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保険加入に悩む男、基一

作者: 竹実

保険加入に悩む男、基一


「先日はありがとうございました。」

草薙恵子はにこやかにそう言った。

草薙の手にはピンクのマニキュアがきれいに塗られている。

基一はこの女性の芯から醸し出される雰囲気に、感心していた。古風な日本人女性とでもいうのか。美しい仕草というのは、見ていて気持ちが良い。


草薙は保険の外交員で、基一はこの2ヶ月間、新しい保険に入るか迷っていた。

この地震による保険業界の躍進はすごいものがある。ネットや電話のやり取りだけで契約までこぎつけるネット生保なるものまで出てきている。

基一も東日本大震災の影響で保険の役割について考え始めたクチだ。震災では基一の家族、両親と妹はなんの被害も受けずにすんだ。しかし今後、同じようなことが起こった際に無事ですむという保証はないのだ。

かといって基一の薄給では、高い保険に入れない。既に都民共済で月々2000円払っているので、少なくともそれ以上のプランを考えてはいる。しかし、具体的にどうということはなかった。そこで思いきって生保の外交員に相談してみようという気になった。

基一は知らない人と会うのが苦手で、これは思いきった決断といえる。

しかし、草薙はそんな基一でも興味をおぼえるほどの女性であった。


「次に生き生き入院プランですが…」

草薙は淡々と、しかし積極的に説明を続けている。

基一は話し半分で、想像をふくらませていった。


この人は、座敷にふとんを敷いて寝ているにちがいない。近頃には珍しい、和な生活だなぁ。

高校では茶道部に入ってたりして。お茶をたしなむ良家の子女か、いいねぇ。

きっとタバコは吸わないな。酒は意外といけるクチかも?風呂上がりに一杯、てか?(笑)

いやいや、それはオヤジくさいな。彼女はそんな人じゃないな。

ん?待てよ、一人暮らしじゃないよな。家に帰ると…誰がいる?


プランの内容説明の最中、基一は唐突に口をはさむ。

「草薙さんはご結婚されてるんですか?」

今まで黙って聞いていると思ったいた男の突然の質問に驚いた表情を見せた草薙だったが、すぐに笑顔になってはっきりと答えた。

「はい、しております」

基一は少し残念な気がしたが、この人くらい素晴らしい女性だったら当然かとも思った。旦那はラッキーな奴だな。


一通り説明を終えた草薙は、基一の顔を見て、言葉を待っている風な笑顔を作った。

このまま見つめあったら恋が始まるのではという淡い期待を描きつつ、そんなことができるわけもなく、下を向いて考えるふりをした。また想像がふくらむ。


この人の子どもはきっと、女の子だな。

きっとお母さんにそっくりなんだろうなぁ。ふふ、微笑ましい。母娘で遊んでいる姿が目に浮かぶ。

子育て、大変だよな。

特別な日(授業参観とか入学式)には着物を着るに違いない。定期的に家族写真を撮って、リビングに飾るんだろうなぁ。

良い家庭だ。この人にぴったりだな。


「これなどいかがですか?」

草薙は相手がさして興味を示さないので、次々と新たなプランを提示する。

基一はうなづいたり、考えるふりをしていたが、話しなど最初から聞いていない。

彼の妄想癖は小学生の頃から始まる。当時の友達に田丸と金子という男友達がいた。

いつも互いの家に行ってTVゲームをする仲間だった。

金子の家に行くのはとりわけ楽しかった。可愛い妹がいたからだ。その子に会えるかどうかもわからなかったが、金子の家にあがったときは、どきどきした。実際、妹が家にいたことはほとんどなかった。彼女は学校が終わるとスイミングスクールに通うのが日課となっていた。玄関で鉢合わせするのではという淡い期待が、基一の想像をかきたてた。

田丸に打ち明けたら、同じことを思っていたらしく、意気投合した。田丸は基一ほどではなかったが、子どもの想像力はあなどれない。二人で自分の思う金子の妹像を作り上げていった。


「あの…どうかされました?」

「あ、いえ」

基一は一瞬にして現実に引き戻され、はっとした。

「説明が足りないところがありましたら、おっしゃってくださいね」

「はあ」

なんとも間の抜けたこたえだ。

恥ずかしくて下を向くと、手もとのパンフレットに「家族まるごと補償」の文字が目に入る。

そうだ、保険の話をしてたんだったな。

「やっぱり、結婚とかしたら、保険の見直しとかしないといけないんですかね」

「そうですね。あ、ご結婚のご予定があるんですか?」

「いや、ないです、全然」

なんとも気まずい雰囲気だ。言わなきゃ良かった。少しでも興味のあるふりをしたばかりに…。

草薙は追い打ちをかけるように、結婚後のプランを説明し始めた。

間違った誘導をしたために、話のテーマが興味のないところにいってしまう。よくあることだがダメージは大きい。


「どうですか?興味の持たれたプランはありますか?」

良い年してこの質問にこれだけ困らされるとは。正直に、最初からもう一度説明していただけませんか?、と言ってしまえば話は早いのだが、大人になると言えないことが増えてくるから困ったものだ。

「あの、少し時間…。そう!時間が欲しい、かな。待ってもらえますか?」

草薙はこれが断られた合図だと思ったようだった。笑顔に少し陰りが見えた。

基一は彼女のその笑顔が悲しかった。

人はなぜこういうとき、悲しくなるのか。お互いに言いたいことは言って(俺は言ってないけど)、折り合いを付けるために、良かれと思って言ったことが、お互いの幸せにつながらないことがある。実際にあるのだ。


草薙は静かにパンフレットをまとめながら、とりとめもないことを話していたが、それさえ、基一には届かなかった。

「それでは、良い返事をお待ちしてます!」

笑顔で礼をする草薙を背に、基一は作り笑いの会釈をして去って行った。


この日のことは、忘れられない出来事として基一の心に刻まれた。

「なんか疲れたな。こりゃしばらく尾を引きそうだ…まいった」

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