アンドろいどチュウけい(1)
こじんまりした屋根の下に収まった中くらいの家。なんてことはない住宅街の一角を占めるそこは、可愛らしくとも他の家と変わりないのだが鳩の目には妙に仰々しく映ってしまう。
虎斑が暮らす家、というものがまるで想像できなかったということもある。
なにせ彼女本人からして見た目も中身もチグハグ、どういった人物なのか欠片しかわからない。奇抜なからくり屋敷に住んでいても威風堂々とした日本屋敷に住んでいてもおかしくない。
彼女の家を訪ねるのは二度目だが、一度目の事は正直ほとんど覚えていない。通された一室以外は廊下してみていなかった。
何度来ても「もしかして?」と思ってしまう。
淡い色の花を揺らす小鉢が微笑む玄関。鈍い輝きが眩しい傘立て。玄関は広々として小奇麗に掃除されている。柔らかに客を迎える美しき良妻のようだ。
庭はなく、代わりにコンクリートの丘が佇み、シルバーの家庭用車が涼んでいた。
一般家庭として比較的品のある、それでも普通の枠組みを出ない平穏な家屋。それが余計に踏み込んだとたん、予想外の珍事に見舞われないかという無根拠な不安をかきたてる。
こういう時、どうしたらいいのだろう。鳩にはわからない。
インターホンの場所もわからず、玄関でひたすらに立ち尽くす。
「あれ、鳩くん? 遠慮せずに入りなよ、インターホンあったでしょ」
そのうちに家のものに声をかけられる始末。いつも通りだ。
横開きの玄関から顔を出した虎斑は、部屋着であっても露出が激しい。装飾は少ないが、ティーシャツにローライズのホットパンツときめ細やかな肌を披露して惜しんでいなかった。
「えっと、あの……いきなりすみません」
「電話でもいいって言っただろう、いいって。おしゃべりは好きだ、遠慮なくできるだなんて願ったり叶ったりさ。それに今日は適任がいる」
「適任? 他に人がいるんですか」
「うん、虎斑の保護者」
扉を開け放ち、どうぞと鳩を招く。
中に足を踏み入れたが外観通り、小奇麗に整えられている。まっすぐな細長い廊下があって、左右と奥に部屋の入口があった。
「奥にいるから」
「は、はあ」
「緊張しなくていいよ。なにせ虎斑を育てた人だ」
多少のことは気にするものか。
くすりと笑んで、最奥の部屋へ歩を進める。優雅に歩く小さな背を忙しなく追う。
開かれた隙間の向こうに在ったのは広々とした空間。恐らく居間だ。光を漏らす一室に意気揚揚と少女が入り込む。
「来たよー! 貴成さん、この子が白河 鳩くん」
常より心なしか、年頃の娘らしい気軽な呼びかけに返されたのは
「あ、はーい。お待ちしておりましたよ、いやあうちの子がいつもお世話になってますね」
聞き惚れるほど心地よく、まろやかな声音。けれどあまりに語りが滑らか過ぎて、胡散臭くさえあるテノールだった。
椅子に座ってコーヒーカップを片手の指にかけ、優しく微笑んでいる。その慈愛とも自信の表れともつかぬ表情は確かに虎斑に似ていた。
白いワイシャツとシルバーのつるを備えた眼鏡が知的な印象を与える。これがまたよく似合う。しかし、女子高校生の娘を持つ男にしては皺や年相応の威圧感が少ない。
容貌は三十代と言われても頷いてしまう若いものだ。その隣にも同年代か、それより下と思われる男性が座っていた。大学に居たっておかしくないが、着崩したスーツが社会人であると示している。
「初めまして。お若い、ですね?」
「まだ三十代だからね」
虎斑は聞くに、高校三年生だという。つまり十八歳前後。彼が三十代ということはつまり、十代で……
目をぱちくりさせている鳩に男性は苦笑する。気まずく吊り上った口角の意味がわからず、戸惑う顔の耳にそっと柔らかな何かの端が触れた。
虎斑の唇だ。
「!?」
「実父じゃない」
「青田 貴成。凛ちゃんのお父さん、そのおじいさんの妹のひ孫」
「……貴成さん、せっかくサラっと終わらせようとしたのに」
「いいじゃないか。隠すようなことじゃないさ、この子にはね。そうだろう?」
「それもそうか」
はっきり明言はされないが、恐らく信頼されているのだろう。
娘がそういっているから。少女がそう思っているから。
知らないところで好意的な感情を寄せられているというのは、なんとも気恥ずかしい。鳩もまた、虎斑の信じる人だから青田も信じるに足るだろうと思っているだけ、余計に。
だからといって、何故彼女が実父ではなく彼と暮らしているのか。それを訊くのは信頼を踏みにじる行為。今は彼が「青田 貴成」で友人が「虎斑 凛」であり、彼らが家族である確信さえわかればいいのだ。
成程わかったと頷いたところで、今度は青田の隣に腰をかける男性を目をやる。
彼はどうやらコーヒーをちびちび啜っていたらしいが、少年の目線に気が付くとニッ笑みを湛えた。笑顔になると更に幼い。まんまると大きな瞳のせいか、はたまた悪戯っぽく挙げられた眉のせいか。
「どーも」
「ど、どうも」
「赤羽ナツキでーす。青田の同僚で、一応相棒ってやつかな」
「相棒……?」
「ドラマとかで見たことない? 刑事ものではバディは王道でしょ」
「……ケージ?」
「ナツさん、話の順番がバラバラですよ」
「アキ、俺なんか変なこといった?」
「そうじゃなくてですねえ」
話の内容がつかめない鳩のために、青田が助け舟を出す。
とんとん、と自分の胸と赤羽の肩をつつき、人の読めない、けれど穏やかで感じのよい表情を浮かべる。
虎斑の関係者は、もしや皆こんな感じなのだろうか。再び少しだけ怖くなった。
「僕と彼、警官なんですよ」
「ケーサツッ!?」
「あんまり階級高くないけどねー。これでも普段結構忙しいの、今日はお休みとっちゃった」
「そんな時に……すみません、僕、帰りましょうか」
「いーのいーの。遊んでだらけるだけが休みの華じゃないさ、お話しましょ」
「そうそう、お話しましょ」
「あっ……はい……」
虎斑の家族だ。笑顔が似ているように、話好きも同じなのかと自分を納得させる。
勧められるままに席に座った。虎斑の隣、青田の正面。左前で赤羽がニヤニヤと頬杖をついていて、むず痒い気持ちが腰のあたりを這う。
「白河くん、紅茶とコーヒー、どっちが好き?」
「どちらでも大丈夫です」
「あえていうなら?」
「こ、紅茶で」
「よし」
コポポと継がれていく透き通った赤茶の液体。目の前の二人はコーヒーを飲んでいるのに、わざわざ二種類用意してくれるあたり、筋金入りの世話好きといっていい。
匂いが少し混じる。そんなお堅いことはお構いなしに、保温ポットに入った各飲料を好き好きに飲む。
――ああ、気軽に過ごす時間なんだ。
肩の荷が少し降りた。コップに口を付けて香りを嗅ぐ。しばらく緊張をほぐす暖かな静寂が漂い、肺を満たす。
「さて。今日は《天使》についての話について聞きに来たんですね?」
「えっ、あ、そう、です」
「職業柄ね、いくらか知ってるよ。どんなのがいい?」
「……特に。何でもいいんです、自分の事が知りたくて。人間も他人を見て自分を知るでしょう、じゃあ僕もそうしようと思って」
「じゃあ、大雑把に有名なのでいいんじゃないでしょうか」
「そうだねー、いいんじゃない」
相棒二人は手慣れた様子で話し合う。合間に「事故」「法律」「死亡」「異能」「殺害」という物騒なワードだけが聞き取れた。
警察だというだけなら納得だが、これから聞くのは《天使》に関する話題であるはずなのに。
こちらから頼んだとはいえ、あまり生々しくグロテスクな話題は鳩の幼い精神には厳しいものがある。背筋に冷たい汗が伝う、首にもだ。
「……では、これから三人の《天使》の話をしましょう」
いずれもたどった末は非業。良くも悪くも人の隣人、友、近縁。
未だ彼らが善良な救済者であったか、極悪な裁定者であったか、意見様々な三つの事件。
「まずは、或る少女の話を。誰よりも忠実な人の友。ゆえに誰よりも人間を憎んだ彼女が――何故、人を殺して逃げたのか」