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天使の血管  作者: 室木 柴
夢現の子ら
16/35

おぼれた僕(1)

「ちょっと厄介なことになってるから、来てくれない?」

「わかりました」


 サカノという名らしき、『エンデュミオン』の受付から電話がかかってきた。

 空ごと落ちてきそうな、重苦しい鉛色の雲が上空いっぱいに敷き詰めらていた日のことだ。

 虎斑は深く話を聞きもせず、即答する。次の返事までに空いた間に、相手が呆れる空気が伝わってきた気がした。簡単に日時を話すと、未練もなく通話を切る。

 顔をあげて「なんだろうね」と口にしたものの、虎斑は今まで通り平然と、なんでもないような顔をしている。


「なんなんでしょうね」


 呼ばれたのは虎斑だけだが、彼女が『エンデュミオン』に行ったのは鳩を連れ立ったあの一度きり。一人でいけというのは無情に思え、何をいわれるわけでもなく 自然と放課後に落ち合おうと約束していた。 

この日、このときまでは、そういう日だったのだ。



 生意気。我儘。浅慮。

 個人的に抱いていたイメージは悪いが、かといってここまで勝手とは思っていなかった。

 枯れ木のような腕の青年は、軽蔑を隠しもせずに吐き捨てる。

彼が二人を前にして、ぞんざいに大量の何かを放り投げた。嫌な予感を感じ、動けないでいる鳩の隣をすっと通り抜け、虎斑がそのうちの一枚を手に取る。


「ほー。突飛な行動に出たものだ、誰かは知らないけれどね」

「『桃岡 菜々』っていう女の子が送り付けてきたんだよ。うちの常連さんだったんだけどねー、真木にフラれてさ。どこで何をどうみて勘違いしたんだか、君を狙ってるみたい」


紙の山。中身は手紙、写真、罵詈雑言。

全て同一人物からのものだった。カラフルでいかにもキラキラとして、デカデカとマスコットが描かれている封筒。

その中でギュウギュウに重ねられている写真には、必ず同じ少女が写りこんでいた。鮮烈な髪。生気に満ちた瞳。見間違えるはずもない、虎斑だ。


「あほらし」


ざっと三通ほど目を通したところで、真木は読むのをやめた。彼の言うあほらしい手紙を渡された鳩は、無言で紙面に目を走らせる。どれも同じような内容で、主観による根拠もない罵倒が書かれていた。

いかにも遊び好きそうだとか、何人もの男を誑かしているだとか、つきあうのはよくないからやめろ、こいつのせいで自分の人生が壊れた、だとか。


「ふむ。最初は真木さんに虎斑に対する悪印象を抱かせたいという思惑が見え、中盤では愚痴、最後には嫌なことの原因全てを虎斑に求める。困ったね、心当たりがないぞ」

「だろ? 恋は盲目とはいうけどなあ」

「別に恋のせいじゃあない」


 受付はあくまで笑うが、真木の表情は優れない。眉間の皺は刻まれたまま、眠たそうな瞳が吊り上っている。初めて会った時は、今にも寝てしまうのではないかと心配になるほどトロンとした目つきだったのに。瞳の変容はぞっとしないほどで、鬼気迫るものすら感じられた。

 一体この人に何があったのだろうか。


「桃岡さんね、知らない名だな」

「本当に?」

「本当に。モノの名前を覚えるのは苦手ですが、人の名前なら得意ですよ。多分違う学校の子でしょう」


 高いところで不機嫌な顔と困り顔が並んでいる。しかし、虎斑は気に留めずひとつひとつ手に取って写真を抜き取り始めた。何やら封筒の両面をじっと見て、丁寧に並べていく。


「どういう並び順なんですか」

「日にち順。消印を見ている、結構小さい字だねコレ。インクが薄い箇所をこれほどにくく思ったのは初めてだよ」


 冗談まで口にして、何とも強かな、あるいは暢気な人だとつられて笑う。

 並べられた写真は二十枚前後もあり、最初は虎斑の視線がカメラに向いていない――盗撮――だと明らかにわかった。

 机に教科書を広げ、話しかけてきたと思われる男子学生とにこやかに会話する姿。少し制服を着崩した女子の一団と、手を叩いて笑い、ふざけているらしい光景。

 金髪の青年とともに歩いていた、のだろうが、途中で青年が気付いたのか鬼のような形相で振り返っているワンシーン。虎斑は言わずもがな穏やかである。


「……えっと、なんですか、コレ」


 しかし、半分まで来たところで変なものが混ざりはじめた。

 男子学生との組体操のピラミッド。

 虎斑を中心に周囲の学生が吹き飛んでいる。

 見目麗しい女性が男装して虎斑の隣に立つツーショット。


「なるほど、彼女が犯人だったのか。いやね、最近学校に侵入している女生徒がいるが、元々平和な学校だし、何か迷惑を働くでもなし。校内はたった一人が隠れるには十分過ぎる広さだしで、捕まらなくて」

「でもこれ、明らかにわかってやってますよね?」

「友達――この金髪の青年はとても勘がいい。いつも視線には気づくんだが、具体的にどこにどう隠れるかが思いつかず、説明もできない。だから他にはどこにいるのかわからなかった。だから気配を感じたら、とりあえずオモシロ写真を撮らせよう。そう思った」


 どうしてそうなった。

 三人揃って男たちは苦笑したが、女はふふんと自慢げに胸をそらす。


「悪意に耐える支えとなりうるのは善良な笑みだからさ。この虎斑はよい友に恵まれた過福ものだ」

「笑いがいい、っていうのはわかる気がするけどねえ」

「……そうだな」


 ここでようやく真木も口角をあげる。笑みというにはあまりに歪で、鋭く切り込むような角度であったが。他の態度に「嫌なのを形に残されるよりいいじゃないかー」と頬を膨らました。


「全く、もう。話を戻すよ」

「おお、そうそう。ちょっと待ってー。これ、桃岡さんの似顔絵。似た子を見たことあるかな?」


 差し出されたのは、破られたスケッチブックに描かれた絵、というよりも、つぎはぎ。

 漫画、雑誌をコピーしたと思われる、のっぺりとして薄い色の切り抜き。それらを重ね、組み合わせて顔を作っている。まるで福笑いだ。


「や、こっちの方が確実だべ? 絵とか書けねえぞ」

「見覚えあるか」

「……むー?」

「あ、見覚えあります、この人」


 手を叩いて鳩は、すっと窓を指す。

 巻いた髪。化粧をした目元。生意気そうな唇に乗せられた人工色。あの女子高生である。


「あそこから覗いていました。その時は気にならなかったんですけど」

「うぇ、さっさと次の相手探してくれればいいのに」

「派手な見た目をしていて、年齢も近い。何癖もつけやすいと思って虎斑に目をつけたのかな」

「そんなのアリ?」

「人は必ずしも理論ありきで行動するわけじゃない。心があって、頭が動く。事実のなかの真実なんてどうだっていい子もいる」


 この場にいる鳩を除いた全員が危機感を覚える行動。しかし、最も被害を受けている状況である虎斑が一番朗らかであるというのは、何とも異様だった。そういうところが佑と似ている。

 何も考えず、目の前を過ぎ去っていく『事実』の表面だけを見て、受け取らない。そういうところは以前の鳩に似ている。

 否。確かに鳩は受け身ではあったし考えることをしない少年であったが、己の苦痛を他者になすりつけるような真似もしない。自分がやられたら嫌なことは人にもしてはいけないのだ、と母がいっていた。

 たとえいわれなくても今ならやらない。「自分は悪くない」と信じたいのに、やられて嫌なことをわざとやってしまうと明らかな矛盾になってしまう。


「どうして、桃岡さんはこんな……ここまで。恋ってそんなに大事なんですか」


 誰かを傷つけ、貶めてまで叶えたいものなのだろうか。

 何も見えなくなるほど人を好く気持ち。だというのに、相手のことすら考えず、心を押し分け入りこもうとしてあれをこれをと欲しがる。さながら居座り強盗。

 いかなる手段を用いても、留まり続け、脅し続ければいずれ欲しいものが差し出されると。そこに相手への配慮はなく、利益だけを求め。気に障ることがあれば――。


「恋、ねえ」

「虎斑さんは女性ですけど、そういうものなんですか?」

「別に女の子なら皆恋に詳しいってわけじゃないよ。うーん、まあ、私見だが。彼女は自分が好きなのに、自信や確証がないのでは? だから恋に恋する気持ちが通常より強いのでは。いや、恋だのなんだのは、虎斑にはまだ全くわからないので鵜呑みにはしてくれるな」


 念押しからは、本当に全てが想像したもので、自分が所有しない感情に対し どのように考えればいいのか迷っているように感じた。

 彼女にだって、あらゆる心に形を見出しているわけではない。少しだけ安心する。


「では、どうして虎斑さんはそう思ったんです? その気持ちがわからないのなら、そう思う理由があるんですよね」

「まあねえ。自分も覚えがある気持ちなら、多少は経験や他のことと繋げて、言い訳せずにハッキリいうぐらいの甲斐性はあるつもりなのになあ。自分が好き、っていうのは、そうじゃなきゃ自分には他人を傷つけてもよい価値や能力があるとは思い難いだろう」

「あいつのは理由のない自己(ナルシ)(ズム)な気もするがな」


 虎斑が予想を述べるなかでも、真木は桃岡に否定的だ。自分のなかにも彼と同じ感情が見つけられるだろうか。


 誰かに好かれ、それが嫌だと感じる反応。


 自分でいえば、絶対に有り得ないだろうが加渡だろうか。彼女に好きだと言われたら?

 佑のことがあるのだから、まずは「どういう神経をしているんだ」と怒りと違和感に苛まれる。自分以外の世界を認めず否定すれば、『佑を殺した彼女たち』と同じ。だから『絶対に代われない』『攻撃してよい存在』とは思いたくない。だが、大切な心の内に招き入れることは不可能だ。少なくとも、現在は。


 ありのままの気持ちに触れられる。純なままにしておきたい幸福な思い出は痛みを和らげるけれど、だからこそそこに踏み入れられることはひどく恐ろしい。荒々しい人は当然のこと、優しくてもうっかり手をかすめて瞬間に取り落として粉々に砕ける、なんてこともある。


 暖かさ――愛は、情けないほど繊細だ。そのくせ、苦痛は想像を絶する。

 無遠慮に触れられれば、思わず溶岩のような怒りが噴き出してしまう。真木が鳩の中に潜む佑への嫌悪を指摘した時のように。


 爆発すればお互い火傷では済まないから、一生懸命焼け石に水をかけて断って。なおかつ、迫られ続けたら。

 堪えきれなくなる。耐えられなくなる。怒りは憤怒に、憎悪は害意に。

 こびりついて、離れ難くなってしまう。


 そんな目に遭うかもしれないのに、そうはならないと思い込んで――覚悟のうえでなら、想いが届かず、怒ったりはしないだろう――侵略を試みる。要求からして、恋人に共存ではなく奉仕を求めているようだから、あながち激しい物言いでもないはず。


「確かに、自己愛なのかもしれませんね」


 目を伏せる鳩を流し目で視界の隅に留め、虎斑は続ける。


「しかし、ならばわざわざ一人の人間、もっと言えば具体的な愛情を与えられることに固執する必要はない。それでその理由を『確証がないから』と考えた」

「カクショー?」


 受付の男が首を傾げ、慣れないことを耳にしたように問い返す。然りと頷き、次いでそうではなかったと首を振る。己への否定。

 年上が話に加わってきて、口調も丁寧なものに変わった。


「うっかりその通り、と言いかけましたが、これ本当に純然たる想像妄想でした。確証っていうのは、こう、自分って本当に価値があるの、という感じの」

「自己愛を疑ってるってことですか」

「だったら自分の行動を他人の目に当てはめて見直していそうなものですよ。自分で信じるだけでは足りないのでは? 自分が自分を認めることなんて当たり前。こんなに大事な自分はもっともっと認められたい。愛されたい」

「……一部の人間は、当たり前であることを大切なことと感じない。自己愛が当たり前だから、己の価値の評価を他者に依存する」


 言い換えたのは真木だった。時折疑ってしまうが、彼がこの店にやってくる客を一手に引き受けるカウンセラーなのだ。感じるところがあるのかもしれない。


 やるせない何かをみるように固く瞼を閉じての発言。人の夢。認められたい、愛されたい、幸せになりたい。本人にとっては甘くても、彼にとっては苦い飴。鞭は夢の主が握っている。自らに鞭打つ人は憔悴していて、鞭を捨てた人は――。

 複雑な姿を見せ、幾面も現れる目に鳩は戸惑う。


「ええ、見つけてとっておくのは大変でも、落とすのは簡単ですから。でも結局、自分の中では答えがでちゃってるわけでしょう? だから与えられるものが満足いくものでないと、そんなはずがないと怒っちゃうのかなーって」

「……」


 そういう、ものなのか。それでいいのか。

 桃岡はそれで自分が愛せてしまうのか。他人の愛を貰えると思っているのか。

 鳩には共有できない価値観だ。きっと根本的な何かが違ってしまっている。例えば、性質だとか、生き方だとか、経験だとか、好みだとか。


「彼女の、」


 彼女の愛のベクトルは、一体何処に向かっているのだろう。

恐らくはほとんど自分に向いていて、適当に揺れ動く他者への矢印は本当は誰でもよかった。真木はたまたまルーレットのコマにされてしまっただけ。

 ふと思う。そんな桃岡とは反対の選択をした佑のベクトルは、何を指していたのだろうと。


「多分、短期間でこれだけ爆発してるとなると、それなりに短気。行動力と度胸もある。こういう子がいるって情報に覚えがないから、今まではなかったのかな? 色々要因が重なって、火に油を注いだ状態になってるとも」

「じゃあ、このまま鎮火してくれるかな」

「そうかもしれないし、もっと激しく燃え上がるかも。何せ禁断の恋ほど、といいますから」

「はは……うん、でもそれを警戒して呼んだし。対策ぐらいたてようか。これ、警察に訴えられるかね?」

「イケるだろ。さっさとやっといたほうがよかったんじゃないか」


 通報する前に、一応知らなかったとはいえ関係者である虎斑に連絡をしておくべきだと判断したのだろう。彼らの意思は既に決まっているように見えた。

 だが、そこに異を投げ込んだのは。


「失礼しますが、通報は待っていただけませんか」


 虎斑だった。


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