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天使の血管  作者: 室木 柴
親切獄卒
33/35

ウィ・ウェット:エピローグ

 決して美しい物語ではなかった。

 エイネは静謐(せいひつ)我儘(わがまま)だった。

 神妙な顔で黙り込み、考え込む鳩の前で、三人は無言で茶を啜る。


「……あの、」

「何かな?」

「僕は、そこまでエイネさんが悪いと思えません。おかしいでしょうか」


 人を殺した。それは間違いなく悪い。行動に至ったタイミングもあまりに急だった。けれど、どこかそれだけではないと感じてしまう。


「おかしくはないんじゃあないかな、僕もそう思うし」

「俺はあんまり好きじゃないけどねえ。もっとやり様はあったと思うよ、それで誰もが納得するかは別として」


 青田と赤羽はそれぞれ真逆のことをいう。答えを求めて虎斑を見やる。


「どちらもだろう。確かに、そのまま街を放置すれば、大きな内乱が起こり、欲望に塗れたものによる虐殺もあったかもしれないね。他者から奪うのは、楽な繁栄の手段だ」

「エイネさんは、人間を信じられなかったのでしょうか」

「まあ、そりゃあそうだろうね。今まで信じて道具を渡してきて、結果がそれだ」


 すっかり未来への希望が無くなってしまうのも、仕方ないのかもしれない。

 淡々と述べてみせる虎斑の心情は読めない。

 再び鳩は沈思する。


――前にも、こんな気持ちになったことがあったような。

 脳裏に、いつも不機嫌そうな男の顔が浮かぶ。あの騒がしい少女も。


「……エイネさん、寂しかったのでしょうか」


 誰にも見てもらえなかった。人が気にするのは異能とその責任の所在ばかりで、人の心をもっているのだと認められなかった。

 その焦燥も、悲しみも、孤独も、衰弱も。きっと誰も、本当は暗い気持ちが巣食う、その内側に踏み込もうとはしなかった。


 彼には――幸助には、友人が、サカノがいた。

 だから人を信じることができたのだろう。自分の心を、外に繋げることができた。

 誰にも何もいわずにいたエイネ自身にも落ち度はある。けれど、誰もが頼れる人がいて、何もかもを素直に曝け出せたなら、この世は人の世でない。


「誰か、隣に立ってくれる人がいなかったのでしょうか」


 きっとそれがトシュテンだった。彼がいなくなり、エイネは無自覚に弱っていったのではないだろうか。

 自分の異能どころか、存在そのものが道具扱いされる違和感に、心がひび割れていく。それを増長したのは間違いなく自分自身だということに、己を嘲り、憎む。

 生まれもっての万能ゆえに、人に頼るという発想がなかったのも原因かもしれない。


「もっと、やりようはあったんでしょうね」


 赤羽の言う通り。だが、エイネが、ではなく、人間が。

 もっと失敗して、我儘をいって、怒られて、笑われて、背中を支え、支えられる。

 悪意と善意に振り回される当たり前の人生。普通じゃない生き方もできただけで、普通の生き方も望んでいたのでは。

 人間が、エイネの孤独を、『平気そうだから』と見逃してきたのは間違いないのだ。


 最も近くまで寄ったのはバルタサールだったろうが、彼は幼すぎた。庇護対象だ。エイネに寄せる感情も憧れや庇護下に置かれる安寧であっただろうとは、自分も虎斑の傍にいるときにたまに思うので、想像に難くない。

 支えになりたいと思っても、どうしてもどこかで相手は自分より優れているから大丈夫、と思ってしまう。それもまた誤りであり、傲慢であるとはキッカケがなければ気付けない。


 新しい《親》であるヨハンナも、生々しく人間であった。

 残酷な判断が、その後の多くの人々の助けになる。犠牲があって救いを生む。そういう出来事も、少なからずある。誰もかもを救おうという慈悲が、必ずしも最適解とは限らない。

 かつて故郷を捨て、放浪したヨハンナにはそういったある種の残虐さ、判断力が身についてしまっていたのだろう、と鳩は予測する。

 今の日本は、それこそ助け合いが推奨され、手を取りやすい。しかし、かつて、今どこかでだって、安堵して手を握れない暗闇の世界も存在する。

 エイネの元にたどり着くまでに、利用されたこともあっただろう。

 今回は、たまたま事態が手元に収まりきらなくなって、それが悪い形に働いて、失敗に終わっただけなのだ。


 いつだって正解などはなくて。人が増えれば増えるほど、抱え込む矛盾と問題は複雑になる。答えは過去に消えてしまう。ああすればよかった、といえるのは、終わった未来だけ。

 エイネは判断を誤った。しかし、だからといってエイネが悪いとあしざまに罵るのは、気が進まない。


 命を絶えさせられることは恐ろしい。だが、エイネも人々が暴走するのが恐ろしかった。

 人はバルタサールを恐れ、殺そうとした。

 やっていることは同じ。それを自分たちサイドに都合が悪いからといって、どちらか一方を責めるのは違うきがする。


 大事なのは、誰が悪いか、ではない。何が悪いか、なのに。

 己の罪業を慰めるために、例えそれが悪であろうと利用するのは、


「それが、教養ある、品性ある、知性ある人間のすることでしょうか」


 本質をあえて見失うことが、解決の道だろうか。


「……もしかしたら、そうやって延々と、自分が死んだ後にさえ、問いを投げかけ続けることが、本当の目的だったのかもしれないね」


 虎斑の呟きは、答えあぐねる鳩の耳に、妙にこびりついた。

 そうなのかもしれないし、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。

 答えは永遠に出ないだろう。

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