自己満足的小説。全てを詰め込んだ小説。開けてはならないパンドラの箱。想いをここに。
人のことを考えるのはすごく難しいことだと思います。
これはある人の体験談を詰め込んだ小説であります。
---
春
入学式
やはり連想できる、この二つ。
それは表面を見ると初々しい出会いに見えます。
それは表面だけです。裏面を見ると、そこには3年後の春が見えます。
それは別れです。
月日は「流れろ」と思っていても流れないのに、「流れるな」と思うと今までの倍、もしかしたらそれ以上のスピードで流れていく。
そんな素直じゃないものなんだと思います。
ここから始まるのは、ある中学校に入学することになった十三歳の男の子の話です。
---
春の風はなぜか寒くもあるし、暖かくもあるはっきりしないやつだ。
不安定なその風は、今の自分の心境をはっきりと物語っているようで、むず痒く、そして腹立たしい。
「中学校なんて小学校と変わらない」
そう思っている少年がひとり。
たける 十三歳。
小学校の頃は、割とフラフラしていた。
ヤンチャだってした。
正直、あの頃は子供と変わらない。
卒業は名目だけであり、数日で人がガラッと変わることなんてありはしない。
男友達とは遊んでいたけれど、女の友達なんて数少ない。
そしておまけに人見知り。
たけるは入学式当日、緊張していないことないが、とくにガチガチに緊張しているわけでもない。誰もが体験したことがあるであろう緊張と呼べるものなのか、ワクワクなのか、不安なのか、自分でもあやふやで理解できないあの状態を感じていた。
たけるは一年一組。
「ああ、ゾロ目だな」とかくだらないことを思っていた。
たけるの学年は三組分けで、一組から三組まである。
教室に入ったたけるを待っていたのは、まわりに知らない人しかいない底のない不安だった。
かと言って、全員知らないわけでもないのだが。
同じ小学校だったやつだっているわけだ。
しかも単純に三分の一ほどの確率で。
入学式が始まり、何事もなく終わりを迎える。
「まあ、こんなものか」と感じていた、たける。
新たな生活が始まるという実感をほとんど感じてないたけるだったが、たけるはこの一年でいろいろな体験をする。
---
入学式から数日がたったある日。
まだ完全とは言わないが、前後や近くの人とコミュニケーションをとることに成功していた。
褒めてあげよう。人見知りなのによくやった、と。
だが、まだ誰も知り得ないことがある。
それはこの一年一組に、たけるを大きく成長させるきっかけとなる女の子、
「あやね」がいることに。
---
ここからはその「あやね」と「たける」の関係を客観的、たけるの主観的に物語を話していこうと思う。
たけるがあやねと始めて会話したのはいつだっただろうか。
たけるはこの頃、三組のある女の子と付き合っている。
たけるは勉強に力を入れるわけでもなく、ダラダラと過ごしていた。
時間が過ぎるのは実に遅いものである。だんだんと春風は暖かくなり、過ごしやすさも出てきた頃だ。
たけるは付き合うということは重く捉えていなかった。
「まあ、こんなもんか」と思っていた。
たけるは今まで、全力で人を好きになったことはないし、これからあるかも微妙なほどそういうことに疎かった。
たけるはやる時はやるが、言われなければ全力でやる、ということはない割とひねくれた性格の持ち主である。
この頃、あやねとの接点はまだない。
いつから出てくるのだ? と思っている人も少なくはないだろう。
落ち着け、落ち着け。
ほら、そろそろだぞ。
たけるはスマートフォンでゲームやLINEといったアプリケーションを使っている。
LINE、それはみなも知っているであろうメッセージアプリである。
中学校ではグループを作ってそこで始めてお互いを認識することが多いようだった。
そこでたけるは始めて、あやねをグループで見つける。
この時はまだ「よろしく」とか軽い話くらいしかしてなかった。
---
少し動くと汗が滲むような季節になりつつあった。
ここでもまだ、たけるとあやねの接点はないようだ。
「まったくなにをしているんだ、たける」
そう声をかけたくなるかもしれないが、忘れないでほしい。
この男はまだ三組の女の子と付き合っているのだ。
そして初行事である「体育大会」という言葉がたけるの耳に入る。
「行事? 行事かー」とやる気のないたけるは残念そうな表情をあらわにした。
でも、ここで少し真面目に取り組んでいたのは、少なからずこのクラスをいいクラスだと感じていた証拠だろう。
正直、たけるの中では一年一組はいいやつがたくさんいると気づいていたのだろう。
残念ながらこの体育大会でもあやねとの接点はないのだが、一気に飛ばしてしまうのもどうかと思うので、少し話をしよう。
体育大会は例年よりも早く行われるようだった。
毎年、秋に開催される体育大会は、春の終わり頃に今年は開催されるようだ。
小学校の頃から行事は好きじゃなかった。目立つ方じゃなかった。
たけるは中学校に入って変わりつつあったのだろう。真面目に取り組むようだ。
体育大会の目玉イベントはやはり「長縄跳び」であろうか。
理由として、運動神経とか関係なく、クラスがまとまっているかどうか、で勝敗がつくところが魅力的なのであろう。
たけるは長縄跳びだけは真面目に参加した。
勝敗は……。
ここで言う必要もないか。
とりあえずこの体育大会でクラスが大きく成長したことは間違いないだろう。
だが、今回の体育大会を終えてもあやねとの接点はまだ先のようだ。
---
一学期を越えたたける。
まだまだあやねとの接点はないのだな。
二学期はとくになにもないようだ。
だがひとつだけ。
大きな行事がある。
それは「合唱コンクール」だ。
なんといってもこの学校はこれが力が入る。
まあ、たけるは一年目だからそんなこと知っているはずもないが。
またもや行事がたけるの前に現れた……。
だが、たけるはグダグダ言うことはないようだ。そこは少し成長したのだろう。
ガッカリさせたくないので先にいっておこう。あやねとの接点は……ない。
いや、まったくないわけじゃない。
メールだってしているし、クラスで話すことだってあるだろう。
でも、ただそれだけ。特別な感情なんてありはしない。
合唱コンクールの練習は熱が入っていた。
何人かの教師は言っていた。
「今年の一年生のレベルは高いねぇ」と。
もちろん、たけるはひねくれているので、「お世辞かよ、しょうもねえな」と思っている。
合唱コンクールはすごかった。そう、すごかったのだ。
少し離れたホールを貸し切りにして合唱するのだ。
圧巻。言葉では言い表せない感動がそこにはあった。
合唱コンクールが終わり、もう一年生でいるのも半年もなかった。
ああ、ひとつ言い忘れていたが、三組の子とは、もう別れているんだ。
とくに両者、わだかまりもなく自然な流れでの別れだった。
たけるは悲しくもなかった。「そんなものか」と感じていた。
暖かい風とは打って変わり、肌を伝う寒さを感じる季節になっていた。
年を越して、今のクラスにも馴染み、そろそろ解散が近づいていた頃。
野外学習が二年のすぐ始めにあるということを知る。
野外学習といえばトーチトワリングであろうか。
トーチトワリングとはなんだ?と疑問に思う人もいるであろう。
端的に言えば、棒に火をつけて振り回すなにか、である。
たけるが住む愛知でしかやらないらしい。
たけるはトーチトワリングの経験があった。
なので参加することを決めていた。
そこで始めて、あやねとたけるは接点を生むのである。
---
一年も終わりに差し掛かっていた。
実感はなかった。
一年一組はサプライズで担任へ感謝の歌を送るらしい。その計画者の一人であったのがあやねである。
この相談をうけたことが始めて、たけるとあやねの接点を生む原因になったのかもしれない。トーチトワリングもそうだが。
そろそろ語りをしていた自分の時間も終わりだろう。
ここからは、たけるの想いを聞いてやってほしい。
---
いつもと変わらず、俺とあやねはLINEをしていたんだっけか。
いや、もうほとんど覚えてないけど、たぶんそうだった気がする。
で、ある日突然、お前が言うんだよな。
「先生のサプライズ企画をどうしようか」って。たしか。
正直、あの時は「なんで俺が」って思ったよ。
でも、悪いやつじゃない気がしたから相談にのったんだと思う。
相談を受けるうちに、熱心さが伝わってきたのは今でも覚えてる。
あの頃から、若干好意を持ち始めていた気がしないでもない。っていうかたしか、そう。
それでだんだん必要のないメールをするようになった。とりとめのない雑談をするようになった。
サプライズ企画が成功した時は嬉しかっただろうな。頑張って考えてたもんな。悩んでるの知ってたし。
同時に俺も嬉しい気持ちになったのを覚えてるよ。
少し経ってから気づいた。
あやねを好きになってるってことに。
野外学習で言おうと思ったんだけどな、「好きだ」って。でも、先走ったせいでちょっと早めの告白になってごめんとしか言えないわ。
それでも快く承諾してくれてありがとう。
正直あの時は数ヶ月で別れると思ってたよ。
どうせまたあの時みたいなグダグダした終わり方をするんだろうなって、思ってた。
そんな中、野外学習が始まって、違うクラスになった時は、「なんで」って思ったよ。
嫌だった。
でも違うクラスだったからこそ気づけたこともあると今は思う。
野外学習、トーチトワリング。トーチトワリングは「できない、できない」って相談してきたの覚えてる。
頼ってもらえる嬉しさだってあった。
最終的にトーチトワリング成功できてよかったよな。
野外学習が始まって、クラスが違って話せないことだって少なくなかった。
正直、残念に思った。
でも、トーチトワリングの後に一緒に帰れたことは記憶に残ってるし、すごく嬉しくて至福だった。
野外学習はあやねのおかげでうまく進展したよ。
二年になって、すごく後悔することがたくさんあった。
それは、あやねになにもしてあげられなかったことだ。
本当になにもしてやれなかったし、なんで「別れよう」って言ってこないかも疑問だった。普通だったら別れるだろ。
逆にそれが辛いことだってあったし。「なんでいつまでも付き合ってくれてるのか」って 何度も考えた。
表には一切出さなかったけど。
そんな風に思ってるなんて思われたくなかったから。
二年の時になにかしてあげればもうちょっと思い出もできたかもしれないね。
そんな俺は変わらず、三年になってもなにかしてあげられなかった。
聞こうと思った時もあったよ。
「なんで俺たち付き合ってるの?」って。
でも、そんなのは無責任だと思った。
「俺が悪いのにそんな言い方おかしいだろ」って。
だから、あえてなにも言わなかった。
普段の自分を装った。
ほんとに俺みたいなしょうもないやつが彼氏でごめんって言っても、言っても言い足りないくらい。
貴重な時間を奪ってごめん。
ここまでちょっと悪い方面ばかり言ったけど、悪いことばかりじゃなかったんだ。
全然、一瞬たりとも嫌いになったことなんてないし、他の女の子に目移りしたことないくらい、あやねが好きだった。
それは変わらなかった。
そっちはどうか知らないけれど、俺はそうだった。
でも、他の女の子と話すことはあったよ。
嫌いなわけじゃないから。
そういう態度が不安にさせたのかもしれないね。
でも、自信を持って、胸を張って言える。
俺はあやねがずっと好きだった。
それはまったく嘘じゃない。
でも、三年も終わりが近づいてきたよね。
三学期が終わって、その頃からかな。
俺の中で「別れよう」って思い始めたのは。
理由はいくつかあるんだけど、ひとつは、「高校にいったら俺なんかよりもいいやつとか、かっこいいやつだって、面白いやつだっているはずだ。それなのに、俺と付き合い続けたせいで、チャンスを逃すかもしれない」ってことがひとつ。
それがたまらなく嫌だった。
「邪魔な関係のせいで」って思われたくなかった。
別れるなら、一番いい状態で別れたいって思ったよ。
でも、ある子から「自分が傷つきたくないだけじゃないの?」って言われてはっとしたよ。
だから、「やっぱり別れるのは違うんじゃないか」って思った。
最後まで、フられるまで一緒にいるのが筋だと思った。
もうひとつは、「高校にいっても、自分を好きでいてくれるっていう自信が持てなかった」こと。
呆れられてるとか、しょうもないやつとか思われてるんじゃないかって、実際そうなんじゃないかって思ってた。
逃げようとしてた。
一回、一緒に二人きりで話したことがあったよね、二月ごろに。
あれは、「別れよう」って言うつもりだったんだけど、やっぱり言えなかった。
話してて、「やっぱあやねのこと好きなんだ」って改めて実感したから。
だから言わなかった。
どう思われてるかはわからない。
でも、俺はもう自分から別れようなんて無責任なことを言うつもりはない。
邪魔だと思ったら突き放してほしいし、別れを切り出してくれてもいい。
でも、もし「俺でもいい」っていってくれるなら、これからはもっと接するし、一番近くにいる。
だって二年間付き合ってきて一回も、この想いは弱くなったことはないから。
むしろ強くなってたかな。
何度も言うけど、表には出さなかったけどね。
てか、弱くなってたらこんなことも言わないよな。
「好きな人には何度も好きって言われたい」言ってどっかの女教師が言ってよね。
だからこそ、こうやって文章に残すことにした。
あと、相談にのってくれたある人にも感謝だな。
そのおかげでなんとか重要なことに気づけた気がしたよ。
最後に。
いつまでもこの想いは弱くなることはないよ。
今まで生きていた人生の中で間違いなく一番記憶に残る恋愛だったと思う。
絶対、そう言える。
だから、よければまだまだ俺に力を貸してください。
ありがとう。
たける




