あなたの私(4)
濃い配色の髪。黒いメッシュ。田舎の範疇に入る町では、珍しいを超えて奇異、珍獣と呼ばれる姿。
『桃』岡よりも頭がピンク。
いったい何を話しに来たのか。鳩の額を小突き、眠らせて彼女に向き直ると警戒心がわき出るのを抑えきれない。見た目だけなら桃岡よりもずっと危険そうだ。
だが、幾人もの客と相対してきた為だろうか。『彼女は違う』という予感があった。
クネクネとだらしがない彼女と違う、ピンと伸び背筋の為か。この場には似つかわしくない爛々と光る目の為か。
初めて見る色合いの瞳に、「ほぅ」と漏らす。その輝きはギラつく欲望によるものではない。他者の失敗を望む悪意でもない。溜め込んだ涙に反射するきらめきでもない。何も持っていないが故の純粋さでもない。
あえて探せば、友人が前向きな意見をいう時の視線に似ている。
綺麗な光だった。絶対に手に入らない宝石を目の前にした女とは、こういう心持なのだろう。自分は男だが、手を伸ばしてまで欲しいものが思いつかないので、こう例えるしかない。
見惚れている幸助に少女が微笑みかける。先を促しているのだと気づくのにまた一拍かかった。
「どうぞ、こちらへ。狭いが客に聞かれるのも気まずい」
「わかりました」
施術室の更に奥。自室に案内する。幸助自身、あまり使わない場所だ。睡眠は受付の椅子でとる。食事を作り、作成した資料と荷物を置いておく場所。物は大体ダンボールの中、台所からテーブルまで二メートルもない。親しい人以外を通すのに、恥を覚える程度の狭さ。
「すみません、応接室だなんて上等なものはないもんで」
先日、友人がトーストを頬張っていた椅子を引く。彼女は三十度頭を下げ、音もなく座る。
虎斑が鞄を膝に乗せたところで、見計らったように友人が訪れた。
―おい、聞きたいことがあるぞ。
睨んで伝えれば友人もまた頷きで返す。
「今お茶持ってきますねー。その前に真木をお借りします」
「お気遣いなく」
膝と膝を合わせて綺麗に座っている彼女をしりめに、一度離れた。離れたといっても、ダンボールの群れのなかに入って二メートルほどしか距離がないが。
自分よりも頭一つ分低い友人の耳に口を寄せる。
「なんで引き受けたんだよ」
「キッチリお金くれるっていったから」
おい!
「っていうのは二割冗談で。聞きたいことっていうのがまた変わっててさ。電話口じゃ見た目見えなかったし、普通に礼儀正しいいい子に思えたんだよね」
確かに。態度や言動だけを見れば、優等生そのもの。何故あんなチグハグな生き方をしているのだろう。人生に刺激が足りないのか。幸助の見て来たどの人間にも当てはまらないタイプ。
「じゃあ、その質問ってなんだよ」
なんでもない問いのはず。だが友人はうーんと考え込む。
「あー……」
「ハッキリいってくれ」
「……真木がよー」
《天使》じゃないのか、っていうんだ。
心臓がひっくり返る。生まれて初めて味わう激しい感情。一度押し寄せた驚愕が、恐怖を孕んでより大きな波となって打ち寄せてくる。
削られる岩礁のような幸助の心の内は、幸いにも図星という形では表面に浮き上がらなかった。
「やっぱりブッとんでるよな。ネットでそういう噂があるのか、って聞いたんだけど、別にないって」
「……ああ……馬鹿な話だ」
馬鹿な。どうしてバレたんだ。不自然なところはあったかもしれない。だが人間が誰しも潔白で公明正大に全てを明かすなどとんでもない。あくまで人間としては普通の範囲だったろう。
少なくとも、今まで《催眠術は天使の異能か》と聞いてきた客はいなかった。銘打って出されたものを偽の技術とは疑っても、別の神秘と探るものはいなかった。あまりに堂々と発表しているから、他の道を考えるものがいなかったのだ。
天使というネームバリューを使わないのは商売としては勿体ない、というのもある。多くの人間には稼げれば稼げるほど、力があればあるほどいいという先入観がある。
「問題ないとも。すぐに終わらせる。お前は他の客を見ててくれ」
「おっけー。あ、お茶だけ入れてくわ」
友人が指でマルを作ると金のマークに見えるのはなぜだろう。
彼は朗らかに了承すると、台所で湯を沸かし、茶葉を取る。作業の合間に
「虎斑さんは白河さんのお友達?」
「はい、そうです。正確には彼の姉がきっかけで」
「へえ、いいねえ。若い友情って」
と何気ない会話していた。これがコミュ力か。
その間に注がれる茶葉が家にあるなかで一番高級なものであると気づく。しかし、その茶を飲む客はすぐそこにいる。仕方なく幸助はテーブルに着いた。
「はい、粗茶ですが。じゃあオレは仕事場を見てるんで」
「ありがとうございます」
ついでに湯呑を一つ持って行ったのもバッチリ目撃する。恐らく自分の分も入れたのだ。
(抜け目ねえなヤロウ)
チャンスを見逃さない友人に罵倒混じりの称賛を。スイッチを切り替える為に一口茶を含む。細かいことはよくわからないが、急須で入れた濁りと鼻を抜けていく炒った葉の匂いは荒れた気持ちを落ち着かせてくれる。
「では、お話を伺いましょう」
訊ねるとともに少女は居住まいを正し、正面から幸助の双眼と己を合わせた。いつもは顔を見られると全て覆い隠したくなる不快に襲われるのだが、真っ直ぐに射抜く眼光が心地よい。
「単刀直入にお伺いしましょう。わた、虎斑は貴方を天使ではないのかと思っています」
「面白いことをいいますね。俺が天使だなんてキレイなもんに見えますか。セラピーをしているが白衣の天使とも程遠い」
「そういうことをいっているのではない、とわかりますよね。先にいっておきますが、虎斑は別段貴方が天使だったらどうこうしようとは思っていません」
「……」
虎斑のいいたいことがわからず、困惑する。
秘密があると知れば、ほじくり返して吹聴したがるのが人の性。あるいは天使という正体を隠していると悪評を広めたがっているのか。この少女は正々堂々とした気質にも見えるから、身分詐称を警察に訴え出ようとしているのかも。
てっきりそういった糾弾であると思ってばかりいた。ハトが豆鉄砲を食らった顔をしていたのだろう。キリリと固くしていた相貌を崩し、爽やかに笑む。
「驚かしてしまってすみません。ただ、こういったご商売をされているのに秘密にされているからには、相応の理由があると思いましたので。電話口でご友人に根拠があるようにお話するのも気が引けて」
「ですが、電話での問いかけの方は明け透けだったみたいじゃあないですか」
「親しくない人の興味を引くには、インパクトがあるのがいいのです。長々と連ねても面白くもなんともありません。短いのがいい。だから『変わったお店にオカルティックな興味を持った、ミーハーで摩訶不思議が大好きなオンナノコ』のつもりでああいいました。あれだけならいくらでも誤魔化せるでしょう?」
強かに真相を暴露する様はいっそ清々しい。これでハメる気だったなら、いっそ拍手を送ってやろう。幸助にはここまで飾りのない笑みを浮かべて嘘を吐くなんて絶対にできない。
「アンタは本物のミーハーを知らない」
本物のミーハーとは桃岡のような子をいうのだ。
敬語を外したのは幸助なりの意思表示。今から『店員と客』という利害関係、一時的な上下で結ばれた間柄ではなく、秘密を打ち明ける被疑者と警官のように話したいという。
自分は天使だ。ビジネスでは明かそうとは微塵も考えない秘密。言外に事実を認めたのだ。
虎斑は満足気に一度足を揺らし、話を再開する。
「虎斑は貴方に警告に来た。敵対の意思も悪意もない」
「警告? 何の。天使であるのを隠しちゃいけないのか。別に自分でなりたくてなってわけでもないのに、包み隠さずいわなきゃいけないなんておかしいと思っていたんだ」
「どうやら勘違いしているようですね。天使は自分の正体を隠匿してよいという権利があるんですよ。プライバシーの保護ってやつです。色眼鏡で見られるのは大変だ。たかが二万、されど二万。そのうちに一人の割合の存在は目立ちますから」
「……そうなのか?」
知らなかった。正生は一度もそんなことをいっていなかった。
「ええ、小学校の道徳だとか、高校生の社会の授業とかで習いますよ。そういえば貴方は『記憶喪失』だとか。当時に天使である自覚がなかったにせよ、隠したかったにせよ。『自分が天使だ』といわない権利は保障されています。だから貴方が天使であるとわかっても、誰も追求しません。少なくとも公的な場では」
病院。警察。裁判。新たな戸籍を得るために通ってきた難関で誰も『天使』である可能性を提示しなかったのは。その可能性を廃したのではなく、『天使であること』そのものは提示してはいけなかったから?
怪しんではいた。同時に全く天使に関する法を調べてこなかった自分の能天気さ、今までなんともなかった幸運を知り、背筋に冷たい汗が伝う。
「記憶喪失なんて珍しいですから。ニュースでも取り上げられてたんですよ、もう五年も経ったから覚えている人も少ないでしょうけど。もしもっと地味な話題だったら、議題にあがったかもしれない」
「ゾッとしないな」
「ですね。しかし、このことを知らないとなると代償もご存じでない?」
「代償? なんの」
ダイショウ。嫌な響きである。幸助自身よく使う言葉。
夢に溺れてどうなっても自己責任。甘い汁に浸った『代償』。今、その切っ先が幸助の心臓に向けられていた。
「天使の異能っていうのは、便利でしょう。特に貴方はそういうチカラの持ち主だから、何かを望めば別のものを失いやすいとよく知っている。同時にわかっているのに気付かないふりをしていたはずです、貴方自身『誰かに力を使うことで恩恵を受けている』と」
等価交換という考えがある。
等しい価値があるものの交換。逆にいえば、需要と供給が合致しなければならない。幸助に当てはめるならば、能力によって得た幸福の分だけ なんらかの犠牲を払う。
虎斑の口ぶりから『異能で得た金銭の責任を果たせ』という命令ではないとわかってしまった。
天使が人間にほど近い生物であるがゆえに、専用の法律ができたように。知能があれば繁栄を求め、一定以上栄えれば安全を求め、法を作る。規律は平等に及ぶ。
だが作るまでもなく存在する理はある。人間でいえば食欲、睡眠欲、生殖法、呼吸、水分。生きるうえで自然に設定された必要不可欠な要素。
幸助が知らないだけで、天使にも『生命としてあらかじめ設定された節理』があるとすれば。
異能を使った時点で。目的なんて関係なしに。酸素を吸えば二酸化炭素を吐き出すように。問答無用で課せられる枷。
「異能にも代償はありましてね。異能は人間にはない力。それを使うというのは人でないと誇示するようなものです。貴方たちは人の性質を如実に体現する。異能を使えば使うほど」
人から離れる。
怪物になる。
「……怪物?」
唐突な現実味のない話に鼻白む。聞いたこともない話、といっても自分以外の天使を知らないし、調べたこともないので否定しきれない。
「いきなり言われても実感できませんでしょう。貴方は日常的に力を使っているから、そろそろ兆候が現れてもおかしくない」
人が人を判断する時、真っ先に何で判断しますか?
見た目ですよ、見た目。
普通とは言い難い、だが一目で《ニンゲン》だとわかる姿をした少女はのたまう。
「頻繁に異能を使うと、これまた原理はわかりませんが、少しずつ身体が変化していくんですよ。『人外の力に人の身体は耐えられない。だから人をやめる』と唱えた学者もいたかな。なんにしても今の生活を続けていれば、戻ってこれなくなります」
無意識のうちに左腕をさすっていた。気分が優れない時に腕に触れる癖はなかったはず。爪を肌に突き立てるとガリっと嫌な音がした―気のせい。の、はず。
痺れる指先を見ずに、少女からも腕からも目を逸らす。天井にはしみ。そういえばまだ煙草を買っていない。
「戻ってこれない? 大仰だな」
「見た目が人生に作用する力も知ってるでしょ、多くの人の夢を見て来た貴方なら。別に回数制限があるわけじゃない。変異は頻度で起こる。貴方、近頃顔色が悪くなったり、身体に違和感を覚えていませんか? だったら気を付けた方がいい。店を辞めろとは申しませんよ、方法を考えてみては。たまに使うだけに変えるだけでもかなり違いますよ」
「……忠告の為だけに、ここへ?」
彼女が真実、その為に来たのならば感謝するべきだ。だが、荒唐無稽―つくづく天使がお伽噺のような存在だが―な話をうのみにはできない。頭だけでなく、心が。
茶を飲み干してまた虎斑を直視する。気分を害した様子もなく、まなじりを和らげた。
「半分は」
「もう半分は?」
「ちょっとお願いしたいことがありましてね。鳩くんにある夢を見せてあげて欲しいのです」
「どんな?」
夢は本人の望みのままという触れ込み。もし介入して彼女の夢を見せれば、それが己の望みだと勘違いするかもしれない。
邪推するも、虎斑は華やかながら高潔に首を横に振った。
「ここに四人組の女子高生が来ているでしょう。鳩くんに似た雰囲気の、酷く表情も感情も希薄な少女の夢を見る子たちです。その子達のなかには少女……『白河 佑』との記憶を見る子もいますよね、その記憶を彼に分けてあげて欲しい」
「シワカワ ユウ?」
聞き覚えのない名。しかし、すぐに心当たりに思い至る。人数もぴったり。奇妙な常連客だ。
どこかで見た顔だと思ったが、そういう繋がりだったのか。あまりに奇怪な夢ばかり望むものだからよく覚えていた。
肩代わりの為に暴力を振るう。
殴られても物品を破壊されても気にしない。
水をかけられ、何故か負傷していた足から大量の血が滲んでも顔色ひとつ変えない。
途中で教師がくれば、怯えるどころか堂々と構えて いじめっ子を庇う。
目的も精神状態も心中も、何もかもが意味不明で奇奇怪怪、優し過ぎて狂気の沙汰としか思えない存在。
「……多分、わかる。口外しないなら構わないが、どうして」
「彼女は鳩くんの姉でね。事故死した。何故ああいった性格なのかさっぱりわからないので、調べている」
「……はあ……」
ちくり。胸を刺したのは一体なんだろう。
よく似ている、ということは佑は鳩の《親》だったのだと予想をつける。彼自身が天使であるのには額に触れた時に気がついていた。初めて自分以外の天使に出会ったが……
「……天使っつうのは、ああも」
カラッポで何もねえもんなんかね。
鳩の希望を覗いた時を思い出す。
悲痛と後悔に包まれた心境。苦しみに満ちた心は珍しくない。家族を喪った悲しみから訪れた客もいた。
違うのだ。鳩の心の内もまた、非常に珍しい形をしている。
どこまでも澄んでいて色というものがない。欲や自我といった個を作る強烈な波動というべきものが極端に弱かった。何を手にとるにもスッカスカ。零れ落ちてしまう。
純粋といえば聞こえがいい。ようは何もないのだ。内面を構成する要素が不自然に少なすぎる。覗いてみたことはないが、何も知らぬ赤子に近い。
立って歩いて会話できることにさえ感心するレベル。
半端な言い方ではあったが、見事に汲み取られてしまったらしい。
「ええ、そうなんです。彼、どうにも経験が少なすぎるんですよ。かといってマッタリやっていたら、そのまま停滞してしまいそうで……ここはガツンとね」
悪戯っぽく笑う虎斑に、幸助は少しだけ少年に同情した。
《親》を喪った天使。
何と懐かしい響きだろう。かつての自分も、彼のようにカラッポだったのだろうか。
あるいは――
「なんでそんなに天使に詳しい?」
浮かんだ思いをかき消すように問う。
虎斑 凛はトラのように獰猛に、チェシャ猫のように怪しく歪んだ唇に手を当てるだけ。
「フットワークが軽いのが自慢でね。足は遅いけど」
「じゃあ、これはまた個人的な興味なんだが。理想の夢を見たいとは思わないか」
「いいえ、全く」




