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2017年/短編まとめ

根雪の恋人

作者: 文崎 美生

夜勤明けで疲労困憊の体に、真っ白で冷たいものが降り注ぐ。

しんしんと雪が降り積もっても、幼少期の頃のように飛んだり跳ねたりは出来ない。

人目がどうこうではなく、単純に寒いし歩きにくいし寒いからだ。


はぁ、と吐き出す息は、よりいっそう白く染まり、鼻や頬なんかは真っ赤になる。

それこそ肌を刺すような寒さに、ピリピリと痛み出し、手はポケットの中に突っ込み、早く帰ろうと足早になった。


足を取る雪を蹴り上げるように競歩で帰路を進み、自宅のある一軒のマンションの前で、ぴたり、足を止める。

やっと家に着いた、などと言うことではなく、マンションの出入口の前に、鮮やかな黄緑色の傘を差し、しゃがみ込んでいる不審者がいた。


しかもその不審者の足元には、歪な雪だるまがいる。

ご丁寧に顔も腕も付いていた。

見覚えのある芸術作品に、傘の隙間から見えた赤いダッフルコート。

マジか、呟きが出たのは反射と言っても良い。


「……よぉ」

「いやいや。君ね、何してるの」


駆け寄った不審者は、嫌と言うほど見覚えのあり過ぎる男で、いつからそこに居たのか、頬も鼻も、何なら耳も真っ赤だ。

痛そうな赤に顔を歪めるも、本人は鼻筋に沿って落ちる眼鏡を押し上げ、ああ、まあ、と言葉を濁す。


手袋なぞしていない無骨な指先も赤くなっており、マジか、を繰り返してしまう。

傘に積もった雪を落としてやり、いつから居たのかと問い掛ける。

折角ポケットに突っ込んで温めた手を、目の前の赤い頬に添えれば、ゾッとする冷たさだ。


まるで氷水に手を浸したような冷たさに、唸り声を上げてしまう。

驚いたように眼鏡の薄ガラス越しに目を丸めるその男。

間の抜けた顔に米神が痛み、いつから居たのかという答えを貰うよりも先に立ち上がらせる。


その時、名残惜しそうに雪だるまを見るので、米神を通り越し頭全体が締め付けられるような痛みを感じた。

最早言葉を発するのも面倒で、片手で男の無骨な手を掴み、もう片方の手で雪だるまを拾い上げる。

その時の男の、少しばかり安心したような、はにかんだ笑顔と言ったらもう。


***


男をリビングに招き入れ、手に持った雪だるまをベランダに置く。

生憎、冷蔵庫も冷凍庫もそこまでの余裕はなかった。


「それで、合鍵どうしたの」


タオルを引っ張り出して来て問えば、キョトンとした顔の男。

ああ、思い出したように手を打つが、その答えは「忘れてた」なのでどうしようもない。

丸で思い立ったが吉日のように、家を飛び出して来たその男は、私が髪を拭いている間も、ソファーに身を沈めながら私を見る。


「……何」

「赤いな」


着込んだままのコートを引っ張られ、前のめりになれば、鼻と鼻がぶつかる。

瞬きをするが距離を離すつもりはないらしく、鼻歌交じりにタオルの乗せた髪を乱雑に拭われた。


「痛くねぇの?」

「いやいや。どう見ても君の方が痛そうだよ」


頬を指先でなぞられ、問い掛けられたが、その指先の冷たさに眉を寄せる。

一体どれくらい居たのか、再度聞いても答えははぐらかされてしまう。


いつまでもコートを引っ張られ、腰を折り曲げた状態では体が辛いので、その場に座り込み顔を離しながら、男のコートを脱がす。

傘を差していたために、コートには水気らしい水気は見られない。

その代わり、触れれば布地でもひんやりとした冷気をまとっているが。


「ねぇ、本当、マジで何でマンションの下で立ち往生してたの。今日、何の約束もしてないよね」


ソファーの背もたれへコートを投げる。

男の手は既に自分の膝に置かれており、私は頭の上のタオルを取り除く。

すっかり水気の取れた髪は、乱雑に拭われたために毛先が絡まっている。


「起きたら明るかったし」

「私はさっきまで夜勤だったけど」

「そしたら雪降ってっし」

「積もってたしね」

「そしたら、何か、何つーか」


私の目を見て話していたというのに、ゆっくりとその視線が下がり、言い淀む。

迷うように視線をズラし、一度唇を引き結ぶ。

母音のみの呻き声を漏らしたかと思うと、寒さ以外の要因で頬を染めている男がそこにはいた。


「会わなきゃ、と思った?」

「何で疑問符なの」


恥ずかしい台詞だとは思うものの、それよりも突っ込む場所を見付けてしまい、濡れたタオルで男の腕を引っ張叩く。

大袈裟に悲鳴を上げる男だが、その顔は非常に楽しそうである。


「雪降ってんぞ〜、と思ってさぁ」


座り込んだ私を再度引き寄せ、肩口に顔を埋めた男は、なんて愛らしいのか。

歳下を甘やかしている気分になるが、実際のところ、私とこの男は同い歳である。

だと言うのに、まるで子供の様だ。


それこそ、雪が降っただけで喜ぶ子供。

飛んだり跳ねたり、下手したら犬のように雪の中を駆回るのではないか。

それはそれで、笑える。


ふはっ、と吹き出しながら、男の厚みのある背中へと腕を伸ばす。

ダッフルコートに包まれていた体の方は、予想よりも暖かかった。

背中を撫でてやり、聞こえる心音に合わせて叩いてやる。


「ところで、私は夜勤だったわけだが」

「おう」

「仮眠程度しか取っていないわけだよ」

「……おう」

「しかも体は冷えているし……。可能ならば、ホットミルクでも飲んで、一度ちゃんと眠りたいのだが?」


男の額が、肩の骨を削る。

ゴリゴリ、強い力で擦り付けるのは止めろ、と悲鳴を上げた。


動きを止めた男が、私の脇に腕を差し込み、おお、と思う間に立たされる。

ならばホットミルクの用意をしよう、身を翻したものの、背中にはべったり張り付く男。

むしろ暑苦しさすら感じそうな距離感だ。

隙間なく引っ付いた男は、俺の分も、と声を上げ「俺も二度寝する」と、今度は背骨を削ってきた。

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