彷徨う誰か(3)
人を待つ時間というのは、どうしてこうも長く、いざ当日になるとあっという間に感じるのだろうか。
古びた看板に『夕川駅』と書かれたホームで、ペットボトル片手に立つ。案の定ハトが足元に近づいてくる。
今日はパンを持ってきていない。やや早く訪れた暑さにより、ペッドボトルの表面を水滴が伝っていく。
手に持ったまま、ぽたぽたと水滴を垂らして地面を見つめる。することがない。しかし、急にハトが翼をはためかせて飛んで行ってしまう。
「邪魔だったかな」
「え」
顔をあげると、また露出の多い恰好をした虎斑 凛がそこにいた。
暑いからかノースリーブにショートパンツという組み合わせ。
革のベルトが腰の細さを際立たせている。腕輪はシルバーでなく、カラフルなバングル。
手首に重いものをつけて疲れないのかな、という感想しか鳩からは出てこない。
いつの間にか彼女が乗っていた電車が到着していたらしい。
大きな音も振動もあったに違いないが、数分待っている間にすっかり意識が異世界に旅立ってしまっていた。
気温以外の理由で顔を赤らめる鳩を嘲笑いはせず、虎斑は横に立つ。
「ハト、飛んで行っちゃったね」
「僕が呼んだわけじゃないですから」
「そう。にしても、随分待たせてしまったようで。熱中症とか大丈夫?」
「平気です。えっと、飲み物買います?」
「お気遣いなく。君こそ新しいのはいいの? だいぶ減ってるし温いんじゃないのか」
「えー……と、お言葉に甘えて」
気を遣うつもりが逆に気遣われてしまう。
小銭を入れてを緑茶とスポーツ飲料のどちらを買うか迷って、後者のボタンを押す。
後ろからキュポ、と空気が水で滑ったような音が鳴る。虎斑はわざわざ水筒を持ち運んでいるようだ。
飲み物を取るために屈む背中に、虎斑はどこか面白がる調子で問いかけた。
「ねえ、君。どうしてホームのなかで待っていたの?」
「えっ」
それは勿論、虎斑を出迎えるために。しかし、問われて改めて考えたところで気が付く。
「あ……」
「気が付いたみたいだね。はは、全く面白いな。案外抜けてるんだ」
そう、
「ホームじゃなくて駅前で待っていればよかったのに。入った時と同じ改札機では出られないよ。気持ちは嬉しいけどね」
試しに改札機を通って外に出ようとしたが、ICカードを使おうとしたところで見事にエラーに阻まれた。
うつむきがちに駅員に事情を説明し、何とか通ったものの駅員の呆れを隠さない怖い顔はプツプツと鳩の胸を痛めた。しばらく思い出して、電車は使えないかもしれない。
落ち込む鳩の一方で、たっぷり数分は虎斑はいかにもおかしいといった調子で口を押えていたのだった。
○
彼女が亡くなって以来、鳩は休みの度に佑の墓を訪れている。
ぼうっとしがちで物事を覚えるのが苦手な彼ではあるが、幾度も来るうちにすっかり道順を覚え、かつてはスマートフォン片手に右往左往していたのに今では迷わずまっすぐに向かうことができるようになった。
まめに掃除をしている甲斐あって、佑の墓は新品同様。事実、墓ができてから二か月も経っていないのだが。
花瓶に生けた花は暑さにやられたのか、すっかり萎れている。
純白の菊だった花弁には茶色い滲みが斑にできあがり、醜い。
鳩はまるで自らの弔いの願いが手折れたように感じ、絶句して立ち尽くしてしまう。
今まで家に飾ってあった花は母親が片づけていた。よく
「そろそろ花が萎れちゃうから」
といって花を取り換えるたび、せっかく綺麗なのに勿体ないと思っていた。
だが、花とはこうも早く、ここまで無残に変わり果ててしまうものなのか。
花束を抱え、墓前を見詰める鳩のそばを通り、墓石の横にそっと桶を下ろす。
「鳩くん。このお花、取り換えてもいいかな」
控え目に問われ、ようやっと鳩は意識がこの世に戻ってくる。柄杓を左手に持った虎斑にコクコクと頷く。
「じゃあ、一緒にしちゃう? それとも、それぞれ左右にわけちゃう?」
「両方チグハグだとアレだし、一緒で」
「はいよ」
アンティークチックな茶色い紙を広げる。虎斑が買ってきた花束だ。
全体のフォルムを菱形に整えてある様は、すっきりとして美しい。本数は五本。
名の通り優美な濃紺の紫苑が一本、一際鮮やかに咲き誇っている。他には白と黄の洋菊が二本ずつ。
鳩の持ってきた花束も広げた。
花を選ぶ度、ベージュ色の箱の中に美しく穢れなく収まった姿を思い出し、つい白いものを選びがちである。
昨今の花屋では、季節外れの花を卸すもお手の物。
仕入れた数が少なめらしく値段も張ったのだが、一目惚れ。数本、竜胆を買った。
鮮やかな青は日にかざしても透けるなど想像もできない濃厚さ。釣鐘型の小さな花房が可愛らしい。他には数本の小菊。
種類は異なるのだが、妙に虎斑の花束と似ている。
興味深い思いで、まだ瑞々しく美しい花を見ている合間に虎斑は花瓶を簡単に掃除し、バランスよく飾っていく。
鳩が花を観察し終わった頃には、もうまとめられた線香にチャッカマンで火をつけているところだった。
「あ……すみません、何もしなくて」
「案内してくれたじゃないか。こんなに綺麗な花だ、佑もきっと喜ぶだろうね。はい、どうぞ」
赤い光が点いた束を半分にわけ、鳩に渡す。
ひょいとさっぱり供えた虎斑に対し、慣れているはずの鳩は灰を落とさないように気を配り、腰を落として極めて慎重に供えた。
失敗は決して許されない、とでもいうような形相で。
尊敬の意を込め、少女を見やる。
手を合わせて瞼を閉じ、静かに祈る虎斑の横顔に静謐という表現が浮かぶ。長い睫毛は震えもせず、静かに死を悼む。
鳩なんて、生まれて初めて数多の激情に振り回されて自らの心も思うようにならないというのに。
この少女はまるで世界に苦しみなどひとつもないと言いたげな言動ばかり。
――まるで佑みたいだ。
そうだ。彼女はどこか佑に似ている。脳内で言葉にしてみて初めて気が付いた。
奇妙なほどの冷静さ。いっそ冷たいと感じる時すらあるのに、一方で礼儀正しく現代では珍しいほど親切で優しくもある。
素直に受け取ればなんともないが、考えても本心を想像し仮説を立てることすらできない。
――やっぱり、佑の友達なんだな。
彼女のような性格は珍しい、と思っていた。
学校は今までいた世界よりずっと広い世界だったから。
しかし、学校は世界の全てではない。
外に出さえすれば。あるいは、たまたまあの学校に彼女とあう生徒がいなかっただけで、他の場所に通っていればもっと彼女は幸福になれたのかもしれない。
ともに手を合わせた鳩は何を語りかけていいものか迷う。一体どのような話なら、彼女の元に届くだろうか。
――佑、君の友達は君の死を悼んでる。僕も悲しい。どうして死んでしまったのか、だなんて理不尽なことは問わないけれど、せめてあの世では幸せに……
やはり、違う。途中で祈りをやめてしまう。彼女にかけるべき祈願は。
もし、佑と虎斑の立場が逆だったなら、佑はどのような動作を行うだろうか。
発想がそこに至ると、不思議と映画のワンシーンのように映像が浮かぶ。
――ちろちろと細い水の線を伝わせて、時間をかけてしっかりと掃除をする。野花の健気さと手間がたっぷりかかった大輪の花の荘厳さが溶け合う花束。それを墓石に添わせ、無礼なほど丁寧に一礼し……二度とやっては来ないだろう――
この時、鳩は謎のうちのひとつが解けた。
どうして彼女は死を恐れなかったのか。
それは、佑は最期の時まで死を不幸だと思っていなかったから。
――なんでそう思うんだろ。変だな。
確信の理由は、この心と記憶のどこに?
隣の虎斑が動いたのを気配で感じ、足を延ばす。ぽきりと体内で骨が鳴った。
身体の関節を軽く回している虎斑に吐息を吐く平坦な口調で呼びかける。
鳩自身は『いつも通り』呼びかけたつもりだったのだが、自分の喉からこのような声がでるのかと驚くほど抑揚がない。
注意して耳を傾けなければ、呼吸を聞き間違えての勘違いか、独り言だと思ってしまっただろう。
彼の自らの発想の不自然さへの気持ち悪さ、そのままの口調だった。
「虎斑さんは、佑をどう思っていましたか?」
ぱちくりと目を丸く瞬かせ、また微笑を浮かべた。ここは佑とはまるで違う。
「そうだなー。うん、そうだ。初めて彼女と会ったところに案内しよう。そこで佑とのことや、印象を話させてもらおうかな」
「初めて会った場所、那谷木ですか」
「いいや、夕川にある喫茶店。前にも言ったが虎斑にとっても佑は面白い子だよ。一言で説明しろと言われても、わからないのだから難しい。ここはひとつ、特に印象に残っている出来事を個別に推測させてはもらえないかな。君の意見も是非聞きたいし」
「個別に? 僕も行った方がいいんでしょうか」
「君が嫌でなくて、相手が虎斑でもいいなら。全容を見て掴めないなら、手の届く場所を手に取ってじっくり考えるしか虎斑にはできないよ」
言われてみれば、そういう手もあった。
先導して話ついでに振り返りつつ、鳩がちゃんとついてきているか確認しながら歩いていく虎斑。
後は一度だけ振り返り、墓石を離れた。
○
店内は異様に明るい。だが電球が特別明るいというわけではない。
店の外側が全てガラス張。天井のあちこちにも天窓。
そのため、自然の光が雲の切れ目から差し込む陽光のごとく、はっきりと眩しい光源となっているからだ。
音楽も柔らかなクラシック。よく知らない曲なのが残念である。
客はふんわりとしたシフォンスカートやカーディガンをはおった女性が多い。
とにかく白くてベージュでピンクで、ほわほわだった。疑いようもなくメルヒェンな女性向けの喫茶店である。
ロックでパンクでビジュアル系な虎斑と、男性である鳩はどう見ても浮いている。
「うーん、君にはもっとカワイイ恰好してもらった方がよかったかなぁ。なかなか美少女な顔しているし」
「遠慮させてください」
鳩はあまり自らの容貌に頓着しないが、男性として一般的に喜ばしくない提案だとは理解できた。
奇の視線が隠そうともせず向けられるのは、精神が擦り減るものの。
さながら、自分達が奇異となるとはわかっていたのだろうから、いくらでも無作法に応じてよい。そういわんばかりだ。
落ち着かなさに意味もなく何度も座る位置を直してしまう。
次こういった場所に来るのならば、女性の姿を取るのもアリかもしれない。
「……そうだ、性転換しよう。それならば女装ではなくなります」
「君は何をいっているのかね」
「え? 何かおかしいことでもいいましたか」
「いやいや……あ、もしかして異能かしら」
「佑に異能についてはきいていらっしゃらなかったんですか?」
「うん。聞いてないよ、異能ってなかなかデリケートな話じゃないの?」
異能は、人格が特殊能力として具体化された力。能力者の性質を表すもの。変更やカスタマイズは絶対にできない。
人格を操るなど不可能だ。
それに、異能を使った途端、いやがおうでも心の一部を露わにすることになる。
人間が持ちえない力という意味でも軋轢が生まれやすい。諸刃の刃なのだ。
「うーん、どうなんでしょう」
しかし、鳩には実感がわかない。彼は自分の異能に対する他者の反応を見たことがないからだ。
「どう、って」
「僕の異能は去年開花したばかりで……使ったのも佑の前で一度っきりです」
「なにかしら彼女もいわなかったの?」
「『ありがとう、助かった』とだけ」
初めて力を使ったのは、身を削る勢いの豪雨のなか、駆け足で帰ってきた日だった。
しつこい暑さの残る九月。朝はカラリと晴れていたのに、急にきた夕立だ。
玄関の前に立つ頃には二人ともびしょ濡れで、ポケットから鍵を取り出そうとして何度も手を滑らす。
丁度よく鳩は数日前に持ったばかりの異能をいつ披露しようか、迷っていた。
だから、自分の手を液体にしてドアの僅かな隙間から侵入。鍵を開けた。
そうしていつも通りの無表情で言われたのが先程の礼だった。
「つまり異能にすら驚かなかったと」
「はい」
苦笑してアイスコーヒーのカップに唇を添える気持ちは、鳩も経験した思いだ。
鳩自身、素直に告げなかったのは佑の驚く顔を見てみたい好奇心から。常日頃アンドロイドもかくやという沈着な心を動かしたかった。
結局のところ、この世に建言した時以来、一度も鉄仮面が崩れた奇跡はない。
驚かされたのは鳩の方で、当時の記憶が色鮮やかに残っているのも彼自身。
うねる透明な手の水あめによく似た、柔軟さと肉体の面影を残す重み。
――あれが僕の心の形なのだろうか。
実感はわかない。あの力と自分の共通項は?
「彼女のイメージが崩れるイメージがわかないね。一貫していて、素晴らしい」
「人間のイメージってそう変わらないものでは」
佑は大人しくて無表情で静かで、周りを大切にする人。僕はおしゃべりが得意じゃなくてみんなのスピードについていけない。
店の音楽が切り替わる。今度は知っていた。クラシックの次は……『キラークイーン』。
――よくわからない人間といえば君じゃあないのか、虎斑。他にどういう者かわからない人間は知らない。
やっかみを込めた返答に、彼女は呵呵と笑う。
「へえ、君はそう思うのか」
「? だって、見ればわかるでしょう。明るい人は明るい服と笑顔で、落ち着いた人は落ち着いた服と言葉を使う」
虎斑は派手でフシダラな恰好なのに、口調は大人っぽくて態度は穏やか。チグハグだ。
アイスコーヒーにとろりとミルクを落とす。揺らぐ黒に落ちて、狼煙のように沈む白。ぼうっと見ているとストライプのストローであっという間にかきまぜられてしまう。
出来上がったのはまろやかな茶色い液体。彼女はそれを美味しそうに啜った。
「一目で人となりがわかるだなんて、ありえないよ。心を覗き見る力があっても、相手の経験全てを知る術があってもさ」
「そこまでしないとわからないものですか?」
「そこまでしてもわからないものだよ。佑がそうじゃないか、うっかりさん。うん、君も前途洋洋、可能性の塊って感じでいいんじゃない。いい姉弟だね、一度三人でお茶したかった」
半端なコーヒーを啜る彼女の視線は優しい。母に向けられる瞳を思い出す。妙に気恥ずかしくなって手元のウーロン茶を煽る。むせた。
げほげほ。喉に絡む冷たい液体を吐き出そうと咳き込みながら、早速自分が提出できる『考察対象』を述べる。
「さ、さきほ、げほッ……先程、ひとつひとつを検討して考えるのも手、と……ゲッホ、おっしゃっていましたよね」
「うん、そうだね。ふたつみっつ、今すぐでもいえる経験はあるよ。楽しい思い出は覚えている方なんだ」
「で、僕の場合は、この異能が真っ先に思いつく『彼女を知る手段』です」
「はて、それはまた」
「僕は《天使》ですから。《親》は佑です。天使は親の影響を強く受けますから、百パーセントありのまま佑を反映はできませんが、一部を垣間見るぐらいはできると思うんです」
そうであってほしい、と思う。
血の繋がった家族がいない鳩にとって、《親》である佑は自分の由来ルーツにおいて非常に大きな比重を持つ。
会う機会は一度もなかったが、他の《天使》達もそうだろう。
《天使》という生き物の本能的な性質だけでなく、そういった理知的な感情面でも《親》は大切だ。
だから本能に上乗せして、自発的に学ぶ。真似る。近づく。
「ふぅん。一理あるね」
「ならよかった。僕でもお役にたてそうで」
「おいおい、君自身の悩みじゃあないか。役に立つ、立たないはこの際どうでもいいさ。解決でなく納得の問題なのだから、目標達成にはやる気さえあれば十分だよ」
虎斑の話は難しい。遠回しだ。
簡潔過ぎてわからなかった佑とはまた違う、コミュニケーションの難しさ。
きっと時間をかければいいたいことがわかる、そう考えると鳩は彼女の話し方がそう嫌いでもない。
「さて? 君の能力は『液体になる』、あー、違うか。さっきいっていたものね、女体になればいいって。じゃあ『変身』?」
「だと思います。どこまでできるか試したことがないので、はっきりとは言えませんが」
試しに、ウーロン茶の入ったグラスに添えた右手首の先を黒に変えてみせる。
虎斑はひょいっと片眉をあげて「おお、面白いなあ」と呑気に驚く。
また反応は薄いが、佑よりはマシだ。
体の色も形も変幻自在。
かといって、自分の力とはいえ本当に正しい使い方ができているかはまた違う話。
勘違いした使い方、まだわかっていない使い方や性質がないとも限らない。
目覚めてすぐに全てがわかるわけではないのだ。
なんとなく、『ああ、できるな』。そう思うとできる。説明書はない。
「変身、から君と佑に繋がるイメージか。虎斑が思いついたのは、『不定形』『変幻自在』『広範囲』かな」
「?」
「うーん、わかりにくいかな?」
「はい……でも、そんなものですかね……」
ああ、つまりこれが『人の性質が簡単にわかるわけがない』ということか。
虎斑の印象を聞いてもピンと来ないし、かといって言葉という形にされてしまうと心当たりがある気もする。
自分では見えない見方が他人にあり、同じように自分にしか見えない相手の姿があるのだ。全てを把握しきれるはずもない。なんとなくわかった。
彼女の連想は正否は確認できないが、能力と合致している。
「自分では『無差別』『未熟』『テキトー』って感じかと思いました」
何にでもなれる無差別さは、拘りのなさ。ハッキリしない思考という形で表れる未熟。いざ致命的な事態になるまで気づこうとしなかった愚鈍――テキトー。
「でも、佑には当てはまるかもしれませんね」
自分の力と思うと否定的な意見が抑えられなかった。佑ならば素直に頷ける。
感情が読めない彼女の心中はブラックボックス。
何もわからないということは、あらゆる可能性が詰まっているのとイコールとすらいえる。
「そうかそうか。つまり君は自らをそう思うんだな」
どこかで聞いた台詞で彼女は鳩から目を逸らす。一体どこで聞いたのか。
思い出そうと首を捻り、胸のあたりまで来たところで 先にまた話し出されてしまう。
「虎斑と鳩くんのこの異能に関するイメージに共通しているのは『不定形』で『無差別』ってところかな」
「えッアッハイ、そうですね」
「そこから更に連想できるのは、マイペースな性格とか、差別の意思が欠片も見られなかったところ、ってとこだね。虎斑は」
「僕は……」
どうしよう。もうほとんど虎斑に言われてしまった。
焦りに冷や汗を流し、うんうん頭を悩ませる。二人の静寂を嘲笑うように、すぐそばのガラスの向こうを車が駆け抜けていく。ぶぉんぶぉん。
如実に顔に出てしまっていたのか、口を開いたのはまた虎斑だった。
「悩みそうなら、先に虎斑と佑の出会いをいおうか? すぐに情報や結論を出す必要はない。あまり君にばかり話させるのも申し訳ないし」
「ありがとうございます、すみません」
話をさせてばかりなのはこちらの方だ。情報を出したのが先だからと、気を遣わせてしまった。
何より、先程から定型文じみた返答しかできていない。
――おしゃべりの仕方の勉強でもしなきゃ。
「よし。ではさて、虎斑と佑が出会ったのは先程も言った通り、この喫茶店。実にたった半年前……この喫茶店に、一台のバイクが突っ込み、彼女が怪我をしたのがキッカケだった」
「なにそれ知らないんですけど」