尻で強く叩いた。
「あぐッ!?」
悲鳴を上げ、太刀を握る両手を痛みから手放してしまう緑髪の少女。麗花はそんな彼女の腹へと、至近距離から膝蹴りを食らわせる。
「うぐぇッ!?」
下方から突き上げる様に放たれた左膝が、彼女の腹部へ勢い良く埋まる。他の少女より小柄だった彼女の身体は、その衝撃に耐えられずに僅かに身体を宙へと浮かせた。突き出た舌から、唾液や胃液の混合液が滴る。
膝が抜かれると、彼女は両腕で腹部を押さえながら後退する。目尻から涙を流しながらむせる彼女だったが、麗花はそれを冷めた目で見つめていた。
その内に、緑髪の少女は後ろにあった塀にもたれかかると、冷や汗を流しながら片手で蹴られた腹部を押さえて項垂れる。涙の溜まった瞳で麗花を睨みつけたが、震える両脚の内股から、小水とは異なる液体が伝い落ち始めている。
「く、うぅ……!」
「良く耐えたね。でも終わり」
彼女の落とした太刀を拾いながら、麗花は冷酷に言い放つ。殆ど動けない彼女に、麗花は太刀を掲げて容赦なく接近した。そして、
「これ、返すよ」
抑揚の無い声で言った彼女は右手に持った太刀を引くと、動けない緑髪少女へと思い切り突き出す。既に大きなダメージを負っていた彼女が麗花の突きを避ける事など出来る筈も無く、緑髪少女は自分の太刀で自分の腹部を無慈悲にも貫かれた。
「が、ふッ……!?」
彼女の腹部にあっさりと刃が突き刺さる。体内に刺さった刃は彼女の身体を傷つけるに留まらず、背中側へと貫通する。貫通した太刀の切っ先が彼女の背後の壁に突き立ち、少女は壁に太刀で縫い付けられる様な形となった。
血が食い込んだ刃を中心に滲んで行き、着ている白い着物が赤く染まっていく。少女の口から血の塊が吐き出され、口を伝って地面に落ちる。
「う、あ……」
壁に縫い付けられたまま彼女は呻く。遠のく意識で麗花を見るが、既に彼女は興味を失ったとばかりに緑髪の少女に背を向けていた。少女の意志とは無関係に痙攣がピクピクと起こり始め、蒼白だった頬が俄に朱に染まっていく。まだ命は失っていないが、内股を濡らす液体の量は先程より明らかに多くなっていった。
麗花はそんな彼女を見捨てて、庭の中央へ歩みを進めると縁側から居間を眺める。未だに一人の紫袴の少女がこちらへ太刀を向けて威嚇していたが、既に麗花の眼中にはない。彼女の視線の先には、居間の中央奥に設えられた椅子に座る一人の少女の姿があった。
「こいつッ……!」
最後に残っていた紫袴の少女は、麗花と同じ色の銀髪を長いポニーテールにした少女だった。彼女は今にも挑みかかろうと麗花へ刺す様な視線を飛ばしたが、それを止めたのは麗花では無く椅子に座る少女の言葉だった。
「やめなさい。貴女が勝てる相手ではありません。無駄に死人を増やしたくはない」
「し、しかし……」
「貴女は下がりなさい。彼女は私との対戦を望んでいます」
折り畳み式の簡易椅子に座る少女は泰然と構えながら狼狽する紫白の衣装の少女に告げる。静かながら、意志の籠もった重い言動に、彼女は押し黙って抜いた太刀を不肖不肖といった様子で戻した。
麗花は無言で縁側傍に歩み寄ると、その少女の顔を正面から見据える。自然、視線が交差した。
「貴女が、ここの部隊を率いる隊長?」
「えぇ、その通りです。私がこの村の占領部隊を率いる水尾と言います。貴女の名は?」
「私は鉄道警備局機動隊所属、四条麗花。貴女に降伏を勧告しに来た」
「そうですか」
水尾と名乗った少女は、他の九頭竜教徒と同じ様な光の無い目で、庭に立つ麗花を見下ろす。それから、ゆっくりと椅子から立ち上がった。腰に佩いた太刀の緒に使われている金属が、それに合わせて小さな音を鳴らす。
「貴女達に勝ち目は無い。増援も間に合わないし、こちらには増援を含めて貴女達を殲滅させるだけの兵器がある」
ゆっくりとこちらへと歩いてくる水尾に向かって、麗花は淡々と告げる。どう足掻いても龍泉郷に勝つ選択肢は残されていない、と。
既に戦闘は終局に近付いており、秋津軍の増援も既に到着して戦闘に加わっている。更に後方の部隊には、纏めて敵を一度に撃ち倒せるだけの『兵器』が既に用意されていた。
「私達を纏めて殲滅出来る兵器、ですか。確か『キカンジュウ』とかいう武器を貴女方、秋津の軍隊は持っているのでしたね。それも一つや二つではない数を」
水尾も麗花と同じ様な表情の薄い顔で答える。水尾の言葉を聞いた眉が、ぴくりと動いた。
「知っているの?」
「えぇ、私達も自前で情報収集はしていますから。秋津という国が旧時代の技術を多く復興させている、という事も、私を含め幹部達は既に情報としては掴んでいます」
「なら、どうして」
どうして侵攻する必要があったのか。技術水準も武器の質も遥かに開きがある相手に侵攻されるならまだしも、逆に攻撃を仕掛けるなど自殺行為も良い所である。無駄な血と犠牲を孕んでまで敢えて攻めてくる意味が何処にあるのだろうか。
麗花には彼女達の考えが到底理解できなかった。
歩み寄ってくる水尾に合わせる様に、麗花は後退する。視線は彼女を睨んだまま、顔は動かさない。
「どうして、と申されましても。我らの目標はこの本州を含む大陸全ての教化です。どんな犠牲を払ってでも、それだけは為されなければならない。更に言えば、今回の戦は偉大なる教祖であらせられるサクヤ様のご命令なのです。いわば聖戦なのですよ」
水尾は朗々と、唄う様に語る。だが、その声に抑揚は無くまるで機械が喋っているかの様にも聞こえる。瞳に人間にあるべき光は無く、濁ったガラス玉の様な歪な輝きを放っている。
麗花は、人形の様な水尾の様子に違和感を覚えた。
「貴女は、本当にそう思っているの?」
麗花が距離を取りながら、静かに、しかしハッキリとした声で言う。
「えぇ、そうですよ。私は九頭龍の神を信ずる敬虔な信徒であり、サクヤ様の忠実な下僕です」
「違う」
水尾の言葉を、麗花がバッサリと切り捨てる。縁側の縁に立っていた水尾の表情が僅かに変化する。
「何が違うと言うのです。私は――――」
「貴女の喋っている言葉は、貴女の心を移していない。全て、何処かから借りてきたものにしか聞こえない」
麗花は水尾の矛盾を正面から指摘する。増大した違和感は、元々あった彼女へと敵意を麗花から少しずつ奪っていく。もしかしたら、彼女はただ操られているだけなのかも知れない。他の少女達からしていた明確な自分への敵意や殺気が、水尾からはあまり感じられないからだ。
「ッ……貴女に、何がわかるというのですか」
水尾の顔が、明らかに苛立ちの色を映す。語気が強くなったのを、麗花は感じていた。
「わかる。少なくとも、貴女からは戦う気持ちが感じられない。その有り難い教えとやらを、本気で信じている様にも思えない」
「くッ、ぅうッ!?」
その時、立っていた水尾が両手で頭を抱えて蹲った。近くにいた最後の紫袴の少女が、慌てて彼女の下へ近付く。
「水尾様!?」
「大丈夫です! 私は大丈夫ですから……!」
「で、ですが、昨日も……」
昨日? 麗花は首を傾げながら、彼女達の様子を見守る。戦いの音が外から聞こえて来るが、先程より銃声や双方の怒号や悲鳴は減ってきている気がした。
そして、明らかに少女のものと思われる悲鳴が男性のものよりも多く聞こえてくる。もう、ここに秋津軍の兵士が到達するのも時間の問題だろう。
水尾は介抱しようとした少女を押しのけて、手を頭で押さえながら緩慢な動きで立ち上がる。麗花は、そんな彼女を何処か哀れに感じた。
「もう一度だけ言う。貴女達は降伏した方がいい。もうどれだけ抵抗しても、無駄にしかならない」
「我々は降伏などしない!」
脇に控えていた少女が激昂しながら太刀を抜き払う。しかし、彼女が麗花に挑みかかるのを水尾は許さなかった。
「止めなさい。さっき言ったでしょう?」
水尾は飢える番犬の様に牙を剥く少女を抑えながら、予め用意されていた自分の履物を履く。黒い漆が塗られた、上等な造りの革の草履。
立ち上がって庭に進み出た彼女は、丁度庭の中央辺りで麗花と相対する。麗花は抜き身のままの刀を右手に持ち、彼女を待ち受ける。
「それで、返答は?」
「否です。ここまで殉教者を出してしまった以上、私一人が降伏して何の意味があるのでしょうか。どうしても降したいというのだったら、ここで私と戦って私に勝つ事です。私が勝ったら、最後まで徹底抗戦させて頂きます。無論、貴女の首も貰いますよ」
「それで構わない。だけど、私が勝ったら生き残っている兵士は全て秋津軍に降伏してもらう」
麗花は刀を片手で構えながら、言う。水尾はチラリと脇目で最後に残っていた少女を見遣ると、視線を麗花に戻して小さく頷いた。
「わかりました。貴女、一人残った貴女へ最後の私からの言いつけを下します。私が倒された時は白旗を掲げて秋津軍に投降しなさい。いいですね?」
水尾が言うと、少女は信じられないと言った様子で声を荒げた。太刀を握っている手が震えている。
「そんな! 水尾様が負けるなんてありえません! それに、そんな、男の軍隊に降伏するなんて……」
「これは命令です。サクヤ様から兵を預かった私からの、直接の命令です」
水尾は彼女に対して強い口調で告げる、だが紫の袴を履いている親衛隊としての少女のプライドか、中々彼女は首を縦に振ろうとしない。
対して、水尾は少女に身体を向ける。右手で、自らの着ている紫の縁取りがなされた水干を握った。同時に、彼女の装束を押し上げる豊満な胸も合わせて柔らかく形を変える。
「この紫縁の水干を賜った者の言葉が聞けませんか?」
「そ、それは……」
たじろぐ少女。紫の縁取りがなされた水干は高位の幹部にもたらされる衣装であると共に、数百人の部隊を統べる部隊長の装束でもある。最高位の黒縁取りを除けば、この装束を着ている者に上から物を言える信徒はいない。水干を羽織れる事自体が、九頭龍教徒にとっては一種のステータスでもあるのだ。
「本当に反抗する気ですか? 抗命は重罪ですよ?」
水尾は本来ならくりっとした大きな瞳を細めて、少女の瞳を覗き込む様に言う。有無を言わさぬ圧力が彼女から放たれ、少女は二の句が告げなくなった。
言いようの無い恐怖が、彼女を捉えて包み込む。
「わ、わかりました……。水尾様の言うとおりにいたします」
数瞬の後、少女は頭を垂れて水尾の指令に従う姿勢を見せる。二度抜いた太刀も、遂に一度も振るわれる事なく、彼女が提げている鞘の中へと戻っていった。
「ええ、お願いしますよ」
水尾は優しく言うと、再び麗花へと向き直る。麗花は彼女達のやり取りが終わった事を確認すると、両手で刀を自分の真正面で構えた。
「それでは、やりましょうか」
麗花の構えに応える様に、水尾は自分が提げている太刀の柄に手を掛ける。銀で装飾された銅板が巻かれた『蛭巻太刀』の鞘を握り、一気に抜き払う。良く手入れされた刃紋が庭に注ぐ朝日によってキラキラと煌めいた。麗花でも一瞬見とれてしまう程、彼女の太刀は美しかった。
「貴女の手並み、私が直に拝見させて頂きます」
「うん。約束したからには、私も全力で貴女を倒す」
二人の少女が邸の庭で刀を合わせて停止する。
起こる戦いに高揚する二人の顔に、薄く笑みが溢れる。麗花は今まで光が無かった水尾の瞳が、僅かに元の輝きを取り戻した様に感じた。
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