ウィ・ウェット(3)
家の前に立つ二人。エイネの生まれと異能から、村人とは全員といってしまってもいい程度には面識がある。
だが、彼らには見覚えがない。つまりはヨソモノ。
にこやかにあいさつを返すエイネを、二人が振り返る。顔立ちは、はっきりいって似ていない。それもそのはず、彼らに血のつながりはないのだから。
エイネとトシュテンに気が付いた二人の表情の変化も、全く異なっていた。
女性は歓喜に顔をほころばせ、少年は苦々しくしかめる。
ここに来るまでに様々あったのだろう。
「ご、ごきげんよう! あの、エイネさんとトシュテンさん、かしら?」
「ああ。あなたはヨハンナさんだね。そちらの子はバルタサールくん。私を訪ねてきたのでしょ?」
どうせ村人なら誰でも知っていることだ。隠しても結果は変わらない。余計な問答は省く。
言い当てられて女性――ヨハンナは目を見開くも、すぐにやつぎばやに問う。
「では、この子を治せますでしょうか!?」
「病気じゃないから無理」
「あの、話の途中ですまない。エイネ。何の話だい?」
次いで「嗚呼、初めまして」と続け、トシュテンもエイネの横に並ぶ。エイネは、仏頂面でそっぽを向いている少年――バルタサールに視線を合わせ、二人の問いに一括して答えた。
「この綺麗な赤毛をしたバルタサールくんは《天使》なんだ。あんまり感情の起伏が激しくて――いや、より正確に言えば、それは結果であって要点ではないのだけれど――コントロールできないから、病気なのだと思ってここに来た」
「でも病気ではないのだろう? 今、自分でそういったばかりではないか」
初めてバルタサールが口を開く。声変わりも終わっていない。もしかすると、年齢も両の指で事足りる程度かもしれない。心が瑞々しいからこその刺々しさ、感情を偽れない隠蔽技術の未熟さ。
まだ明確な理を得ず、縛られない年頃。要は、素直で無邪気で経験には欠けるが気配には敏感な幼子。
この年齢に、理知や自身の制御を求めるのは少々酷というものだ。
親として、疲弊と心配を覚えるのは仕方ない。かといって、それが病であるというのは早計に過ぎる。
バルタサール自身も、子どもが子どもであることを受け入れられていない母に思うところがあるらしい。
「感情の制御ができないことを異常のようにとられることが不満だ」。
異能を使わずとも、不満がありありと伝わってくる。
「確かに感情の振れ幅が大きい性格ではある。でも、それは個性のレベルだ。悪意が伴っているわけでもない。こうしてわたしから情報を得ずとも、信じて一緒に暮らせばいいよ。時間が彼の心を育む」
「そう、なのでしょうか?」
「そうさ。支えになるのならば、訊ねるのも悪ではないけれど」
「なにをいっているのだか、わからないんだけど。アンタはバカなのか?」
「いったそばから! 口を慎みなさい、バルタサール!」
自分をじっと見る視線が不快だったのか、毒づく。名を呼ばれ、叱られてもどこ吹く風。
しかしエイネは特に怒ることもない。別段悪意があったわけではないとわかっている。ただ、反射的に、瞬間的な感情を、考えもなく口を滑らせてしまっているだけ。
これは半ば母親と同じなのである。
「それで? ここに住みたいの? 大変だと思うけどな」
「ダメとおっしゃりたいの?」
「あなたが決めること」
直接会って確信したが、彼女はもう住むと決めている。いくら誰がなんといっても、一度決めたら行動してしまう。美点でもあり、欠点。なんにせよ、二人とも若すぎるのだ。
バルタサールが現れた時、すぐに殺してしまえといった両親に反発し、飛び出してきてしまうくらいには。
エイネのうわさを聞き、同じ《天使》とその親ならば受け入れてくれるかもしれないと、遠路はるばるやってきてしまうくらいには。
異能のおかげでエイネは相手を誤解することなく理解できる。しかし、トシュテンは違う。
一番最初の質問のせいで、子どもをまっすぐ見てやれない親のように思ってしまったようだ。
――違うんだよ、お父さん。この人ここに来る直前に、バルタサールくんと喧嘩したんだよ。
その時に、「本当は病気なんじゃ?」と疑って、勢いのままに聞いちゃっただけなんだよ。
他人から見れば馬鹿らしいが、心とはそううまく動かないものだ。
「本当になんでも知っていらっしゃるのですね」
頭のなかでどう取り持とうか、考えあぐねるエイネの心情も知らず、ヨハンナは感嘆の声をあげる。
――いえ、なんでもじゃあないよ?
エイネの異能は、ややこしい。一見便利だが、逆に言えば使いどころに迷う。
いったいどんなところがといえば、知識は知識であって、役に立つ道具そのものではないところが。
そもそも、エイネの異能は、「過去・現在・未来におけるあらゆる人類文明を使用することができる」というものだ。
ロストテクノロジーであろうがオーバーテクノロジーでもお構いなし。例えば、この時代に存在しないケイタイデンワでもエイネには使える。
『人には見えない場所』――エイネ自身も視認はできない。感覚でそこにあるとわかる――に手を入れて、引きずり出せば、白い手に『文明』がある。
ここで重要になるのが「使用できる」という点だ。
ただ手に持つだけでは、使いこなすことはできない。使い方がわからなければ、ただの奇妙なオブジェに過ぎない。
存在を識り、理由を知り、もたらすものを理解る。そうやってようやく「文明を使う」といえる。
そしてエイネが用いるのは人の文明。人の文明は、人が作ったもの。作るからには、そう思った理屈と意思がある。意思がなければ、文明を生み出そうとすら思わないのだから。
心も文明のうちなのだ。当然、全て知ろうとすれば過負荷が大きすぎるが。
だからエイネは、「既に実行された文明」――発言や、決定された意思、可能性の高い未来なら知ることができる。そして、人類に影響の大きな文明であればあるほど優先的に知っていく。
例えば、この時点でエイネは電気の知識とエジソンの生涯を暗唱可能だ。
しかし、反対に文明規模の小さい、一般人の心情などといった情報はほとんど入らない。
特にエイネと同じ時間に生きている人間の情報は、影響力が不安定で知識が突然やってきたり、来なかったり。
「知っているだけなら知っているかもね。ただ、全部わかってるわけじゃないよ」
説明するのも面倒だ。素直に教えてしまうのも少々抵抗がある。
適当にはぐらかしたところで、先程まで「彼らに会う」以外の用事があったことを思い出した。
どうにも、彼らが自分たちの生活に深く関わるらしいのだが、相当に不安定な可能性らしい。心情は手に取るように見えても、未来が見えてこない。
新たな情報は容赦なくやってくる。エイネはまだその全てをうまく使い切れるほど達者でなかった。
忘れる前に、大事な目的は実行してしまわないと。
「あ、そうだ。私、用事があるんだった。失礼します」
「え? 一寸、どこに行くエイネ!?」
「私が部屋にいる間、なかは覗かないでね。作業してるから」
「嗚呼、そうだね……其れはいいのだけど」
戸惑うトシュテンには申し訳ない。忘れていたが、割と急ぎの用だったのだ。忘れていたが。
家の中にスタスタと入っていく。後ろであんぐり若い親子が口をあけるのがわかる。こちらの都合で振り回して、申し訳ない。
特に、好奇心が強い子どもであるバルタサールはこちらを追おうとしてきた。すぐさま、ヨハンナに首根っこを掴まれて宙ぶらりんになる姿は、幼さを如実に表す。
部屋自体は、別にみられても問題はない。多くの人は常識外のものを見ると激しく精神を揺さぶられる為、避けているだけで。
両手を広げればいっぱいになってしまいそうな、小さな自室。ただでさえ小さい家で、この作業の為だけの部屋を作るのはそれなりに圧迫されるのだ。
エイネにはそれで十分。問題ない。
宙に手を滑らせ、人差し指で空間をなぞる。扉を開くように、本をめくるように、細く長い人差し指を横にスライドした。
「御開帳、っと」
ぱっくりと『知識の門』の向こう側が顔を出す。中に手を突っ込み、中から材料をとりだす。
蒸留器に、試験管に、シャーレに。当分名前のつかないアレやソレ。
《薬》を作るのだ。近々、病が流行する可能性が高い。予防接種を全員に実施するには、察知が遅かった。
物を直接出してしまってもいい、しかし、念のため自分でも製法してみる。
勘違いして別の薬を使おうとしている可能性もゼロではない。知識のインストールは自動でも、実行は自分の決定。取り出す瞬間に勘違いしてしまっているかも。
エイネが何らかの理由でいなくなった後も流行が続く危険にも備え、いくらか平易な作り方も実践・確認しておきたい。効果はエイネのそれより劣る。不可抗力だ。
勿論、量産可能品は一定数の薬を作った後だが。
――これ、作らなかったら、どうなるか。
淡い企みが浮かぶ。だが、首を振って邪念をはらう。
村人を憎む気持ちがないといったら嘘になる。しかし、今までトシュテンとともに過ごしてきた人間でもある。全てが悪意一色の存在ではない。
彼らもまた文明であり、命である。文明の芽は尊い。手段があればエイネの主観による感想はどうであれ、保全に努めなければ。
残念ながら、知ってしまっているエイネでは、文明の徒に足りえないのだから。
結局、その晩のうちに部屋を出ることはなかった。
○
「『近々、この村に流行り病が訪れます。お薬は既に作ってありますので、症状の出た方は我が家をお尋ねください』」
「わかった」
「『治療は私が行いますが、人手不足に陥る可能性もありますので、治療技術を学んでくださる方を募集します』」
「これをみなに伝えてくればよいのだね?」
「お願いします、お父さん」
「ええと、病気が流行るのですか?」
エイネが町を歩き回ると、いらぬ喧嘩を買う可能性がある。いつもの道以外は無暗に歩かない方がいい。
いつも通り、伝言を頼む。食卓を囲む朝のことだ。
そして、同じテーブルの椅子に座っているヨハンナが落ち着きなく問う。他人の家で安らげるほど剛毅ではないらしい。
一朝一夕ですみかが決まるわけもなく、野宿するつもりであったらしいから、無理矢理家に泊めた。
トシュテンは若い身空の女性で不用心である、子どももいるのに――と怒っていたが。
実をいうと、襲い来る身の危険に限れば、彼らは完璧に安全というものなのだ。
「大丈夫さ。予防策も今夜作る、病気になっても治療は可能だろう」
「わあ! 凄い……! あっ、私、お手伝いします!」
「そう? ありがたいな。では、トシュテンと一緒に……ああ、いい――」
「わかりました! では行ってまいりますね!」
「……本当に、若すぎるなあ」
役目を任されるなり、いても経ってもいられず飛び出す。
バルタサールが「あんたも若いじゃん」と指摘する。そういうことではない。
確かに経験が浅いという意味ではエイネも子ども。今の発言の意味は、落ち着きというか、余裕というか。生まれついての性分、みなぎる気力とでもいおうか。
恐ろしく、羨ましい精神である。
「では、僕も行ってくるよ」
引きつった顔を浮かべるトシュテンもまた席を立つ。
しかし、特に指示もなくおいて行かれた少年が気になった。
膝を折り、バルタサールに目線を合わせる。目と目が合う頃には、仄かでにこやかな笑みを浮かべていた。眦が下がり、うっすらと皺がよる。
「君は? 暇だったらでよいのだけれど、お留守番をしていてもらってもいいかな? エイネだけでは心配だから」
「ん、わかった。 いいよ、やってあげても!」
「ありがとう、助かる」
今日も不機嫌な横っ面を晒していたものの、大の男に頼まれごとをされたのが余程嬉しかったのだろう。途端にニコニコと、太陽のような満面の笑みに変わる。
口角がキュッとあがり、やや三白眼気味の瞳が輝いていて。椅子の上で大きく足を揺らす。親子ともどもわかりやすい。
「……それでは、お願いするね」
「アンタ身体が細くて弱そうだもんな! ……あれ、でも、女の人……だよな?」
「さあ。どっちだろうね、好きな方で考えて」
「ええ……なんだ、それは」
意味が解らぬ、と曇り顔に戻る。
ただ、他人の些末な出来事は、彼の知的好奇心を刺激するには物足りなかった。しばらく唇を尖らせて思案顔を垣間見せていたものの、自室の扉を見つけるなりニィっと悪戯に駆け出す。
バルタサールの知的快楽の対象は、もっぱらエイネの異能。昨日は果たせなかった秘密の部屋が、今日こそみられるだろうと期待している。いやむしろ強行突破で見てやろう――のは、昨晩にはもう決定していた未来。バルタサールがやろうと意思を固めていたこと。
エイネはとっくに知っている。
「危ないからダーメ」
「吝嗇!」
入る直前で、腕をつかんで回す。ダンスのように空中を一回転し、床に足を着けさせた。
今まで子どもを抱いたことなどなかった。知識で知っていても、実際に持ち上げると想像以上の軽さと重さに驚いた。
腕にずっしりかかる重量、これが命か。ろくに鍛えていない自分でも少し気合いを入れれば持ち上げられる軽量、これが童か。
成程、守らねば容易く散る。
エイネも父を真似し、視線を合わせた。ただ、同じ態度は気に食わないかもしれないので、腰を曲げて膝に手をあてるのみ。
やや上からの視線がバルタサールに降り注ぐ。
「なかでうっかり物を壊せば、切り傷もできるし、火傷もする。病気になることもある。やった後でゴメンナサイしても、過ぎた時間は戻らない。すっごく痛い思いするのは、君だからね?」
「痛い?」
「とーっても。それより、もっと奇怪なものを見せてあげる」
「面白いもの?」
「一夜城さ。こういう時、なんていったらいいのかな。ツイテマイレ?」
聞きなれない言葉。興味を持ったのだろう。へええ、と、嗤うでなく笑う。そういったところは素直に愛らしい。
喜ぶ彼の手を引き、広く空いた野外へ導く。患者が来るまでに、また一仕事だ。
「君の力も貸してもらうよ」
「本当? アンタのもみれる?」
「一応ね。とりあえずは――空き家を一掃しよう」
○
概ね、異能は肉体年齢が十代以上になってからが多い。具体的な例を出せば、第二次性徴の少々後、が最も多い。標準より心もち、バルタサールは開花の時期が早い。
それだけ《親》も《天使》もぶれにくい軸を持っている。悪く言えば頑固、よく言えば強靭な心。
そんな少年の異能は、実にシンプル。『爆砕』。
自身の起こす破壊がまた爽快なのだろう。空き家が吹っ飛んで更地になっていく光景は、確かに奇跡染みている。
激しい感情の高ぶりがそのまま、現実世界に現れるようだった。
飛び散った破片が飛んでくるも、エイネにたどり着く前に粉塵と化す。
どうやら気をつかわれているらしい。
「うん、これぐらいスッキリすれば十分か」
近々はやる病は『黒死病』――ペスト。発症した患者は隔離しなければならない。
十何人かは死ぬ。それでも、何もしないよりずっとまし。
本当は、外壁のように設計と材質の提供だけして、建築は住民に任せたい。どうにも、このペストもまた歴史への影響が確定していないようで、『知れる』箇所と『わからない』箇所の差が大きい。
何が起こるのかが見えない。あるいは、ここが不明瞭なヨハン・バルタサール親子から受ける『影響』の起点なのだろうか。複数の未来が重なって、モザイク状態になることは稀にある。
考え事をする一方で、地面に手を付ける。脳裏で設計図を組み立て、遥か未来の技術を用いて『自動的な』建設を行う。
必要な物質を『見えない空間』から取り出す。設計に従って物質を合成。3Dの視点をもって下から上へ順番に積みあげ、定期的にスキャンして確認も重ね、製造していく。
細かな調合器具や薬品、家具はまた後程作る。建築と薬ではだいぶ性質が違う。
まるで大地から生えるようにできていく建築物こそ、バルタサールには奇跡に見えたらしい。作業中も大きな歓声が、爆発音混じりに鼓膜を揺らす。
「えっ、えっ、何しているのですか!?」
「ああ、ヨハンナさん。おかえりなさい」
驚愕の声をあげたのは、息子だけでなかった。
破壊と創造が同時に行われる一帯に、悲鳴に似た反応を繰り返している。挨拶をしたのに、混乱のあまり、届いていない。あちらを見、こちらを見。視線ひとつ定めるのにも忙しない。
「患者さんを纏めて来ていただいて、長期的な治療を集中して行うために建設中……あれ」
いつもなら、ここで呆れたような笑い声があるのに。ああエイネ、また何かやっているな、と。
柔くも温かな、あの人が。
「お父さん……トシュテンは?」
「えっ、あ、あの……その、止めたのですけれど、あとで来るそうで」
「……へえ、そう」
止めた、あとで来る。繋がりは見えない。急に口籠るヨハンナの心を探るように、鮮やかな色の瞳を覗き込む。
情報は伝わってこない。彼女自身が世界に、文明に、知識として表出させられないということか。
我ながらややこしい。要は、世間やエイネ個人に知識として共有されえない情報だから、エイネには伝わってこないということだ。
今、混乱したままうやむやになってしまう? それとも――この情報は、都合が悪い?
エイネにとってか、彼らにとってかはわからなかった。
久しぶりに『歯がゆい』という感覚を味わう。
「君――」
何か訊ねようとするも、具体的な問答が思いつかない。これもまた久しい。
片眉を跳ね上げたエイネに、そっと目を伏せられる。
《天使》の胸に、じんわりと虚偽の苦い味が広がっていった。清涼な水に落とされた、一滴の紫毒のように。