表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使の血管  作者: 室木 柴
親切獄卒
28/35

ウィ・ウェット(1)

「ちょっと、ちょっとだけ、休憩させてください」

「おお、若いねえ。気分悪くなっちゃった?」


 にやにや煽る赤羽に、鳩は憎しみを覚える。

 誰かが嫌だと思ったことは何度もあるが、これはそれとは全く違う。新種だ。なんだこの気持ちは。 


 八木尾 夕映菜の気持ちを考えると、今にも嗚咽しそうになる。胃に収めた紅茶が「もうたまらん」と出ていきそうだ。

 口元を抑える鳩に追撃しようと開かれた唇に、誰かがきつね色の菓子を詰め込む。

 露出の多い腕。大人にいじめられる子どもを見かねた虎斑だった。


「赤羽さん、クッキー食べててくれる?」

「アッハイ」

「鳩くん。洗面台ならあっち」

「ありがとうございます、失礼します……」


 駆け足で飛び出していく鳩の背を見送り、少女は嘆息する。

 大人げない大人二人。悪趣味だ、とでもいうように流し目で見やった。対し、青田も赤羽もほけほけと笑いを崩さない。


「よりによって、《天使》が人間に裏切られる話だなんて」

「えー。だって今、幸せそうじゃなーい、彼? そういう時に苦労しておいた方が楽じゃん。どうせもう終わった話、実際あった話。つらいものは視さえしなければ平気とか、バカいわないよね」

「いい話は君が知っているでしょう。憎まれ役が余っていたから引き受けただけです」


 一見イイヒトぶっているが、その裏には無邪気な若者苛めが楽しい、とはっきり書かれている。

 耐えられないと思ってもいう性悪ではないから、彼らなりの少年への信用と期待なのだろうが。年齢に見合わぬほど無知で無垢な鳩には、少々刺激が強い。


 一方で二人の意見に賛同もしている。

 痛みを乗り越えるには耐える必要がある。耐えて、苦痛の形を見極め、高い壁に手足をかけられるとっかかりを探す。

 心の防壁を剥がされるのろまな拷問。苦悶の時間を終えるまで、壁を後ろから支えてくれるのは大抵かたい意志だ。


 例えば、幸福だとか信念だとか。積み重ねが甘いうちは、時間がたつと揺らいでしまう希望。だから、今のうちに、ということには納得している。


「それで? 他にはどんな話をするつもりなんだい」


 理屈は正しくても折れてしまえば元の木阿弥。

 次も激しい善意の意地悪が続くようであれば、助太刀しなければならない。鳩が鋭過ぎる問いかけと鍔迫り合いをできるように。


 先程も頑張ってはいた。しかしモノによっては最後に行く前にスタミナ切れを起こす。

 何より、ただ丸く考えるだけではこの2人は満足しない。


「うーん。とりあえず、語りやディスカッションの時間を考えると、三人が限界だろうし。次は《エイネ》について話そうと思う」

「あの都市伝説みたいな?」


 意外な名前に首を傾げる。

 当事者が若い大人になる年月しか経っていない八木尾の件と比べ、リアリティの薄い伝説だ。


 外国、大昔、ハイエンドな異能。

 身近で我が事のように考えられる存在とはとても言えない。


「確かに嘘みたいな存在だけれど、本当だからね。少年って、ああいう話、好きだと思うんです」

「うんうん。俺も子どもの頃、初めて聞いたときはワクワクしたよ」


 懐かしそうに目を細めて頷く赤羽は、本当に楽しい話をしようとしているように見える。


――それでもやっぱり、人間と不仲な《天使》を選ぶのか。


 正確に言うと、彼(あるいは彼女)は人間を嫌っていたかはわからない。あくまで、人間を大量殺戮した、という事実があるだけだ。


 最早神話の人物のように扱われ、しかし確実に存在した《天使》。

 もしもエイネがいなかったら。エイネが別の選択をしていたならば。きっと今の《天使》と人間は全く違う未来を歩んでいたかもしれない。


「ワクワク、ねえ」

「しなかった?」

「どうだったか。まあ、ユメのある話だとは思ったさ」


 そろそろか。廊下へ耳を澄ますと、とたとたという足音がする。随分と遅く、頼りない。不安定なリズムはそのまま彼の精神状態のよう。


――これもまた随分な話。だが、一応、クッションくらいになるかもしれないな。


 大人ぶっていても、無邪気な子供は少女のなかにも住んでいる。虎斑もまたほんのりと笑って、空っぽになった少年のカップに紅茶を注ぐ。そして少年を待ち構えた。



 エイネ。苗字も何もない、ただのエイネ。天使様と羨まれたその人は、あくまで(・・・・)そういった。

 その《天使》が生きていたのは、西暦600年代。はるか遠き今昔。


 《天使》を祀り上げ、世紀の大発展を遂げたエイネの街は、現在はもう跡形もない。

 人類と《天使》の共存を望んだ智天使(ケルビム)

 数少ない当時の資料には、エイネについてこう記されている。


『地上に在る知識の門番』


 装飾の多い文章で綴られた記録。まだ実在していた頃に、街と交易をしていた商人の手記の一文。

 なんでも、エイネはこの世の全てを識っていたという。

 誇張ではない。脳髄という知識の泉に沈んでいたのは、過去、未来、文明における何もかも。


 そのエイネが、何故己の住処を破壊したのか。謎は今日に至るまで審議され続けている。


人間に尊ばれ過ぎた天使。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ