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天使の血管  作者: 室木 柴
親切獄卒
31/35

ウィ・ウェット(4)

次回、「ウィ・ウェット」編最終話。

 歪な空だ。街で一番高い建物から景色を見渡す。遠くを見れば、白い壁がぐるりと囲っている。

 カラフルな家々が小奇麗に収まっていた。まるで、プレゼント用の小箱に敷き詰めたお菓子のよう。

 ここ数年で、すっかり町は様変わりした。既に全く違う場所に成ったといっても過言ではない。土地も人も増え、名前も違う。


「エイネさーん!」


 しばらく空中を眺めていると、下から声が聞こえてきた。見ると、よく目立つ赤い髪が風に揺れているのが目に映る。

 ホログラム(・・・・・)の出現位置を下層に移動。そこにいたのは、やはりバルタサールであった。


「バルティ、どうした」


 突如目の前に現れるのにもすっかり慣れたのか、全く動じない。出会ってから八年、エイネの異形化が始まって三年。バルタサールの背丈はすっかり伸びたし、エイネの身体も変わり果ててしまった。

 今、街を見下ろしていた建造物。それが今の『エイネ』だ。


 この時代の人間には、不可思議な神秘の塔に見えているらしい。『知識の門』と住人が呼んでいるのを耳にしたことがある。

 なんでも、智天使(ケルビム)の住処だから、だとか。いつの間にか、自分はただの《天使》だというのを上書きされてしまった。


 塔を見上げる。つるりとした表面に、解けかけの繭のような光が奔っていく。元は人と同じ造りをしていたのに、ここまで変質してしまう。

 異形化とともにエイネの異能も随分と成長して、今では《天使》が何であるかも大体わかっている。その成り立ちを思えば、この程度の変質はある意味当然のことだ。


「これ、届けてーって母さんに頼まれた」


 走ってやって来たのだろう。頬は赤く蒸気し、幾筋も汗が伝っていた。生気に満ちて活き活きとした笑顔で、何百と重ねられた紙を差し出す。

 エイネが塔を指さしたのと同時に、つなぎ目のひとつもない壁から引き出しがニョキっと生える。バルタサールは慣れた手つきで引き出しに書類を詰め込む。

 書類が仕舞われ次第、引き出しは引っ込んでいく。数秒も経たず、中でスキャンが終了した。


 住民からの新しい道具の要望、街の改革計画、その他雑務諸々。

 特に多いのは、生活の質の向上、治安の整備。内容は毎回違うが、割合は概ねいつも通り。


「やっぱ、乗り気じゃない?」


 情報を確認して、優れない顔をしたエイネを心配そうに見やる。


「こんなことをしても、何にもならないんじゃあないかと思ってね」

「いっつもそういう。みんな、前よりずっと便利になったって喜んでるのに」

「便利ならいいというものでもないだろう?」


 しかし、ヨハンナはまず生活を豊かにし、最初から選択肢をあたえられないことを防ぎたいのだという。その論もわからなくはない。

 何より、トシュテンが行方不明のまま帰ってこなかった後、《親》はヨハンナになった。仮とはいえ《親》の意向であるからとはいえ、従うことを選んだのはエイネ自身。急激な文明に人々が湧きたち、圧倒的な波に流されてあっという間に、これだ。

 荒ぶる人民には、個の存在など。その程度の存在でしかないのに、何がケルビムか。


 今更いうのも難である。



 エイネを引き取りたいという人間は、予想外に多かった。最終的に、元より《天使》を育てているヨハンナが強引にもぎ取った。

 基本的に、利益も欲しければ仲間も欲しく、自己肯定もしたいが清廉さも認められたいのが人間というもの。あれもこれもと、矛盾したものを矛盾なく掲げたがる。

 各々をどうにか噛みあわせようと、慎重に選択を選ぶ。


 その点、ヨハンネは迷いがなかった。彼女は一つを見つけるとまっすぐで、器用に取れる限りのもの全てを取っていこうなどしない。

 彼女が他の希望者に叩きつけたのは、正論。一遍の容赦も忌避もなく、ひたすらに正論を振りかざし続けた。


 今まで忌避してきた子どもを急に引き取ると言い出して、恥ずかしくないのか。

 それは慈愛などではなく、単に欲望を満たしたいからではないのか。

 エイネを引き取ったところでどうする、自分のためだけの奴隷にするつもりか。

 自尊心と仲間意識を満たすために、無様な悪意をぶつけておいて、欲しいものだけもらうことが人道か。


 エイネの前でも迷わず同じことを言う。媚を売らず、飾りもしない。

 同じようにエイネを引き取りたがっているくせに、と罵った住人がいた。


「ええ、そうですよ。大なり小なり、彼女の異能が魅力的だと思っていますとも。人間ですから当然です。気持ちを持つこと自体は否定しません。ですが、私はそれを押し付けようとは思っていませんよ」


 呆れられ、蔑まれてもヨハンネは意見を撤回しなかった。あまりに正直で、策ともいえぬ行動は愚かですらあったのに。突き抜けた行動というものは異様な気迫を伴う。


「エイネさんは、素晴らしい才能の持ち主です。人の役に立とうと思っても、そう簡単に実を結ぶとは限らない。悲しいことに。ですが、彼女は現在進行形で沢山人を助けている。

 私はエイネさんが才能を伸ばすことを全力で支援したい。それで人の役に立つことは凄いし、私の住む場所が幸せになれば、すなわち私だって幸せになるということです。

 あなたたちに、それができますか? その可能性を放りだして、自分だけ幸せになりたいと思いだしませんか?」


 ヨハンナがエイネの《親》になった要因は三つ。

 前述した通り、元より《天使》の《親》であったこと。

 誰にでも同様のことを告げたため、《親》になっても利益を独占するのではと疑いの目を向けられやすくなったこと。

 決め手はバルタサールだ。ペスト対策の隔離施設建設の際、彼の能力がかなり一方的な破壊を可能とするものだと知れわたった。

 はからずも、彼女は他者では太刀打ちできない武力を保有している、と認識されたのだ。


 エイネは異能を用いて、様々な文明をもたらした。

 まずは夜でも活動できるように、自然物から生成したランプ。昼間の内に日光にあてると夜間に白い光を放つ。かなり先の未来にて、環境悪化が著しく悪化したために、解決策の一つとして発明された道具だ。


 これを製造する道具は塔に保管されており、必要に合わせて店に卸す。無料配布では経済が回らなくなってしまう。

 民は利便になれ、これ以下の性能のものを求めようとしない。高レベルの工業品はエイネにしか作れないのだから、仕方がない。

 その一方で、服飾や絵画、料理など、継承のできない個人スキルの分野は急激に発達した。必要な業務に費やす時間が減り、余裕が生まれたためだ。糸や染色の材料そのものはエイネが作っているが、デザインや染色作業そのものは民が行う。


 外からやってくる業者も多く、結構な値段で飛ぶように売れるという。

 人々は時間をより効率的に、多様に用いることができるようになった。文化も経済も優れている。学習、自警に割ける力も増え、『本来の』この時代の文明水準を大きく逸脱してしまった。


 ヨハンナと一部の碩学には、物品ではなく技術に関する知識そのものを教授して欲しいと言われたが、さすがにそれは断った。

 今、エイネが未来の道具を提供しているのは、文明を使用した住民の多くが結託して、一度大規模な訴えを起こしたからに過ぎない。

 ヨハンナへの義理立てのつもりで、たった一度だけと作った道具。だが住民たちは、何故世をよくすることができるのに(もち)いないのかと責めたのだ。


 心が痛まなかったといえば嘘になる。とはいえ、心痛が行動の理由ではない。

 エイネは人を信じたかった。愚かな人間がいるのは百も承知であったが、できることをしなければ暴動を起こされ、無辜の人々が苦しむ未来が見えた。

 だからあえてのオーバーテクノロジー。現在の文明レベルに近ければ、自力で解析してしまう可能性がある。元を辿れば、魔法のようなエイネの道具は全て人が編み出したもの。人の知性は底知れない。

 道具を用いる人の善性に、エイネは未来を託そうとした。してしまった。



 異能を使用し続け、エイネは変わった。極めて巨大なコンピューター。それが今のエイネの姿である。最も、人々はコンピューターそのものを知らないが。

 自分たちが使っている道具のなかには、極小の自律機械が蠢き、時に人体に潜り込み内側から治療するものもあるとも知らないだろう。


 彼らは恩恵としてそれらを受け取っている。訝しむ者もいたが、今ではすっかり利便のもたらす楽に浸りきった。

 街を歩けば、様々な視線が突き刺さる。頭を垂れるものもいれば、指を組むものもいる。十字をきるものも、怯えて隠れるものも。


「奇妙なことだね」


 ぼそりと呟くと、隣を歩くバルタサールが不思議そうに此方を見た。

 彼は純粋に市場を見て楽しんでいたから、人の視線に気づかないのだ。


「私たちは、降って湧いた命なのに。普通と人間と一緒で、偶然と奇跡、ランダムの産物。だというのに、彼らは私たちを脅威か御使いのように扱っている」

「御使いって、天使様だっけ。俺たちじゃなくて、教典の」

「そう。神様の遣い。人でないもの、煌めくようにやってきて去るもの」

「ふーん。ま、確かに変かも。みんな俺を持ち上げるんだ、おかしいよ。俺、何もやってない。やっちゃいけないっていわれてるのにさ、それで褒められるんだ」


 言われてみれば納得いかないかも。薄い唇を尖らせる。


「それにさ、俺の方がエイネさんより偉いっていうんだ。みんな馬鹿だ。エイネさんが一番凄いのに」

「教典がそういっているからさ」

「からかってる? 俺たちは御使いじゃないよ、さっき自分でいったじゃん」


 望む望まずに関わらず、急速に支持と反発を集めるために、ヨハンナをリーダーにした一団――『議会』は、宗教を利用した。

 元は、天から降ったように現れるからとつけられた《天使》という呼称。本来の天使の階級になぞらえた呼び名を、エイネとバルタサールにつけたことで、この街における二人の意味は変わった。


 外からやってきた異物ではなく、天の国から降臨した祝福。

 元より都合のいいものは受け入れたい人々だったのだ。御使いを抱える土地ともなれば、はくもつく。自尊心も並以上に満たされる。


 熾天使(セラフィム)。それがバルタサールに押し付けられた呼称。

 熾天使は、天使の位階でも最上とされている。燃え盛る天使。なるほど、火炎の如き爆砕をもたらすバルタサールらしい。

 文明をもたらすエイネに与えられた呼称、智天使(ケルビム)は、神の姿を見ることができる(ソフィア)から名付けられたという。『天使の階級』では第二位。宗教上は熾天使よりも下位の天使。

 何もかもが出鱈目なのに、こういうところには拘る。

 

――ケルビムの姿は、四つの生き物の姿があって、人間のようなもので、それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおびていた。人の顔、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔。生き物のかたわらには車輪があり、車輪のなかにもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた――


 このような記述は無視して。

 現実のエイネは、最早この土地から離れられないし、本体である塔はのっぺらぼう。

 ただ、『ケルビムの全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた』という一文はそこそこあっているかもしれない。全身の目は知の象徴。


 街で常軌を逸して高く、何もかもを見下ろす塔は、街全体のスキャンも可能だ。その気になれば(街のなかに限ればだが)全てを見透かせる。

 同じ伝説でいえば、傲慢なほどに高い塔など、民を分裂させ、上位者に破壊されそうなものだが。


「案外、合理だの利益だの言う人に限って、くだらないお遊びに夢中になるのかもね」

「なんで?」

「色んな物を器用に拾おうとするあまり、いらないものを宝物だと勘違いするから」

「……なんで?」

「眩しさに目がくらむんじゃない?」


 エイネは、今の街があまり好きではない。

 文化の灯に眩しく輝き、人々の笑顔は照る。だがその恵みの光は、激しいコントラストを伴っていた。


「ねえ、バルティ。君、今の街をどう思う?」


 金もある。知識を得る場も時間も機会もある。楽があり、余裕があり、自由があり。血統の貴賤にも基本的に大した意味がなくなった。

 恐らく、現状世界で最も発展し、貧困から遠くなった場所であるのに。

 愛称で呼びかければ、バルタサールはほんの少し顔を歪め、改めて住民を見渡す。


「うーん、なんていうかー……のびた、感じする」

「のびた?」

「うん。前から頭いいな、って思ってた人は、この前会ったら凄く楽しそうに勉強してた。俺にはわかんないこと、研究してた。でも、前から文句ばっかりだな、って思ってた人は、アレがないコレが足りないって何にもしてなかった」


 賢い人はもっと賢くなった。

 自堕落な人はもっと堕落した。

 便利さは、人間を改善なんてしない。元より持っていた性質を、深くするだけ。


「便利になりさえすれば、不満に鬱屈した人もそうする必要がなくなるって、お母さんはいってた。そうなった人もいたよ、でも違う人もいる。

 あっ! あの、エイネさんが悪いっていってるわけじゃないよ! あくまで、いやな人がいやな人のままなのは、個人の問題だもんな。他の人にできないことができるのが凄い、それが人の役に立つのが凄いっていうのは、変わんないから! ホントだから!」

「ふふ、ありがとう」


 弁明するバルタサールが微笑ましくて、つい笑う。

 本人はただ、素直に好き嫌いの理由を考えているだけだろうが、エイネも同意見だった。

 利便が世界をよくするなど、嘘だ。利便を愛と平和に用いようとするものだけが、世界をよくできる。

 自分を変えるのは自分だけ。人の心を照らせるのは、人だけ。

 だから、この街は歪んでいる。美麗な装飾で飾り立て、満ち足りているかのように偽った、空っぽの街。


 流れる風の音は、ひび割れていた。

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