第一部 第七章 狩猟解禁?(二)
「対象の情報が……変更、だと?」
低く、苛立ちを含んだ声が響く。薄暗い室内で、ひとりの男が無数に浮かぶ光のパネルを操作していた。
「シラン。ベツノポータルト、セッショクシタカ?」
「別のポータル……?」
舌打ちが空間に残る。
忘れたことはない。
あの日の失態を。
任務中の誤認捕縛。
ポータルの喪失。
そして、辞職。
今はただ、償いの日々を送る立場のはずだった。それなのに——。
「対象は?」
「ナントモナサソウダ」
「……そうか」
短く息を吐く。
「変更の記録は残しておこう。今後も観測を続ける」
視線の先には、無数の数値と映像。
その中心に映るのは、一人の少年だった。
新しい村に到着した悠斗は、短い休憩の間に自己紹介をしていた。
「俺は悠斗。佐藤悠斗です」
「カナエの父のタケルだ。よろしく」
大柄で、岩のような体格の男が豪快に笑う。日に焼けた肌と無精ひげが、村の仕事を一手に担う苦労を物語っている。質素な服装は、機動性に特化された狩猟民族衣装そのものである。
「母のミナです。カナエと同じく、巫女をしております」
柔らかな笑みを浮かべる女性が、丁寧に頭を下げた。カナエと同じ巫女であるはずだが、しっかりとした巫女の衣装だった。長い黒髪を後ろでまとめ、涼やかな瞳をしている。白と淡紅の巫女装束を静かに着こなし、穏やかな微笑みを絶やさない――村で静かに信頼を集める女性だった。
「とーちゃん、ユゥ凄いぞ!」
カナエが胸を張る。
「とーちゃんの次くらいに動ける! ここまで半分以上、走って来たんだぞ!」
「なんだと!?」
タケルが目を見開く。
「それは凄いな! いつカナエと結婚するんだ?」
「けっ!?」
悠斗の声が裏返る。
「とーちゃん、気が早いよ!」
カナエはそう言いながらも、どこか嬉しそうだ。
「じーちゃんが来るのを待とうよ!」
「……あらあら」
ミナが楽しそうに微笑む。
「今日はお祭りね」
「ま、待ってくれ!」
悠斗は慌てて手を振った。
「俺は、この世界の人間じゃないんだ。だから——」
「隣の村から来たのか?」
「神の使者様だよ、とーちゃん!」
「あらあら、今日はお祭りね」
「ギャー!!」
悠斗は頭を抱えた。
ポコも同時に声を上げようとしたが、悠斗の声に驚いた。
「ギ!?」
(この世界、人を疑うとかないんだろうな……)
この世界の人たちはみんなそうだと思った。
しばらく休んだが、休んだ気にならない。精神的ダメージの回復と体力の回復は別物だった。
「そろそろ、じーちゃんたちを迎えに行くよ」
「そうしてくれ」
タケルが頷く。
「俺と母さんは、村の準備をしておく」
「ユゥ、行くよ」
「お、おぅ……」
声が小さくなりながら、来た道を引き返す。
「結構、離れちゃったんだな」
「いつもこんなもんだよ」
悠斗の問いに、カナエはあっさり答えた。
「カナエは、ずっと巫女で舞ってるのか?」
「そうだね〜」
カナエは歩きながら笑う。
「かーちゃんの真似して舞ってたら、いつの間にか巫女になってた」
その時——。
進行方向に、砂煙が立ち上る。
「……あれ、村長さんたちかな?」
「違う」
カナエの表情が引き締まる。
「あれは……大型」
「大型!? それって——」
「あの大型」
即答だった。
「行くよ、ポコ、ユゥ」
「ギャギャー!!」
「は!? ちょっと待って! 置いてくなよ!」
大型。
それは、村を捨ててでも避ける存在。
(だから移動してるんじゃないのか!? なんで向かうんだよ!?)
砂煙の前に出ると、複数の声が聞こえた。
「なにが……」
「やっと来たか、ユゥ」
カナエが笑う。
「大物だぞ。今日は——お祭りだー!!」
「おぉー!!」
村人たちの歓声が上がる。
そこにいたのは、巨大な恐竜ではなかった。
象に似た、巨大な生物。
「……え?」
「驚かれましたか?」
オウゲンが穏やかに言う。
「我々も滅多にお目にかかれない、大物です」
狩猟民族。
歴史で見た知識。
ゲームで体験した疑似体験。
それらが、目の前で“現実”として動いていた。
悠斗は、息を呑んだ。
——ここは、本当に自然と共存している世界なのだと。
カナエや村人たちの狩猟技術は、現代に生きる悠斗の目には非日常だった。
「……よく分からないけど、凄いな」
悠斗は思わず呟く。
投擲、牽制、連携。
誰一人として無駄な動きをしていない。
狩りというより、儀式と戦闘の中間のようだった。
その背後から、地面を揺らす足音が迫る。
「来たか、タケル」
オウゲンが振り返る。
「村から砂煙が見えたからな!」
大男——カナエの父、タケルが豪快に笑った。
「ははは! 大物じゃないか。俺も混ぜろ!」
「バトル漫画の主人公かよ……」
思わず漏れた悠斗の独り言に、
「ばとる? まんが?」
オウゲンが首を傾げる。
「あ、いえ。気にしないでください」
悠斗は黙って見守ることしかできなかった。
傷を負っても立ち上がり、踏み潰されそうになっても引かず、象のような巨体に、何度も挑み続ける。
やがて——。
動きが鈍った瞬間を逃さず、タケルの槍が、深く突き刺さった。
低い唸り声。そして、巨体が地に伏す。
「……かっけー」
思わず本音が漏れた。
「……悠斗様が授けてくださった、恵みですな」
村長が、しみじみとそう言った。
「え?」
悠斗は目を瞬く。
「この出会いも、この狩りも。すべては巡り合わせ」
否定しようとして、言葉が詰まった。
——何もしていない、はずなのに。
その後、一同は巨大な獲物を新しい村へ運び始めた。何往復したのか、もう覚えていない。気がつけば、東の空が白み始めていた。
夜明け。
悠斗は、汗と疲労にまみれながら、思う。
(……まただ)
頼まれて、
手伝って、
気づけば、ここに立っている。
それでも——。
遠くで笑うカナエの姿を見て、
悪くない、と感じてしまった自分がいた。
村は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
巨大な獲物の解体、火の準備、器の用意。
誰もが忙しなく動きながら、しかし顔には笑みが浮かんでいる。
久しぶりの肉なのだろう。
待ちきれずにつまみ食いをする者も多く、あちこちから笑い声が上がっていた。
(……栄養、足りてないんだな)
悠斗はふと思う。
持久力がないのも、無理はない。
もし毎日きちんと肉を食べられていたら——現代人の俺に遅れを取るわけないよな。
「みんな、楽しそうだな」
「毎日楽しいよ。んふふふ」
隣でカナエが、意味ありげに笑う。
「……なんだよ」
「これ、分かる?」
差し出されたのは、トゲトゲの塊。
「栗だよ、栗」
「……栗、だな」
現代と何も変わらない、イガグリだった。
「とーちゃん、見ろ! ユゥ、栗食べるって言ってた!」
「なんだと!?」
タケルが目を剥く。
「投擲武器を食べるとは……悠斗の村は貧しいのか!?」
「ほれっ」
「ちょっ——!?」
カナエは容赦なく、イガグリをそのまま悠斗の口元に押し当てた。
「いってぇ!! いってぇよ!! 何すんだよ!!」
「ユゥ、嘘ついた」
ぷい、とそっぽを向く。
「とーちゃん。カナエ、ユゥと結婚、しない。嘘、キライだ」
「……」
タケルが無言で腕を組む。
「違う! 違うから!」
悠斗は慌てて説明した。
「このイガイガを外すんだよ! 中に実があるんだ。それを茹でるんだ!」
「……イガイガの中、ツルツルじゃん」
「ほぅ」
村長が感心したように声を漏らす。
「……」
タケルは無言。
「あらあら。では、さっそく茹でてみましょうか?」
ミナの一言で、話は進んだ。
象のような獲物の肉。
そして、茹で上がった栗。
一度に二品。
村にとっては、これ以上ない贅沢だった。
「これ、かたいぞ? ほんとに食えるのか?」
「殻を剥くんだよ。ほら、中はホクホクしてる」
悠斗は一粒、口に運ぶ。
——懐かしい味。
現代と、まったく同じだった。
それを見て、カナエも真似をする。
「……うまっ!! 栗、うまーっ!!」
「どれ……」
タケルも口に入れ、
「……これは……!」
「何とも、味わい深い」
「本当に、美味しいですね」
「ギャギャ!! ギャギャ!!」
ポコも嬉しそうに鳴き、村人たちの歓声が重なる。宴は、昼から夜まで続いた。
「こんな大勢で食事すること、現代じゃほとんどないな」
悠斗は焚き火を見つめながら呟く。
「セレフィナの生誕祭と……カナエの村のお祭り。たまには、いいもんだ」
「明日、結婚式するぞ」
「……ごめん。どうやら、帰る時間みたいだ」
カナエは一瞬、驚いた顔をして——すぐに笑った。
「そっか。行っちゃうのかよ」
「多分、また会えるよ」
「……分かった。待ってる」
次の瞬間。
悠斗の身体が淡く光り、その姿は、夜の闇に溶けるように消えた。
残された村人たちは、静かに祈りを捧げる。
——恵みをもたらした、違う世界から来た存在へ。
カナエは、消えた場所を見つめながら、小さく呟いた。
「……絶対、また来いよ。ユゥ」
夜風が、焚き火を揺らしていた。
公園のベンチに腰掛け、悠斗は小さく息を吐いた。
頭痛や軽いめまい――こうした症状にも、いつの間にか慣れてしまっている。
スマホで時間を確認する。
散歩に出てから、まだ一時間も経っていなかった。
「……公園に来たばっかだけど、もう帰るかな」
立ち上がろうとした、その瞬間。
ポケットの中で、スマホが短く震えた。
画面に表示されたメッセージは、短く一言。
『駅前集合』
結月からだ。
「やれやれ……」
苦笑しつつ、帰宅予定をあっさり変更する。
「今から向かう」とだけ返信し、悠斗は早足で公園を後にした。
「ゆーくん、こっちこっち!」
駅前の雑踏の中でも、結月の声はすぐに見つかる。
手を振る彼女の隣に並び、悠斗は肩をすくめた。
「今日は何の用?」
「街ブラ!」
「はいはい」
何度も通ってきた駅前の風景。
そして、隣にいるのはいつも結月だ。
――ここに戻ってこられる。
その事実があるから、向こうの世界にいても心が折れない。
この日常が、悠斗を支えていた。
「あー、あれさ、なんか恐竜の肉みたいじゃない?」
「……ケバブだな」
「あ、天津甘栗! 甘くて美味しいよね」
「栗だな」
結局、二人は肉と栗をそれぞれ両手に持ち、歩き出す。
向かった先は、ついさっきまで悠斗が座っていた公園のベンチだった。
「ゆーくん、あーん」
「熱っ――って!」
結月は楽しそうに笑い、悠斗は文句を言いながらも口を開く。
現代と異世界なのに、同じやり取り。
現代と異世界なのに、同じ役割。
何度も繰り返してきた、変わらない日常。
それは確かに、今ここにあった。




