婚約破棄された悪役令嬢、天才公爵に拾われて幸せになるので勝手に後悔してください
学園の中央に位置する大聖堂。
天井のステンドグラスから色鮮やかな光が差し込む美しい空間は今、異様な緊張感と悪意に満ちあふれていた。
「レティシア・ヴァルハイト! 貴様のような陰険で魔力も扱えぬ落ちこぼれ女は、我がヴァルハイト公爵家、そして自由を尊ぶこの王立学園の面汚しだ! 本日をもって貴様との婚約を破棄する!」
大聖堂の壇上から、第一王子であるクロード殿下の甲高い声が響き渡った。
金髪をなびかせ、いかにも悲劇のヒーロー気取りで腰の剣に手をかけている。
彼の隣には、守ってあげたくなるような小さめの体を縮こまらせ、ウルウルと瞳を濡らした伯爵令嬢・マリアの姿があった。
「そうですわ、クロード様……! この女、私が放課後に図書室でお願いしていた貴重な魔導書を横取りし、あろうことか目の前で破り捨てようとしたのです! なんて性格の悪い……私、恐ろしくて夜も眠れませんでしたわ……!」
マリアがわざとらしく胸を押さえ、可憐に肩を震わせて泣き真似をする。
すると、大聖堂に集まっていた大勢の生徒たちから、一斉に心ない囁き声と蔑みの視線が私へと突き刺さった。
「最低ね、いくら成績が良くないからって嫉妬で見苦しい……」
「魔法の一つも撃てない落ちこぼれのくせに、ヴァルハイト公爵家の威光に笠を着て……」
「マリア様が可哀想すぎる。早くあんな悪毒令嬢、追放してしまえばいいのに」
集音魔法でも使っているのかと思うほど、わかりやすい悪口の嵐。
(……あー、なるほど。噂に聞く『断罪イベント』ってやつね)
私は騒ぎ立てる周囲の生徒たちを冷めた目で見つめながら、心の中でそっと深いため息をついた。
実は三年前、高熱で数日間うなされた時に『前世の記憶』が唐突に蘇っていたのだ。
ここは前世で女子中高生に大人気だった乙女ゲーム『聖なるルーンの少女』の世界。そして私は、ヒロインをいじめた挙句に最後に惨めな末路を辿る悪役令嬢・レティシアその人だった。
だが、前世の私は恋愛どころか、昼夜を問わず文献や論文を貪り読む重度の『研究中毒者(論文オタク)』。
この世界に転生して私が一番歓喜したのは、王子様の婚約者という地位でも、華やかな貴族社会でもない。
「王立学園の膨大な大図書館と、そこに眠る未解読の古代魔導書が読み放題」という最高すぎる研究環境だけだった。
ちなみにマリアが言っている「破り捨てようとした」という事件の真相も、バカバカしいの一言に尽きる。
彼女が恋文用の便箋代わりにしようと最高級の羊皮紙を使っていたのだが、書き損じたのかクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てていたのだ。
よく見るとその羊皮紙は、千年前の『古代結界陣の注釈』が記された超貴重な重要文化財の裏紙だった。あきれ果てた私がそれを回収し、丁寧に伸ばして注釈の清書に使っていただけである。それを「横取りされた」「破られそうになった」と被害妄想を膨らませているのだから世話がない。
「反論もないようだな! 魔法の一つもまともに撃てぬ愚か者め。弁明の余地など最初から存在しない!」
クロード王子はカチンと音を立てて剣を鞘から抜くと、私に向かって尖端を突きつけてきた。
「ここで土下座して罪を認め、泥水を啜りながら追放を受け入れろ! そうすれば命だけは助けてやる!」
「あの、クロード殿下」
私はすっと右手を挙げ、至極冷静に言葉を挟んだ。
「お言葉ですが、私が『落ちこぼれ』というのは重大な語弊があります。私は体内の魔力を外に攻撃として放出するセンスが皆無なだけでありまして、文字構造論、魔導構築学、および古代構文の解析においては、すでに学園の教授陣どころか魔法省の上級技官を超えております。それから——婚約破棄の件は謹んで、喜んでお受けいたします」
「な……っ!?」
もっと泣き叫んで命乞いをすると思っていたのか、クロード王子は間抜けに口を開けた。
「あ、承諾ということでよろしいですね? 私、今から『空間歪曲における魔素流動の考察』の論文を中央研究所に提出しなければならないので、これで失礼します。17時締め切りなのです」
「ふ、ふざけるな! 罪人が勝手に立ち去るな! おい兵士、この女を今すぐ拘束——」
クロード王子が頭に血を上らせて叫んだ、まさにその時だった。
バァァァン!!
大聖堂の重厚な重厚な大扉が、まるで砲撃でも受けたかのような地響きを立てて勢いよく開かれた。
「ひっ……!?」
「な、なんだ何事だ!?」
怒号を上げようとした生徒たちが、その場に固まる。
入口から足音を響かせて現れたのは、漆黒の式典服を纏った一人の男性だった。
乱れた黒髪に、射抜くような冷徹な青い瞳。どこか退廃的な色気を漂わせたその男の登場に、大聖堂全体の空気が一瞬で凍りつく。
彼の名はシリル・ヴァレンタイン公爵。
王立中央魔導研究所の所長であり、国王すら手を出せない絶対聖域のトップ。そして、この国で「世界最強の天才魔導士」と称される規格外の人物だ。
クロード王子が慌てて剣を収め、汗を拭いながら姿勢を正した。
「シ、シリル卿……! な、なぜこのような場所に……!? あ、そうか! この国家を揺るがす落ちこぼれ罪人の処分に、自ら立ち会ってくださるために……!」
だがシリル様は、おべっかを使う王子など視界にすら入れていなかった。
彼は大股でまっすぐ私のもとへ歩み寄ってくると——
ドォン!!
私の鼻先に、一枚の羊皮紙を叩きつけるように突きつけた。
「レティシア・ヴァルハイト!!」
雷鳴のような怒声。周囲の生徒たちが悲鳴を上げて退く。
私は思わず背筋を伸ばして身構えた。
(な、なに!? 論文の参考文献の引用フォーマット、間違えてた……!?)
「この……っ! この『古代ルーン文字における空間歪曲の相関性に関する一考察』という論文はなんだ!!」
「えっ……あ、はい。先週、研究所の公募論文に応募した小論文ですが……何か重大な不備でも……?」
「不備だと!? 戯言を抜かすな!」
シリル様は私の両肩をガシッと力強く掴んだ。顔が近い。整いすぎた美貌が眼前に迫る。
だがそれ以上に、私の肩を掴む彼の手が武者震いでガクガクと激しく震えていた。
「完璧だ……! 完璧すぎる! 過去三百年、歴史上のあらゆる天才魔導士が誰一人として解明できなかった『第八魔導構文』の構造バグを、お前はたった三ページの論文で鮮やかに解決してみせた! なんだあの変形行列は!? お前は天才か!? いや、知的な変態か!?」
「へ、変態……? いえ、単に三日間不眠不休で古代魔導書を読みあさっていたら、急にパズルのピースがハマった感覚がありまして……」
「素晴らしい!! その研究への狂気! 知識への異常な執着! まさに我が王立中央魔導研究所が喉から手が出るほど求めていた最高峰の頭脳だ!」
大聖堂内が、水を打ったように静まり返った。
クロード王子も、マリア令嬢も、嘲笑っていた生徒たちも、全員が鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔で固まっている。
「さあ行くぞレティシア! 本日より君を『王立中央魔導研究所・副所長』として正式に迎える! 年俸は白金貨千枚、研究予算は完全使い放題、さらに国書級の希少魔導書ライブラリへの全アクセス権限を即時付与する!」
「は、白金貨千枚……!? 国書級の古代魔導書が読み放題……!?」
私の目が一瞬で爛々と輝いた。
年俸白金貨千枚といえば、一国の国家予算に匹敵する超破格の待遇だ。しかも希少な魔導書が読み放題だなんて、私にとっては天国以外の何物でもない。
「ま、待ってくださいシリル卿!!」
正気に戻ったクロード王子が、狂ったような悲鳴を上げた。
「そ、その女は我が国を欺いた罪人です! 魔法の一つも撃てない落ちこぼれで、マリアの貴重な魔導書を破ろうとした邪悪な女で——」
シリル様はゆっくりと振り返ると、まるで路傍の虫ケラでも見るかのような冷酷な視線を王子に向けた。
「クロード殿下。……貴様、本気でそれを口にしているのか?」
「え……?」
「彼女の手元にあるその研究ノート一冊で、この学園の防衛結界どころか、王都全体の防衛陣を瞬時に無力化・書き換えができる。彼女は『魔法を使えない』のではない。『魔法などという原始的な現象を使うまでもなく、世界の法則そのものを記述し直している』のだ。このような国宝級の超天才を落ちこぼれと呼ぶとは、貴様の目玉はただの飾りか?」
「なっ……!? 防衛結界を……!?」
「それに、そこの伯爵令嬢」
シリル様の冷徹な氷の視線が、ガタガタと震えるマリアに移る。
「君が『破り捨てられそうになった』と騒いでいたあの資料だが……彼女が解読して清書してくれたおかげで、先週発生した隣国の魔素暴走による被害を未然に防ぐことができた。彼女は国家救命の第一級功労者だ。嘘の捏造証言で国家功労者を貶めた罪、タダで済むと思うなよ」
「ひ、ひぃぃぃっ……!?」
マリアの顔から一瞬で血の気が引き、膝から崩れ落ちて床にへたり込んだ。
「さあ行こう、レティシア。君専用の広大な研究室と、まだ誰も開けたことのない最新の古代魔導書一万冊が君を待っている」
「はいっ! 喜んでお供いたします、シリル様!」
「ま、待て! 話を聞け! 婚約破棄は撤回だ! 戻ってこいレティシアぁぁ——!」
背後で必死に手を伸ばして叫ぶクロード王子を完全に無視し、私はシリル様に優しく手を引かれながら、晴れやかな心地で大聖堂を後にしたのだった。
◇
それから、半年という月日が流れた。
私は王立中央魔導研究所の副所長として、毎日が夢のような研究三昧の日々を送っていた。
「レティシア、また徹夜か? あれほど『夜はちゃんと寝ろ』と言っただろう。君の体はもう君だけのものじゃないんだから、もっと大切にしなさい」
呆れ顔で極上のストレートティーをデスクに置いてくれたのは、私の『上司』であり、今や私の愛する『旦那様』となったシリル様だ。
「だってシリル様! この古代語の第十四構文の解釈を少し変えるだけで、結界の魔力消費量を半分以下に抑えられるんです! こんなの面白くて寝ていられません!」
「……はあ。本当にかわいい研究中毒者だな、君は」
シリル様は優しく微笑むと、私の額に甘いキスを落とした。
カッと顔が熱くなる。
世間からは「冷徹無比の氷の天才」と恐れられているシリル様だったが、二人きりの研究室では、私を過剰なほど甘やかす極上の溺愛夫に変貌していたのだ。
——一方その頃。
私を「落ちこぼれ」と蔑んで追い出した王家と元婚約者は、まさに悲惨極まりない地獄の渦中にいた。
実は、王国全体を包み込む巨大な防衛結界は、私が毎夜こっそり裏で魔導書を読み解きながら、『保守点検のメンテナンスコード』を書き換えて補修していたおかげで正常に保たれていたのだ。
私という裏の立役者を失った王国の結界は、私が去ってわずか一ヶ月で急速に劣化し、ついに完全崩壊を始めた。
「なぜ結界が動かんのだ!? 魔法省の技官どもは何をしている!!」
「殿下! レティシア様が残されたノートの暗号化コードが誰一人として解読できません! このままでは隣国の魔物や悪質な魔素が王都に雪崩れ込んできます!」
「な、なんだと……!? レティシアを連れ戻せ! 今すぐ土下座してでも連れ戻してこい!!」
焦り狂ったクロード王子は何度も研究所へ押しかけてきたが、シリル様が構築した最強の拒絶結界に阻まれ、入り口で門前払いを喰らい続けた。
さらに、マリア令嬢の虚偽報告と国家功労者への冤罪工作が公に露呈。
国家欺瞞罪および国家安全保障妨害の罪に問われた彼女は爵位を剥奪され、財産を没収された上で、極寒の地に存在する開拓地へ強制送還となった。
そして結界崩壊による大混乱と、それによって生じた莫大な財政被害の全責任を問われ、クロード王子は無様に廃嫡。
王家そのものも国民からの激しい怒りと莫大な賠償金によって、没落の一途を辿っていた。
「レティシア様ぁぁぁ!! どうか、どうか王国をお救いください!! 僕が悪かった! 君の凄さを理解していなかったんだ! 愛している、もう一度やり直そう!!」
今日も今日とて、研究所の外敷地で、ボロボロの服を着た元王子が泥にまみれて地べたに頭を擦り付け、必死に叫んでいる。
私は窓辺からチラリとそれを見下ろすと、隣に立つシリル様に微笑みかけた。
「シリル様、あの外で大声を上げているゴミ、研究の集中が切れるので消去してよろしいですか?」
「ああ、私の可愛い奥様。結界の出力を通常の三倍にして、遥か彼方へ吹っ飛ばしておきなさい」
「ー!?!?!?」
元王子の情けない悲鳴が空の彼方へ消えていくのを背景に、私はにっこりと笑った。
落ちこぼれの悪役令嬢?
いいえ、今の私は世界一幸せな『天才魔導士』です!
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