坂井悠太のくだらない事情
4月―――――。
桜の咲く季節。
坂井悠太(さかいゆうた)は、中学生になっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《新役員の事情》
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ではそろそろこのへんで、今期のクラス委員を決めたいと思う」
担任の柴田綾子(しばたあやこ)は教壇に立つと、教卓の上へ無造作に書類の束を置いた。そして両手をつき、教室内を一通り見回した。
「といってもお前らは、それぞれ4つの別の小学校から集まった連中だ。クラスメイトになってからは、まだ日も浅い。互いのこともよく知らないだろう。だから1学期のクラス委員はこの前取ったアンケートを元に、こちらで決めさせてもらう」
有無を言わせぬ口調のまま、彼女は書類をめくった。
「じゃあ委員長だけど……川上。お前は小学校では児童会長をやっていたようだな」
「おお、マジかよ」「すげー」
教室内が一斉にどよめいた。
「だからお前が、このクラスの委員長だ」
「はい」
クラス中がざわめく中で、静かに返事をする川上圭吾(かわかみけいご)。
突然指名されたにもかかわらず、彼は落ち着き払った態度で担任の綾子を見詰めていた。一気に浴びせられた生徒たちからの熱い視線をものともしないその風格に、別小学校出身の生徒たちが「委員長!」と、一斉に心の中で叫んだとか叫ばなかったとか。
「それじゃあ、次は副委員長だが……山崎。お前は6年間、ずっとクラス委員長をやっていたようだな」
「おおっ、6年間も委員長やってた奴がいるのか」「この人も、なんかすげーかも」
ざわざわざわ…。
「というわけで、山崎が副委員長な」
「あ……は、はいッ! がっ、頑張りますッ!」
山崎翼(やまさきつばさ)は名前を呼ばれると、反射的に飛び上がっていた。先に指名された圭吾とは違い、あからさまに動揺している様子ではあったが、すぐに決意を示す。
「続いて会計だが……亀岡。お前は児童会では、会計係だったらしいな。それに珠算検定2段の資格も既に持っているのか」
「はいハイはーいっ。俺こう見えても計算、めっちゃ得意なんですぅー!」
机から身を乗り出すように両手を広げ、元気よく跳ねながら無邪気な笑顔で返事をする亀岡雅昭(かめおかまさあき)。
「ええっ、こんな軽そうなのに!?」「ねえねえ、『にだん』ってそんなに凄いの??」
ざわざわざわざわ…。
「じゃあ次は書記だが……吉澤」
「おおおっ、今度は何やってた奴だ?」「もしかして児童会で、書記でもやってたのか!?」「それとも6年間、書記をやってたとか」「漢字検定1級持ってるとか??」
ざわざわざわざわざわ…。
期待を含んだクラス中の目が、一斉に当の本人、吉澤斗真(よしざわとうま)へと集まってきた。
しかし彼は、ゆっくりとした動作で右手を挙げると。
「先生。俺、児童会でもクラスでも、何の係にもなったことがないんスけど」
ふて腐れるような態度で恫喝でもするかのように、鋭い視線を綾子へ向けた。
彼は決して怒っているわけではなく、普段からこんな顔付きであった。が、何も知らない他校出身の生徒たちは、その目付きの悪さに畏縮してしまっていた。教室内が一瞬で、水を打ったような静けさに変わる。
だが綾子はそんなことなど気にも止めず、今までと同様の態度のまま、下の書類へと目を通す。
「ああ、お前の場合はクラスで一番、綺麗な字を書いていたからな。―――では続けて会計と書記についてだが、他にあと1名ずつ追加で……」
一瞬の間が開いたものの。
『それだけかよっ!』
クラス全員が初めて、ひとつになった瞬間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《吉澤斗真の事情》
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「あ、山崎。ちょっと待ってくれ」
山崎翼が黒板に書かれている文字を消そうとしていると、背後から呼び止める声がした。吉澤斗真である。
「もう少しで写し終わるから」
「そうか。じゃあ、待ってる」
カリカリ、ゴシゴシ、カリカリ、ゴシゴシ、カリカリ、ゴシゴシ……。
「………………」
しばらく待っても書き終わらない斗真。それに痺れを切らした翼が、ノートの中を横から覗き込んだ。
そこには活字のように綺麗な文字が、ビッシリと並んでいる。先生が板書したものよりも、遥かに綺麗な文字だった。
しかし斗真はその文章に対して、書いては消しを繰り返している。そのため、なかなか書き終わらないようだ。
翼は疑問に思って訊ねる。
「別に間違えているわけでもないのに、なんでそんなに消してるんだよ」
「ああ。どうもこの文字の形が気に入らなくてな」
「………………」
(写し間違いじゃなくて、形のほうが重要かよ)
斗真は見かけによらず、几帳面な少年だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《山崎翼の事情1》
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「山崎。このプリントを教室に持って行ってくれ」
「はい、分かりました」
「山崎。さっきの授業ノート、見せてくれよ。俺、ついウッカリ寝ちゃってたんだよね」
「分かった。……全く、仕様が無いなぁ」
「山崎くん。この掲示板に貼ってある紙、剥がれそうなんだけど」
「分かった。直しておくよ」
「おーい山崎。こっちの机を移動するの、手伝ってくれよ」
「ああ、分かった」
「山崎くん。黒板のチョークがもうすぐで、無くなりそうなんだけど」
「分かった。足しておくよ」
「山崎。ウチのクラス次、体育なんだけどさ。ジャージ忘れてきたから、貸してくれ」
「分かった。いいよ」
「山崎クン、ついでに宿題もやって」
「分か……ッて、それは自分でやれよっ!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《山崎翼の事情2》
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「なあなあ、山崎。ずっと気になってたんだけどさ」
坂井悠太が、山崎翼の元へと近付いてくる。
「なんで山崎は、『よっきゅん』なんて呼ばれてるんだ?」
「別に呼ばれてなんかないよ」
翼は机に視線を落としたまま、即答で答える。彼は本日の日直当番であるため、学級日誌を書いていたのだ。
そこへ。
「よっきゅん、よっきゅん。消しゴム貸してくれよ。俺、家に忘れてきちゃってさぁ」
へらへらと笑いながら亀岡雅昭が現れた。翼はここでようやく手を休めると、迷惑そうな表情を上げる。
「コイツだけが勝手に呼んでいるだけだ。俺は知らん」
「えー? ナニナニ、なんの話ぃ???」
消しゴムを受け取りながら、雅昭が瞳をキラキラと輝かせてくる。
「なあなあ、亀やん。なんで山崎のあだ名が『よっきゅん』なんだよ。名前はツバサだろ?」
黒板の片隅に書かれている日直者名を指さしながら、今度は雅昭に尋ねた。
「ナニナニ悠太クン。君はそれが知りたいワケぇ?」
「だって『よっきゅん』なんて、何処も名前に引っ掛かってないじゃん。『ザッキー』や『ザキヤマ』とかなら分かるけどさ」
「……なんだよ、ザッキーって」
翼が顔をしかめる。
「それにザキヤマのほうは、お笑い芸人じゃないか。しかも俺の名字は山『ザキ』じゃない。山『サキ』だ。よく間違えられるけどな」
そう言うと翼はすぐに、日誌書き込み作業を再開した。それを尻目に雅昭は。
「ふっふっふっ、悠太クン。君にひとつ、いいことを教えてやろう」
含み笑いとともに、何故か得意げに胸を張っている。そして勿体つけるかのように「ちちち…」と舌先を鳴らすと、立てた人差し指を左右へ振ってみせた。
「山『崎』という名字だが……東日本の場合では『ザキ』、西日本だと『サキ』と読ませることのほうが、一般的には多いらしいぜ。コレ、豆チな」
「……どーでもいい豆知識だな、それ。それよりどうして『よっきゅん』なんだよ。教えてくれよ」
雅昭の言葉をあっさり受け流すと、悠太は眉根を寄せながら再び催促をする。
「それは実に、簡単なことだよ。悠太クン」
悠太の肩へ軽く手を置いた雅昭が、またもや不適な笑みを浮かべつつ指を左右へ動かした。
「山崎翼→翼→つばさ(訓読み)→ヨク(音読み)→ヨックン→よっきゅん―――――と、こうなるわけだよ。それに『よっきゅん』とは、大昔に大活躍していたアイドル、田中陽子ちゃんの愛称でもある。コレ、豆チな」
「だからそんな豆知識いらねーってば。……ていうか、アイドルの田中陽子って誰だよ。サッカー選手だったら知ってるけど」
説明しよう!
田中陽子とは、二十数年ほど前に芸能活動をしていた、女性アイドルの名前である。
アニメ『アイドル天使ようこそようこ』のモデルでもあり、実在していた伝説のアイドルだったのだ!
更に雅昭の父親は当時、ファンクラブに入会するほどの熱狂的なファンでもあった。
現在でもカラオケ店では当時のヒット曲を歌っており、酔った父親からはその都度、田中陽子に関するウンチクも聞かされ続けていた。そのため雅昭は、自分の産まれる遥か以前に活動していたアイドルのことを知っていたのである!
因みに女子サッカー選手とは、一切関係ありません。
コレ、豆…(以下略)。