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「そこに写っている人のことをできるだけ詳しく教えてくれないか?」
舞い落ちる雪を見つめながら、気を取り直して探偵が訊いた。
「いいよ。これがチャリー・マーチ、イギリス人。倫敦の出身。と言っても、日本で生まれたから母国語と同じように日本語を喋れる。姉さまや僕の幼馴染だ」
「瞳の色は何色?」
変なことを聞くなあ、という顔を少年はした。
「えーと、青かな」
「じゃ次、この人は?」
「それはエリク・ヴェルナー。オーストリア人。首都の維納から4、5年前両親と日本へやって来た。その親御さんがうちの商売相手というわけ。目の色は緑」
少年は次々に説明していく。
「デビット・トターン、フランス人。故郷は巴里だって言ってた。とはいえ、この男も日本で育ったから日本語は堪能だよ。瞳の色は茶色。それからこっちがペーター・ホルト。 莱府出身のドイツ人。留学生で現在、帝大へ通ってる。瞳の色は……彼も緑だ!」
ここで少年は気づいたことを率直に尋ねた。
「日本人はいいの? 西洋人ばかり訊いてるけど?」
「まあね。ほら、君のお姉さんを常に一番近くで取り巻いてる人たちだからさ」
「そりゃ、西洋人は積極的だからなあ!」
「例外はこの人だが」
「ああ? 累さんか? 彼は仕方がない。通訳だから」
「このペーター・ホルトは、まださほど日本語はできない。それで、累さん――小峯累って言うんだけど、その人、帝大のドイツ語専攻だからいつも借り出されるんだよ」
「ホルトさんのご学友というわけか?」
「それもあるけど。累さんは元々アルバイトで僕の父さまの仕事上の通訳もやってたし、僕の家庭教師もしてくれてた」
「〝くれてた〟っていうことはもうやめたんだね?」
「僕の父さまと累さんのお父さんが学生時代の友人だったんだ」
記憶を手繰り寄せるように鼻の頭に皺を寄せて少年は説明する。
「でも、累さんのお父さんは若死にして、累さんは苦学して帝大へ入学した。父さまは気にかけてずっと援助して来たけど、今春、無事卒業して外務省に就職したからもうアルバイトの必要はなくなったのさ!」
「これは?」
通訳の青年を挟むようにして立っているもう一人の男。長身の西洋人を興梠は差した。
「それはギルベルト・リンデン。ドイツ人だよ。出身は漢堡だそう。姉さまの取り巻きの中では一番新しい。昨年日本にやって来たばかりだから。でも、流暢な日本語を話す。実際、流暢過ぎるほどだ。それで、ここだけの話――」
志義は神妙な顔で声を潜めた。
「日本の内情を探りに来たスパイじゃないかって他の取り巻き連中は影で囁いてる。きっと嫉妬や妬みからだろうけど。ご覧の通り、物凄くハンサムで背も高い。絵に書いたように金髪碧眼でさ! 他の男どもなんてとてもじゃないけど太刀打ちできないよ!」
「金髪碧眼ってことは彼も?」
探偵は念を押した。
「うん。瞳の色は――そう、リンデンさんも緑だ!」
「ありがとう。凄く参考になったよ。こっちの写真は暫く持っていてもいいかい?」
「かまわないけど?」
「じゃ、失敬」
「え? え―? ちょっ……」
さっさと少年を車外へ押し出すと雪空の下、フィアット508は走り去った。
興梠響は助手席に少年を乗せるのを好まない。悪夢が蘇るから。
「見事に当てが外れたな……」
一人呟く探偵だった。
〈絵〉の意味を読み取るより、それを描いて届けた〈人物〉を探し当てる方が早いと読んだのだが。
予想に反して、暗礁に乗り上げてしまった。
少年に大体のプロフィールを聞いて、翌日から件の西洋人5人について調査を続けている。
だが決定的な特定には至っていない。
三日目の今日も、一日を虚しく費やして戻って来た。
事務所に足を踏み入れた瞬間、冷水を浴びたように凍りついた。
「!」
明かりもついていない冬の夕暮れの薄闇の中、ソファの上にいたのは――
「君? 志義君?」
「ん? いけない! ついウトウトしちゃってた……」
のっそりと起き上がる。
「ど、何処から入った? いや、そんなことより――」
探偵に衝撃を与えたのは、少年の膝に乗っているモノ。
「ノアロー!」
眼前の探偵の、尋常ならざる動揺の理由が少年には理解できなかった。
「ど、どうして、その猫がそんなところにいるんだ? と言うか、どうやって、そいつに触った?」
「え? ああ、この子?」
探偵の目の前で少年は猫を抱き上げると頬ずりをしながら言うのだ。
「人懐っこい猫だなあ! 一階の裏のね、トイレの窓が少し空いてたんで、そこから侵入したら、こいつがすっ飛んで来てさ。ずっとそばを離れないんだ。どうかした? 大丈夫だよ、あなたの家の物は、誓って、何一つ壊してなんかいないからね、僕」
「――」
「あそこがこの子の通り道――通用門だったのかな? ふふ? 勝手に通ってごめんよ、猫くん?」
脱力感でいっぱいになって(いや、敗北感か?)興梠は近くの椅子に倒れ込んだ。
「あれ? 興梠さん? どうかしたの?」
「いや、何でもない」
「この子、何て名だって? ノアール?」
「……ノアローだ。だが、まあ、ノアールでもいいよ。同じことだから。仏語だと語尾の発音はぼかされるからな……」
「ノアールー? ノアロー? 〈黒〉って意味だよね?」
くすぐったそうに少年は笑った。
事実、くすぐったかったのかも知れない。あんなに猫に顔を擦りつけられては。
「全く、あなたらしい、てんでヒネリのない、面白みのない命名だなあ!」
(い、1、2、3、4、5……)
漸く一番肝心なことを思い出して探偵は訊いた。
「ところで、何しに来たんだ、君?」
「また、届いたんだよ」
少年は猫を抱いていない方の手でソファの横に立てかけてあったカンバスを手繰り寄せた。
「ほら?」
「!」
四枚目の絵。
それは今までで一番、奇妙な絵だった。
二本の木に鳥――鷹のようだ――が描かれている。
そして、真下に置かれたカード。
「全くわけがわからない!」
少年は肩を竦めてみせた。
「今朝、また玄関先に置かれていた。見つけたのは、今度も女中のキヨ。包み紙はやっぱり千代紙で――宛名は、今回も完璧に記されていた。ほら、持って来た。これだよ」
探偵に渡しながら、
「どう思う? 何とか言ってよ?」
「――」
正確に書かれた包み紙の宛名を確認してから、その四枚目の絵に視線を戻して、じっと見つめる興梠響。
今度のは、風景画ではない。静物画でも、いわんや、動物画でもない。
一番当て嵌るとしたら――心象風景?
「このさ、カードが一番、意味深だよね? トランプ? でもそれにしては絵柄が奇妙だ」
「!」
少年の言葉にハッとする。
「違う、これはトランプじゃない。タロットカードだ!」
絵を少年に預けると机へ飛びついて引き出しからそれを取り出す。
孤独な探偵は手慰みに少々タロット占いをした。
絵の中の1枚と同じ絵柄を抜き取る。
「カード番号はⅩ(10)、〈運命の輪〉」
「意味は?」
「タロットには表と裏、常に両義の意味がある。この〈運命の輪〉の正位置の意味は、転換点、幸運の到来、変化、出会い、解決、定められた運命」
「じゃ、逆位置の意味は?」
「別れ、すれ違い、アクシデント……」
志義はため息を吐いた。
「なるほど。カードの意味はなんとなくわかったけど。でも、絵全体の意味はまるっきりわからない……」
探偵も、同じ思いだった。
☆四枚目の絵もマニアックです。
繰り返します。謎を解くのには一枚目、二枚目の絵が適しています。
★四枚目の絵の謎を解くためには少々〈情報〉や〈検索〉が必要かも。
キイワードは海府志義君の趣味です。
彼が大好きなものは……お姉さん? いや、そっちじゃなく…
昭和初期のこの頃、中学生を虜にした……
(そう言えば《阿修羅》の五百木帆君も好きだったなあ。)